少年がネックウォーマーを脱いで、くるりとひっくり返した。
 リバーシブル。地味な茶のまだら模様が、あざやかなグリーンに早変わり。
 「やっぱりねー。そんなにおい、してたよ」
 星慧の言葉に同調するように、背後で冬苑が「ソダネ」とつぶやく。
 僕のスーツの袖をぎゅっとしている星慧の力がほんの少しだけ、強くなった、気がした。
 (星慧ちゃん……  隙をうかがっている……?)
 少年は僕たち3人をまるで気にかけないような態度で、ふたたびネックウォーマーを着用した。彼の顔が緑色で覆われる。
 「だめじゃん」
 そう言い終わらないうちに、星慧は跳んだ。
 肉食獣の跳躍。
 一瞬の油断。
 奇襲。
 「!」
 星慧が少年を捕らえようというまさにそのとき、それまで空中を旋回していたカモの群れが一団となって、彼女に急襲した。
 「ええええっ!」
 おびただしい数のカモに進路を妨害された星慧は少年のとなりをすり抜けて、すすきの藪に頭から突っ込んだ。
 「だいじょうぶ!?」
 駆け出そうとしたら、ベルトをつかまれた。
 振り返る。
 冬苑が僕を制止していた。彼女は出がけと変わらない眠たそうな表情で「動かないで」といった。「あなたも狙われてる」
 星慧をふっとばしたカモの群れは、おなじみのV字陣形で上空を旋回している。
 僕は冬苑から少年に視線を転じようとした。
 いない。
 さっきまで目前にいた少年のすがたは消えていた。
 「いたたた……」
 星慧が戻ってきた。ムートンコートのところどころが泥と茶色い羽根で汚れている。
 「あーもうやだやだ! 泥んこだよ泥んこ!」
 「ユキンコ?」
 「ど・ろ・ん・こ! ドロンボー一味の〈どろ〉だよ! 冬ちゃんやっちゃって。やっておしまい。あいつらみんな(4羽まで)撃ち落としてカモ鍋にしちゃってよ!」
 「銃わすれた」
 「なにやってんの!?」
 「ゴメンネ」
 僕をあいだにはさんだ言い争いは、いまだ止まる気配はない。
 (この子たちマイペースすぎる……!)
 突然、星慧が「うがー!」と叫んで、ポケットの中身を空に向かって投げつけた。
 当然、カモの群れはそれを余裕で回避した。
 「このやろおりてこいネギぶつけんぞうらぁ!」
 グァーグァーとばかにするような鳴き声。
 「星慧やめて」と冬苑があきれたようにつぶやいた。「はずかしい。それに……」
 さっき星慧が投げたものが降ってくる。
 (これは……!)
 「毒ぬってたらどうするの」
 刃物の破片だった。
 カミソリだろうか。
 河川敷に散らばった無数の金属片が、冬の朝日に反射して、妖しく光っている。
 「んん……」と冷静になった星慧がめんどうくさそうに説明をはじめる。「あのメスガモたち、みんなくちばしにくっつけてたよ。わたしにダイレクトアタックしてきたやつらのはぜんぶむしりとったけど、たぶんまだ、いるかも、危ないの持ってるカモ」
 つまんねー、と僕は思った。緊迫感が台無しだ。
 「ツマンネ」と冬苑がいった。「星慧くだらない」
 「は、はああああ!? わたしがんばったよね!? 体はったよね!?」
 「がんばりがたりない」
 「鬼!」
 「つかまえれば人質にできたかもなのに。やくたたず」
 「冬ちゃんひどくない……?」
 「やくめでしょ」
 「ううー……」
 「だめじゃん」
 「そんなこといったら冬ちゃんだって銃、わすれてるじゃん!」
 「ゴメンネ」
 僕はふたりのやりとりがひと段落したのを確認してから、少年をさがした。
 そんな僕の様子を察したのか、冬苑が遠くにある藪を指さした。
 「えっ、うそ。そこにいるの?」
 「いないけど」
 「「いないのかよ!!」」
 思わず僕も突っ込んでしまった。
 「ーーここだよ」
 水音に混じって、かすかな少年の声が聞こえた。
 僕は声のするほうに目を向けた。
 (……冗談だろ)
 少年は川にいた。流れる川の真ん中、水面に直立していた。
 モノトーンの上着とグリーンのネックウォーマー。
 水上にたたずむ少年は、まさしくマガモだった。
 「30……  35メートルかな? ギリギリ有効射程外だね」
 「ほら銃いらない」
 星慧がなにかいいかけたのを僕は「ちょ、ちょっとまってよ!」とさえぎった。「どうして水面に立てるんだ!? それにあのカモたち、なんで襲ってきたんだ、臆病な鳥じゃないのか!?」
 「……」
 「……」
 「急に黙るなよ!!」
 なおも質問を重ねようとした僕の口元に、背伸びをした冬苑が〈静かに〉の人さし指をあてる。
 「ターゲット。あの子のこと」
 そういって冬苑は少年に向き直った。星慧も彼女に動きを合わせる。
 「あんまり離れちゃだめだよー。どんな攻撃、してくるかわかんないからね」
 「ネ」
 ふたりの猟師と少年が対峙する。
 これは狩りなのか。
 なんにせよ、僕の想像が遠くおよばない闘いがはじまることだけは、まちがいない。
 ポトッ。
 僕の肩に、なにかが落下した。
 上空ではカモたちがぐわぐわ笑うような声で鳴いている。
 「いったよね」
 冬苑がため息をつく。
 「あなたもねらわれてる、って」
※ここでおわりです。閲覧ありがとうございました
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