※この日記は8/8に書かれていますが気にしてはいけない。刻が未来にすすむと 誰がきめたんだ。ターンAターン。
というわけで無事夏コミ原稿も終わったので映画ですよ。
今日見てきたのはこの一本!
主人公サティヤは新聞に長期連載漫画「マーヴィーラン」を描いている漫画家。しかしその暮らしは貧しく、彼自身もゴーストライターとしての身分に甘んじている状態でした。
そんな時、彼の家族が住んでいる地区が開発のために取り壊されることになります。彼の母親は激しく抵抗しますが、結局は取り壊しは行われ、一帯に住んでいた住人たちは無償で提供された高級マンションに歓喜します。
しかしそのマンションは実はハリボテの欠陥住宅。住人たちは不満を募らせますが、その欠陥住宅の建設費用の半分をもピンハネしている悪徳政治家ジェヤコディとその部下には逆らえません。サティヤもまた、被害が妹・ラージの身に迫るに至ってついに抵抗を試みますがあっさり返り討ちに。
さらに母からも心無い言葉をかけられたサティヤは、自分自身と自身の作ったキャラクターである偉大な勇者「マーヴィーラン」とのギャップに絶望し、とうとう屋上から身を投げます。
しかし奇跡的に生還した彼の耳には、彼を「勇者」、悪徳政治家ジェヤコディを「死神」と呼ぶ謎の声が聞こえるようになります。困惑しながらもその声に従うことで、サティヤはジェヤコディの手下を撃退し、彼の悪事を暴いていきます。
謎の声に従って、サティヤは自身の描くとおりの勇者マーヴィーランになれるのか!?
本作もまたTLに群生するインド映画沼の住人のみなさんの噂話から知った作品でしたが、いやー面白かった!
この作品もまた、漫画の作者であるサティヤと漫画のキャラクターであるマーヴィーランという「現実と虚構」の話でしたね。そして「現実と虚構のギャップ」の話でもある。
サティヤの描く勇者マーヴィーランは勇壮で勇敢、まさに勇者といったキャラクターです。反面、その作者であるサティヤは気弱でなかなか行動に移れない臆病者。前述の通り、このギャップが本作の重要な核となっています。
その他にも本作では、一見立派ですが中身は欠陥住宅であるマンション「人民の宮殿」、外面は優秀な政治家ですが裏ではさまざまな悪事に手を染めているジェヤコディといったように随所に「現実と虚構のギャップ」という構図が取り入れられています。
これは「理想と現実」と言い換えてもいいかも知れません。理想はあまりも浅薄で、現実はあまりにも揺るがない。
しかし、現実はしばしば理想に追いつき追い越せるもの。ここで本作の主人公であるサティヤが、現実と虚構の世界をつなぐ存在である「漫画家=クリエイター」であるという設定が生きてくるわけですよ。
彼は理想の存在である偉大なる勇者マーヴィーランの創造主。サティヤは理想や希望を捨ててしまい、自分を無理やり納得させて現状に甘んじようとしますが、それをいちばん許せないのは彼自身。勇者はすでに彼のうちにある。なぜなら勇者を作り出したのは彼自身であり、彼自身はすでに勇者のあり方を知っているから。
思うにサティヤに聞こえてきた謎の声の正体は、結局は彼自身の内なる声だったんだと思います。彼は勇者になりたかったし勇者がなんたるかを誰よりも知っていた。しかし生来の性格がそれを邪魔していたし、彼を取り巻く環境そのものが彼の勇者性を重く封じる封印となっていた。
ではその封印を解いたのは誰かと言うと彼自身、ひいては彼自身が創作したキャラクターである勇者マーヴィーランなわけですよ。自身の生み出した創作、つまり虚構が現実の自身を救うという構図には心当たりがある人も多いんじゃないでしょうか。
創作のキャラクターが直接出てきて辛い現実を変えてくれるといったようなことは、それこそ虚構の世界でしかありえないこと。しかし、誰かが生み出した虚構が現実の人間を変え、救うことは現実にあります。サティヤを救い、勇者にしたのは彼自身なんですよ。
現実と虚構はしばしば対立概念として認識されますが、「ジガルタンダ」や「ルックバック」、そして「侍タイムスリッパー」などを見るにつけ、現実と虚構はむしろ協力関係にあると強く感じてましたが、本作にも同じことを感じました。
本作にはインド映画にはどうしても入れざるを得ないほど社会に根強く残っている貧富の格差や身分差別などの問題も描かれていますが、本作から最も強く感じられたのは「創作・虚構への讃歌」でした。
我々人間は虚構を信じられる唯一の存在ですよ。