『では、そろそろ次の質問にいきましょうか。皆さんの好きなタイプは?』
第一章 『一番最後に残った人』
 そういえば、今になって気が付くことがある。
 そういえば一度も、山田一郎にその話題について踏み込まれたことはなかった。
 だからきっと、尚更、そのことについて正しい処世を学ぶのが遅れてしまったのだと思う。
「なあ、お二人さん」
 だから、きっとそれは青天の霹靂と呼べるものだった。
 ずっと歩いていた陸地のその先に、まさしく、
「この中だったら、誰が一番好みなん?」
 地雷が。
 そう呼べるものがあったこと。
 いつも通りの昼下がりだった。
 居慣れた集会場で狭いソファに腰を下ろして、スマホのゲームをいじっているだけの『いつも通り』なのだけど。
 その頃、同じチームを組んでいた白膠木簓が、壊れたテレビを持ってきたことがあった。何でも知り合いから粗大ゴミを押し付けられたとかで、いくら叩いても電源すら入らなかったテレビなのに、集会場で放置されたそのテレビを見つけた碧棺左馬刻がおよそ二時間で修理してしまったせいで、何もない集会場でそのテレビだけがにぎやかな音を流しているような状況を作り上げてしまったのである。
 にぎやかなテレビの音は、少なくとも簓がいるときは一切下げることができない。
 というか、たぶん。
 音を消したら簓が一人だけ気まずいから、なんかこう、その気まずさを和らげるためのものとして簓がずっとリモコンを手放さなかったのだと思う。自分と十代の子供二人しか集会場にいないときは、ずっとそうだった。
 ここに左馬刻も入ったら、きっと「静かにするのが好きな人たちの空間」としてバランスが保たれていたのだと思う。
 でも左馬刻がいない状況だと、ただ単に「十代を盛り上げることができずに白けている空間」になってしまうから、きっと簓は簓なりに気を使ってテレビを点けていたのだと思う。俺たちもチャンネル権ほしいです! とか拙僧たちが騒いだら彼としても嬉しかったのだろうが、あいにく拙僧はずっとスマホをいじっていることが多かったし、一郎なんかラノベを読むか窓の外をぼーっと眺めているか、自分の爪を毟ろうとして俯いているか……といった感じだったから、なんかこう、そういう。そういう悲しい空回りの結果としての、テレビの音声。
 おそらく、その日は左馬刻がかなり大幅に遅れてくるということで、簓も普段よりも「気遣い」の特価セールっていうか、なんか自分が頑張って盛り上げな! みたいな気持ちになっていたのだと思う。
「二人は」
 ちょうどテレビが再放送の恋愛ドラマをやっていたせいで、自然と話題がそこに落ち着いたのだろうな、と。
「どんなカノジョほしい?」
 あ、と。
 その一言で、目の前に一本の白いラインが現れる。
「ていうか、カノジョいるん?」
「あー」
 いち早く答えたのは、一郎だった。
「いらないですねー」
 あまりにも即答。
 きっぱりと言い切られて、一瞬空気が凍った。空気を凍らせるというのは、この妙に幼気な親友の得意技だった。そりゃもう得意技だし必殺技で、しかも攻撃ケージが溜まる速度が異様に早いのでバンバン出す。必殺技なのに。マジでもう全然出し惜しまない。
 簓のギャグを「なんですかー」と流したり、簓のさりげないボディタッチにマジの嫌な顔をしたり、簓のいじりに「何でそんなこと言うんですか」としつこく食いついてきたり、そういう必殺技はこのチームにおいて日常茶飯事だった。左馬刻なんか、飯をおごってやったときに綺麗に野菜だけ分けて残そうとする一郎に「ちゃんと食え」と真っ当な苦言を呈して、きっぱりと「そういうこと言う左馬刻さん嫌いです」と恩知らず千万なことを言われて絶句したこともある。そのときは、おまえ誰に食わせてもらってる中華だと思ってるんだ、と拙僧が代わりに言っておいてやったけど。
 だから今日の一郎の「いらないですね」にも、簓も「あー……」と目をそらして、何事もなかったかのようにテレビに向き直る。
「いらないですね」
 そして畳み掛ける一郎である。会話のキックボクシングをするな、顎を狙うな。
「ええーそんな悲しいこと言うもんやないって……ええー? じゃあ、この中だったら誰が好みなん?」
 まず、一歩。
 銃口を持つ手が近づいてきて、スマホをスワイプする指が止まる。
「この中って?」
「ほら、今コマーシャルに出てたアイドルグループの。メンバー知ってるやろ?」
「知らない」
「ほんまに? ちょお待て、今画像出したるわ」
 一郎はガンガンと必殺技を繰り出すくせに、相手からの攻撃には無防備だ。よくいる攻撃力がカンストしていて、その代わりに防御力が皆無の戦闘キャラ。それが一郎である。
 だから簓の会話をうまく躱すこともなく、「いらないですね」と答えたわりには真面目に受け答えをしている。
「ほら、これ。画像ちょい昔のやけど、知っとるやろ?」
「二郎がこの人が好きで」
「話が飛ぶなあ……。弟くんやなくて、君は?」
「こないだ、雑誌に載ってる写真見せてもらった。俺が見せてって言ったんじゃなくて、何も言わなかったのに二郎から見せてくれて」
 キックボクシングすら崩壊し始めた。
 おそらく嬉しいことだったのだろう。少し珍しく早口に話すものだから、簓もうまく遮るタイミングが掴めずに、結局弟がサッカーの試合の前日に転んで怪我をしたけど、それでも当日は逆転のシュートを決めて県予選に進んだというところまで話を聞かされてしまった。ちなみに、拙僧はこの話を聞くのは五回目だった。
「そう、すごいんやね」
「ありがとうございました」
 簓のスマホの画面を、掌でずいっと押し戻す。『もうテメェとの会話は終わりだ』の意味である。ちなみにこれは少し前まで無言で他人の腕やら肩やらを押して『終わりだ』のアピールをしていたのだけど、それだとあまりにもあんまりだと思ったので、拙僧が「ありがとうございました」も同時に出るように教えた……というか仕込んだのだ。スムーズにその言葉が出るようになるまで、三か月かかった。
「あ、そぉ……」
 簓は嘆息を漏らして、ふっとその切れ長の瞳をこちらに向けてくる。
 銃口が。
「じゃあ」
 近づいてくる気配に、息が詰まる。
「そっちは?」
 そっちは? のあとに、点々と落ちている金属片が見えた。
 きっと踏んだら爆ぜる。分かっているけど、背中を押されてしまうから。
「この中だと誰が好き? というか、好みのタイプは?」
 今までの短い人生の中で、たくさんの人間たちが『この中』に入れられるのを見てきた。
 それは小学生ころのクラスメイト女子だったり、親戚たちが集まる会合で分家の兄ちゃんたちが見ていた写真集に写っていたアイドルだったり、通りすがりの見知らぬ女性たちだったり。
 『この中』から、選べと。
「…………」
 生憎キックボクシングをやるほどの体力はない。
 何か答えないと、進まない。
 小学六年生のころにクラスの中心にいた女子は、とある男子にクラスにいる男子児童全員を『この中』に入れられて、困った顔でこう答えていた。
『この中で一番、優しい人』
 この中で一番。
 曖昧な言葉で濁して、しかし答えてもらった男子は嬉しそうな顔をして、何度も『そっか』と頷いていたのを覚えている。
 その答え方は、まさに拙僧にとって青天の霹靂だった。
 もっと具体的に表現すると、なんというか「無敵バリア」みたいなものの存在を教えられた勇者のような気分というか。
 男子同士のじゃれあいの度を越えた殴り合いで、いつも「無敵バリア!」と叫べば相手は腑に落ちないような顔をして「くっそー!」と勝負を下りてくれた。
 優しい人。
 その答え方は、彼女だけの無敵バリアだった。だから幼いながら、そのセリフを自分がそのまま使ってもバリアにはならない、と分かっていた。
 その日からかなりの時間をかけて、自分にとっての『この中で一番、優しい人』に替わる何かを探していた。
 普通のバリアだと、破られてしまう。
 『やめてくださいよ』とか『そういう話はいいですって!』とかじゃなくて、もっともっと無敵にならなきゃいけない。
 どんな攻撃も防げる言葉を、だって当時まだ十二歳だったあの女の子ですら持っていたのだから。
 十二歳の女の子が習得できた技を、そりゃあ十七歳が習得できないわけはない。
「この中だと誰が好き?」
 その瞬間、自分は確実に無敵だった。
「この中で一番、最後に残った子」
 白膠木簓が、きょとんと小首をかしげる。
 ほら、勝負を降りてくれた。
 にんまりと笑って、再びスマホのゲームに視線を落とす。
***
 その日の帰り道で、一郎はいつもより口数が少なかった。元々あまり自分から喋ろうとしないタイプだから、別に気にしてはいなかったのだけど、
「なあ」
 駅での別れ際に不意に呼び止められて、無自覚に黙り込んでいたわけではなく、ずっと話を切り出すタイミングを窺っていたのだと気が付いた。
「さっきの、選択肢にされた人たちがいる前で、言ったことあんの」
「さっきの?」
 一郎が軽く唇を噛んで、微かに頷く。付き合いの長い拙僧じゃないと見抜けないくらいの首肯だ。
「別に……そういうこと聞かれるような、集団にもいねぇけど」
「そう」
 そっか、と一郎は独り言ちる。学ランに包まれた両肩が、ふっと撫で下ろされたのが見えた。
 そして、
「絶対に」
 一言ずつ、言葉を区切るように。
「言わない、方がいい、と思う」
 そう。
 こいつは、いつもそういうふうに話す。
 迷いながら、言葉を探しながら、それでも伝えたいことを伝えようと努力を。
「絶対に」
 どうしてそこまで一所懸命なのかが分からなくて、すぐに返事ができなかった。
 とっさに、
「何で」
 聞き返してしまったら、一郎の眉間に薄墨で描いたような微かな皺が寄せられた。
「だって」
 駅の改札前で、一郎は言い淀む。
 目当ての電車が来たというアナウンスが流れても、彼は意に介さずに言葉を探し続けて押し黙っていた。
「だって」
 その色違いの瞳が、不意に持ち上げられる。
「残り物がいいって言われたら、選ばれた人は悲しくならないか」
 その場を流れる張り詰めた沈黙に、一郎は最後まで気が付かなかった。
 次の電車が来たというアナウンスが流れて、彼は「じゃ」とあっさり改札をくぐってホームへと行ってしまった。
「…………」
 騒がしい駅の構内で、しかし全身を取り巻く一瞬の沈黙が剥がれない。
 四肢が縛り付けられたかのような感覚を振りほどくのに、電車を三本は逃したと思う。
「………………なにが」
 気が付かなかった。
「なんだそれ」
 気が付けなかったのは、どうしてなのだろう。
「知らねぇよ」
 どうして気が付けなかったのだろう。
 いくらどうしてと思っても、もう絶対に撤回なんてできない。口に出したその瞬間から、すべての言葉は手遅れなのだから。
***
「その話題に触れらないようにするためなら、何でもする」
第二章 『絶対に両想いにならない人』
「会場にいる独りたち、今日は集まってくれてありがとー! それではいよいよ最後の曲ですって言いたいところなんですけど、ねえ独りなんだから手放さないでくださいマラカスもタンバリンも片手で叩くくらいの気概を見せて! いいですか、せいぜい主役である僕に気持ちよく語らせて。自分の頭の中も心の中も腹の中も、全部隠したままでも本当は他人と付き合うことなんてカンタンなはずなのに、それでも全部知ってほしくて、知ってくれると信じて今マイク持ってるんだから絶対に絶対に正気に戻さないで」
「お願いがあります。本当に、切実に、お願いがあります。大好きなあなたに、お願いがあるんです。本当に、これだけは守ってください。どうかお願いします、あなたのことが大好きだからお願いしてるんです。どうか、自分のことを見ないでください。自分のことを振り返らないでください。どうか、大好きなあなただから、四十物十四っていう存在に気付かないでください。絶対に、絶対に自分のことを好きにならないでください。どうか別世界の人間でいてください。向き合う努力をしないでください」
「お願いです、本当にお願いします。どうか、自分の存在に気が付かないでください。見ないでください。獄さん、大丈夫、その目の前にいる子供のことずっと無視してて大丈夫なんです。ずっと一笑してくれるあなただから好きなんです。だから、ずっと好きなままでいさせてください。こっちのことなんて、絶対に振り向かないでください。両想いがハッピーエンドだなんて思わないでください。向き合って、真剣に本音を語り合って、通じ合うのがハッピーエンドだなんて絶対に絶対に思わないでください。そんな発想に至らないでください。お願いです、絶対に、いつまでも自分のことを見ないでください四十物十四のオーダーメイドのサンドバックになってほしい、ずっと一方的に熱量をぶつけてもうんともすんとも響かないものを、だってみんな必要としているはずなのに、それがスポーツでも芸術でも趣味でもあって然るべきなものなのに、どうして愛とか恋になったとたん、サンドバックが意思を持って殴り返してくる世界じゃないとホンモノじゃないみたいなことを言われなきゃいけないのか、本当に、ずっと分からなくて。だから」
 顔を上げると、その人は自分の長ったらしい口上に飽きることなく、呆気にとられたような表情のまま、しかししっかりと見入ってくれていた。
「だから」
『別に国宝だって、自分の居間に置きたいわけじゃない』
 そう言ってくれた彼だから、きっと自分は。
「聞いてください」
 口元に、自然と笑みが宿る。
「これが最後の歌です」
***
 好きなタイプを言って、ドン引きされなかった経験など無い。
 マジで、一切無い。空気感フリーズ確定ガチャって感じなのである。
「……なんだあれ」
「十四」
「なんですか、あれ。うそ、むりむり。なにあれ、わけわかんない。本当に、なんだあれ。怖い。空却さん怖い、怖いよ! ねえ!」
「うるせぇよ! この身長差で肩を掴むな、地面に足が沈むわ!」
 液状化?
 とにかく、と自分よりも華奢な師匠は、億劫そうにこちらの手を振り払いながら言った。
「んなに騒ぐんなら、今度のサイファーで戦えるように交渉してみりゃいいのに……」
「はああああああああ!? なんで脳みその容量が急にハムスター程度になるんですか、あんたは! そうじゃなくない!? 今のこの感じは絶対にそうじゃなくない!?」
「なんだよ! うるせぇよ、今日のお前は! いや、いつもかもしれないけれども!」
 自分と空却さんがこんなに大声で叫びあっていても、周囲の観客たちは全く意に介していない。
 それもそのはずだ。自分たちが今いるのは、MCバトルの会場だったのだから。
『イケブクロの連中が、これに参加するっぽいぞ』
『はい? それが何か』
『偵察に行く』
『よ、よかった! 殴り込みじゃない!』
『……お前は、だんだんとこう……舐めてきてないか? 拙僧のことを』
『はい?』
『え、は?』
 そんな会話をしたのが、数時間前のこと。
 わざわざ関東圏にまで行って、自分たちはこの会場にするりと侵入した。やけに自分と同じ年くらいの、というか高校生くらいの女子が多いなあと思いながら、こんなに女性が多い場所でこの人が暴れたら本当に嫌だなと思って、ずっと空却の手首をがっちり握って会場の隅っこで身を隠すようにしてステージを眺めていたのだが、
『あ……え』
 最初にうっかり理性を失ったのは、不覚にも自分の方だった。
 
 ステージに現れたその人影は、自分がステージに立った瞬間に湧き上がった会場中の黄色い声に、うっすらとビビったような表情をした。
 キャップを目深に被ったまま、観客の方にその涼しげな視線を投げるだけで女子たちが声を揃えて歓声を上げる。
「いや、いやいや」
 空却が呟く。
「なんであれ……いつもこんな感じなのか?」
「あああああ」
「なんでお前もやられてるんだ、拙僧には通じない攻撃が炸裂してるのか?」
「ああああああああ」
「痛ってぇな! こっちの肩を叩くな、そういうノリは体格が同じくらいの女子同士でやってコミュニケーションになるんだ! 今のは暴力!」
 ステージ上にいたその青年が「えーっと」と困惑しながら、薄い笑みを浮かべる。
「なんつーか……イケブクロへ、ようこそ」
 山田二郎。
 その青年のことは、知っていた。
 彼が軽く顎を引くようにして会釈をすると、また会場中に黄色い歓声が上がった。
***
「ああああ、だめです。本当にだめです、これはだめだ」
 帰りの新幹線で、いつまでも呻いている自分に波羅夷空却さんは「……はあ」と遂に怒ることすら諦めて嘆息を漏らしていた。
「だめって、何が」
 でも話は聞いてくれるんだ。すごいな、この人。
「獄さんから乗り換えそうでヤバいって意味です」
 その瞬間、師匠は飲んでいた緑茶を小さく噴き出した。
「乗り換えるって! 馬か!」
「えー、そんなえっちなこと言わないでくださいよ」
 思いっきり足を踏まれた。痛い。
「ひどい……今日もいじめられてる……」
「……お前の好みがよぉ分からん」
「分からんですか?」
 分かりやすいと思うけど、どうなんだろ。
 誰かに分析されたことなんてないから、よく分からない。
「好みのタイプは、そうですね……学園の王子様とか、白馬に乗ったサーベル所持の貴族とか、あしながおじさんとか、『お嬢ちゃん、大人をからかっちゃいけないぜ?』って弄ってくる程度に年齢が離れた紳士とかですかね」
「紳士は女のことを『お嬢ちゃん』って呼ばない」
「こら、正論で殴っちゃダメですってば」
「だって……」
 空却さんは一瞬躊躇ったように口を噤み、それから「……まぁいいか」と短く息を吐いて言葉を続けた。
「だってまともな大人なら、未成年に手は出さんだろ」
「…………」
 あ、
「今」
「は?」
「白いラインが、ここにピッて引かれたのが見えました」
 自分と空却さんの間に手刀を切ってやると、師匠は訝しげに眉根を寄せる。
「ラインん?」
「そぉです。空却さんってさあ、ある無しクイズ苦手ですか?」
「…………」
 彼は何も言わなかった。
 押し黙ってもらえたのをいいことに、呟くような声を漏らす。
「なんか、共通点があるから……気が付いてもらえなくてもいいけど、まあ、あるんで。そういう意味でのラインです」
「ラインねえ」
 空却さんが、その金色の瞳をじっとこちらに向けてくる。
 彼にしては珍しく言葉を探しているような間を置いてから、
「それは、本当に」
「はい?」
「直線なのか?」
 ……へ?
 斜め上からの答えに、きょとんと眼を見開く。
 しかし師匠からの次なる言葉はなく、「もうすぐ次の駅だな」という独り言が吐き出されただけだった。
***
 数日後。
 気が付くと、自分はまた獄さんの事務所の前にいた。
「獄さんを出してくださいあなたの恋人の命が惜しければ今すぐ会ってくださいって取り次いでくださいお姉さんお願いします」
「天国さんからのお返事です……『俺に恋人はいない』だそうで……」
「あああああああああ」
「お返事です『今から贔屓先に電話するからそれが終わったら』だそうです」
 なんか最近分かってきたけれど、いろいろと言葉を重ねるよりも単純に駄々をこねた方が早く話が通じる。獄さんは、そういう面倒くさがりなところがある。
「そこのソファで待ってていいですよ」
 もうここに通いすぎてすっかり顔見知りになってしまった受付のお姉さんに、来客用のソファを指さされた。
 素直にそこに腰を下ろすと、麦茶が出された。なんだろ、四十物十四のことを手厚く扱わないと後が怖いからよろしく、とでも言われているのだろうか。
 どうも、と麦茶のグラスを受け取ったら、受付のお姉さんはそのまま帰らず自分の正面に腰を下ろした。
 え? と自然と体が身構える。
 こんなこと、今まではなかった。
「今日、なにか用ありました?」
 少し、砕けた話し方。
 こんな話し方も初めてのことで、「……や……」と乾いた掠れ声が漏れてしまった。言葉が急にスムーズに出てこなくなって、受け取ったばかりの麦茶を口に含む。
 どうしよう。
 自分から押し掛けておいて、と思うけれど、思わず視線が獄さんのいる事務所の奥へと伸びてしまう。助けてくれないだろうか、と期待して、でもそういえば今から電話って言ってたっけ……と思い出して目を伏せる。
「なんか……なんと言えばいいのか、分からないんですけど」
 やっぱり、おかしい。
 このお姉さんは、こういう話し方をする人ではなかったはずだ。
「ええと」
 この話し方は、
「単刀直入に言いますと、ね」
 子供を説得するときの話し方なのだ。
「さっきの話は、嘘なんです」
「……さっき?」
 脳内で、時間がぎゅるぎゅると遡る。
 しかしいまいち『さっき』に該当する話が見当たらない。そのままきょとんとしていたら、お姉さんがもどかしげに言葉を続けた。
「さっきの、伝言の」
「……伝言」
「いや、嘘っていうのも大げさかな。はい、大げさでした。嘘っていうか、もうすぐ嘘になるっていうか、なんていうか」
 話が進まない。
 伏せていた目を持ち上げると、お姉さんはちょうどそのタイミングで口を開いた。
「さっきの、俺には――――」
「十四」
 事務所に通じるドアが、開いた。
 そこには獄さんがいた。
「仕事の邪魔をするな」
「…………はぁい」
 どうやら、僕がお姉さんを引き留めたのだと思ったらしい。
 逆なんだけどな、と思いながら、なんだか説明するのも難しかったので素直にうなずく。お姉さんは気まずそうな顔をして、自分の両膝に視線を落としていた。
「来い」
 部屋の中を指さされて、やっぱりさっきの電話っていうのは嘘だったんじゃないか、と膨れっ面をしてみせる。
 獄さんはそんな自分は意に介さず、そのまま部屋の奥へと消えてしまった。
第三相『契約ができる人』
カット
Latest / 78:10
カットモードOFF
59:17
ななし@58b6f2
桜ちゃんヤバ
チャットコメント
文字サイズ
向き
チャットコメント通知