『傷らだらけの愛を3』
女遊びをやめた大倶利伽羅は俺の家に入り浸るようになった。
画家志望の俺は毎日画題と言う名前の絵を描くばかりで相手をしてやれないが、時々集中が切れた時に大倶利伽羅が部屋にいるのはいいものだなと思う。
小学生の時も大倶利伽羅は俺の部屋にいた。
宿題をするから、家族がうるさくて静かに読書できないから、俺の家のお菓子が美味しいから。たくさんの理由をつけて俺のベッドに寝転がっているのだ。
中学生の時も離れた高校へ通っている時だって、何かしらの理由をつけて大倶利伽羅は部屋に入り浸った。
大学に入ってからはお互いの住処すら知らなかった。高校の終わりごろには大倶利伽羅は部屋に来なくなったからだ。腐っても幼馴染なので、正月に家に帰れば実家にいると思っていたから、あまり心配はしていなかった。要領のいい大倶利伽羅だから、俺よりもうまく大学に馴染んでいると思っていたからだ。
幼馴染がどうにかなってしまっていることを知ったのは、大学に入って一年半経った頃だった。彫刻科の御手杵と食堂で昼飯を食べながら課題を出した先生について話している時、女性の甲高い声がした。次に乾いた音。音の方向を見ると、何度も何度も見たことのある描いたことのあるシルエットが立っている。大倶利伽羅だ。女性の頬を叩かれて、ぎんぎんに目を見開いている。あれは喧嘩をする時の目だ。慌てて立ち上がると、椅子が音を立ててひっくり返った。そのまま走って、大倶利伽羅の前に立ちふさがった。
「大倶利伽羅」
突き刺さるような眼差しで、俺の後ろの女性も殺せそうだった。もう一度名前を呼んで、肩に触れると大倶利伽羅の腕がびくついて、ゆっくり視線が俺に合ってくる。
「く、にひろ」
「落ち着いたか」
俺が振り向こうとすると大倶利伽羅は俺の腕を掴んで阻止してくる。首を動かして見るが、後ろの女性は泣きじゃくっていて、話しは聞けそうにない。そのうち騒ぎを聞きつけた先生がやってきて、野次馬たちは解散。大倶利伽羅と女性は連れていかれた。
あんな大倶利伽羅を見るのは俺が小学生の時に髪の毛が原因でいじめられていたことが発覚した時以来だ。しばらくは威嚇する犬のように尖っていた、今はそんな雰囲気で情緒不安定だろう。
「知ってるやつか?」
「幼馴染だ」
「あいつやばい噂しか聞かないぜ」
「御手杵、知ってること全部教えてくれ」
御手杵やその場にいた生徒に聞く限り、大倶利伽羅はやりたい放題しているらしい。
大学の講義にはほとんど出ず、酒を飲んでは女漁りばかりしているそうだ。そればかりか、ナイトバーやクラブにも出入りしているらしい。
この一年半目を離したすきに昼寝が大好きな大倶利伽羅はどこかへ行ってしまったらしい。光忠さんに会ったらなんて言えばいいのかわからなくなって頭を抱えてしまった。
それから大倶利伽羅を追うことにした。大学で見つければこっそり後をつけ観察したのだ。そうしたら大倶利伽羅が何を考えているのかわかるかと思って。
久しぶりに大倶利伽羅を見ることができて、スケッチもはかどった。久しぶりに創作意欲も沸いてきて課題も進んだ。俺に必要なのは大倶利伽羅なんだなと再認識した。
別の日。また、大倶利伽羅が頬を叩かれた。こっそり後をつけてきたので、一部始終を見ていた。今回も大倶利伽羅が浮気を疑われてしまっている。今のところ俺が見ている限り、大倶利伽羅の彼女だと発言している女性は三人いるので、否定も肯定もしない大倶利伽羅が悪いと思う。
女性が立ち去っても大倶利伽羅はぼんやり立っていることが多い。早めに顔を冷やして欲しいのだが、見ているのは俺だけなので出ていくわけにもいかない。
うずうずしつつ大倶利伽羅を見ていると、なんだか視線が合っている気がしてきた。
大倶利伽羅、こっちを見ていないか?
慌てて後ろずさった時に隠れていた樹木を揺らしてしまった。やばいと思ったときには、ばれているものだと兄弟が言っていた。振り返らずに一目散に走る。
大学構内から出れば追いかけてくることはないだろうと思っているが、足音がどんどん近づいてくるのだ。
半歩。また半歩。後ろの足音と俺の足音が重なった時、背負っていたリュックを掴まれた。
「おい、……逃げるな!」
「わかった、わかったから離せ」
「離したら逃げるだろ」
よくわかっている。捕まらなければ勝ちなのだ。
大倶利伽羅はリュックから俺の手に掴み直して、呼吸を整えている。脈打つ血管が褐色の肌の下で動いているのがわかって、ラフ画を描きたいと無性に思ってしまった。一年半見ていなかっただけ、それなのに、観察し甲斐がある。遠くから見ていた時も思ったが、大倶利伽羅は昔から美しいのだ。
「ずっと見てたのか?」
「ここ二週間ほどだ。この間食堂で会ったときからあんたのことを描いている」
「相変わらずだな……」
見せて見ろと言うので、リュックから一番大きなスケッチブックを出して渡した。どこを開いても大倶利伽羅。今まで隠し撮りのようなアングルで描いたことはなかったので新鮮だった。
「これが最近の俺か」
「そうだ」
最悪な顔しているな。最後まで読んだ大倶利伽羅はスケッチブックを閉じると苦しそうに言った。
「あんたの描く俺は酷く俺自身を描き写す。鏡を見ているようだ」
「大倶利伽羅のことよく見てるからな」
デッサンの先生にも言われたことがある。あまりにも貴方自身が現れない、と。描き写すのはできるのに、ただそれだけなのだ。大倶利伽羅にも言われて、やっぱりそうなんだなと確信する。
「もっと大倶利伽羅のことを見たらいいのか?」
「何を言っているんだあんた」
「大倶利伽羅ちょっとそこで好きなポーズしててくれ、何か見えそうなんだ」
「これから講義なんだが」
「どうせ出ないだろ」
大倶利伽羅からスケッチブックを取り返してポケットから鉛筆を出した。構えてじっと大倶利伽羅を見ていると、ため息をついて花壇を囲う石に座った。端末を取り出して、どこかへ電話をかけるようだった。大倶利伽羅が何か話している。唇が動いて、中の歯が上下する。時々舌が見えてちょっと白っぽくなっているのがわかる。相手の話を聞いて横に振れる頭。大倶利伽羅の髪質は柔らかいが、今の大倶利伽羅もそうなのだろうか。今度はもっと近くで見たい。できたら触りたいのだが許してもらえるだろうか。
そういえば何年も誰か人に触れていない気がする。友達も御手杵くらいだし、大学に来てから一人暮らしを始めたから兄弟と会う機会もない。だいたい人間はあまり綺麗ではなくて、そうそう触りたいと思わないのに、大倶利伽羅だけは手で触れてみたいと思うのだ。だから、許してもらえたらいいのだが。
電話を終えた大倶利伽羅はぼんやり左の方をみている。遠くを見ている時の大倶利伽羅の目は何キロ先も見えているかの様に鋭くて、それを忠実に描けた試しがない。
いきなりサンドイッチが現れた。大倶利伽羅が包装紙を剥いて、大きな口を開けて食べる。食べるときでも大倶利伽羅の姿勢はまっすぐで、食べ方もこぼしたり啜ったりしない。サンドイッチを持っている手にケチャップがたれ、水気交じりだったのか手首まで伝った。薄赤いケチャップは血のようで、無性に自分で舐めたくなった。ティッシュでも大倶利伽羅でもなく、俺が大倶利伽羅の手を取って舐めとりたい。
強い風が吹いて、俺の目に砂が入った。思わず両目を閉じて、ごろごろする目をこする。涙が出て砂を追いやった時にはもう大倶利伽羅は包装紙を始末しているところだった。
さっきの強い衝動はなんだったんだろうか。よくわからないまま、腹が鳴ってスケッチブックを閉じた。
「大倶利伽羅、俺にもサンドイッチくれないか」