キツネの問いに、ルビはかるく目を伏せて黙考していた。再びその目が開いたときには、その虹彩は宙に浮いている。
 直接的な問いかけで相手のバロックを引き出すという手段はイレギュラーだが、手応えはある。
「傷……傷なら、血が流れる。たくさんの血が流れてる。じゃあ、血を流させた誰かがいるってこと……」
 加害妄想にしろ被害妄想にしろ、その根底にあるのは攻撃衝動だ。だが、攻撃衝動が中核となっているバロックと特定するには、ルビの落ち着いた様子は不自然だ。キツネはさらに問いを重ねる。
「あなたの傷は、特定の誰かにつけられた? あなたの命を奪おうとする誰かが? なんのために?」
「誰か……ううん、誰かなんていない。誰でも関係ないの。理由もないの。たくさんの血が流れてるけど、そこに理由はない……」
 ルビのバロックの輪郭が見え始めた、とキツネは感じた。傷跡のバロックとしばしば深く関連しているのが【罪悪感】だ。自分が何らかの罪を犯したその罰として傷を負っているという認識。しかし、ルビの言葉からは罪悪感が中核になっているという気配は感じられない。輪郭はぼんやりと見え始めたが、その中核となる要素がまだわからない。キツネが問いを重ねる前に、ルビはほとんど無意識に言葉を紡いでいく。
「わからないの、なにも……あたしに残ってるのは、この傷跡だけ。ほかは全部、なくなっちゃったの。みんな、なくなっちゃった」
「……!」
 キツネの脳裏にひらめくものがあった。
 誰かなんていない。誰でも関係ない。理由もない。わからない。
 そう、ルビの言っていることにはひとつの共通点がある。それは【ないこと】だ。
 バロックの中核が見つからないのではない。ないことそのものが、彼女のバロックの中核なのだ。
 それに気づいたときにはキツネの指はほぼ自動的に動き、データベースにバロックの情報を新規入力していた。
 特定完了。
カット
Latest / 31:59
カットモードOFF