※この日記は7/11に書かれていますが気にしてはいけない。そういう日もあるよね、にんげんだもの。みつを。
 というわけで今週末に迫ってきたマサラ上映に備えて見ておかねば、ということで見てきました我らが「大将(タラパティ)」ことヴィジャイ氏主演の最新作!
 これまで氏の主演作は色々と見てきましたが、予告を見る限り今回はかの「K.G.F」に迫るくらいのかなりバイオレンスに寄せた作風という印象で、なにより氏のあの老けたざんばら髪のビジュアルがあまりにもかっこよすぎるので本編が気になってました。
 恒例の待合室はまさにタラパティ祭りといった感じ。
 すでに上映が開始されている「オレンジ」も合わせたスタンディが。「絵になる」ってまさにこういうことだよな、と思い知らされる立ち姿。
 それでは本編にレッツゴー。
 なお、今回の感想はネタバレ全開なので初見は帰れなのだ。
 舞台はインド北部、ヒマーチャル・プラデーシュ州の小さな町テオグ。主人公・パールティバンは環境保護活動家として活動する傍らカフェを経営していました。息子と娘、そして妻に囲まれて幸せに暮らしていた彼でしたが、その平穏は彼の経営するカフェにギャングの一団が侵入してきたことで破られます。ギャングとの乱闘の果てに娘が襲われそうになった瞬間、パールティバンはやむを得ず銃を奪い、ギャングたちを一瞬にして全員射殺してしまいます。
 一連の事件が原因で収監されたパールティバンは、裁判で無罪を主張しますが、被告であるパールティバン側は正当防衛を主張する一方で、裁判所側は一瞬にしてギャング全員を射殺したパールティバンの戦闘能力に疑念を抱きます。
 そしてこの騒ぎが新聞に掲載されたことで、パールティバンを「レオ・ダース」という人物だと断じる麻薬カルテルが動き始めます。果たしてパールティバンの正体は? そして麻薬カルテルが彼を付け狙う理由とは――?
 感想として言いたいことはまあたくさんあるので順番に書いていきましょう。
 前述の通り本作における戦闘シーンは、「アクション」というよりも「バイオレンス」と表現するのが正しい、激しく痛々しいものとなっています。娯楽大作におけるアクションでは、主人公が群がる敵を次々となぎ倒すといったような場面があります。しかし本作における戦闘シーンは「重い」。
 パンチやキックで敵を撃退するというよりは、金槌や椅子といった鈍器で殴りつけ、あるいは指をへし折ったり喉を潰したりと徹底的にヘビー&バイオレンス。R15+なので流血描写も容赦なくあるので戦闘シーンのダメージがとにかく「痛い」。
 そしてこの「重くて痛い」バイオレンスの所以はなにかというと、本作におけるパールティバンの戦いは常に怒りから生じているからなんですよね。
 本作はダークかつヘビーな作風ですが、パールティバンはダークヒーローではなく「憤怒の男」という印象でした。わたくし人形使いのヴィジャイ氏の印象は一言でいうと「正義の人」なんですが、本作のヴィジャイ氏演じるパールティバンにはこれまでにないイメージを感じましたね。
 これはインド映画の感想で度々言っていることなんですが、本作もまたBGMがいい。しかも本作の劇伴は重低音メインのEDM(で合ってる?)なので塚口の音響に合うこと合うこと。シートどころか空間全体が揺れてるのがわかるので、塚口の音響を全身で味わうことができます。
 さらに本作では多くのインド映画がそうであるように、数多くのヴォーカルソングがあるんですが、本作を通して見終わって改めて思うのが、本作のストーリーの語り部はこれらのヴォーカルソングであるということ。
 特に印象的だったのが、冒頭のギャングの襲撃、そして度重なる自分への疑惑からPTSD状態になってしまったパールティバンの「自分の周りの全てが怖い」という精神状態、そしてパールティバンが劇中で何度も繰り返す「自分はただの一般人だ」という悲痛な叫び。これらをヴォーカルソングの歌詞でもって完全に表現しているという点です。
 これまたインド映画での感想で毎回書いてることですが、インド映画では重要なことほど直接的なセリフでは語りません。代わりに演者の深く重い表情や仕草、動作、そしてBGMで語るわけですが、本作ではストーリーやキャラの心情を非常に多くヴォーカルソングに仮託しています。インド映画の大きな魅力のひとつが「歌と踊り」ですが、本作はその中でも「歌」を非常に重要なポジションに置いている作品であると言えるでしょう。
 さらにこれもインド映画の感想で毎回書いていることですが、インド映画は主演俳優のかっこよさをもうこれでもかと言わんばかりに引き出して見せつけてくれるのが大きな魅力。本作の主演を務めるヴィジャイ氏がかっこいいのはもう言うまでもありませんが、その見せ方がまた抜群にかっこいい。
 個人的に最高にかっこいいポイントだったのが、予告やポスターでも印象的なシーンとして描かれていた、レオがリボルバー拳銃のシリンダーを腕の上をすべらせて回すシーン。あんなの男の子が見たら翌日から全員真似しますよ。
 そしてインド映画のすごいところは、そうしたかっこいいシーンを単体でのみ見せるのではなく、作劇的な意味を持たせて魅せているのが最高にかっこいい。すなわち前述のこのシーンを、パールティバンがカフェで自分の袖についた汚れを拭き取るシーンと重ねるのが作劇的に上手い!! 100点!! とひとりニヤけておりましたがマサラでは叫ぼうと思います。たまんねぇーッ!!
 かっこいいといえばタイトルインもかっこいい。個人的にインド映画のかっこよさにおける重要なポイントは実はこのタイトルインのタイミングだと思ってます。これももう言うまでもありませんが「RRR」のタイトルインのタイミングとか所見でほぼ絶頂してましたからね。
 しかるに本作、ストーリーや謎もさることながら「いつタイトルが来るのか?」というところを楽しみに待っていたんですが、このタイトルインをちょうどインターバルに持ってくるのが実にかっこいい。このインターバルがあるのってインド映画独特の強みですよね。
 そしてかっこいいと言えばヴィジャイ氏がかっこいいことはもう言うまでもないというか筆舌に尽くしがたいというか。これもまたインド映画の感想で毎回言ってることですが、インド映画を見るたびにインド社会における「映画俳優」という職業の大きさを感じさせられます。
 特に本作では、冒頭で「マスター 先生が来る!」でも使われていたあのBGM、そして「大将(タラパティ)!」の掛け声とともにスクリーンにデカデカと「Thalapathy Vijay」の名前が映し出されるあの瞬間、もういきなりクライマックスですよね。エドワードランディかよ。(※「エドワードランディ」がわからない人はお父さんお母さんに聞いてみてもわからないと思います。聞かなくても分かる人はいつまでもそのままのあなたでいて。アケアカ移植はよう)
 そして、本作最大の謎でありストーリーの背骨とも言える「パールティバンは果たしてレオなのか? それとも別人なのか?」について。
 当然見てる方はこれに注目してるわけですが、これが本当に最後の最後の最後まで明かされない。しかも、パールティバンは一貫して「自分はレオではない!」と主張し、麻薬カルテル側は一貫して「お前はレオだ、認めろ!」と迫ってくる。この主張は本当に終盤までずーっと平行線をたどり続けます。のみならず、両者は過去の出来事や事情聴取、出生記録といった社会的情報の提示によって自身の主張が真実であると証明しようとしますがやっぱり平行線。この状態がラストバトルに至ってもまだ解消しません。
 まあ無粋を承知で言えばここまで引っ張っといて「他人の空似でした」なんてオチはないわけですが、そうなるとパールティバンはなぜ、どうやってレオとしての過去を捨て去ったのか?という新たな疑問が出てきます。これに関しては、「催眠や暗示による意図的な記憶喪失と記憶の植え付け及び社会的資料の改ざん」だと思ってましたが、最後の最後で要は「レオはパールティバンとしての嘘を突き通していた」というどえらくシンプルな事実が判明します。
 作中でパールティバンの友人である警官ジョシが「嘘を突き通すことは難しい。その前に精神が保てなくなるからだ」と言っていましたが伏線だったんですねえこれ……。
 これに関しては、「グリッドマンユニバース」で言うところの「人間は虚構を信じられる唯一の存在である」を思い出しました。レオは己の過去と罪を精算するためにそれまでの自分を捨て「パールティバン」という虚構の存在を作り出してこれをまず自分自身が信じることで成り代わろうとしていたわけですね。
 しかし、過去、そしてその業(カルマ)は消せるはずもなく――というのが本作の物語でした。パールティバンとしての側面もレオの一側面ではあるんでしょうが、レオとしての凶暴性もまたパールティバンのいち側面であるという……。
 本作はヴィジャイ氏のあの見慣れたビジュアルが大きく変化したのも驚きでしたが、今まであまり見なかった種類のダークな一面が見られたのも面白かったです。
 
 
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塚口サンサン劇場「レオ ブラッディ・スウィート」見てきました!
初公開日: 2025年07月11日
最終更新日: 2025年07月12日
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