閑話休題⑪
デルウハが生れ落ちた時、イペリットは既に世界に現れていた。彼らは資源を奪い、住みよいように場を作り替えようとガスの放出が始まっていたと言う。高地に住まうデルウハは、幸いにもイペリットに即座に家を追われる立場では無かった。だが世界は繋がっている。人類の資源は少しずつまんべんない供給を絶たれていくものだ。特にデルウハが執着するのは旨味に関わるもの、辛いもの、甘いもの、酸味…それらの供給は真っ先に、前線に携わる軍に集中していく。だが人類は次第に、イペリットを倒すのではなく、限られた高地の土地を奪い合うようになった。目の前でイペリットがいるというのにだ。
人類は、平和の弊害であった。その為悪化する戦況に、カロリーの高いものはデルウハの口に入る事がほとんどなく、ホットチョコレートすら十年以上記憶に残るほどであった。カロリーの高い物への執着は、それなりにデルウハにもある。だからこそ平和な世界に生まれ変わった今、それらを手に入れてしまいがちであった。
「シュトーレンの食べ比べがあった」
宿泊先の高級ホテルのテーブルに、シュトーレンの切り身が大量に並べられていた。それぞれ個別に包装されており、包装の仕方にそれぞれの店の特徴が出ている。中にあるシュトーレンは、白い粉砂糖をまぶされ、ドライフルーツの断面は皆同様である。それでも店によって大きさも様々だ。本来は一つまるごと買うはずのシュトーレンの食べ比べなど、禁忌のような利便さである。その中で気に入った物を改めて買えるのである。あまりにも日本らしい、思いやりのある売り方である。
ホテルにやって来た所は、その並んでいるシュトーレンを一瞥し、デルウハを見やり、明け透けもなく言った。
「太りますよ」
デルウハは言葉を失った。
槍ヶ岳の研究所で死を迎えたはずの二人は、今平和な世界に生まれ変わっている。年齢に差があり、デルウハは四十代、所は二十代であった。デルウハは初老である。体つきも少しずつ変わっていく中でも食欲が変わらず旺盛であるデルウハへの、苦言であった。だがデルウハとてただの暴食を貪っている訳では無い。体づくりに筋力トレーニングも欠かさず行っている。人間を一撃で殺せるような筋力づくりは、平和な今だからも続けているのだ。その過信があるから、ある程度の量を食べても問題はない。己のからだのことは、己が一番よく知っているのだ。だが、冷たい言葉を掛けた所は恋人という立場である。もっとも身近で、客観的な目を持っている第三者だ。所に言われると、看過できぬ言葉である。
「もっと言い方あるだろ…」
「あ、ごめんなさい。でも、シュトーレンは結構カロリーがありませんか?」
「それはそうだが、そもそも保存食だぞ」
「ああ、バターにくぐらすものもありましたよね、バター風呂って評判に…」
「どこのだ」
「まだ食べるんですか…?」
呆れたようにため息を吐きながら、所はシュトーレンたちを覗き込む。だがデルウハは、さっとシュトーレンを回収してしまった。所には見せないという事だろう。子供っぽい行動である。シュトーレンを抱えたデルウハに、所はむうと頬を膨らませる。
「取りませんよ。それに、クリスマスケーキは友達と食べますし」
「クリスマスはこっちに来るんだろ。もうケーキも注文してある」
「イブは春くんと遊ぶんです。久しぶりに集まるし、他にも友達が来てくれるので」
「聞いてないぞ」
「イブの夜には帰りますから」
所のスケジュールはこうである。12月24日の日中は、大学時代の懐かしい顔ぶれが集まるのでそこに顔を出す。24日の夜には解散し、デルウハの宿泊先に行くことになる。そして一晩過ごし、25日はデルウハと過ごすのだ。年末らしいスケジュールである。
「でも、28日から実家に帰りますので」
「あんまり一緒に居られないじゃねえか」
年末である。抱えたシュトレーンを膝の上でまとめるが、デルウハはそれらをテーブルに乗せた。だが所のいる方には寄せないようにしている。少々子供っぽい動きである。その分だけデルウハが所に心を寄せている証拠であろうか。所は手帳の中身を思い出しながら口にする。
「年末のスケジュールを言わなかったのは悪かったですよ…でも、デルウハ殿もあるでしょう。お付き合いとか」
「それを全て終わらせて日本に来てるんだ。あんたも多少調整しろ」
「分かっています。年始はほとんど一緒に居ますので、年末だけ我慢してください」
そう彼らが言い合うのは22日である。すると会話が途切れたからか、シュトーレンががさがさと音を立てる。デルウハが一つ、包装を取ったのだ。
「もう食べるんですか」
「日持ちはするが、全部食うのには時間が掛かるだろう」
「デルウハ殿でしたらすぐ食べられるでしょう」
「半分やろうか」
「じゃあ、ください」
所が手を伸ばすと、割られたシュトーレンが手渡される。約束を守ったのである。食にこだわるデルウハが独占しないのは、ここが飽食の世界だからだろうか。それとも所への情か。そのせいか、所の口の中に広がるシュトレーンは甘味が濃かった。
「美味しいです」
噛み締める。デルウハが手招きするので、所はシュトレーンを口に放り込んで近付いた。まだ食べきれないシュトレーンの切り身はテーブルに広がっているが、デルウハは所を抱き寄せてしまうので、興味は失われたようである。食を優先するデルウハには珍しい事だが、ここは飽食の世界であるからか…あるいは。この中のシュトーレン、何個買うんだろうなと所は切り身を眺めながら思うのだった。