「もー俺そのうち悲しい曲書けなくなっちゃいそうだわ」
「それは困ったなあ、うちのかわいい店員さん返してくれる?」
「えっやだ俺死んじゃう」
「冗談だよ」
 あっはっは、と笑い声だけはやけに盛大だった。そのわりに顔がちっとも変わらないからめっちゃ怖いんですけど。……まあ、営業何とかとか張り付けたような、って形容詞がつかないやつだから怖がるのも口だけって感じなんだけど。
「相田さんだけが困るならともかくさ、無理矢理引き離したところで誰も幸せにならないでしょ。身近な人の不幸で楽しめるほどひどい人間じゃないし、僕」
 平日の午前中。大学のすぐそばにあるこの喫茶店はすいていることの方が珍しい。チェーン店じゃないとか、そもそもそんなに席数が多くないことを差し引いてもだ。だから今はすごくレアな時間なんじゃないかなって勝手に思っている。店内に他に誰も、珍しくキッチン担当のお兄さんさえもいないからこそ、この人は多少の遠慮をやめて話してくれている気がした。まあ相手が俺だからってのもあるんだろうけど。
「神野さんさあ」
「うーん?」
「人の話聞くの好きだよね」
「好きだよ、そうじゃなきゃこの仕事楽しくないじゃない」
 まあ聞いてないふりするのも大事だけどね、と言いながら磨いていたグラスを置いた。
「でもできれば悲しい話とか暗い話じゃなくて、ハッピーな話が聞きたいなって思うよ」
「そこなんだよ……」
「うん?」
「神野さんにはいないの、好きな人」
 我ながら話の振りが雑だった。というかあれか、修学旅行の夜のボーイズトークですかっての。
 もちろん幸せな話題イコール恋愛の話じゃないだろうし、逆を言えばそうじゃないことの方がきっと多い。……あっどうしよう、かわいいあの子が俺のいないところで俺の悪口言ってたら。ちょっと落ち込んできた。いやあの子に限ってそんなことはないだろうけどって今はそれどころじゃないんだった。
 正直ずっと気になってたんだ。神野さんと同い年のパティシエのお兄さんはここの学生バイトだった子と付き合ってるし、俺は俺で現役アルバイトの女子大生と付き合ってるし。店員さんのほとんどが学生アルバイトなこともあって、この店の関係者ってかなり恋愛に縁があるわけ。でもその中心でたったひとり、みんなのコイバナをにこにこ聞いているのがこの店長さんだった。台風の目……って表現はおそらく正しくないだろう。作詞家の語彙力が仕事を放棄している。とにかく、まわりの人間たちの恋愛模様を一方的に観察するだけで、俺が知る限り一回も当事者になっていないのがこの神野一成という男だった。
「そうだなあ」
 考え込むようなふりをしたのはほんの一瞬で、彼の視線は濡れたままのグラスへと滑った。
「してるよ、恋愛。でも多分ね、相田さんのご期待には沿えないと思うな」
「あ、言いたくないなら」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど」
 うんまあ、これは相手が相田さんだから言うんだけど。重々しくそう前置かれて固唾を呑む。
「俺の恋人はこの店だから」
 ――――――そう聞いた俺の顔はだいぶ間抜けだったんだろうな。いつもにこにこ程度にしか笑わないこの人がとうとう大笑いしたんだから。
「それずるくない?」
「ずるくないよ、僕は大真面目」
 大好きで大切でずっと守っていきたいもの。合ってるでしょと問いかけられて、俺はああ確かにと頷くことしかできなかったのだ。
 店を出て、いつも目に入らないはずの看板――この店の名前が目についた。
 アウローラ、暁の女神。なるほど、彼は女神さまに恋をしていたわけだ。
◆神野一成
 カフェ『アウローラ』の店長兼バリスタ。パティシエ兼シェフの三ツ谷とは学生時代からの腐れ縁で、彼に言わせれば「ぼんやりした性格」。怒らせると誰より怖いらしいが、誰も怒ったところを見たことがない。周囲の恋愛事情を珈琲を淹れながらにこにこと見守っている。なお、店の従業員は彼と三ツ谷を除くとほとんど学生アルバイトである。
◆神野一成と相田小夜
 カフェ店長と常連客。聞き上手の神野と話好きの相田との相性は良好。ただし、修羅場中に来店した相田は珈琲をがぶ飲みし始めるので、淹れる側としての心境は複雑らしい。
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フォロワッサンシチュ彼化(閑話休題①)
初公開日: 2020年04月11日
最終更新日: 2020年04月11日
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カフェ店長とシンガーソングライター