月のない夜だった。
黒々とした森の中から天を仰げば、無数の星々が木々の合間に煌めいている。コリンは星明りを頼りに、一人集落の外れにいた。そこには、長老樹と呼ばれる巨木が生えている。
大森林の中でも最も背が高く、世界のはじまりより存在していたというこの大樹の上からであれば、森の外まで見渡せる。コリンは音もなく枝を蹴り、長老樹の頂上を目指した。大森林の中にあるエルフの集落に道はない。彼らは己が脚力と魔導を用い、木々の枝から枝へと飛ぶように移動するのだ。
程なくして視界が開け、やがて木のてっぺんを視界に捉えたとき、コリンは先客の影が樹上にじっと佇んでいることに気付いた。
「長老」
噂では、この巨木と並ぶほどの齢を重ねているともされるエルフの統率者。闇の中に浮かぶその影に呼びかけて、コリンは深く頭を下げた。
魔導も英知も、並ぶものなしとされる偉大なエルフは、皺に覆われた唇を薄く開いて彼に応えた。
「そなたならば、来ると思っていた」
「申し訳ありません。ですが、居ても立っても居られず」
「よい。構わぬ」
くっくっ、と、低く唸るようにして老エルフが笑った。闇夜の外出は控えるべきであったが、そうもいかない事情があることを彼は十分に理解していた。
「見よ。夜が明ける」
老エルフの視線の先、東の空が白んできている。夜の中に沈んでいた影が、少しずつその姿を現していく。
森と草原との境目が、草原と空との境目が、ぼんやりとした闇から這い出し、おぼろげなその輪郭が朝日に照らされて形を示す。
「壮観であるな」
「……」
コリンは、長老の言葉に何も返すことができなかった。こみ上げる感情が彼の喉を押し上げて、舌を動かすどころか口も開けない有様だった。
慣れ親しんだ大森林と、その外野に広がる大草原。しかしその中に、初めて見える影がある。
草原の上にずらりと並ぶ、無数の旗。偉大なる老エルフの呼びかけによって集まった、諸種族諸部族の指導者たち。
「長きにわたる争いにも、ようやっと終わりが見えてきたわ」
コリンが提唱した「諸種族評議会」の記念すべき初の会合の朝。雲一つない快晴の下、ここに確かに日は昇った。
*
草原に、巨大な円卓が据えられた。皆が平等であることを示すために、すべての指導者が並んで座るために作られたこの大理石の塊は、ドワーフの選りすぐりの職人たちの手によって製作されたものだった。
一席に腰を下ろしたエルフの長老の後ろに立って、コリンはずらりと顔を並べた列席者たちを見回した。この大地に住まうあらゆる種族の代表が、今のこの場に揃っている。中には、お互いを不俱戴天の仇としてつい先日まで殺し合いを続けていたような連中もいる。
席決めには随分と苦労したものだ。この会合のために、各種族のハト派の重鎮たちと集まって何度も何度も調整を重ねた日々のことを思い返すだけで、涙が溢れそうになる。
(だが……楽しかったな)
苦労はしたが、それ以上の達成感をコリンは感じていた。他の諸種族の次官級の者たちも、きっと同じ思いだろう。
コリンがちらりと目を向ければ、重厚な宝石の鎧に身を包んだドワーフの王の後ろに立つ髭面の女と目が合った。小さくウィンクを飛ばすと、暑苦しい笑顔がすぐに返ってくる。コリンも、思わず破顔した。
しかし、感慨に浸るには早すぎる。会合はまだ始まってもいなかった。
「では、長老」
「うむ」
すべての参加者の列席を確認したコリンが声をかけると、老エルフは小さく頷いて立ち上がった。
「では、僭越ながらこの『諸種族評議会』の発起人であるこの私から、まず礼の言葉を述べさせていただこう」
エルフやドワーフだけではない。西方の鬼や巨人、はたまた小さな妖精にホビット、獣人もいれば翼人もいるし、ドラゴンや大亀、さらにはコリンが見たこともない異形の生物もいる。
それらのすべての視線が老エルフに注がれ、彼の言葉に皆が耳を傾けていた。
「我々は皆が同じ大地に住まう同胞として、互いに手を取り合っていかねばならぬ。私のその呼びかけに皆が応えてくれたこと、感激の極み。この大地に永く続く争いの歴史が、この評議会によって変わることを願っている」
老エルフは、最後に深く礼をした。
話し合うべきことは、あまりにも多すぎた。挨拶に割ける時間は、ごく僅かだった。
「まずは早速――」
「あいや、待たれよ、森の民よ」
しかし、本題に移ろうとした老エルフを制する声が響いた。立派な角と鱗を持つ竜人の王が、その場に立ち上がっていた。
「時が限られていることは理解している。しかし、これだけは述べておきたいことがあるのだ」
「――かまわぬな?」
老エルフが、後ろに控えるコリンにちらりと視線を投げた。止める時間も惜しい。コリンがすぐに頷きを返すと、老エルフもまた即座に竜人の王の言葉を促した。
「では遠慮なく」
竜人の王が、ひとつ咳ばらいをして、おもむろに右手を掲げた。
そこに握られていたのは、彼らの秘宝。莫大な炎の魔力を秘めた杖。
「くたばれ、クソエルフ!!」
竜人の王の言葉と共に、膨大な熱が白光となって杖の先端から解き放たれた。
「なっ――」
コリンの目の前で、老エルフの体が光の中に消えた。それだけではない。白い光に続いて、赤青黄色、色とりどりの光線や光弾や、さらには槍やら矢まで飛んでくる。
コリンが無事でいられたのは、ひとえにエルフの身体能力、反射神経の賜物だった。反射的にその場を飛びのき、なんとか難を逃れたのだ。
しかし、長老は直撃だった。
「話し合いなんてクソくらえだ!!」
「その通りだ!!」
「うおおー!! くたばれクソエルフ!!」
蛮声が響く。なんということだ。会合の参加者たちは、一人残らず長老への攻撃に参加していた。
力ある種族たちの容赦ない攻撃。偉大なる老エルフと言えど、おそらく即死だろう。
「――これは驚いた」
しかし、彼は生きていた。
(あと三分足りなかった。無念)