ハニートラップ
※バラバラに書いたのをつなぎ合わせていく書き方をするタイプ
おかえり、と自分の部屋へ我が物顔で入ってくる男を迎え入れるのにも慣れた。ただいま、なんて可愛いことを言って、帰ってからこの部屋に真っ直ぐ来ました、自分の部屋へ寄りもしていないですって言わんばかりのコートを羽織った姿で入ってくるものだから、俺の「ノックしろよ」って声も聞き流せる程度に弱い。部屋に置いたソファーの上で、いち早く翼くんに会いたいって帰って来たダーリンを迎え入れる。
「コート、俺のやつの上にかけといていーよ」
「ああ」
俺が言うと、志季は脱いだコートを玄関先のコート掛けへ言われた通りにかけて、書類が入ってそうな鞄も置いて、俺の方へ向かって来た。その足取りの迷いのなさに、少しだけ優越感の混じった愛しさで胸の中がくすぐったい。かわいーな、もう、こいつ、って頭をわしゃわしゃ撫でてやりたいようなときがたまにある。志季は素直なところと素直じゃないところがあって、素直なところはめちゃくちゃストレートすぎて、志季さあ……と言いたくなるレベルのときもあるが、たまにこうして無心な可愛さを見せてくることがある。無自覚だろうけど。
チェックしていたインタビュー原稿は、とりあえず後回しだ。あったかいお茶でもいれてやろう。隣、座れば? とソファーの座面を叩いた俺へ、志季の体は予想よりも何倍も勢い良く近づいた。
「ん? いい匂いがするな、なんだ?」
「うわ、ちょっと、志季!」
太腿が触れ合うほどの距離で隣へ腰を下ろした志季は、思い切り顔を寄せてきて、思わず向かい合った体の肩を掴んだ。なにかされると思ってるわけじゃないけど、いや別に俺と志季との関係ではなにかしてもいいんだけど、ただびっくりしてそれ以上距離が縮まらないようにする。俺の顔の前で、くん、と志季が鼻を鳴らした。この至近距離では、少し伏せられた睫毛の一本一本もはっきりくっきり見えて、思わず心臓がどくりと大きく動いたのがわかる。
「びびった! なに、顔近いんだけど」
「お前もいつもこれくらいだろう?」
「さすがにそこまでじゃねーよ。こんなのキス出来そうじゃん」
ちゅっ、と唇で音を立ててやると、ちょっと口の先が志季に触った。近い距離の志季は、まんざらでもなさそうなのがバレバレに瞳を優しく細める。志季はまんざらでもなくデレデレしてるけど、間近でデレデレされた俺の方はさすがにちょっと恥ずかしい。距離を取った腕で、更に適切な距離を取るべくそっと押すと、志季は大人しく俺から離れた。離れたと言ってもソファーの上、太腿はぴったりと触れ合ったままだ。志季の腕は俺の方の背もたれにまで回って、身を乗り出すような状態で、まあこれなら適切な距離の範疇だろう。俺と志季の。
「お前からいい匂いがしたんだが、チョコレートか?」
「ああ、今もらったやつ食べてたから……そんなに匂う?」
「これだけ近いとな」
相槌を打つ志季の言葉に、俺はキッチンへ置いてあるチョコレートの箱へ視線を向ける。事務所へ寄ったとき、社員さんから差し入れでもらったカカオの濃い暗い色のチョコレートは、文字を読む作業のお供に最適だった。小皿に三つほど取って、最後の一つをちょうど志季が入ってくる前に口にしたところだったので、わかるほどに香ったのだろう。お茶をいれてやろうかと思ったけど、話題に上がったチョコレートから浮かんだドリンクの気分になった。
「今日けっこう寒いね、ココア飲む?」
「ああ」
「チョコは?」
「ココアだけもらおう。お前はそこのチョコレートを食べながら、ココアか?」
甘そうだな、と想像したのか呟く志季に、軽く指を振って否定する。
「あんまり甘くしなかったら合うって。待ってて」
志季の肩を軽く押して立ち上がると、ああ、と応じながら視線が俺を追ってくる。どうやら今日は、ずいぶんと可愛い志季の日らしい。
お喋りするなら飲み物があった方が絶対にいい。夕飯にはまだ時間があるこの時間に来たなら、俺の部屋でそこそこゆっくりするつもりだろうし。
志季の仕事部屋では機材に埋もれているキッチンだが、俺は潰さずにお湯を沸かす程度には使っていた。ココアの粉の缶と、小さい冷蔵庫に牛乳もある。ミルクパンに牛乳を注いであたためる間に、砂糖を少なめに、塩をほんの少し入れて、ココアの粉をマグカップの中で練る。チョコレートと同じ、暗く濃い色に練られて行くココアをあたためた牛乳で伸ばして、できあがりだ。
「志季ー」
できた、と言いながら振り返ると、志季はこっちを向いていた。
「うまい。里津花の甘めのココアもうまいが、これもいいな」
「だろ?」
甘くない奥底に忍ばせた、甘い甘い罠だ。
「……チョコレート」
罠にかかった男は、俺の愛情を飲み込んで、味わって、やっとそれに気づく。
「最後の最後であまーいことに気づく」