「お前、どう思う」
「俺はバロック屋じゃない」
 いつも通りのスズメの素気ない返事に苦笑しながら、キツネは二人分のコーヒーを淹れる。
 スズメはアンダーグラウンドな情報に強い。音楽プロデューサーという身分を隠れ蓑に、スマホの盗聴やハッキングといった非合法な趣味に没頭している。
 キツネも仕事柄、アンダーグラウンドな話題を扱っているSNSでの情報収集を行うことがある。そこで出会ったのが、鈴木スズメだった。スズメとキツネという似通ったアカウント名を持っていたことからふたりは次第に親しくなっていき、気がつけばこうしてこの妄想解体センターにて情報収集を担当してもらうようになっていた。
「その片棒を担いでるだろ。どうだ、なにか情報はないのか?」
 そう言うと、スズメは片方の唇の端を吊り上げる特徴的な笑みを浮かべて、真っ黒なケースに入ったスマホを操作し始めた。
「政府筋のデータベースから抜いたシークレットだ」
 示された液晶画面に写っている画像は……なんだこれは? キツネは眉をひそめた。
 液晶画面に表示されているのは、不鮮明な画像だった。ぶれた画像の背景は、かろうじて病院かなにかの施設に見える。そして、画面の大部分を覆い隠すように写っているのは、輪郭のはっきりしない巨大な影だ。人間や建物の形ではない。それどころか、どんな動物の姿にも似ていない。まるで生き物の内臓をデタラメにツギハギしたかのような――。
「『異形』というものを聞いたことは?」
「あんなもの、ただの都市伝説だろう? 行方不明になった者のうちの何人かは、怪物に食われたとかいう……」
「ああ、都市伝説だ。だがそれについての情報はある。だからこそ調べる必要がある」
「……」
 スズメの言うことには一理ある、とキツネは思った。
 「都市伝説」という言葉は、ひと昔前までは「根も葉もない噂話」「ただの迷信」と同義だった。しかし、スズメが持ってくる情報がただの噂話や迷信であることはまずないといっていい。スズメはリアリストだし、政府レベルのデータベースの中にある情報が噂や迷信であるはずもないからだ。
「今回のクライアントの背中の傷は、異形に関係がある、と言いたいのか」
「それを調べてバロックをこしらえるのがお前の仕事だろう」
 そう言ってスズメはコーヒーを一口すすり、話を続ける。
「これは表に出ていない非公式な情報なんだがな。ここ数ヶ月の間、原因不明……いや、原因が公開されていない殺傷事件が頻発してる。そしてその被害者には……共通して、既存の凶器や道具でつけられたとは考えられない傷があるという情報があるんだ」
 キツネの脳裏に、ふた筋の傷跡の光景が蘇った。
 あの少女、渡辺ルビの背中の傷を思い出す。青白い背中に刻みつけられた、二筋の傷。
 確かにあの傷は、事故や凶器で着けられたものとは思えない。
「つまりお前は……【あの少女の傷は、異形による殺人事件に巻き込まれて着けられたものだ】というのか」
「仮説だがな。それに、本当にそうかはお前が考えることだ。俺の仕事は隠された情報を探し当てることだ」
「……いいだろう。じゃあスズメ、今度またあの少女がここに来るまでに、異形によると見られる殺人、殺傷事件が起こっている場所を調べておいてくれ」
「もう調べてある」
「……」
 仕事の早いことだと感心しつつ、キツネは無言で先を促す。
「……というよりも、調べるまでもなかった。白昼堂々、そこらのビジネス街で怪物が暴れてたら今頃はSNSが大荒れになってるはずだろ?」
「つまり……異形の目撃情報は表沙汰にならないような場所に限られている?」
「察しが良いじゃないか相棒。そして、この街でなにかが起こっても表沙汰にならないような場所は、ある」
 スズメは再びスマホを操作し、画面を示した。そこに写っているのこの街の地図だった。そしてその地図のあちこちには、まるで血痕のように赤く色分けされたエリアが示されている。
 キツネはその意味にすぐに気がついた。
「ゼロ地区か……!」
 ゼロ地区。自治体によって安全度ゼロの判定をされたエリアである。一般人の侵入を防ぐため閉鎖されており、中は廃墟になっているという。
 当然、ゼロ地区に指定されている場所は公表されているので簡単にわかる。虱潰しに異形や殺人事件の噂を聞いてまわるのに比べれば簡単だ。
 あの少女が次にいつここを訪れるか、そもそもここに再び来るのかはわからないが、調査の結果だんだんと彼女の傷跡に関連する情報は絞れてきた。このまま行けば、そのバロックを特定し、解体することもできるだろう。
 キツネはスズメに、ゼロ地区で発生した殺人、傷害事件の情報の調査を依頼。キツネはバロック屋の使うデータベースや裏ネットを探し、ルビの持ち込んだバロックに関連する情報を洗い始めた。
 そして数日後。
 果たしてルビは、再び妄想解体センターを訪れた。
 キツネとスズメがいる事務所に、エレベーターから降りたルビは、ゆっくりと歩いてきた。
「あたしのバロック、見つかった?」
 勧められた椅子には座らないまま、ルビは虹彩の浮いた視線でそう言った。
 
「渡辺ルビさん、あなたは自身が、なにかを失ったという感覚はありますか? あるいは――なにかが奪われたという感覚は?」
 バロック自身にこうした質問をするのは異例だ。歪んだ妄想に囚われたバロックは自身を内省することが難しく、また自分から自身の抱える妄想を延々と喋り続けることも多いからだった。しかし、キツネはこの少女の奇妙な平静さから、聞き取りと話し合いが可能であると判断した。
 キツネの質問にルビはしばらく考えていたが、ややあって首を横に振る。
「ここを訪れる方の中には、心因性の症状をバロックだと誤解するケースも多い。あなたも、一時的なショックによる一時的な記憶喪失の可能性はある」
「あ、あたしはそんなんじゃ――」
 反論しようとするルビを押し留め、キツネは話を続ける。
「先ほども言った通り、あなたの背中の傷は自分でつけられるようなものではない。かといって、事故などでつけられたものだとも思いにくい。それに――」
「それに?」
「あなたのバロックは、多くの傷跡に関するバロックの通例とは大きく異なっている。それに、現在データベースを検索したところ、あなたのバロックに該当、あるいは類似するデータは見つからない」
「それじゃ……お手上げってこと?」
「まさか」
 キツネは意味ありげに笑ってみせる。その笑みの意味を測りかねた様子のルビに、キツネはモニターを回して、液晶画面を示した。
「……?」
カット
Latest / 75:15
カットモードOFF