ヨーロッパの奥地に『院』の本部は存在している。魔術的な結界を施され、一般的には何もないようにしか見えないその土地にあるのは城のような建造物。いつからそれが存在するのか、それを知る者はとっくにその人生を終えている。
「……毎度毎度遠いんだよな」
はあ、と溜め息ひとつ。『院』に入る為の結界の鍵を開いて、律は眼前の城を見上げた。『院』の中には魔術の研鑽や研究を目的とした『ウィザード』や『メイガス』が揃っている。こんなところに引きこもっているような『ウィザード』と『メイガス』だ、コミュニケーション能力は絶望的に低い。毎回話が通じない。自分のことしか考えていない。だからこそ、彼らは『茅嶋』のような『兵隊』を必要とする。自分の時間と命を第一に考える彼らにとって、全ての外敵を打ち払う人間が必要なのだ。だったら自分達でどうにかしろ――と思ったところで、彼らにとっては命を守る時間さえ惜しいのだった。
彼らの『兵隊』になるということは、『院』に常駐するということを意味する。24時間365日、彼らの命を守る為だけに行動する。自分の知らないものを研究したいという探求心から、戦闘を見に来てそのまま『兵隊』を連れ帰り『研究』する者も存在する。律もまた、『兵隊』であり『研究対象』であることを求められた。きっぱり断ったが、現在『院』を統べている『ロード』――老獪の『ウィザード』は諦めが悪い。正直なところいい加減寿命も諦めてくれ、と内心思っている。
「あ、オーレン」
「リツ!久しぶりー……あれそうでもないな、先月も来てたっけ?」
『ロード』の部屋に向かう途中、すれ違った一人に思わず声を掛けると、振り返った少年がぱっと表情を輝かせた。オーレン=トリエスタ、『院』に勤める『兵隊』の『ウィザード』だ。
いつだったか、『院』の中で何度か戦闘訓練の講師を引き受けた時の生徒の一人である。何故だか理由は不明だがやたらと懐かれ、なし崩しによく話すようになった。律の記憶が正しければ、現在17歳。両親は『院』の中の何処かで延々と魔術の研究をしていたような記憶がある。魔法陣のここを変えればどうだ詠唱の言語のトーンを弄ればどうだ。子どもが出来たのも研究の一環だという話だった。『院』の『ウィザード』にはよくある話だ。
「最近呼び出し多いんだけど、『院』何かあったの?」
「いや?別に。ボクら今あんまり仕事がなくってさ、自主鍛錬ばかりしてるよ。リツはずっと何かお仕事?」
きょとんと首を傾げるオーレンに、思わず遠い目になる。ヨーロッパに滞在している時ならともかく、日本に居ようとアメリカに居ようと南半球に居ようとお構いなく呼び出されるこちらの身にもなって欲しいものだと心底思ってしまう。とはいえ、『院』の人間が『院』から出ることは滅多にない、彼らに世界の広さを説くだけ無駄というものだ。
「……大体近隣の討伐の話振られるんだけど、中の人間動かしてないのかそっかー、これはやっぱり嫌がらせなんだな……」
「あはは、リツの力が認められてる証拠だよ。羨ましいなあ」
「認めて貰えるのは有難いけど、俺は『院』の人間じゃないって言ってるじゃん。お手伝いを『院』の人間より動かしてどうするんだって話」
「『ロード』はリツに『院』に入って欲しいから仕方ないなー。何でリツは『院』に入るのヤなの?」
何故、と問われて答えたところで、恐らくオーレンには分からない。
『院』で生まれ育っているオーレンにとって、『世界』は『院』だ。その外に出ることを望んでいない。此処で過ごすのが当然で、一生を此処で終えるものだと思っている。『院』の存続の危機であれば外に出て戦闘行為を行うこともあるが、ただそれだけ。それ以上の意味を、『院』の外の世界に見出していない。
仕方のないことではある、と思う。『院』に居れば何もかもが揃う。生活に不自由することもなく、魔術的な研鑽は本場であり、そして何より『ロード』に認められることは至上の幸福であるという教育を施されている。こればかりは外部の人間である律がとやかく言えるようなことではない。よその家の教育方針に口を出さないのと同じだ。
「……うーん。まあ『院』に居てもしょうがないかなって、俺の場合は。魔術構成も独自のものだしね、今更後世に引き継ぐ為にどうのってする気もないし」
「あっリツの魔術の使い方教えて欲しいんだけどボク!動きが読めないの悔しかった!」
「嫌だよ企業秘密だって分かってるでしょ、『ウィザード』が自分の手の内晒すような馬鹿したら駄目だって教わらなかった?」
「そうだけどボクにこそっと教えてくれても良くない?ボクとリツの仲じゃん」
「どんな仲だよ」
「ボクのこと弟子にしてよー」
「間に合ってますよ」
残念ながら弟子は才覚に溢れたアイドルがひとり居る。それで充分だ。祖父と祖母から受け継いだ律の魔術の使い方を詳細に知る人間はこれ以上は必要ない。何より、オーレンにはそんな気はないだろうが、オーレンに魔術の使い方を教えるということはそのまま『院』に手の内を明かすことになる。彼の両親の研究の材料に、或いは『ロード』の何かしらに。
「ちぇっ、振られた」
「あはは。オーレンにはもう師匠居るでしょ、まずは今の魔術をしっかりマスターしてから他のこと覚えた方が良いと思うけど?これからの為にも」
「うっ……飽きてるのに……」
「本気で飽きるほど反復練習してから言おうね?」
才能だけで魔術を使える者などほんの一握りだ。努力の上に成り立つものを馬鹿にしてはいけない。かつて世界で五本の指に入る『ウィザード』とまで謳われた律の母でさえ、恐ろしい程の努力の上で圧倒的な力を得ていたのだから。
「ああいけない、リツ、『ロード』に呼ばれてるんだよね。引き留めすぎちゃったな」
「いや、話しかけたの俺だし気にしないで。修行頑張ってね、オーレン」
「うんっ、ありがとう」
嬉しそうに笑ってぶんぶんと手を振るオーレンに手を振り返して、律は歩を進める。
――オーレン=トリエスタ。
彼はまだ、自分が未来、『院』の若き『ロード』となることを、知らない。
おしまい。