さて世間はすっかりゴールデンウィーク真っ最中。というわけでこんなときに家に引きこもってると心身の健康に悪いので外出してきました。
 というわけで今日見てきたのはこれ!
 シスター・パクストンとシスター・バーンズは末日聖徒イエス・キリスト教会に所属するシスター。日々布教のために家々を訪問する彼女たちが訪れたのは森の中の一軒家。中から現れた家の主人、リードは二人を快く家の中に招き入れます。しかしその家は、恐るべき異端者の家だった。
 二人は無事に屋敷から脱出できるのか。そしてリードの言う「唯一絶対の宗教」とは?
 まず言わせてもらいたいんですが、宗教勧誘に来た家からあんな胡散臭いおっさんが出てきたらとりあえず逃げませんか?
 「ダンジョンズ&ドラゴンズ」でも思いましたが、ヒュー・グラントの胡散臭さはホモ・サピエンスの限界値に達している。あんなのと絶対関わり合いになりたくない。
 しかし主人公二人はうっかりリードの領域である家の中に足を踏み入れてしまうという。
 こう書くと本作は「悪魔のいけにえ」みたいな殺人鬼の家に迷い込んでしまうタイプのホラー映画だと思うでしょう。わたくし人形使いも殺人トラップだらけの家から脱出するタイプの作品だと思ってました。
 しかし本作は意外にもそういう作品ではありません。家から脱出できなくなるというシチュエーションではあるものの、殺人トラップのようなものは一切なし、さらには家主であるリードが積極的に殺害行為に及ぶのは2回だけ。そもそもリードの目的は来訪者を殺すことではないんですね。
 この辺で二重に雲行きが怪しくなってきます。A24のホラー作品は大抵の場合「厭な空気感」を伴うものですが、本作はリードという人物がまとう雰囲気が得体が知れない。目的や意図がわからない。
 前述のとおりリードは対話不能の殺人鬼ではありません。逆に「問いかけてくる怪人物」なんですよね。
 家に二人を閉じ込めたリードは、「唯一絶対の宗教」についての持論を展開します。いわく、キリスト教以前にも神はおり、さらにその前にはそれらの宗教の源泉とも言える「なにか」があったという。そしてそれ以降の宗教は、まるでモノポリーのようにモデルチェンジを繰り返した結果、本来主教が備えていた要素を失っていった、いわば残響にしか過ぎない。
 いきなりモノポリーを取り出した時は徹ゲーでもするのかと思いましたが、このモノポリーの例え、なんか薄気味悪いくらいしっくり来ました。こういうのって大抵の場合、難解な哲学・衒学的な言い回しを使って滔々と長台詞を繰り出しそうなものですが、モノポリーという一般的な、あるいは卑俗的とも言えるアイテムを取り出して根源的宗教を説明するというのが、いわゆる「狂信者」とは違う「異端者」としての理解しがたい立ち位置を感じさせられた気分です。
 また、脱出系ホラーなら閉じ込められた主人公たちを家主は高みの見物、というのがお約束でしょう。しかし本作の家主であるリードは、シスターたちを家の中に閉じ込めるものの、自分もシスターたちに着いてくるんですよね。ややもすれば笑ってしまいそうなところですが、これもまた本作に独特の不気味さを与えています。
 これ、本作の恐怖が「閉じ込められること」ではなく「問いから逃れられないこと」であるってことなんじゃないかと感じました。問うものとしてのリードは最後まで着いてくるという。
 本作は一見脱出系ホラーに見えるものの、その実態はこの問いかけだと思います。閉鎖空間に閉じ込められた状態で、自身の信仰と宗教が果たして信ずるに足るものなのか、そもそも宗教とは? その本質とは?を問われ続ける。
 そして意地が悪いのが、リードはすでにその答えを持っているという点。つまりリードは二人に回答を求めているのではなく、自分の望む言葉を言わせようとしているわけです。そしてこの構図そのものが彼の持つ答え、すなわち「宗教の本質=支配」という構図。
 これもまたA24作品でしばしば見られるパターンである「最初から仕組まれていた負け戦」でしょう。リードの屋敷に足を踏み入れた時点でパクストンとバーンズは支配されており、負けることが確定していたという。そもそも、脱出するはずの経路がぜんぶ下向きという時点で行き着く先はお察しですよね……。
 また、地下でリードは二人に「死者が蘇る」という奇跡を見せます。これは結局トリックだったんですが、じゃあパクストンやバーンズが信じている神の奇跡は本物なのか?
 カッターで切りつけられて死亡したバーンズの二の腕をリードが切り裂くショッキングなシーン。あそこで出てきた金属棒「避妊インプラント」って調べたら、オカルトとかじゃなくて実際にあるそうですね。約3年間99%の高い避妊効果を持つ避妊治療で、日本ではまだ認可されてないので国内での知名度は低いとか。
 バーンズは宗教的な理由から避妊を行っていたようですが、それは彼女の信奉するモルモン教の教えに反するものなんですが、このシーンが彼女らの信仰心を引き剥がす象徴的なシーンだったと思います。
 そして本作の提示する答えである「宗教=支配」という構図が浮き彫りにされた、というか最初からそうだったというのが判明するのがラスト、バーンズと取り決めた合図である「魔法の下着」という言葉でパクストンがリードを刺すシーン。あれ、パクストンの自意識ではなく反射的に刷り込まれた行動を行ったように見えたんですよね。
 そもそもパクストンは物語開始時点から自分の固有意思や意見をほとんど見せていなかった気がします。訪問の際の声掛けは事前に用意していたものですし、リードとの会話でも経典の内容や教えをそのまま言っているだけっぽい。なので、この行動も彼女の意思があんまり感じられないんですよね。受け身を通り越して「なにかに支配されているのが当たり前で自分の意志がない」ところまで来ている感じ。
 終盤で死んだはずのバーンズが一瞬だけ蘇ってパクストンを助けるシーン、そして屋敷を脱出したパクストンの指に、まるでバーンズの魂を宿したかのように蝶が止まるシーン。あれ、現実がどうかはかなり怪しいと思います。死者の復活も死者の魂が蝶になるっていうのも彼女が教え込まれた信仰の話だから。
 ちょっと前に見てきた「邪悪なるもの」でも同じようなことを考えましたが、本作もまた物語開始時点ですでに負け戦で、なおかつパクストンはすでに支配されており、なおかつ物語終了時点でも支配から逃れられていないんじゃないでしょうかね。
 いや……ラストシーンで指に蝶が止まった後、コマ飛びしたみたいに蝶が消える。あれってパクストンが最後の最後で「支配」から離れたってことなのかな……あるいは彼女の中の信仰が死んだってことなのかも……。
 本作はやはり「最初から負け戦」系のホラーであり、信仰や宗教の脆弱性を突く怖さを描いた作品だったと感じます。
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