#序
吹き抜ける風は、あまりに濃厚な鉄錆のにおいだった。
鼻腔を通りすぎるだけで錆び付きそうなその風に、白い髪が揺れる。その目は明らかに苦悩で歪められ、呻き声を上げて天を仰いだ。
男――渋谷大の眼前に広がっていたのは、水風船を叩きつけたように広がる、赤い池だった。
周辺に広がるのは青々とした稲田だ。そこを横切る一本道をふさぐようにして飛び散った池の近辺には、恐らく元は一つの体だったのだろう肉片がちぎれ飛んでいた。
稲穂実らぬ青い苗が風に音を立てて揺れるたび、噎せ返るようなにおいが襲いかかる。
それを苦々しい表情で流し見て、渋谷は静かに頭を抱えた。
「……泣きそう……」
たまらずこぼれ落ちた言葉は、誰に聞かれることもなく雑草の中に吸い込まれていく。
奈良県、那須加村。
天高くそびえる物がなにもない、およそ高所からの転落死とは無縁のその場所。にもかかわらずそれはどう見ても、高所から叩きつけられて死んでいた。
周囲に人影はない。もちろんいたとして、自分がこの死体を生み出した犯人だと疑われることはないだろう。
しかし一人では、これを人の目から隠すことすらできそうにない。
なにせ渋谷はこの日、あまりの仕事内容に音を上げ、多忙を押して休暇を取っていた。
久しぶりに舞い込んだ、血なまぐさい事件を探る仕事だ。その仕事の最中、否が応にも目に入れなければいけない凄惨な現場写真や遺体の詳細情報にストレスが限界値を超え、なんとかリフレッシュのためにともぎ取った休みだった。
それが、まさか直接遺体を見る羽目になると、誰が思うだろう。
「……これ、仕事から逃げた罰かなぁ。まわりに高いとこねぇし、電線も遠いし、他に誰もいないんだけど。どう見ても今の案件と繋がるんだけど。……逃げるなってことなのかなぁ」
諦めにも似た気持ちを吐き出し、できるだけ遺体から目を逸らしつつスマートフォンを取り出す。
「第一発見者になるとか、人生で初めてだよ……。できりゃあ一生経験したくなかったよ……」
ぶつぶつと愚痴をこぼしつつ、ある番号に向けて通話ボタンをタップする。
間もなく聞こえたコール音。
しかしそれが5回を超えても受話されないのを聞くと、次第に苛立ちを隠せず、無骨な指が太ももを叩いた。
「なにしてんだ、あのドン亀……!」
先ほどの悲壮な声色でなく、焦りと怒りが声を低くさせる。
さらに、留守番電話サービスの音声ガイドまでが流れ始めたのを耳にし、渋谷のこめかみに血管が浮いた。
「あのバカ、今なにして……!!」
「はいはーい、絶賛お仕事中の悟くんですよー。このクソ忙しいのに休暇満喫中の渋の字、なにかご用ー?」
「めちゃくちゃご用だわ! なんなのお前、なんでさっさと出ねぇの!」
軽薄な口調で電話口に出た友人に、噛みつく勢いで怒鳴り散らす。