第一章
ところで意外に思われるだろうが、俺は結城真白のことを全然知らない。
正義のヒーローのような名前をしたその少女は、名がばっちりと体を表しているタイプの人間だった。まるで彼女という人間が先に完成していて、それに従ってふさわしい名前を付けたような。
彼女は、とにかく目立つ少女だった。
目立つといっても、奇抜な格好をしているわけでも髪の毛をピンクに染めているわけでもない。柔らかい猫っ毛の黒髪はふんわりと背中まで落ちていて、今時の女子高生にしては珍しく一切の化粧っ気もない。オシャレといったら眉を整えて、毎朝前髪にぴたっとヘアアイロンを当てる程度の工夫しかしていないという。
制服も校則通りにきっちりと着こなしていて、他の生徒と違うところといったらブレザージャケットの代わりに大きな英字ロゴが入ったパーカを羽織っているくらいだった。鮮やかなブルーのパーカはメンズかと思うくらいボーイッシュなデザインだったが、彼女が着るとしっくりくるというか、まるで彼女のためだけに作られたオーダーメイドの衣装かと思うくらい似合っているから不思議だった。
いたって普通の高校生。
それが、彼女の「要素」だけを拾い上げたときに出来上がる像だ。
しかし結城真白は、普通の高校生には生み出せるわけもない伝説を持っている。
たとえば普通の高校生は、休日に近所の喫茶店でハンバーグランチを食べていたら、通行人たちがまるで花の蜜につられる蝶のようにふらふらと店内にやってきて、その日の喫茶店の売り上げが一カ月分の売り上げを超えたりしない。
また普通の高校生は、下校中に「美容院でモデルをしてみませんか?」と声をかけられて「カットモデルってタダで髪切ってもらえるんですよね!?」と嬉々としてついて行ってカットしてもらったら、後日全国チェーンだったその美容院の公式サイトのトップページに写真が使われていた、なんて体験もしない。
おまけに普通の高校生だったら、気まずくてその喫茶店には二度と行けなくなるし、すぐさま美容院に連絡をして「サイトから写真を消してください!」と訴えるところだろう。
しかし、そこで真白は動じない。「ハンバーグの味は変わらないんだよ、純くん」と、気まずくて喫茶店に近づくことすらできない俺を宥めて喫茶店にリピートするし、カットモデルの報酬をたんまりもらって「美容院の公式サイトなんて、誰も見ないに決まってるのにねー。こんなにもらっていいのかな」と俺と二人で焼き肉に行くような人間だ。
その楽観的すぎるメンタリティも、もしかして彼女がやたらと人目を惹きつける原因の一つなのかもしれない。
しかし結城真白について最も特筆すべきなのは、やはり彼女の容姿だと思う。
真白というその名前にふさわしく、その肌は職人が手塩にかけて造り上げた陶器のように白くて艶やかに光っている。色素の薄い瞳は琥珀のように澄んでいて、笑うたびに蠱惑的な輝きを向けてくる。ほんのりと桜色に色づいた頬と、ナタデココで出来てるのか噛んだら崩れるのかそれは、と突っ込みたくなるくらいぷるぷるとした唇。
彼女の容姿は、まさに全国チェーンの美容院の公式サイトに載っていても違和感がないくらいのものだった。学園のマドンナなんて表現は全然生ぬるい。テレビやスマホの画面の向こうにいて、ようやっと違和感がなくなるレベルの「素人離れした美人」なのである。
すらりと細長い手足も、バランスのいい投身も、画面の向こうにいたら違和感はないが近所にいたら相当浮く、というレベルのものなのだ。
近所の喫茶店でハンバーグを食べることも、カットモデルの話にノることも不自由な人間だ。しかし、真白はそのことに決して屈したりしない。ハンバーグが食べたいと思ったら人だかりの中でもハンバーグを食べるし、同意したわけでもないモデルの仕事でもらった報酬で嬉々として肉を食べる。
自由気ままな蝶のように、その可愛らしい笑顔と共に自分のやりたいことをやる。たくさん食べる。真白の楽しげな笑顔は、誰も崩すことができない。
しかし俺は、そんな可愛らしい自由人こと結城真白について、まだまだ何も知らなかった。知らなかった、ということを思い知らされた。
「来年からは純くんの後輩キャラとして、やり直そうと思うんだ」
「…………はあ?」
駅の東口にあるそのコーヒーショップは、密談をするのにうってつけの場所だった。
といっても断じていやらしい(これは広義の「やらしさ」ってことで)意味ではない。そこだけは本当に、一刀両断して否を突き付ける。
老若男女を惹きつけるフェロモンを常時垂れ流している真白にとって、人目を避けられる場所というのは本当に大事な場所なのだ。とくに誰かに聞かれたくない話をするときは。
そのコーヒーショップは学校帰りの女子高生が客の九割なのに、なぜかやたらと広い喫煙所があって、ガラス戸があるはずなのに煙の臭いが禁煙席に漏れてくることがある、と喫煙所の周囲の席が避けられているのだ。
しかし煙草を吸うような人たちは、そうやって露骨に嫌そうな顔をされるこのカフェにはあまり入ろうとしない。だから喫煙所は比較的いつも空いていて、それを発見した俺が「ここ、真白にいいなあ」と思って真白に伝えたら、彼女も気に入ってくれて常連になった、という貴重な場所なのである。
そんな重宝しているコーヒーショップの喫煙テーブル席で、俺はホットコーヒーのグラスを揺らしながら眉根を寄せる。
「後輩キャラ?」
「そそ。やっぱし同級生ってキャラ付けが難しいよ、その点後輩キャラはすごいよ? なんたって『先輩』って呼ぶだけで相当キャラがはっきりするんだからね。だから私も来年から純くんのことはピュア先輩と呼ぶことにして」
「なんだそれ、名前が変わってんぞ」
「『先輩』呼びに加えて個性的なあだ名で、属性インフレ待ったなし的なやつです」
「お前はすでに属性インフレしすぎて、子供が札束で積み木遊びしてるレベルだよ」
「……ぁえ」
元ネタが分からんかったらしく、掛け合いはそこで終わってしまった。
きょとんとした目をこちらに向けたまま、真白はずるっと掃除機のような音を立ててフラペチーノをすする。生クリーム三倍のプレミアム抹茶フラペチーノが、一気に半分くらい消えうせた。なんだ、今の。イリュージョンか。
「あー。そんな目したって、あげないんだからねー?」
「いや、別に物欲しそうな眼をしたわけでは」
「純くんも同じの頼めばよかったのに、意地っぱりさんになって断るからこうなるんだよ? オトコノコだからって恥ずかしがっちゃ駄ぁ目だよ、自分に素直になってインスタ映えしちゃおーぜお兄さん」
「甘いの、苦手なんだっつの……」
最近のカフェラテですら一口飲んで「え……砂糖入れますかって聞かれなかったのに、めちゃくちゃ砂糖入ってる……」と手が止まるレベルなのだ。コーヒーも味が好きというより、どちらかというとセットで頼んだケーキの口直しのために飲んでいるようなものなのに。
「ええー、でもケーキ食べてるじゃん」
俺の心お前知らずな真白が、ころころと笑いながらミルクレープをフォークで解体して口に運んだ。
「……よくもまあ甘いものと甘いものを……」
「相乗効果ってご存知か? ピュア先輩」
「さっそく札束で積み木をし始めたよ……いや、じゃなくて」
俺はコーヒーのカップを置いて、身を乗り出す。
「後輩になる?」
「ぉん」
「輪廻転生でもするのか?」
「え、なにそれ死ねってこと? じゃなくて、もっと手っ取り早く人間関係やり直せる手段があるじゃんか」
真白は日向ぼっこをしている猫のように目を細めて、言った。
「留年だよ」
「…………」
「どうしたの? 先輩」
気付くと、俺はカップのコーヒーを一気に飲み干していた。
「うっわ」
「おい証拠を見せろ、お前がその魔法のカギを得た証拠を見るまでは絶対に信じないぞ」
「はい」
真白は菫色のブレザージャケットの胸ポケットから、スマートフォンを出した。カバーもアクセサリーもついていない剥き身のスマートフォンは、見るたびに何となく不安になる。しかも手の中に押し付けられると、ほんのり彼女の体温で温かくなっているし。金属が体温を吸って、ちょうど生々しい温度になっているのは何なんだ。
俺が固まっている間に、真白は俺の手に自分の手を重ねるようにして、指紋認証でロック画面を解除した。
開かれた画面は、俺たちが通っている学校のポータルサイトだたt。
成績紹介のリンクを、彼女がタップする。コーヒーショップのワイファイでスムーズに動くスマートフォンは、あっという間にその事実を画面に表示した。
「……うえ」
飲んだコーヒーを全部吐くかと思った。そこに映し出されたのは、学生にとってあまりにグロテスクな光景だったからだ。
「全科目が真っ赤なんだが、これ画面になんかフィルターかかってる? スノウ?」
「はいダウト、スノウは色味フィルターじゃなくてコスプレ系のフィルターがメインです。画像加工アプリのエアプほど醜いものはやめてください、自撮りを五万枚してから出直してこい」
「手厳しい……」
「純くんに可愛い自撮りがしてほしいだけの、相方としての乙女心なのに」
「おいレディ! 結局この色味はガチなのか!? 全科目が赤点って、どういう気合の入れ方をしたらこうなるんだ?」
そう、俺は知らなかったのだ。
本当に、全く知らなかったのである。
「真白!」
だから、ズバッと言ってしまった。
「お前って、馬鹿だったのか!?」
その瞬間、ガッと彼女の細い指が頬に食い込んだ。
そして、
「そしてこれが輪郭シャープのフィルター」
「痛い痛い痛い痛い! くっそふざけんな離せ! 俺には顔痩せ願望はないの!」
俺が悲鳴を上げると、指で頬肉を抉り取ろうとしていた真白は「ふんっ」と鼻を鳴らして手を離した。
「純くんのばか、言葉は刃だぞ」
「速攻で暴力に走った人間がよくもまあそんなことが言えたじゃん……」
「でも純くんガリガリだし、これ以上削ったら理科室の住人さんになっちゃうから許してあげる。あーあ、どうしよっかなあ」
俺の文句を無視して、真白は虚空を睨みながら頬杖をついた。
「せっかく宝条学院に純くんと一緒に入学できたのに、こんなのひどいよ。純くんとコンビ再結成できる日のことを夢見て、ずっと励んでたのに」
「励んだ結果がこれなのか……相当じゃん……」
俺は空っぽのコーヒーカップと手つかずのまま残ってしまったチョコレートケーキを交互に見つめ、ケーキの皿をずいっと真白の方へと差し出した。
その瞬間、仏頂面だった真白の顔がパァッと華やぐ。
「本気か!?」
「糖分を摂って賢くなってください」
「純くん天才!」
毒づかれたのにも気づかず、真白はニコニコの笑顔でフォークを手に取った。
「ったく……」
俺は結城真白のことを全然知らない。
「純くんが甘いの苦手なの、もしかして初めて知ったかもしれないなあ」
「そう? じゃあお互い、初情報を得たってことで」
「んふふ」
何故かというと、俺たちが出会ったのが高架下だからだ。
「ねえ、純くん」
不意に。
天使のようだった彼女の笑顔が、悪戯っぽい色を含んだ。
「久しぶりだし、ちょっと遊ばない?」
「は?」
「たしかに二人分のケーキを食べられたら嬉しいけど、もっと楽しいことがしたくなっちゃった」
「何だよ、その誘い文句は」
「このお店の中には、宝条学院の生徒たちがたくさんいるよね」
「…………」
たしかに学院の近くにあるコーヒーショップだから、俺たちと同じ菫色のブレザー制服の生徒たちがちらほら見えている。宝条学院の最寄り駅は電車の本数があまりないので、このコーヒーショップで時間を潰すことが多いのだ。
喫煙所のガラス戸の向こう側に見える生徒たちを見やりながら、真白はおもむろにその白い手を俺へと伸ばしてきた。
ガッと、右手が掴まれる。
その体温にギョッとして顔を上げるが、口角を上げた真白が掴んでいたのは正確には俺が持っていた彼女のスマホだった。
「分かるよね? 純くん」
「……まさか、お前」
「その通り」
彼女の艶やかな爪が、スマホの画面をスワイプする。
彼女が開いたのは、宝条学院の校章が入ったアプリだった。宝条学院の生徒会が作ったそのアプリは、学院に所属している生徒しかログインできないSNSアプリだった。
学校からの連絡メールが届いたり、任意の生徒同士で連絡が取れたり……という機能は表向きのもので、一番重要な機能は真ん中にあるアイコンだった。
「さあ、やろうよ」
真白が、にんまりと微笑んだ。
「――――《ディスカッション》を」
真白が、そのアイコンをタップする。
その瞬間、
「あ……」
俺のスマホが共鳴した。
「
宝条学院のことについて説明したいと思う。
宝条学院