昼食の提供が終わり、洗い物をする者と夕食の仕込みを始める者とに分かれ、束の間の休息から再び厨房は慌ただしさを取り戻す。
「バレンタイン?乱去年は信濃と一緒にクッキー作ってなかった?」
 乱の向かいで一緒に肉じゃがの皮を剥いていた加州がマスクごしに聞き返した。ここでは厨房に入るとき全員白い三角巾に使い捨てのマスク、白衣にエプロンまで同じもしくはサイズ違いの為、目元と声と背格好、あとは勘でお互いを判別している。ちなみに今現在本丸には百振りもの食べ盛りの兵士と食べ盛りの一般人とそうでもない一般人、おまけに食べ盛りの狐とかがいるので、じゃがいも一つとっても鬼のような量である。黙々としていると心が死ぬか、心を殺してこなすしかないが、乱は精神的に死にたくはないので、給食当番に当たった時加州のように仲のいい男士が一緒だと必ずこうやって喋りながら時間を潰すようにしている。
「いつも二人して貞ちゃんにほとんど手伝ってもらってんじゃん」
「そうなんだけど~、信濃今年は不動と遊園地デートだって」
「そっかーいいね。俺もだけど」
「ワ!主と?」
「そー」
「ヤダー!」
 何がヤダー!なのかは自分でも全くわからないが何かが高まって思わず加州の腕を軽く叩く。初期刀である加州はわりと初期のころから審神者に好意を寄せていて、極の修行から戻ってすぐに告白して振られたが、めげずになんやかんやあって今現在結構いい雰囲気になっていた。本丸発足から何年も片思いしてきた経緯を知っている初鍛刀の乱からすればより甘酸っぱく感じられるのである。
「ここ最近毎年どっか出かけて、チョコ交換会みたいにしてんだけどさ」
「あホワイトデー兼みたいな?」
「そうそう。でもアイツホワイトデーも結局用意すんの。こっちが気使うからやめてっつってんのに」
 そこで加州が何かに気付いて顔を上げた。乱の後ろにちょうど廊下に面する窓があるのだが、窓の向こうをちょうど噂の男が近侍の薬研を連れて通りかかるところであった。
 加州は一度芋とピーラーを置き、近寄って窓を開けた。
「ちょっと」
「うわびっくりした。何」
「何回も言うけどさ。今年はマジでバレンタインで終わりにしよ?ホワイトデー絶対要らないからね」
「今言わなくてもいいだろ」
「しつこく言わないとやめてくんないでしょーが。いい?今年は気つかんないでよ。」
「うん」
 しつこく言われてもさして気に留めていないすまし顔で審神者が去って行き、後ろをついていく薬研が代わりに窓にスッと近寄り、「大将もうホワイトデーのお返し買ってるぜ」とコソッと教えて消えた。もー!と加州がその場で軽く地団駄を踏む。
「アイツマジでもうああいうとこホントにマジ……夜なべしてやろ。初期刀さんが夜なべして手作りチョコレート作ってやろ」
 持ち場に戻って作業を再開しながらぶつくさ文句を言っているが、マスクの下ではやや口元を緩めているのだろうと想像して、乱はこっそり嬉しくなった。乱たちの主はその昔二桁いくくらいの人間の女の子と付き合ったことがあるらしく、こと「恋人同士のお付き合い」に関しては遥か年上の加州の倍は小慣れている。気づかいや思いやりで先回りをされるたびかつての恋愛遍歴がチラつくというのも気の毒ではあるのだが、出し抜かれては一喜一憂する加州を傍から見るだけで沁みいるものがある。
「終わった。そこ入るで」
「んー助かる」
 加州の横で淡々とじゃがいもを洗っては放っていた男が、作業を終えそのままこちらに合流する。当番制のこの係において加州や光忠などの古参に並ぶ固定メンバーである明石だ。明石はカニ歩きで加州の隣に寄ると、後ろの台から小さめの包丁をノールックで取り出し、みかんかバナナの皮くらいの滑らかさでじゃがいもをクルクルと剥き始めた。明石は本丸での人間関係、親切、愛想、笑顔、愛嬌といったコミュニケーションの全てを怠惰している代わりに任された仕事は極めて真面目に完璧にこなし、百人分の肉じゃがのじゃがいもを目の前にしても心を殺して仕事ができる貴重な明石国行なのだが、乱と加州の輪に入り込んできたからには話しかけずにはいられなかった。
「ねえ明石は?」
「なにが」
「バレンタイン。大倶利伽羅と過ごすの?」
「……」
「無視!!!」
 明石のなけなしの相関図に辛うじて滑り込んでいる刀のうちの一人が大倶利伽羅で、この誰かと交際しているという事実をにわかには信じがたいような明石国行も大倶利伽羅のためには毎年キチンと何かしらの用意はしているはずだ。が、給食当番の肉じゃがのじゃがいもの皮を剥いている最中に来るバレンタインの話で盛り上がっているような連中の輪に入る気はないらしい。
 助け舟が入る。
「一緒にご飯行くんでしょ?くりちゃん楽しみにしてると思うよ~」
 三人とは別の作業台で人参を切っている光忠からだ。明石は一瞬そちらを振り返って舌打ちをした。
「どうやって聞き出したん?返答によっては磨り潰したる」
「相槌が拷問したときのそれ~」
 光忠は本体のみならず精神までが鋼にできているので、獅子王とかに魔王とまで呼ばれている明石にあからさまに舌打ちをされたにも関わらず仰け反って笑った。
 が一瞬で笑みを引っ込める。
「無理矢理聞き出した前提なのなんで?」
「……」
「無視!!!」
 大げさに嘆くも、光忠はなんだかんだ嬉しそうだ。光忠ほどにもなれば、明石が無視しようが何をしようが自分と関わっているというだけでコミュニケーションが成立していると認識するし、なんなら心を許されているから反抗的な態度を取るのだとすら思っている。
 実際に明石が光忠に心を許しているかどうかはともかく、気持ちはわからないでもない。どれほど明石が光忠や他の刀に冷たくしようが罵倒しようが無視しようが、大倶利伽羅のために毎年律儀にチョコレートを用意していることを思えばまだ可愛げが(どこかに)(大倶利伽羅にとってだけ)あるように感じられ、ちょっとニヤニヤしてしまうのだ。
「なに?」
「んーん」
 ちょっとニヤニヤしてしまっていたのか明石に怪訝な顔をされ、何食わぬ顔で作業に戻る。明石が可愛げを発揮するのは大倶利伽羅を相手にしたときのみなので、「明石ってかわいいね」なんて口にしようものなら、ものすごく嫌な顔をしてこのじゃがいもの山を放り投げて去ってしまいかねない。今それだけは困る。これ以上触れない方が身のため、ひいては仲間の為、本丸の為だろう。
 無難に加州との会話に戻る。
「主っていつも売ってるやつくれるの?」
「そうだよー。あの人手作りのお菓子とか誕プレとか地雷だから」
「そうなの!?」
 突然雲行きの怪しい返答が出てじゃがいもを取り落としてしまう。潔癖症?重いのが嫌とか?どれもありそうだが結局聞く。
「なんで?」
「昔貰ったお菓子に血とか髪の毛とか入ってたことあるみたいで。プレゼントに盗聴器とか、GPSとか、ボイスレコーダーとか」
「怖すぎ」
「さすがに九年も一緒にいるし、俺のだけは許されたいけどねー」
 バレンタインの恋バナのトーンのままポロッと加州の口から出た怪談話に身震いしながら、乱はあえて口を閉ざした。
 一か月も前、バレンタインを迎えてすらいないのにホワイトデーのお返しを先回りで買っておいている相手が本命でないわけがなく、本来は穏やかで優し気な外面をした主が取り繕うことなく素っ気ない態度を取っている時点で十二分に心を許しているはずで、そんな加州が健気にも手作りしたチョコレートなど受け取らない理由がないのだが、あえて何も言わないでおくことにする。少し不安に思っているくらいのほうが、すんなり受け取って貰えた時の喜びもひとしおではないかと思ったからだ。
「で、乱はどうするの?今年。買うの?」
「どーしよ……」
 ひとしきり人様のバレンタイン事情を聞きだしてははしゃいでいたが、本題を蒸し返されて唐突に我に返る。肥前にモーションをかけだした初めの年は謹んで丹精に選んだチョコレートを買って渡したのだが、次の年からは乱同様家事不自由の信濃と共に太鼓鐘貞宗の世話になっていた。以前から彼氏持ちの信濃と乱と、付き合いの太鼓鐘で定期的に菓子作りを練習してはいたのだが、結果上達したのは太鼓鐘のみで、始めに彼を誘った乱たちが今は補助を受けている。伊達にいた刀たちはそれぞれに料理が得意で、彼も例に漏れずお菓子作りの才能に覚醒したのであった。乱と信濃がダークマターを生産し続ける横で今となっては「次ケッコンする奴いたら俺に言えよ?ウェルカムボードクッキーで作っちゃる」などと笑っている。
 乱は未だに人様に、特に『食う専門』を自称する彼に見せられるものを作れたためしがない。
「最初は買ったんだよね……でもせっかくカワイイイベントだからさ。なんか手作りチョコって響きがカワイイじゃん」
「乱らし~!」
 加州はそう言って上を向いてちょっと笑った。取り落としたじゃがいもを拾いながら、
「あじゃあ、いっそ二人で作ったら?」
「ワッ……♡」
 その発想はなかった。提案した時の肥前の嫌そうな顔が目に浮かぶようだが、肥前はどうにかこうにかすれば概ね、最終的には乱のお願いを叶えてくれるだろう。
「二人で作れば実質交換だよって言いなよ」
「さっすが清光!いいこと言う!」
 どうにかこうにかを考える前に口実まで用意され、悪知恵を吹き込まれた乱は翌日、彼の元へ切り込むことにした。
 いつもの大部屋にいないのでそのへんにいた南海太郎朝尊に聞いたところ、肥前は娯楽室にいるという。娯楽室というのは、刀たちが非番の時、もしくは戦や係の仕事の合間の息抜きの為に使用してよいとされている名の通りの用途の部屋で、何人かで分かれて使えるよういくつかに仕切られている和室である。ボードゲームやカード、部屋によってはテレビと有志たちが買い集めたゲーム機などが共用で置いてあり、おそらくよく一緒にいる獅子王たちとその部屋にいるのだろう。
「ゴメーンこっちに忠広くんいるー?」
 あたりをつけて来てみたが案の定である。部屋には、置いてあるテレビに取りつけたゲームのコントローラーを握っている肥前と、肥前をなぜか膝に乗せて腕で固定している御手杵と、他に陸奥守吉行、和泉守兼定、あとは乱から見て手前に獅子王が座ってテレビ画面を見守っていた。
「お乱じゃん。ヤホー」
「ヤッホ」
 獅子王とはよく話をするのでお互い気軽な挨拶をする。肥前はというと(なぜか)御手杵の膝に乗せられたまま乱のほうを一瞥してすぐにゲームに集中を戻した。そんなことは気にしない御手杵が膝を揺らして「ほら肥前、乱来たぞ乱」と教えてくれるが、とっくに分かっている肥前は画面から目を離さず口だけで返事をする。
「なに?」
「今年のバレンタインさー、一緒にお菓子作らない?」
 まずリアクションを取ったのは御手杵だった。
「何それ楽しそう。かわいい。いいじゃんそうしろって」
「メンディー。やだ。」
 予想通りの反応である。
「ホラ、二人で作ったらさ、ボクがあげてバレンタイン、忠広くんがくれてホワイトデーじゃん。お返しいらないんだよ」
「別に要らないと思ったことねえし」
「キュン。。。。。じゃないや。お返し貰うより、一緒に作りたいのー!おねがーい!」
「うわお前ッ、お前~~~!」
 サラッと嬉しい返事が返って来るも、欲しかった回答ではない。加州と乱の読みをまさか男気で上回ってくるとは。
 結局いつもの泣き落としの姿勢に移行する。コントローラーを持つ腕に両手を伸ばし、掴んで上下にブンブンと振ると当然、画面の向こうのイケメンがチェーンソーに生命を絶たれ、血塗られたゲームオーバーを迎える。肥前は舌打ちをし、横の獅子王にコントローラーを放った。御手杵の膝から降り、さらになぜか獅子王がそこに入れ替わりで乗っかる。
「どういうシステム?」
 用事そっちのけでつい口を出しそうになるも、「いいから」と肥前に腕を引っ張られて部屋の隅に移動する。何事もなかったかのように話の続きが始まる。
「おれもお前も基本食う専じゃん」
「そうだけど~バレンタインは別なの。チョコの匂いに包まれながらキミといちゃいちゃすることに意義があるわけ」
「お前全部言うじゃん……」
「ホワイトデー合体でいいから何卒……何卒……!」
「ウワァ拝むな拝むな」
「ヤ――――――――――ッ!弾がねえ!回復もねえ!」
 獅子王が悲鳴を上げている横で軽く揉めていると、乱と肥前それぞれの肩に腕を回し陸奥守が割って入る。
「まあまあ。ほんなら、てがるいお菓子にしたらえいがやない?」
 言いつつ、二人から見えない位置でととと、とスマートフォンを触ってから、二人に画面が見えるように腕を下ろして見せる。
「ほら、これならどうじゃろ。ケーキもそのまんまの売っちゅうし、クリームも絞るだけのやつ。ほんで、上につけるのも売っちゅうお菓子にしたらえいがよ」
 画面にはケーキが映っている。白いクリームでデコレーションされたケーキの土台に、カラフルなマーブルチョコやチョコスプレーなどが散りばめられた、甘さが二乗されたかのようなケーキだ。店で売っているものというより、子どもが考える可愛くて甘いものをこれでもかとトッピングした手作りのケーキに見える。
 似たようなものを乱はネットの画像で見たことがあった。
「ああ~、平成女児チョコ……のケーキバージョンてこと?簡単だしカワイイね。いいかも!」
「平成女児……ああそんな風に言うがか?これならスポンジケーキ買うてきて、デコレーションするだけやき。簡単じゃろ?」
「簡単だよね!??」
 結った髪が陸奥守に当たりそうになるほどの勢いで肥前に向き直ると、肥前は眉間に皺を寄せ、ちょっと口をすぼめるようにしてちょっと黙った。おそらく、2対1で押されているこの状況を口で覆さなくてはいけない煩わしさと、ただでさえ二人の関係について日々冷かし続けられているのに、わざわざバレンタインで二人お菓子なんて作ったりなどしてしまうこっ恥ずかしさとを今天秤にかけている。十秒ほど「あン~~~……」とか唸ってから、「まあ、それくらいなら……?」と嫌々頷いた。彼にとっては調理手順の手軽さなどが問題ではないのだろうが、ごちゃごちゃと口論になることの面倒さが辛勝したらしい。
 そんな肥前の小さな葛藤などは露知らず、陸奥守が軽く肩を叩く。
「決まりや!」
「あのさぁコレ……むっちゃんが作ったの?」
「うん?そうやけど」
 質問の意図に気付く前にさっと耳元に口を寄せる。口を寄せようと肩に手を置いたところで、すぐ屈んでくれるところが、また。
「前から思ってたけど、むっちゃんてほんとにフリーなの?好きな人いたりしない?」
 好きな人、とはまだぼやかした形容だった。陸奥守は常より気さくで、付き合いやすく、親切な刀なのだが、細かいところでよく気が付くところが、素人ではないように思わせるふしがあった。素人ではないというのは、つまり、恋人がいるのではないかということを暗に言いたいのである。恋人がいてもいなくても陸奥守は気が利く刀であるのは間違いがないが、利かせ方がどうにも、例えば過去に彼女を何人か経ている主だとか、じゃじゃ馬ならぬじゃじゃ鶴を飼いならしている燭台切光忠じみているように見える。
 陸奥守はぱちくりと一つ瞬きをして乱を見た。それからニマッと口の端を上げた。
「ン~、好きな人ぉ?言うたら、みんな好きじゃ!」
「ただのタラシじゃねえか」
 後ろから和泉守が陸奥守の肩に肘を置いて現れる。そういえば、大昔はこの二人がそういった仲なのではないかと噂されたこともあった。陸奥守はすぐ横の顔に向かって唇を突き出すようにした。
「和泉守も好いちゅうよ♡」
「やめろ」
 目を瞑って頬に口を寄せようとする陸奥守を手で押さえて和泉守は顔を背ける。嫌そうな顔をしているがさして嫌そうではない、友達同士のじゃれ合いでしかないやりとりに見えた。
「ウーン分からん……」
 結局何一つ察せられなかった乱が腕を組んで存在しない顎髭を撫でていると、目の前で陸奥守が手を叩いて音を鳴らした。
「さ、そうと決まれば買出し、買出し。もう明日じゃろ?」
 それで会話に入って来なかった肥前の注目を引くと、陸奥守は徐に財布を差し出した。
「なに?」
「中身ごっそり使ってえいき」
 肥前は財布と陸奥守を交互に見て少し眉間に皺を寄せ、手の先で軽く押し返した。
「いらねーよおつかいじゃねえんだから」
「せんせぇ~~ッ!!!肥前が遠慮しゆう~~~~ッ!!!!!!」
「呼ぶな!デケェ声出すな!!」
 とりあえず肥前にウンと言わせたいときは大声で南海太郎朝尊を呼ぶのが彼らの中での定石、ひいては鉄板のネタだった。ネタであっても結局は本当にウンというので、便利だから特に陸奥守がよく使っている。今回も渋る肥前に、口元に手を当てて明後日の方向へ朝尊を呼ぶと、あっさり負けを認めて差し出された財布をひったくった。
「知らねえよ空っぽになっても」
「オメー男前だなァ陸奥」
 陸奥守は財布が肥前の手に渡った途端、すりっ、と合わせた手を頬の横に持ってきてかわいらしく小首を傾げた。
「ついでにエビ煎餅と、チョコスプレーと水あめ買うて来てや」
「やっぱおつかいじゃねーか」
 遠慮容赦なく財布の中身を検めながら、器用にすねを蹴ろうとする肥前の足を陸奥守は後退で避けた。避けられたら避けられたでさして気にする様子もなく、乱の腕をちょんとつついて共に出るよう促す。部屋を出て行こうとする肥前に続こうとしたとき、
「乱」
「ん?」
「おいで」
 陸奥守が呼んだ。和泉守がまたゲームの観戦に戻ったのを確認しつつ、指の先で小さく手招きをする。肥前は部屋の外で待つことにしたらしく、乱を置いて先に出て行った。招かれるままに側に戻ると、陸奥守は乱の肩に手を置き、反対側の耳に顔を寄せた。今度は陸奥守が耳うちする。
「乱には特別に教えてもかまんよ。ただし……加州には内緒やきね」
 陸奥守が乱から体を離しても、乱は情報の処理に時間がかかり、その言葉が何を示しているのか咀嚼する間を置いた。陸奥守は固まっている乱を見下ろし、先ほどのようにニマニマ笑っている。
「……」
「……」
「ハッ……あっ?エ!?ハァッ……!」
 そしてとある事実に気が付いた時、乱は両手を口元に当て、陸奥守の顔と空中とで視線を行ったり来たりさせた。背後に稲妻が走ったかのような衝撃だった。
 陸奥守がこっそり教えようとしてくれたのは、先ほど乱が聞き出そうとした答えに他ならない。加州には言えない相手。加州に知られてはいけない相手。もし主だとするなら乱にも言えないだろう。何年もかけて慎ましやかに想いを育み、ようやくバレンタインなどという浮かれたタイミングにデートに誘い合うまでになった組み合わせだ。そこに割り入ろうとするような陸奥守ではない。あと考えられるとしたら、まだ加州と主の仲が確かではない、微妙で繊細なこの時期に浮いた話が出ると気まずい、本人が加州に後ろめたさを覚えるような、極めて加州と近しい男士となれば……。
 大和守安定しかいない。
「オッケー……」
 大和守安定か。間違いない。安定だよね?ぐるぐると考えながらやっとそれだけを絞り出した。
「もう大丈夫……」とも。
「ほんまか?」
「本当に大丈夫……!」
 陸奥守は乱がいっぱいいっぱいになっているのを見て少し心配そうにしたが、目の前に手を翳して降参の意を示すと、
「ほんならえいがよ。肥前と仲良う行ってきいや」とあっさり乱を送り出した。誰かと共有出来て少しはさっぱりしたらしく、晴れやかな顔で。
 部屋の中に半分心を置いてきぼりにして出てきた乱に、肥前が「陸奥なんだって?」と聞く。いつもなら「えっ嫉妬!?かわいいね~!」と大はしゃぎするところだが、今はちょっとそんな元気のいいリアクションが取れそうにない。自分だけに留めておくには余る話でもあり、肥前なら誰にも漏らさないだろうが、それでも万が一どこかに漏れだす可能性があるようなことを、加州の親友を自負する刀として行いたくないという矜持もある。割合で言うと、軽い気持ちで聞き出したら藪から竜が飛び出して乱には荷が重いというのが八割、その二割の矜持が辛うじて今口を縫いとめているようなものだった。
「むっちゃんの相手わかっちゃった……いやでも、忠広くん相手でもこれはちょっと言えないかもな……知りたい?」
「いや絶対聞きたくねえアイツのそういうの」
 肥前は一言で切り捨てる。冗談でもなんでもなく眉間には皺が寄り、口元はひきつらせ、表情の全てで嫌悪を顕わにしている。男兄弟のような陸奥守の浮かれた話は聞きたくないようだ。乱にはよくわからないが、実際に藤四郎の兄弟の中でも、厚や後藤などは乱の惚気話をあまり聞きたがらないので、そんなこともあるらしい。
「ケーキ焼かないやつなんだね?塗るだけか、包丁は?」
「もう切れてる缶詰のフルーツだからだいじょぶ」
「ならいっか!」
 滅多に出してこないボルドー色のコートを纏った加州がデートの相手を暖簾の向こうに待機させ、真剣な顔で二人のケーキ作りについてあれこれと気を砕いている。せっかく審神者と出かけるのだから今日くらいは本丸の中のことを考えなければいいのにとは思うが、この本丸にはうどんの湯切りを行おうとして天井に貼り付け厨房を出禁になった刀もいるから、気持ちはわからなくもない。その並びにされてしまうのは誠に心外だが、これから楽しみなことがある者同士、ささいな文句は喉元に留めておく。乱もケーキくらい簡単に焼けるよ、果物くらい綺麗に切れるよ、と言い切って信用してもらえるほど器用さに自信があるかといえばそうでもない。そうでもないから焼かないし切らないのだ。
「もういいから行ってきなよぉ」
「ハイハイそだね、ごめんね肥前お邪魔しました~」
「いやべつに」
 加州が声をかけると、台所の椅子に座り、手元に置いたエプロンの紐をねじったり伸ばしたりしていた肥前は素っ気なく答えた。乱と違って特別加州と仲がいいわけではないので、ちょっとばつが悪そうだ。
 乱の前を通って出入り口に向かった時、前に審神者から選んでもらったと言っていた香水の匂いがして、わかってはいることだが「これからデートに行くんだな」と伝わってきて他人事ながらちょっとどきどきする。
「ごめーんお待たせ」と暖簾をくぐった隙間から見えた審神者も当然ながら仕事着にしている狩衣でも普段着でもない、小ぎれいな余所行きを着ていて、「いや。行きますか」とだけ聞こえた。
 少し経ってから、誘惑に負けてそっと廊下を覗くと、二人が前後に並んで玄関へ向かって行くのが見えた。
「あれは現世に着いてから手を繋ぐパターンかな?ついていきたすぎる」
「ダメだろ」
 後ろで呆れた声が短く制止した。同じ声が、
「おれをほっぽって行っていいの?」と言ったので、それで、他のことはもはやどうでもよくなってしまってポイだ。真顔で振り返ると、テーブルに頬杖をついてちょっと口を引き結んだ男の子が見つめ返している。
「良いわけがなかった」
「わかりゃあいい」
 この子はこれでもそう機嫌を損ねているわけではなく、乱のいい返事を聞いてちょっとにやっとした。
 ケーキ作りすらどうでもよくなりかけたが、さて、テーブルには土台となるケーキ、絞るだけのクリーム、フルーツ缶につやつやの苺のほか、カラフルな色つきのチョコや、いちごのカラーリングのチョコ、パンダを模したチョコビスケットなど、目につく限りのかわいいをかき集めてある。だって陸奥守が全部使っていいと言ったから。陸奥守にちょっとした意地悪を受けた感触があったので、乱が行きたいと言っていたカフェの前で「空にしていいつってただろ」と言い放った肥前の誘いに一言で乗っかり、大盛りのパフェまで注文してきた。
 ちなみに、バレンタイン前日とバレンタイン当日は利用が混みあうため、給食の提供は休みになっており、厨房と小台所は開放されている。ただ前日に作って当日に渡す者が多いのと、小台所の方はオーブンなどがないこともあり、今日は貸し切りにしてもらえた。オーブンでブンするようなお菓子を選ぶくらいならそもそもが自分で作って渡している。
「じゃあ始めますか~」
「ああ」
 乱は年に一度、二月にしか出してこない、裾に大ぶりのフリルが付いたエプロンをつけ、腰ひもを結んだ。給食当番の時は白い三角巾に白衣に白いエプロンと決まっているため、こんな時でない限り私物のエプロンをつけることがないのだ。肥前は当番の時と同じ白い出で立ちである。
 まず言い出しっぺがスポンジケーキを袋から皿に空けてスライスし、絞って使うクリームを出したところで一言。
「ひとつ言ってもい?ボクこういうの綺麗に塗れたことない」
「おれも言っていいか?おれこれ絞ったことない」
「あーそっか、まあ塗るくらいならどうにかなるよ」
「じゃあなんでお前はどうにもなんねんだよ(笑)」
「アッハッハ(笑)」
 二人して絞り袋を開封もしないまま意味もなく揉んだりケーキを乗せた皿を回したりしていると、再び来客がある。
「日記用に撮っていきたいんだがいいかい?」
 本格的なカメラと言われて想像できるような本格的なカメラをずっしり首からぶら下げた南海太郎朝尊のお出ましであった。この本丸の朝尊は他本丸より問題行動の少ない個体である代わりに、鶯丸あたりの真似をして人間観察ならぬ刀剣観察日記をつける習慣がある。主に陸奥守たちや、肥前と乱の間柄のことを種につけることが多く、肥前が乱とかわいい手作りケーキを作ると聞いたらまず来るだろうとは思っていた。カメラは陸奥守か、広報部のカメラ小僧でおなじみ鯰尾藤四郎あたりから借りて来たのだろう。
「早く来すぎたみたいだね」
「いやたぶん広げて30分くらい経ってる……」
 言われて段取りのダの字もないことが少し恥ずかしくなり、急かされるようにクリームの蓋を開けてケーキの上に絞り始める。裸のケーキを前にクリームの袋を所在なげにモジモジしている二人を撮っても仕方がないだろう。やっと作業らしい作業を始めた二人を見て朝尊がカメラを構える。
「先生の日記絵日記どころか実写なの面白いよね」
「あの~やめてもらっていいですか?」
 肥前は片手で横顔を隠そうとするが、作業できないので諦める代わりに嫌そうな顔をする。
「あれ~なんか塗りづらいね」
「横塗んなきゃダメか?」
「ダメ」
 塗り始めたはいいが、塗り方がよくないのか、大きめのスプーンで塗っているのが良くないのか、ぼろぼろとケーキが削れてクリームがくっつきづらい。見かねたのか朝尊が口を出す。
「フルーツを乗せて、クリームを乗せて、上半分を乗せてから外側では?」
「あっそういう順番とかあるんだ」
「あと……スポンジの上にはシロップを塗るんだよ。生地が乾いてるとクリームがうまく伸びないから……」
「だからうまく塗れなかったんだぁ。すごーい先生!」
「料理も科学だからね」
「オメ―調べとけよ言い出しっぺがよォ……」
 呑気に朝尊に向かって手をパチパチと叩いて見せると、肥前が恨めし気な視線を寄越す。
「えっ……これ、じゃあ今からでも間に合う?」
「いいや。手遅れ」
「シロップなくても大丈夫?」
「なくても大丈夫」
「だってさ!」
「だってさじゃねえんだけど……フルーツ開けるか」
 肥前が先にスプーンを置いて缶詰を開ける。中にはたっぷりのシロップに浸かった一口大カットのミックスフルーツが詰まっている。雑に手早く開けたため汁が飛び、早速テーブルに溢れた。それからふらふらと視線をさまよわせたかと思うと、食器棚を開けて何かを探し始める。
「これ水気切らねえとダメだろ」
「あ。そっかぁ」
 手持無沙汰にカメラを触っていた朝尊が、ケーキをそっちのけで台所を捜索しはじめた二人を見て、あまり口を出すのも邪魔になるかとたっぷり躊躇してからやっと、
「……誰か…呼んで来ようか……?」と言った。
「あった!あった!」
 朝尊のなけなしの気遣いを振り絞ったような声を察して無用とばかりにシンクの下に収められていたザルとボウルの一対を取り出して見せる。南海太郎朝尊に気を遣われるデコレーションケーキ作りというのはなんだか不名誉な気がする。
 朝尊はやっとフルーツの盛り付けを始めた二人を一度横に並ばせ、ツーショットを撮った。肥前は無言で首を振ってカメラの外に逃れようとしたが、乱が服を引っ張ってから、頬をツンツンと指さすと、そこに自分の頬をくっつけて撮られてくれた。嫌そうにしていても肥前は最終的に乱のお願いを聞いてくれるので、二人で写真を撮るときはいつもこうやってくっついている。誰が見ても最高に面白い肥前忠広が撮れたであろう朝尊は、最後「今日は火や刃物は使わないんだろうね?」と加州と似たようなことを確認して去って行った。南海太郎朝尊に安全性の確認をされてしまった……。
 
 さらに三十分が経過した。もちろんのこと乱はトッピングを小皿に分けたり、いちごを洗ってへたを取っておいたりなどはしていないので、肥前がシンクでいちごを洗ってへたをとってくれている間にマーブルチョコを散らそうと筒を傾けたら全て飛び出してしまい、気を取り直してアポロを肥前の手に少し分けようとすればこれも全部出た。
 いちごが乗ればそれでもそれなりにホールケーキ然とした佇まいにはなったが、今はプルプル荒ぶる手をもう片方の手で押さえながらさ〇さ〇パンダを乗せようとしている。
「そんで突然御手杵が立ち上がってよォ……『イマイクゾアオエーーーーーーーーーーーーッ!!!(モノマネ)』つって走ってって渡り廊下から飛び降りたわけ。三階から。地面に。」
「ちょwwwwwww大事なタイミングで鉄板ネタの一番いいとこ持ってくんのやめてよぉ~!」
「皆でウワー大丈夫か御手杵ェ!つって降りてったら震えながら倒れててさ。両足粉砕骨折。夜中の二時にそんな用事で叩き起こされんだよ主が。」
「ヤッハハ!アッハwwwwwwwもうーーーーーーッ落としたじゃん!」
 肥前の話を受け、パンダは端の縁取るように絞ったクリームを巻き添えにして脇に落ちた。乱が肩を叩き肥前のパンダも落ちる。二人なりにかなり気を張って平らにしたケーキ側面が落下したパンダによって崩れてしまい、半分どうでもよくなって箸でつまみ、縁の潰れたクリームの上に乗せて誤魔化した。
「主なんて?」
「いいよ……って言ってたよ。いいよ……。って」
「全然よろしくねえ時のいいよだぁ……」
「やっぱよろしくねえんだ」
「主の『いいよ』って百種類あるからね」
「百はねえだろ」
 雑な相槌を打ち、残り一つのパズルのピースをはめるように肥前がパンダを適当に置く。適当そうな手つきではあるが、乱が置いた箇所の対角線上だった。彼なりにバランスを考えてのフォローだったのかもしれない。
「できたね」
「スゲー甘そう」
 肥前は既にげんなりしている。目につく限りのかわいいは、目につく限りの糖分だった。一つ目の後悔が、いちごを丸ごと1パック買って来たのにフルーツ缶まで買ってきたこと。二つ目の後悔が、いちごもフルーツ缶も買って来たのに何種類もトッピングのお菓子を買ってきたこと。三つ目の後悔が、うっすら買いすぎた自覚があったにもかかわらず、全てを使い切ってしまったことだ。
 バレンタイン当日は三時のおやつがない代わり、食堂に義理チョコや友チョコ、本命のお零れなどを置くスペースが設けられる。材料は全てそのまま食べられる果物やお菓子なのだから、少しずつ残すか、どれかを丸ごと削るなりして他の男士に譲ればよかったのだ。しかしもう遅い。
 乱はケーキが映るように肥前と写真を撮り、ケーキ本体もいくつか撮影してから、フォークでそのままいこうとしたが、肥前に止められて仕方がなく包丁を取り出す。結局刃物を使うことになってしまったが、ケーキを切り分けるくらいで事故を起こしていたら給食当番なぞできない。
「何等分?四つでいい?」
「倍。八つ」
 肥前は親切に、どう八等分するのかケーキの上で指を動かす。その通りに等分すると、切っている間に棚から皿を取ってきて、近くに置いてくれる。この一時間程度で、乱をどのようにフォローしたらいいのかがすっかり身に着いたようだった。
 いちごがちょうど一つ乗っかった一切れをそれぞれの皿に分け、いよいよ実食の運びとなる。いきなりいちごを持っていくと寂しくなるので、先の方を一口いただいてからフォークを置き、まず肥前の感想を求める。
「おいしい?」
「おいしくて歯がミサイルみたいに飛んでくかと思った」
「おいしいね~、全部食べていいよ」
「歯がなくなったから無理」
 夕飯も外で済ませるつもりだったが、水族館で買った土産がかさばった為今日のところはやめにして、加州と審神者は予定より何時間か早く本丸に戻った。「今日は泊まりじゃなかったのか?」と茶化す薬研に皆への土産である箱菓子を渡し、二人で執務室へ戻ると、入口の前で肥前と遭遇する。
「乱とケーキ作ってたんじゃないの?」
 喧嘩でもしたのかと恐る恐る加州が尋ねると、「もぉ食べた」と少しとんがった口から不服そうな声が漏れる。
「すんげェ甘くて。食べられたもんじゃねえから歯が飛んでったつったら、じゃあ手入れしてもらわないとねって乱が。アレを全部食うか、ここ来るかの二択しかなかったおれには。」
 後ろで静かに聞いていた審神者が、ため息をつこうとして、やめて、ちょっと笑ったような吐息をもらした。
「いいよ……手入れする?」
「それってマジでいい方のいいよ?」
「マジでいい方のいいよだよ」
 答えたのは加州の方だった。さらに付け加える。
「乱に口と体と態度で勝とうとしないほうがいいよ」
「全部か。じゃあ一生無理だわ」
 肥前はさっきの審神者と似たような笑みを浮かべ、手入れの申し出を丁重に辞退した。
 残ったケーキは食堂の例のスペースに置いておいたが、話によると善意の獅子王たちがつまんでくれたらしく、一口でギブアップし、最終的に残った四分の三のうちほとんどを青江が食べつくしたと聞いた。
 来年は心を尽くして選んだ菓子がいい、と願っている。
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35:43
銀猫
配信してると思って書いてたら配信してなかったわ!ガハハ!!
79:58
銀猫
ネットが不安定とか言ってるので配信切ります~
139:59
銀猫
寝かけていました
140:19
銀猫
今日はこれにて死亡
144:49
銀猫
ぶぜささ投稿できたしノリで進まないかな~と今日も書くよ
149:50
銀猫
♡ありがとうございますー
167:31
銀猫
南海先生て地の文だとなんて書いたらいいんだろ 朝尊?
198:11
銀猫
眠くなってきたので今日はここまでにします
198:34
銀猫
おやすみなさー
239:47
銀猫
ダメだ眠りかけました
239:54
銀猫
寝ます
596:25
銀猫
スポンジケーキスライスさせんの忘れた
737:54
銀猫
終わりました~、後日誤字脱字とかチェックしてpixivにアップします。見守っていただきありがとうございました!
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VD肥前×乱冒頭書き始める
初公開日: 2025年02月13日
最終更新日: 2026年03月16日
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コメント
バレンタインに女児ケーキを作る肥前くんと言い出しっぺの乱。
激遅筆なので下手すると来年のバレンタインに完成するまである
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