なぜそんなことに興味を持ったのか、それは退屈だったからの一言に尽きる。
 珍しくなんの事件もなく馴染みの警察官からも連絡のない日が続いた。未読のまま積み上げられていた推理小説も全て読み終わり、テストも課題も特にない。
 そんな平和で穏やかな日々を喜ぶべきなのだろうが、工藤新一は退屈だった。その退屈の最たる原因は、同棲中の恋人の不在だろう。
 降谷零。現在も警察庁警備局警備企画課、通称ゼロに所属する彼の日々は多忙だ。ふらりと姿を消すことも多く、そのまま数日、数ヶ月連絡が取れないことだって何度もある。これでは恋人になったのにちっとも一緒に居られないではないかと、半ば強引に転がり込む形で同棲を始めてから一年。そして今まさに音信不通の記録を延ばし続け、ついに三ヶ月を超えた。
 降谷の自宅での生活にも慣れ、新一の荷物が今も増え続けているこの家は、もう二人の家でもある。だが、それでも降谷が居ないこの家に一人でいるのは僅かな虚しさを伴う。工藤邸の書庫へいけば読みたい本は沢山あるだろうが、そうしている間にもしも降谷が帰ってきたらと思うとこの家を離れることもできず、そうしてズルズル過ごすうちに退屈はピークに達していた。
 そんな中、普段はあまり見ることのないSNSに目を向けていて、たまたま目が止まったのが『#nakedchallenge』というタグだ。どうやらアメリカを中心に流行っているようで、テレビやゲームに夢中になっている彼氏の前に全裸です現れ、その反応を楽しむという内容のようだ。
(……楽しそう、だな)
 ネイビーのカバーをかけた大きなソファーにごろりと転がりながら、新一はスマートフォンでタグのついた動画を眺める。
 ヘッドフォンをつけ、ゲームに夢中になっていた男性が、全裸で現れた恋人の姿に驚き、でもすぐに幸せそうな満面の笑みに変わり、ヘッドフォンをもぎ取り彼女の元へと駆け寄る。楽しくて幸せな恋人同士の光景だ。
 羨ましい、なんて感情が僅かに湧き上がるのは、自分だって恋人がいてお付き合いしている立場なのだから許して欲しい。
(まあ、俺には無理だけどな)
 第一、降谷がテレビやゲームに夢中になることなんて考えられない。責任感が強く仕事優先で、家でパソコンを使うことはあっても、それは全て仕事だ。それにゲームなんかしている暇があるなら、ずっと新一の傍にいる。そんな人なのだ。
(あ、やばい……)
 そう思った時にはもう遅かった。
 忙しい中、久しぶりに帰ってきた降谷がどんな風に笑うか、その広い胸の中に新一を抱きしめ、安堵したように深く息を吐く彼の姿に自分がどれだけ満たされるか。それを思いだしてしまい、どうしようもなく会いたい衝動が沸き上がる。
(……責任取れよ、ばーろー)
 まさか降谷とこんな関係になるなんて、降谷のことをこんなに好きになるなんて。きっと高校生の頃の自分が知ったら、驚くか、信じられないだろう。でも、これが今の自分だ。
 降谷が好きで、もうすでに、降谷の存在は自分の生活の一部になってしまっている。
 そんな彼と一切連絡が取れないままもう三ヶ月が経っているのだ。普段考えないようにしているが、彼の安否は当然心配だし、早く会いたくてたまらない。
 でもきっと、こんな自分を降谷は分かっていない。
 降谷はいつもまるで恋愛感情を抱いているのは彼だけで、新一とは『付き合ってもらっている』とでも言わんばかりの態度だ。彼がそんな態度だからこそ、自分も自棄になってなかなか本音を言えないというのに。
(……だんだん腹立ってきた)
 第一、自分がこうやって大人しく待っていること自体が奇跡的だと、降谷は分かっていない。彼の痕跡を辿り、その胸ぐらを掴み上げて早く帰って来いと言ってやりたいのをどれだけ我慢していると思っているのか。
(帰ってきたら、今度こそ文句言ってやる)
 そう思って身体を起こした、その瞬間。
 ガチャン、と響いたドアの音に肩が跳ねた。まさか、と思うより早く脚が動いて玄関へと身体が動く。そこにはよれよれなったスーツ姿の降谷が居て、おかえり、と言おうとした唇が震えて言葉が出ずに立ち尽くす。すると、ゆっくりと顔を上げた降谷が、ふにゃりと表情を崩す。
「よかった。居てくれた……」
「あ……」
 雑に靴を脱ぎ捨てた降谷が、荷物も玄関に放りだして、新一に駆け寄る。次に瞬きをした時には、もう抱きしめられていた。
「……会いたかった」
「……降谷、さん」
「長く、家を空けて悪かったね……。居ないと、思ってたけど。この家に居てくれてありがとう」
 ばーろー、と言いかけた唇をぎゅっと閉じる。ここはもう新一の家でもあるのだ。居て当然だろうとか、どれだけ待っていたと思うのかとか、帰ってくるのが遅いとか、言いたい文句はいくつも浮かぶのに、おずおずと降谷の背に腕を回して、震える唇がやっと紡いだ言葉は「おかえり」の一言だけだ。
 おかえり、ただいま、そう言い合える相手がいること、そんな相手と一緒に暮らせること、そんな当たり前の日常のようなささやかなことを、降谷がなによりも幸せだと思っていることを新一は知っている。だからこそ、どんな時でも彼が帰ってきた時は一番に「おかえり」と言うのだと、新一は心に決めていた。
 新一の声を聞いた降谷が、新一の肩に顔を埋めたまま、深く息を吐く。
 そんな彼の熱い吐息に新一の心もじわりと温かくなる。帰ってきたのだと実感して、新一も降谷の背を抱く腕に力を込めた。
 すると、僅かに背を震わせた降谷がゆっくりと身体を離し、新一と視線を合わせて苦笑する。
「いきなり、ごめんね。謝りたいことも話したいこともたくさんあるんだけど、もう少し待っててくれるかな」
「……え」
「まだ、少しだけ急ぎでやる仕事があってね。終わらせてから帰ることもできたんだけど、家でもできる内容だったから、少しでも早く帰りたくて」
「あ、……そう、か」
 仕事、と言われては新一もそれ以上は口をつぐむしかない。降谷の背に回していた手を握りしめながらゆっくりと降ろすと、少しかさついた大きな手に頬を撫でられる。
「まだお風呂に入ってなかったかな? 今晩も冷えるようだから、ゆっくりあったまっておいで。僕の仕事が終わるまで、起きていてくれると嬉しいな」
 頬を撫でた手も、新一から離れた。
 やっと帰ってきたくせに、まだ待てと言うのか。起きていてくれる、だなんて起きているに決まっているではないか。やっと帰ってきた恋人を目の前に、まるでお預けをされているような気分で、新一は軽く唇を噛む。かといって、仕事があるという彼に対して文句をぶつけるような、そんな面倒な男にはなりたくない。
「……さっさと終わらせねえと、先に寝るからな」
「分かったよ」
 微笑む降谷に、ぷいっと背を向けて新一は速足で部屋に戻った。
 先に寝るなんてこと、あるわけないのにそれを分かっていない降谷に腹が立つ。会えなかった三ヶ月間、新一がどれだけ降谷を待ちわびていたかなんて、彼は絶対分からない。いや、むしろ新一が降谷に会いたがっていたなんて、想像さえしていなかったかもしれない。
 再会を満足に喜ぶこともできず、中途半端に膨れた喜びが、不満に変わって胸の中にもやもやと広がる。
 仕事がある、と言っていた通り、荷物を持って自室へと入っていく降谷を横目で見送りながら、新一も洗面所へと入った。新一がこんなにも不満を膨らませているなんて微塵も思わず、降谷は急いで仕事を終わらせるだろう。そうしてまた、あの余裕さえ感じさせる微笑みで新一の前に現れると思うと――悔しい。
 自分だけがこんなにも降谷に振り回されているだなんて不公平だ。降谷も少しぐらい自分に振り回されればいい。少しは慌てたり焦ったりすればいい。
(……あ)
 ふと思い浮かんだのは、SNSで流行っていた例のタグ。ネイキッドチャレンジの動画。
 全裸で現れた恋人の姿に驚き、呆然とし、でも必ず笑顔で恋人の元へと行く光景を思い浮かべ、新一はごくりと息を呑む。
(……降谷さんも、驚くかな)
 彼はいったいどんな反応をするだろうか。少しは驚いて、狼狽えたりするだろうか。そして、どんな笑顔を自分へと向けてくれるだろうか。
 むくむくと膨らむ好奇心に頬がにやける。羞恥よりも好奇心と期待が勝った。
 そうと決めると、新一は急いで風呂へと入った。
 * * *
 重要なのはタイミングだ。
 大急ぎでシャワーを済ませ、あれこれ準備を整えると、新一は物音を立てないように慎重に洗面所を出た。降谷の自室へとそっと近づきドアに耳を近づけると、カタカタとキーボードを叩く音が聞こえる。
 まだ仕事中か。そう思い、ごくりと息を呑む。
 降谷は今仕事中だ。ゲームをしているわけではない。そして、降谷の仕事の邪魔になるようなことだけは絶対にしたくない。だからこそ、タイミングが肝心なのだ。
 狙うのは、キーボードを叩く音が終わり、ノートパソコンを閉じた時。そのタイミングを逃さないように、新一は部屋の中へと聞き耳を立てる。
 カタカタと休むことなく響くキーボードの音。どれぐらい待っただろうか。やがて規則正しく聞こえていたキーボードの音が止み、ぱたん、と小さな音が響いた。
(……今だ!)
 勢いが肝心だと、新一は勢いよく降谷の部屋のドアを大きく開いた。
「しんい……っ?!」
 ガタン、と激しい音が響き、降谷の身体がデスクチェアの下へ滑り落ちた。思いっきり椅子の下へと転がり落ちた降谷にぎょっとして、新一は思わず駆け寄る。
「ふ、降谷さん?! 大丈夫か?!」
「え、あ……」
「おーい? 降谷さん?」
 大きく見開いた瞳が瞬きを繰り返し、声も出ない様子に新一は慌てて降谷に手を伸ばし、肩を掴んだ。すると、ビクンとその肩が跳ねる。
「ほ、本物……?」
「降谷さん、大丈夫か?!」
「だ、大丈夫……かな。幻覚を見ているわけじゃないよな」
「なに言ってんだよ」
「それは、僕が聞きたい……、君こそ、その恰好……」
「あ、……あっ!」
 降谷の視線が新一の下肢へ、それから舐めるように胸元、そして顔へと動く。その視線にようやく自分の姿を思い出して、新一は慌てて脚を閉じた。
 新一の恰好は、さすがに全裸というわけではない。
 いつ仕事が終わるか分からない降谷を待っていたのだ。軽くワイシャツを一枚羽織っている。そのワイシャツは降谷の物で、太腿を半分ほどは隠しているが、前のボタンは一つも止めていない。当然、いろいろな部分が露わになっている状態で、今更になって沸き上がる羞恥心に、目をさ迷わせる。
「え、あ、えっと……」
 咄嗟に引こうとした手を掴まれ、降谷は眉を寄せた。
「手が冷たい。お風呂から上がったばかり、というわけでもないようだけど……」
「こ、これは、その……」
「そんな恰好で、……どうしたんだい?」
 戸惑うような、気遣うような、そんな曖昧さに揺れる視線を向けられて、羞恥心で縮こまった心がズキンと痛む。
 見たかったのはこんな目ではない。驚く反応も見たかったけど、それ以上に幸せそうに微笑む降谷が見たかった。新一が見たネイキッドチャレンジの動画は、驚き方は様々だったが、どれも幸せそうに笑っていた。
 ワイシャツの前を閉じるようにぎゅっとシャツを握ると、新一は軽く唇を噛み、ふはっと乾いた息を吐く。
「……ちょっと驚かせてやろうかなって思っただけ。ごめん、仕事中に」
「いや、仕事は丁度終わったところだから、別に……」
 
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