「なーんも残っとらんなぁ」
間延びした喜一の声に、伊東は肩透かしを食らった。
二人の目前には、喜一の故郷だったはずの土地が広がっている。
「知らん家しかなかごたー」
かざした両手が顔に影を落として、その表情はよく見えない。
みんな焼けてしもうたけんなぁ、とあっけらかんとした口調で言うから、反応に困る。
だが、伊東が遠目に見ても、ポツポツと点在する家屋はどれも最近建ったもののようだった。
「なあ、本当にここで合ってんのか?」
伊東はあらためて周囲を見渡す。
喜一が郷里と見当をつけた場所は、なんの変哲もない集落だ。
先の戦乱で焼け野原になったという割には、爪痕らしい爪痕はない。
「俺にはさっきの集落との区別がいまいちつかねぇ、記憶違いってこともあるんじゃないか?」
佐賀の平野は景観の起伏に乏しい。
土地勘がないと「だだっ広い田畑と入り組んだ水路と建物がある」以外の特徴が見いだせない。
違いといえば、赤い花の列が目につくことくらいだ。
そう言うと、喜一はおかしそうに笑った。
「いや、さすがに川とかは動かんし、なんとなくここら辺やったとは覚えとるよ」
向こうには神社があった気がする、と喜一が示す方向に歩いてみると、言葉通り御神木のクスノキの陰に、古びた鳥居が佇んでいる。
「細かいとこは覚えとらんけど……」
喜一は何かを思案し、田園風景の中をキョロキョロと見渡す。どうやら生家のあった場所を割り出しているようだった。
「ここやと思う。多分」
思ったよりあっさり導き出した地点には、焦げた基礎跡が点在していた。ここにかつて家屋が建ち並んでいたことは間違いないが、やはりどれも似たような景色で、伊東には区別がつかない。
この積み崩れた石のどれかが、喜一の生家を支えていたのだろうか。
「――ま、言うて八年も経っとるし、こんなもんやろ」
一通り見たしもう帰ろう、と満足そうに言う。その声音に懐郷の念のは感じ取れない。あまりにもあっさり踵を返そうとするから、伊東の方がもう少しいたらどうだと引き止める形になった。
もしかしたら、伊東が興味本位で行ってみよう等と言い出したから、気を遣っているのかもしれない――そう思って顔色を窺うが、特段嘆いている様子もなかった。
むしろ、どこか清々しさすら感じるその表情に、伊東は内心首を傾げる。
「あっちの土手沿い、よか景色やけん。ちょっと休憩して行こう」
秋天に負けないほど、カラリと笑う。
何か無理をしていないか――聞いたところで多分意味はないと思い直し、伊東はそうかと相槌を打つにとどめた。
結局、伊東が喜一に、遊山がてら故郷に詣でる提案をしてみたのが数刻前。
男二人、並んで座って、なぜか彼岸花畑を眺めている。
「いい景色って……これか?」
「え、良くなか?」
誰かが植えたのか、勝手に増えたのか、真っ赤な花が絨毯のように敷き詰められている。
「確かに、迫力はあるな」
「そうやろ?でもついてきてもらったばってん、なんか悪いな」
「いや、俺が言い出したことだし。少し長めの散歩と思えば悪くない」
そもそも、こうして『百崎喜一』の身辺を把握しておくのも『仕事』の一環だ、と伊東は思う。
こののんきな青年を前に、緊張感のきの字もないが。
思わず出た欠伸につられ、喜一も隣でふわ、と間抜けな声をあげる。
「でも来てよかった気がする――彼岸花て、しぶといんやな」
「は?」
「さっきもあちこち咲いてたやろ?草木は焼けても、球根は無事なんよな。花が植えられとるってことは、あそこからあそこまでは田んぼがあったんやろうなとか、なんとなく昔の姿が残っとる気がした」
喜一はおもむろに立ち上がって、赤い花の群れの前でしゃがみ込む。
伊東も歩み寄り、その背後で言葉を待った。
「暦が読めるわけでもないのに、ちゃんと彼岸に合わせて咲くやん。律儀やなぁって思う」
律儀、と伊東が繰り返すと、うん、と小さく頷く。
「多分、秋には必ず、今みたいに咲いてたんやろうなって」
それはそうだろう。彼岸花の狂い咲きなど、あまり聞いたことはない。
そうだな、としか言えないようなことを意味ありげに言うから、気の利いた返しが見つからない。
伊東が黙って腕を組み直したのを見て、反応に困っているのを察したのか、喜一は苦笑を漏らした。
「そういえば……彼岸花て、ゆうぎりさんぽい」
かと思えば、突然脈絡のないことを言い出した。
「そりゃ、どういう意味だ」
返答を求められたのかは怪しいが、伊東は眉を上げて問う。
「見てたら、なんか思い出した」
喜一は眼の前に群生している赤い花を一輪、おもむろに手折ってみせる。
むやみやたらと赤い花。
放射状に伸びる、複雑怪奇な構造の花弁。独特の存在感を放つ佇まい。
好むものもいるのだろうが――
「喜一お前、それ花魁本人には言うなよ……」
「なんで?」
「害獣避けで、墓地に植えるような毒花だぞ?そんなんにたとえられて、喜ぶ女があるか。口説くつもりなら、そこは百合とか牡丹にしとけ」
「え、毒花?いやそれより口説くってなんや!」
そんなつもりはない、と喜一は慌てて否定する。
「女を花にたとえるなんざ、口説く以外でよく聞かねえよ」
「ちちちち、違う!!ただ、見てたらなんか形が」
かざぐるまみたいだと思った――と、喜一の口からはさらに意味の分からない答えが飛び出した。
「かざぐるまって、あのかざぐるまか?なんだよそれ」
「ほら見えん?こがん感じで」
ふーっと吹けば、風を受けて上手いことくるくる回りそうな形をしている。
そう言って、喜一は手にした花に息を吹きかけてみせる。
「……悪ぃが、俺には全く分からん」
まるっきり幼児の仕草と発想だ、と伊東はその主張を一蹴した。
「そうかなぁ……前からそう思っとったっちゃけど……」
「百歩譲ってそう見えたとして、あの花魁様となんの関係があるってんだよ、それが」
「ああそれは……」
ここでようやく、喜一は己の発言に恥じ入るような素振りを見せる。
「あ、あの。俺がゆうぎりさんと初めて会ったとき、赤いかざぐるまば大事そうに持っとらしたけん……なんだ、それでか。はは、なんか急に思い出したばい」
ははははは、と喜一は後ろ頭をかいて、乾いた笑いを漏らしている。
それを伊東は、どこか遠い目をして見ていた。
「かざぐるま、ねぇ……」
男女の出会いのきっかけ、運命の赤いナントカってやつか、と茶化すと、喜一の頬はさらに紅潮する。
稚児が遊ぶ玩具が繋いだ、二人の縁。
あの日、伊東が喜一との待ち合わせに遅れなければ。
花見になんて誘わなければ。
きっと起きることは無かった出会い。
――それを毒花に喩えるとは、なかなかどうして皮肉なことを。
「なぁ喜一……それ、俺にはまったく別のもんに見える」
言うや否や――パシ、と伊東は喜一の右手を払う。
叩いた拍子に、喜一の手から、赤い花がパサリと落ちた。
「伊東?」
「どうでもいいが、毒花なんてむやみに触るな。手が腐る」
「そんなん迷信やぞ?写真といい、意外とそういうの気にするんやなぁ」
「だからあれはちげぇって!」
「大丈夫大丈夫、生きたまま人を腐らすなんて、できっこないばい」
じいちゃんもそう言ってた、とカラカラ笑う喜一を、伊東は睨めつける。
「毒があるのは事実だろうが。素手で触るもんじゃねぇだろ」
「そんな怖がらんでも。食おうと思えば食えるとぞ?」
「思うな食うな!そんなもん」
伊東は嘆息して、頭の中までお花畑になるのも無理ないか、とすっかりいつもの調子で笑みをうかべる。
「懸想してる相手の顔なんて、森羅万象なに見てても浮かんでくるもんだろ。まったく惚気やがって」
「そっそそ、そんなんやなかって!!元々、ゆうぎりさんは関係なかとやって!!」
照れなくていい、と伊東はなおも、嗤う。
「……これが、そんな子供じみた平和な景色に見えるんなら、お前が目指す世界もきっと、さぞ平和で優しい世界なんだろうさ」
およそ警戒心も屈託もない、どこまでも無垢で無害な青年。
それが、伊東の喜一に対する評価だった。
「……俺にはまったく別のもんに見えるよ」
その時、わずかに伊東の眉が寄っていたことに、きっと喜一は気づいていない。
「そんなことより、腹減ったな」
意固地になってへそを曲げられても困るから、伊東はさらりと話題を変える。
「なあ、あの手土産、悪くなる前にひとつくらい食っちまおうぜ。粗末にしちゃ罰が当たる」
「え……そ……それは……」
視線の先には、上品な風呂敷に包まれた萩の餅がある。
懸想している相手が、亡夫のために作ったいわゆる“おはぎ”の、おすそ分け。
間違いなく絶品で、さぞ複雑な味がするだろう。
自ら食べよう、とは言い出せないのを見越して伊東が促すと、喜一は素直に頷いた。
「い、いただきます」
喜一が恐る恐る正絹の結び目をとくと、小豆餡にくるまれた餅が顔をのぞかせる。
暗紅色の粒餡はつやつやと、午後の陽射しにひときわ輝いて見えた。
「うまいな」「うまか!」
ぱくり、と手づかみで頬張ると、ふたつの口から同時に賛辞がこぼれ出る。
「なるほど、こりゃ餅のつき方といい甘さといい、絶妙だ。さすがの腕前だなあの元花魁」
「うわ、うっま……もっちもちやな!甘すぎんのもよか!」
隣でだいたい同じ感想を述べる喜一に苦笑を漏らし、伊東はもうひとつ、あとひとつと遠慮なく手を伸ばす。
「食いすぎやぞ!一人で三個も四個も!」
「いいだろ別に、お前も食えば」
「一応これは供え物のつもりで……ああもう結局、全部食べてしもうたやないか……」
「最初からそのつもりだったんだろ?」
元々、これはゆうぎりが彼岸参りのために用意したものだ。
仏壇なり神棚なり、形だけでも供えてお下がりを食えばいいのに、伊東が喜一の家を訪ねたとき、喜一は難しい顔で風呂敷を見つめていた。
曰く――
「どこに供えたらいいんか、分からんかったけんな……」
元から喜一の住まう庵には、祭壇の類はない。
死んだ人間はモノなんて食わねぇ、供えるだけ無駄だ食っちまえとは喜一の養父の言だ。
さすがにそれは、食べ盛りの喜一に少しでも食わせやろうという配慮だったのでは、と伊東は言うが、話を聞く限りそういうことではないらしい。
神も仏もいやしない、死んだ人間は死んでいる間のことを覚えてなどいないーーそういう主義だと聞いた。
「俺も神仏はたいして信じちゃいねぇが、そこまで徹底してるとはな」
「うん、うちで法事とかしたことないばい」
指についた餡までぺろりと平らげて、喜一は何でもないことのように言う。
もちろん家族の位牌はないし、墓や菩提寺の場所も分からない。
焼け野に一人残され、子供の足では信じられないような距離をさ迷っているうちに、帰り道も何も分からなくなってしまったという。
育ての親も、肉親を探してやろうとはしなかったらしいから、喜一は己の出自に関する情報をろくに持たない。
「そんな薄情なじいさんに育てられたから、今まで一度も住んでた土地に行ってみようって発想もなかったのか?」
「じいちゃんは薄情やなか!」
「悪ぃ悪ぃ、言葉の綾だよ。ただちょっと思っただけさ」
伊東はさっと立ち上がり、そろそろ帰ろうぜ、と会話を途中で切り上げる。
喜一は少しむくれながらも、膝に広げた布を丁寧に畳んで懐にしまい込んだ。
\\
「それじゃあ」
「ああ、またな」
街道沿いに城下町まで戻れば、あとは二手に分かれて互いの帰路につくだけだ。
別れの間際、ふと喜一は伊東に尋ねた。
「そういえば……伊東が住んどるとって小城ん方よな」
「お、なんだ?今から茶でも出せってか?」
「あ、いや、そういうつもりじゃ……ただ、結構歩いたんやないかって」
疲れただろ、と言うと、そんなことかよ、と笑った。
「じゃあ、休憩がてら一杯付き合えよ、奢ってやる」
「え」
「あんな高級菓子、タダ食いするのは忍びねぇからな」
言うや伊東は、喜一のことなどお構いなしにさっさと歩き出す。
「……またなんか、流された気ぃする」
喜一は伊東に、無為な往復をさせてしまってすまなかった、という話をしたかっただけなのだが。
伊東は喜一の事をアレコレと聞くくせに、自分のことはあまり語りたがらない。
いつも気がついたら喜一の話にすり替わっていて、あえて自分が話題にのぼるのを避けている節がある。
しかし、このご時世、語りたくない過去のひとつやふたつ、あって然るべきだろう。
伊東が語りたがらないのなら、喜一もあえて聞かない。
出身や家族のことなど分からなくても、伊東は喜一にとって唯一の親友だ。
喜一は少しの違和感を覚えながらも、そのまま伊東の背を追いかけた。
「俺が誘った花見で、伝説の花魁を引き寄せたんだ。今度は綺麗どころの幼馴染と再会、みたいな展開がないかと期待したが……現実はそう甘くないな」
「お、お前、そんなつもりやったとか!?」
半分は冗談だよ、と笑うと、半分は本気やないかと喜一は目を眇めて抗議する。
「いつもいつも……やっと同志も集まってきたとに、余所見なんかしとる暇はおいには無か!」
「そうだな。余所見なんてしたらお前、すぐ転んじまうからな」
「そういう意味じゃなかて!」
いいからちゃんと前はみろよ、と伊東が言う。さっきだって、伊東を追いかけて石につまずきそうになっていたから、あながち間違いではない。
百崎貴一という男は、不器用で人見知りで、余所見なんてできやしない―― だからこそ、伊東は繰り返し繰り返し、同じことを進言する。
「いま隣にいるのが俺じゃない方が、お前にとっては良かったんだろうけどな」
「?」
この際、生き残った血縁でも寡婦でもなんでもよかった。
喜一の興味を、『佐賀を救う夢』以外に逸らすための何かを、伊東はずっと、探している。
「元花魁なんて、初心なお前は手のひらで転がされて泣きを見るだけと最初は思ったが。なかなかどうして健気じゃねぇか」
伊東は、喜一の抱えた高級そうな風呂敷を指差し、意地悪そうに笑う。
「わざわざ爺さんのために高い薬だの、その風呂敷の中身だの、届けに来てくれるんだろ?ハッキリ言われなきゃ分からねぇか?あんまり、女に恥かかせるもんじゃないぜ」
「なっ……なん……っ!?ゆゆ、ゆうぎりさんはそういうんじゃなかって……!」
「まあ今日はさすがの俺も遠慮したさ。秋の彼岸に丹精込めておはぎをこさえる未亡人相手に、別の男と墓参りに行ってくれ、とはなかなか言えねぇ。今度は上手くやってやるから、堪忍な」
「だから要らん世話やて言うとるやろ!!本当に、お前は人の話をなんも聞いとらんな!!」
すっかり赤くなって吠える喜一を横目に、伊東は至極満足そうに笑う。
何度喜一が拒否しようと、繰り返し、繰り返し別の道を示すのを止めない。
そうすれば、ふと迷いが生じたときに、そちらを選ぶ日が来るかもしれない。
――これが、伊東にできる最大限の譲歩だ。
喜一と並んで歩く帰り道、畦道にはやはり彼岸花が咲いていた。
彼岸花は、花の時期には葉が出ない。いつの間にか茎だけが伸びて、つぼみが突然花開く。
――まるで、切り裂いた身体から鮮血が吹き出すように毒々しいその赤。
緑の草野にパタパタと跳ね落ちて、汚すかのような。
「俺は、かざぐるまなんかより、余程似ているものがあるのを知ってる――」
伊東はそれが、やがて己が生み出す惨劇を彩る色なのだと、すでに予感していた。
一度目にしたらきっと喜一も、あんな子どもみたいな感想は、もう二度と抱かなくなるだろう。
伊東が喜一に望むのはただひとつ――その真っ赤な景色の中に、喜一の姿がないことだけだ。