二次創作ファンアート執筆部屋
ねこの日のローコラ
要は引っかき傷のはなし
彼のながい、いっそ蜘蛛にも似た指先が、ほのかに尖っていた気はしていたし、その視線が、この右の上腕の古傷に向かっていることも気がついていた。腕の皮膚をぐるりと一周しているその、おれでさえどうやって繋げられたのかもわからぬ傷痕を、はじめて目の当たりにしたときの彼はしばらく、息さえもうしなったかのように絶句してはそこに額を寄せてくれたものだが、ああ、きっと、いつまでたってもその視界に入るとおなじ心地になってしまうのだろう。おれが彼の、その胸に浮かぶいくつもの銃痕を、そしてちょうど心臓の位置に陣取るように在る刺し痕を、直視するときとおなじように。
とはいえ、痕こそ持ち越せど、いわゆる古傷の痛みというものがほとんどないのは不幸中の幸いであっただろう。こんな雨の日などは大抵、疼くような痛みが身を襲ってもしかたがないというのに、それがないだけでずいぶんと生活の質が上がっているような気もする。それでなくとも彼は、今世でも順調に生傷を量産しているのだ。風呂に入っては軽く食いしばった歯の隙間から息を吸って、眉間を寄せている姿も正直、ありあまるほど見た。
「あれ、ロー」
雨に濡れたシャツを脱ぐおれに、バスタオルを手渡してくれる彼のまなざしが、この右腕に向かっている。どうやら彼はこんな吹き降りになるより前に帰ってこれたらしい。ずぶ濡れになって帰宅したおれに目を剥いて迎えてくれては、連絡でもくれたら迎えに行ったのに、といつものあまさを見せてくれてからの、この台詞である。
「なんだ、ねこでもかまったのか?」
こんなにひっかかれちまって。ちょんちょん、と、古傷の近く、二の腕の裏に、その指がいかにもおかしそうに触れる。脳裏が一拍の空白を生んだ。
おれからはあまり見えはしないが、そこにはたしかに、数本のみみず腫れがあるのだろう。湯を浴びてぴりぴりとした痛みを感じたのは昨日の朝のことで、ああ、まあ、おれだってわすれていたことは否めない。
ただ、だまって、受け取ったやわらかいパイル地で、湿った身体を拭く。すれば案の定、図星か、めずらしいなあ、おまえ、動物にはなつかれやすいのに、などと、彼はぺらぺらと愉快を並べては、この頭をぽんぽんと撫でるのだ。
いや。口を開くとその手が、耳を傾けるように止まるのがやさしい。
「……なつかれてはいる」
「……ン?」
「ただ、必死だっただけだろうな」
おれは、あんまり気にしてなかったが。ぽかんとした顔のその、左の指先をわざとらしく掬って、いまはもうすっかり整えられている爪を一本、親指の腹で撫ぜる。ああ、見上げるおれの顔はさぞかし、にくたらしいほどにやついていたにちがいない。
「――あっ」
ちいさな声、続けて、ばっ、と、天を仰いでは顔を覆う右手。さっと喉元まで血を昇らせているというのに、それでも振りほどかぬこの手がいっそいとおしい。
「……なつく、なんて言いかたは正しくねえな」
「うるせえ、もう、おまえ、ほんっと」
ここぞとばかりに泳がせやがって。むかしであれば「クソガキ」のひとつやふたつ、飛び出ていただろうに、それを口にはせぬ彼がまた思慮深くて、口端の緩みが止まらない。この手のバスタオルをひったくり、洗面所のほうへとそそくさと向かう茹で上がった背へ、わるかった、と詫びを投げる。
ちら、と、不機嫌そうな彼の目から上だけがこちらを覗いた。
「……あとで、薬塗ってやるから」
塗るやつ、出しとけ。ふい、と、言い置くだけ言い置いては姿を消す彼に、塗ってくれるのか、と喉元まで込みあげた揶揄を飲みくだしてひとりわらう。どうせ彼だって、今日も今日とてなにか怪我をこしらえているだろう。それがなければただのさいわいだと、おれはいつもの棚から薬箱を取り出した。
2025.02.22