大勢の人々から、悪意を向けられる経験は少ない。通常の人生であれば、数百人に敵意を向けられることはないだろう。ふとフェンスの向こうを見やると、すう、と見知らぬ男が息を吸い、肺いっぱいの空気を吐き出すのが見えた。
「宇宙人のスパイめ!」
「帰れ!」
「帰れ帰れー!」
言葉と共に、ペットボトルも飛んでくる。ゴミだろうか丸めた紙だ。ガムの包み紙かもしれないし、死ねと書かれたノート紙かもしれない。フェンスがあるから、飛来物は一定方向からしか無いのが幸いだ。所は身を縮めた。彼の両手の義手が、かしゃかしゃと音を立てながら、頭を守る。その義手の貌が、余計に人間離れして見えるせいか大衆の敵対心に火がついた。更に物を投げつけようとするフォームを見て、所はきゅっと身を縮めた時だった。
「クルァァァァァ!」
所の後ろから、銅矢の声が響いた。EDFの敷地内であるため、大衆はフェンスを超えない。だが物は飛び交い、罵声は飛ぶ。その大衆に負けないほどの声量で、銅矢は所に駆け寄ると庇うように前に立った。そして大衆に向かって叫ぶ。
「やめんかぁぁ!」
「なんだよ、EDFは宇宙人のスパイを庇うのか!」
「サイテー!」
「宇宙人のスパイの処遇を早く決めろ!」
大衆の怒鳴り声に、銅矢も声を張り上げた。
「だからぁ! スパイじゃないんだっつーの!」
「嘘だ!」
「じゃあなんでEDFは真実を公開しない!?」
「だからそれは…!」
銅矢は言葉が詰まる。所はというと、おろおろとしながら銅矢に庇われている。いいから、という言葉は所の口から聞こえ、義手で銅矢の手を掴んでいる。
所は、数週間前の宇宙人の爆発に伴って日本に現れた謎の人間である。唐突な出現であった。宇宙人の死体の上に乗っていた謎の人間、あまりにもセンセーショナルな登場に、報道の制限をかける間もなく…所の存在は日本だけに留まらず、諸外国にも報じられているという。その身元はEDFが確保しており、発見者の銅矢は何かと気に掛けている。EDFの施設内の移動を許されたので、少し散歩したらこの有様だ。
所についてはEDFが身元を確保していること、身元不明であることしか正式に報道されていない。だが、平和を尊ぶ大衆は、所を宇宙人のスパイか何かであり、即座に処刑や処置をすべきだという週刊誌やワイドショーの過激な意見に踊らされている。銅矢は所をくるりと回すと、その背を押した。
「だーもう、帰るよ所さん!」
「EDFは真実を公開しろー!」
「あーもーうるさいなー!」
銅矢が吠えても仕方ないことであった。ネグサーを倒した事でEDFへの評価は一転、宇宙人への判官贔屓は無くなったというのに、また批判が上がるのか…と屋内に戻った壁に額を付けて銅矢は深いため息を吐く。
はぁぁぁ……と肺から全ての息を吐き出したようだった。その様を眺めながら、所は申し訳無さそうに銅矢に話し掛ける。
「あの、銅矢くん…」
「大丈夫っス…」
「…すまない、私が迷惑かけて…」
「大丈夫っス」
銅矢は今度は言い切る。そして壁から額を離すと、所を見やった。
「所さんは悪くないですから。兼東司令に言ってみます、なんで報道しないのか。俺納得してないので」
「…銅矢くん」
「それじゃ!」
若さ故だろう、所が何か言おうとするのを聞かずに銅矢は走り去ってしまった。
はぁ、ととぼとぼと所はEDF内を歩く。いつもは感じないのに、両手の義手がなんだか重い気がする。あれだけの人間に嫌われる経験は、所の長い人生で経験のない事だ。もしハントレス研究が表沙汰になれば、あのような好奇と敵意の目に晒されたのかもしれない。物を投げ付けられるだけに留まらず、私刑に遭うかもしれない。今日はフェンスがあるから良かったが、銅矢が来てくれなかったら、まだ大衆に怯えていただろうか…。はぁ、とため息を吐く。
所は、ある日気が付いたらイペリットのいない日本に飛ばされていた。本来、槍ヶ岳の極秘裏の研究所でデルウハに殺害された。それが彼の本来の運命であったのに、何故か所は生き延びてしまっている。勤めていた研究所の職員は、食料を独占する為にデルウハに皆殺害されたのだろうか。彼らの最後を見送ることも出来ず、一人だけ生き延びてしまった。そう考えると、居た堪れない気持ちになる。重責からは唐突に解放されたが、このような形で生き延びて良かったのかと思い煩う日々だ。そこに、明るい声がやってくる。
「シゲさーん」
二会敷少将だ。人体実験部隊の責任者である。義手の提供をしてくれた恩人である。所は二会敷にほっとした顔を見せた。
「二会敷くん」
所は安堵した顔を見せ、先程起きた事を思わずこぼしていた。この世界に、所の痕跡は無い。生まれた事すら記録に残っていない。ただあるのはこの身だけで、特徴的なのはダイナマイトによって裂傷の残った顔と、両手の無い手である。今そこには義手が嵌められている。だから、懐いてくれる二会敷にはどうしても心を寄せてしまっていた。
「ふうん」
二会敷は全ての顛末を聞いたあと、いつものにこにことした表情を消して顎に手をやった。
「なんだか、随分嫌われてしまったみたいだね…」
はは、と所は悲しげだが笑ってみせる。だが宇宙からの侵略者を忌み嫌う気持ちは所にも分かっていた。イペリットを相手に人類は為す術も無く、その絶望は計り知れない。今この日本はダミーの住宅地を作るなど、対策によって人類は平穏無事に暮らしているのだ。
「シゲさんは悪くないんだけどねぇ…上層部も尋問の報告はいっているし、素性を疑ってるとは思えない。このまま発表も何も無く、沈静化するのを狙ってるのかなぁ」
「多分そうだろうね。私が上層部ならそうするから」
「シゲさんはそれでいいの?」
「ん…そうだね。良くはないけど、仕方ないよ。宇宙人の脅威は私も身に染みてる」
「あーイペリットだっけ。シゲさんが言う、外宇宙の侵略者」
二会敷はそこまで言うと、少しだけ真面目な顔をする。興味を惹かれているのかな、と所は思った。そう言えばEDFによる尋問を受けた際、この話を荒唐無稽だと審問官は流さなかった。それだけ宇宙人の話は彼らにとって身近なのである。果たしてイペリットがここに現れた時、EDFは対処出来るのだろうか。所は考えることがある。だがその懸念を払拭するように、二会敷はにこっと笑った。
「またそのイペリットについても教えてね」
「もちろんだよ」
「あ、そうだ。シゲさんが設計図作ってくれた、例のスプレーあるでしょ?」
「ああ、あの切断面を保護する…あれは役に立ちそうかな」
「画期的だよ! あの発想は盲点だった。再生力が異常に高い多足の宇宙人がいたんだけどね、この技術を転したらその切り口を塞げるんじゃないかと思って」
「ちなみにそれは、どうやって倒したの?」
「核を見つけたんだ。まぁ、その場所を見つけて兵器を撃ち込んだのは銅矢くんの功績だよ」
二会敷は他人の功績を淡々と話す。彼にとって宇宙人退治は、名誉に含まれないのだろう。彼にとって必要なのは、栄誉よりも無限の可能性のある科学の進歩だ。宇宙人対策により広がる無数の可能性を、人類の発展の邪魔にならぬところで己を使った実験で繰り返す。二会敷の楽しみとは結局、栄誉ではない。所にはその考えが分かる気がした。
「核細胞ではなく、分裂を指揮する特定の細胞の塊があるとは面白いね。我々のような細胞分裂とは根本から異なる生き物ってことだね」
「そうなんだよ、シゲさん分かる!? 宇宙人は無限の可能性を計り知れぬほど持ってる。この地球での進化なんて無視してね。その分析はのめり込むほど面白くて…ああやっぱり話が分かる人はいいなぁ」
光栄なことだと所は笑った。
「で、やっぱりさ。シゲさん考えてくれた?」
「…あの事かな」
「そう。僕の家に来るって話。どう?」
どう?と尋ねて来るが、二会敷の笑顔は約束された未来を予期しているかのように、良い言葉を待っていた。もちろん、良い言葉とは二会敷に都合の良い言葉である。所は返答に詰まった。この打診は三日前にされていて、所は曖昧に返すだけだったのだ。
今の所はEDFで寝泊まりさせてもらっている。幸いにも宿泊施設も完備されており、不自由は無い。だがこのまま永遠にという訳にはいかないだろう。処遇が決まらぬ以上はEDF以外にどこにも行けぬのだが、そこに二会敷の申し出である。僕は独り身だし、気楽だよ?と彼は言った。誘い文句にしてはあまりに軽い、他人が己の家に住まうと言うのは結構大きな出来事ではなかろうか。だが二会敷が気にしないというのなら、所に是非は無かった。そのため、頷く。二会敷は少し目を見開いたが、すぐに笑顔に戻るのだった。
いきり立った銅矢である。彼は司令室である。兼東司令に尋ねていた。
「所さんについて報道しないんですか?!」
「何故お前が気にする」
「だって、だって所さんは無害ですよ。それに頭良いし、ほら、あのスプレーとか! めっちゃ凄い発明品だって話じゃないですか! そんな人が宇宙人のスパイとか有り得ないですよ!」
「銅矢。このスプレー、一般的に普及すると思うか」
「え?」
兼東司令の唐突な問いかけに、銅矢は面食らった。何の話かと追究したい気持ちを抑え、そうだと思いますと答える。
「助かる人が大勢いると思います。俺の妹も、もしそのスプレーがあって、足が残ってたら…今頃は義足なんか」
「個人的な事情は考慮しないものとする。なあ銅矢、人間は発言する者によって印象が変わるのだ」
「何の話ッスか?」
「例えばお前がテレビに出て、このスプレーはこうこうこういう効果があると宣伝したとする。その場合、お前を信じる者は何人いると思う?」
「それは、」
「お前が騙されていると思う者が大半だろうな。さて、仮にお前ではなく二会敷がこのスプレーの効果を宣伝したとする。それは信じられるか?」
「まぁ、癪ですけど二会敷少将のが信じられるんじゃないっすかね…研究者の方ですし…」
「そうだ。これがもし、日本医師会の会長がこのスプレーの効果を宣伝したとしたらどうだ。その効果は絶大なものとなり、皆がその効能と発見を讃えるだろう」
「あの、何の話ッスか?!」
「このスプレーを、仮にも”宇宙人のスパイだと疑われている者”が作成したとて、誰がその効能を信じるかという事だよ」
「……」
銅矢は言葉を失った。所の発明品の効能は、人体実験部隊が証明済みである。銅矢は”人体実験部隊を信じるに値する”と考えているから、その効能を信じたのだ。加えて、”所は無害な人間である”と自分の目で確かめている。だが世間の認識は違うのだ。所は”宇宙人のスパイ疑惑のある人間”で、その発明品など世紀の大発見であっても、”信用に値しない”のである。
そんな物を発表しても、”所の評価は変わらない”。
「だから、だから…所さんが無害だって分かるように報道して、その上でこのスプレーを売り込めば…」
「銅矢。最初の質問に戻るが、このスプレーは一般化するかと思うか」
「そうですよ、助かる人がめっちゃ出ます!」
「悪用はされないと言えるか? 本当に正しく使われると思うのか?」
「だって、切断された手足を元に戻すのって夢の技術じゃないですか?! 手品みたいなもんですよ!」
「だが、悪用される危険性が高い。これは一般化する事はないだろう。当分はな」
「どうして…」
「よく考えろ銅矢。一般化されたとして、自由に人の手足を切断して元に戻せるとしたらどのような弊害が生まれる?」
「弊害って……あ」
「悪用すれば、拷問にでも使える。犯罪者が痕跡を残さないようにすることも出来る」
「でもそれは…ホームセンターで包丁買って振り回す奴が悪い、みたいな。悪用する奴が悪くないですか…?」
「悪用される可能性の高いこの発明品については、既に上層部に報告してある。概ね見解は私と同じだ。信憑性がない者が生み出した画期的な技術を、我々は採用するわけにはいかない。銅矢、我々の背後には誰がいる」
兼東司令は真っ直ぐに銅矢を見た。銅矢もその真剣な顔にごくりと唾を飲む。
「上層部…とか政府とかですか」
「違う。何の力も持たない一般市民だ」
「我々EDFの役目は、一般市民を守る盾となり攻撃手段の矛である。万が一、所が宇宙人のスパイであった場合、我々の情報が筒抜けであった時、誰が一番割を食うか考えろ。それはお前の妹と同じ、一般市民だ」
「我々は万全を期さなければならない。それが、EDFの役目である。……さて話は分かったな?」
銅矢は項垂れた。だが納得しないほど子供ではない。
「分かり、ました」
「所の件は、二会敷に任せてある。案ずるな」
「え、二会敷少将に…?」
「そうだ。所は、奴が監視する事になっている」
「シゲさんの私物って殆ど無いよね? じゃあすぐにでも引っ越せばいいよ」
「……ありがとう。本当にありがとう、二会敷くん」
所は万感の思いを込めて言う。二会敷は相変わず笑顔だが、その奥にどのような感情があるのかは分からない。だが、二会敷は任務には忠実である。所の安全性が確立するまでは、彼の目に届く場所に居てもらわなければならないのだ。
二会敷は、所に自然と手を差し出していた。所は唐突な握手に、前触れもない握手に首を傾げる。これは二会敷側の都合である。任務遂行の前の、願掛けのようなものだ。所に何の裏もないことを肌で感じながら、完全に心を許さないという決意である。所は義手をおずおずと差し出した。がちゃがちゃと音を立てる指を握り合い、二会敷は任務のための笑顔を作る。何も知らぬ所は、その笑顔に少し安堵するのだった。