ある大雨の日
 昼頃から続いている雨は降り止まず、窓をひっきりなしに叩き続けている。雨音で満たされている部屋には俺と飼い白猫であるイザナギだけだ。足立さんは在宅ワーカーなので基本家にいるのだけど、今日は仕事の打ち合わせだか契約の更新手続きだかで外に出ている。ソファに座って足立さんから借りていた小説を読んでいるけども、なんだか身が入らない。雨音を聴きながら読書するのは結構好きなことなんだけども。
「きっと濡れて帰ってくるだろうから、風呂沸かそうか」
 足元でくつろいでいるイザナギにそう言うとなあん、と一鳴き返ってきた。この部屋における過半数の同意が得られたので、栞を挟んで立ち上がる。イザナギも着いて来たが俺が浴室に入ると足拭きの上にちょこんと座って入ってこなかった。栓をしてスイッチを押すと勢いよく水が出て、驚いたのかイザナギがざかざかと暴れ始めた。
「こら、どうしたの」
 風呂の蓋をして浴室の扉を開けるともぬけの殻になっていた。お風呂に入れられると思ったのかな。足立さんと二人掛かりじゃないとできないから、いらない心配なんだけど。当の本人はリビングのソファの陰で尻尾をたぬきのようにしている。
「そんな怒らないでよ」
 抱き上げるとまだ警戒しているのか体を液体にして逃げようとしている。お尻を抑えて抱え込むと観念したらしく収まってくれた。こういうところを見ると猫って足立さんに見えるんだよな。イザナギの名前は足立さんが晃汰くんに似てるから、とのことでこの名前をつけたけど、どちらかと言うと足立さんっぽいのだ。
 
 「止まないなあ」
 止まないどころか、どんどん強くなって窓には滝のように雨が流れている。独り言にみゃあと返ってきた。顎を撫でさすりながら寂しさを紛らわせていると、玄関の方からガチャガチャと金属音が聞こえた。いつもならエントランスのインターホンを鳴らしてから上がってくるから、何があったのかと驚いて玄関まで飛んで行く。
「足立さんっ?!」
 そこにはびしょ濡れになった足立さんが何かを庇うように抱えて立っていた。その表情は焦りと心細さでいっぱいになっている。
「晃汰くんっ、タオル、タオルっ」
 足立さんの逼迫した言葉に踵を返して脱衣所に置いてあるタオルを取りに行く。どれくらい必要なのか分からないから持てるだけ抱える。
「どうしたんですか」
「猫、捨て猫いたの」
 玄関に座り込んでいる足立さんの手のひらの上には黒い塊が乗っていた。猫と言ってもピクリとも動かずにじっと固まっている。とにかく、タオルで包んで濡れた体を乾かす。
「ねえ助かるかなっ」
「わかりません。足立さんもこれで体を拭いてください」
 乾いたタオルで包んで、自分の部屋にある適当な箱に黒猫を入れた。何かに使えないかと箱を無駄に蓄えててよかった。次に台所に飛んで行って、ペットボトルに電気ケトルのお湯を入れて簡易湯たんぽを作る。火傷しないようにタオルに包んで黒猫の側に置いてやった。
「ありがとう晃汰くん」
 くしゅん、とかわいいくしゃみをして足立さんがこちらにやって来た。声は落ち着いているけども、まだ不安は残っているようだ。俺も心のざわざわが拭えない。
「いえ。この子は多分捨て猫というより親から育児放棄された子でしょうね」
 みゃあんみゃあんなあんとイザナギが騒いでいる。いきなりやって来た知らない猫に驚いているだろうから俺の部屋へと連行した。そしていつもイザナギがお世話になっている動物病院へ連絡をする。
「足立さん、その子連れて病院に行ってくるのであなたは先にお風呂はいっててください」
 そう言うと足立さんは黒猫が入った箱を抱きしめて口を尖らせた。
「僕も行くよ。一人で車じゃこの子を連れて行くのは難しいでしょ」
 足立さんはそう言うと玄関まで走っていった。びしゃびしゃに濡れたスニーカーをまた履いて準備万端になっている。俺も車の鍵を握りしめて急いだ。
 法定速度ギリギリで飛ばしている間、足立さんは助手席でずっと俯いていた。車は二人と一匹を乗せていたけども中はひどく静かだ。赤信号にささくれ立っていると足立さんが不意に口を開いた。
「駅から歩いて帰ってる時にね、にゃあにゃあって声が聞こえてきたの。こんな大雨の日に野良猫って珍しいなって思って……。そしたらその子がさあマンションの植え込みにいたんだよ」
 足立さんは俯いたままだ。
「必死に鳴いててさあ……。小さいし、びしょびしょだし、ほっとけなくて逃げるかもって思いながら、手を伸ばしたらすんなり手に乗ってくれてさ。多分逃げる体力も無かったんだろうね。もう鳴くのもやめちゃって」
 ずっ、と鼻水をすする音。何か言おうとして口を開くがなにも言葉が浮かばない。どう励ませばいいのか、励ますべきなのか他のリアクションを取るべきなのか。俺は無謀に言葉を掛けるには年をとりすぎているし、正解を出すには若すぎる。信号が変わったことをいいことに俺は何も言わずアクセルを踏み込んだ。
 拾った時の状況と処置の話をして、医者に預けた俺たちは待合室でじっと座っていた。暇を潰す手段がいくつかあったがどれも手につかない。隣に座る足立さんも同じ様だ。足立さんの顔はかなり青ざめて、手が震えている。彼のそんな姿を見るのは初めてだった。気休めになるとは思えないが、そっと手を重ねると足立さんが強く握り返してくれた。足立さんは滅多に、それこそ俺からお願いしないと手を繋いでくれない。
「僕、あの子が助かるならなんでもするよ」
「……」
「嫌だよ。あの子何も悪くないのに」
「今はお医者さんを信じましょう。イザナギが風邪引いたときもすっかり治してくれたんですから」
 足立さんはうん、と肯定を返してくれたが、それ以上何も言わなかった。
「後少し遅かったら危なかったですね」
 通された診察室の処置台で黒猫はスヤスヤと眠っていた。小太りの主治医曰く、生まれたてで体力がないあまりに母乳が飲めずに見捨てらた子らしい。黒くてよく見えてなかったが、目すら開いてなかった。
「頑張ったね」
 足立さんは子猫の頭をゆっくり撫でて小さく呟く。口元を緩ませ、眉をハの字にして笑う彼に胸のすく思いだった。
 いつの間にか雨は上がっていて、星のない黒い空が広がっていた。一時引き取るという形で黒猫は同じ箱の中で足立さんに抱えられている。とりあえず、ということで主治医とは話していたが俺の中では決断していた。
「ねえ、この子のことだけどさ」
「一緒に暮らすんじゃないんですか?」
「……いいの? イザナギとも仲良くできるか分からないけど」
「まあ、そうですけど。足立さんがほっとけなさそうですし」
「僕が、じゃなくて君が、でしょ」
 足立さんはじろりと睨みつけてくる。あんなに不安がっていたんだから、そんなに照れ隠さなくてもいいのに。
「まあ、君に似た子だから仲良くしてくれるでしょ」
 僕にすぐ懐いてくれたんだから、と足立さんは続ける。似ているかどうかは置いといて、人見知りしないようだ。猫見知りもしないと思いたい。
「名前つけなきゃねえ」
「白がイザナギなら黒はマガツイザナギでしょうか」
「長いよ」
「じゃあ、短くして『マガツ』とか」
 そう言うと足立さんはうめき声をあげた。
「足立さんが助けた子ですし、貴方に因んだ名前をつけてもいいでしょう」
「いい……のかなあ」
 何がともあれ、いつも通りの足立さんが戻ってくれてよかった。二人で笑顔を浮かべながら、もう一人の家族が待つ家へアクセルを踏んだ。
おしまい
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