今日は楽しいクリスマス。なので自分へのクリスマスプレゼントとして塚口にいってきました。そして今日というめでたい日に見てきたのはこの作品!
 「ニコラス・ケイジが毎晩夢に出てくる」という笑ったらいいのか怖がったらいいのかよくわからないなんか不安になる予告とA24配給、みんな大好きアリ・アスター制作ということでこれは見なくては、ということで見に来ました。人はイヤ~な気持ちになりたいがために映画を見ることがあるのだ。
 主人公ポールは平凡な大学教授。しかしそんな彼の生活は、ある奇妙な出来事が起こってから一変します。人々の夢の中に彼が登場するようになっていたのです。その奇妙な現象は彼の友人知人や大学の生徒たちにとどまらず、何千人、何万人といった見知らぬ人々も彼を夢に見るようになっていき、ポールは一躍有名人に。しかし、人々の夢に出てくるポールは次第に夢の中で人々に危害を加えるようになっていき、今度はポールは一転して誹謗中傷にさらされることに。制御不能となった事態の中、ポールはどうなってしまうのか?
 「夢と現実の剥離」というのはフィクションの定番テーマの一つですが、本作における「夢」とは明らかに「ネット上、SNS上にあげられた人物像」でしょう。
 一度ネット上やSNS上で有名になってしまった人物は、その本人の動向とは関わりなくそのイメージが誇張されたり評価や属性が誇張されたりしてしまうもの。ポールは別に特別な能力があるとかではなく、そもそも劇中ではなにもしてないんですよね。彼自身はなにもしていないにもかかわらず突然一躍有名になり、そしてまた突然危険人物扱いされるようになってしまう。人々は彼本人ではなく夢の中の彼しか見ておらず、現実の彼の訴えに耳を傾けようともしません。終盤、彼はしばしば現実のSNSでも起こるように「排除していい人物」「そこにいるだけで敵として認識される人物」として一方的に社会から排除されていきます。もうここで夢の中の彼、正確に言うなら夢の中の彼に対して下された評価と現実の彼のあいだの境界線は完全に消失している。
 本作における一連の事件に犯人がいるとしたら、それはいわゆる「バズり」でしょう。一部だけを切り抜かれたり喧伝された部分だけがひとり歩きしたりした結果、もうその人の本来の姿は掻き消えて、ネット上やSNS上の人物像、さらには無根拠な噂やイメージや背びれ尾びれが「真実」となる。本作はそうした意味では、いわゆる「現実と虚構がひっくり返る系」の作品とも言えるでしょう。
 また、本作における「バズりの怖さ」はむしろ前半、ポールが有名になっていくパートにこそある気もします。ポールは前述のとおり平凡な大学教授であり、特筆すべき業績もありません。しかし、彼は突然有名になったことで自分がすごい人物であると勘違いしていくんですよね。この勘違いの過程がまた恐ろしいというか哀れというか哀しいというか。
 ポール自身は自分に対する自尊心が少なく、家庭でも職場でも立場が弱いことが提示されています。そんな彼の自尊心を補填するかのように「見知らぬ人たちの夢に出てくる」という現象が天から降ったように起こり、彼は有頂天に。夢であった本の出版にもこぎつけて完全に成功したとも思えたのもつかの間、夢の中の自分が人々に危害を加えるようになったことで彼は一転、石を投げていいパブリック・エネミーとしての属性を与えられてしまいます。
 この一連の流れにはポールはいっさい干渉できておらず一方的に振り回されているだけというのがまさに「バズりの怖さ」と言えるでしょう。
 ポールはもちろん自分への誹謗中傷に対抗しようと自分の無実を訴えますが、その方法がこれまたSNSという……。そして最終的にポールが無数の人々の夢に現れたという現象をもとに、他人の夢に入り込める装置が開発されてこんどはそっちがバズり始めるという……。流行り廃りは世の常とはいえ、それが異常加速するネットの世界そのものですよねこれ。
 さらにラストでは、ポール自身もこの装置を使って夢の中に没入し、別れた妻に会いに行くというのがあまりにも哀しい。
 このように本作は、「現実とネット・SNSの剥離」「ネット上の人物上の現実化」といったテーマを、SNSやネットを直接的に使わず、その代わりに「夢」というガジェットを使って表現した作品だと言えるでしょう。というかあのラストで開発された夢に入り込める装置、あれが行き着くところって要するに「パプリカ」だということはオセアニアじゃあ常識なんだよ!!(病院の窓をブチ破りながら)
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塚口サンサン劇場「ドリーム・シナリオ」見てきました!
初公開日: 2024年12月25日
最終更新日: 2024年12月25日
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