俺が逡巡している間も、「[[rb:虫 > ワーム]]」どもは次々と繭に溜め込んだ文字情報を流し込んでいる。純白の繭の表面には、知らない誰かの名前、行ったこともない土地の名前、聞いたこともない言葉、あらゆる文字が滑るように蠢いては、繭の中に吸収されていく。
 ――その無数の文字の奔流の中に、数年前に「[[rb:虫 > ワーム]]」に食われた妻の名前がはっきり見えた瞬間、頭の中が白熱する怒りに焼き尽くされた。
 自分でそうしようと思うその前に両足が床を蹴り、躊躇なくニ階部分から飛び降りる。まだ体が空中にあるうちに、眼下の「[[rb:虫 > ワーム]]」の群れに向かって句除銃の残弾をすべて乱射。群れは床一面壁一面に広がっているから、無駄弾はない。
 両足が激しく波打つ水面のようにのたうつ「[[rb:虫 > ワーム]]」の群れを踏みしめた瞬間に句除銃を文解モードに展開。露出した刃をでたらめに振り回す。
 破断された「[[rb:虫 > ワーム]]」の装甲からは、これまでに食われた無数の文字が吹き出していく。それはこれまで食われてきた我々の血、肉、骨、そのものだった。空中に吹き上がったそれらの文字は、一瞬だけその意味を放散して記発していく。食われた文字がもとに戻ることは――決してないのだ。
 ここでこの「[[rb:虫 > ワーム]]」どもを、そしてそいつらを生み出し続けている女王を殺さなくては、また多くの文字情報が――我々人類が築き上げてきた文化そのものが食い尽くされてしまう。
 次々と襲いかかってくる「[[rb:虫 > ワーム]]」どもの牙を払い除けながら、繭に近づいていく。一度食われた文字は戻らない。しかし、こいつは、こいつだけは――!
 不意に左腕が軽くなった。「[[rb:虫 > ワーム]]」の牙に斬り落とされたのだ。俺はとっさにその左腕が地面に落ちる前に残った右腕で掴んで放り投げた。そのときにはもう自分の左腕がどんな形をしていたのかわからなくなっている。
 意地汚い「[[rb:虫 > ワーム]]」どもの一部は、残飯にたかる野良犬のように放り投げられた片腕に突進していった。その間に俺は句除銃の銃把を脇に挟んで無理やり固定し、繭に向かって体当たりを仕掛けた。
 文解モードの刃が衝突した繭の表面が金切り声を上げる。予想以上に硬い。背中にのしかかってくる「[[rb:虫 > ワーム]]」どもを無視して、一秒でも早くこの繭を切り裂くべく全体重をかける。
 背中から腹にかけてを牙が貫いたのがわかった。吐き出した血が純白の繭にかかり、不自然に赤い。その赤い血の中には確かに俺の名前が蠢いていた。俺の名前。俺の字我の一部。それが、俺の目の前でじわりと繭の中に染み込んでいくのがわかった。
 ――それが、最後のひと押しだったのかも知れない。
 繭の頂点から下辺までが、音もなく裂けた。
 俺が声を上げるまもなく、繭は上の方から花が開くようにほどけていく。
 周囲に蠢いていた無数の「[[rb:虫 > ワーム]]」どもが、まるで女王に傅くように――実際、そうなのだろう――ざわざわと開いていく繭を取り囲むように円を描きつつ下がっていった。
 繭の前に一人取り残された俺の前に、それは姿を現した。
 繭の中から現れたのは、一体の――いや、ひとりの少女――いや、一人の少女の姿をしたなにか。
 女王だ。これまで一度も目視確認されたことがなかった「[[rb:虫 > ワーム]]」の発生源たる女王が、自分の目の前にいることが信じられない。
 女王を取り囲んだ「[[rb:虫 > ワーム]]」どもは俺を襲うことも忘れ、歓喜に震えるかのようにその牙を打ち鳴らしていた。
 鳴り響く金属音の中、女王は緩慢な動作で祈るように両手を合わせる。その両手に向かって、繭の表面を滑るようにして蠢いていた無数の文字が集まっていき、そして、見る間に具体性を帯びた形を成していく。
 一冊の、本だった。
 女王がその本を開く。そこから溢れ出てきたのは――あらゆる物語だった。
 聞いたこともない名前、行ったこともない場所、我々人類が有史以来作り続けるのを決してやめなかった「記述する」という行為の結果が、その一冊の本の中に凝集されていることを、俺は悟った。
 女王が開いた本の中からとめどなく溢れ出ているのは、間違いなく我々がこれまで「[[rb:虫 > ワーム]]」どもに奪われてきた文字情報と物語そのものだ。しかし俺は――その光景に見とれてしまっていた。半壊状態の句除銃を取り落としたことにも気づかず、俺はそこに立ち尽くしていた。
 女王が開いた本からほとばしる無数の文字情報はその勢いを増し、もはやそれは圧倒的な存在感を放つ巨大な幹を持つ樹木――脈動する道――そう、文脈だ。
 あらゆるものを記述してきた文字情報が「[[rb:虫 > ワーム]]」によって集積され、そして女王によってひとつの巨大な文脈となっていく。これが「[[rb:虫 > ワーム]]」たちのサイクルなのだ。
 集積され、統合された文脈はすさまじい勢いで上方へと伸びていく。半壊した図書館の天井を突き破り、それがはるか彼方で花を咲かせたのがなぜかわかった。
 その花かはやがて無数の身をつけ、新たな「[[rb:虫 > ワーム]]」が、そして女王が生まれるのだろう。そうしてまた、この世界を記述する文脈が生まれるのだ。
 眼前で繰り広げられる壮大なサイクル、屹立する巨大な文脈の前に、俺の存在はあまりにも記薄だった。この文脈に比べたら、俺の存在を記す情報は、なんと薄弱なことか。
 大量の文字情報が流動している文脈を見上げる。自分の不完全性が明確化していき、認識が矮小化していく。俺はあまりにも小さく、弱く、哀れで、薄い。
 何者かに寄り添ってほしい。何者かに寄り添いたい。何者かと、ひとつに――。そうした意識がほとんど強迫観念となって俺の存在を書き換えていく。俺の存在は今や孤独そのものだった。
 その孤独に――小さな手が伸ばされた。女王が、薄く微笑みながらこちらに手を伸ばしている。
 残った右腕が震えながら伸ばされたのが、俺の意思なのかそうではないのか、もうわからない。
 指先に触れた瞬間、俺はもう[[rb:そこ > ・・]]にはいなかった。
 溶けていく。解けていく。自分を記述するすべての文字情報がほころぶようにほどけていくのがわかった。俺はいつしかほどけ、引き伸ばされ、一本の糸となり、ひとつの文字となり――紡がれる。紡がれていく。世界という物語の中に。
 なんという幸福感だろう。俺は今、世界を確実に支えている。世界に書属している。
 俺は今、確実に世界の一部――いや、一文だった。
 
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