幼い頃は褒められた頭脳は未成熟で未発達で、脅威というものが無いから尊ばれるのだ。ここに自我を載せ、世界の捉え方を載せ、周囲の状況把握能力を載せると、子供は大人の仲間入りを果たし、そして仲間と認められるのか異物また驚異として弾き出されるのか…コミュニティ次第となる。竜野は早々にその恵まれた頭脳により集団入りしたが、現所長はそこまで彼を尊ばなかったように見えた。頭脳の出来を褒めたたえ、認めているもののその全てを許容する事は無い。
 だが生憎というべきか残酷なことが起きたというべきか、竜野の頭脳に酔心する者が、彼の周囲に恵まれた。恵まれてしまった。その上で育まれた若さの傲慢が、彼に確固たる自信を与えていた。ある時、竜野は所長に伝えたことがある。
 「見たい景色があります」
 景色という単語は、あまりにも曖昧で各々の想像力に任せる余白を産むものだった。現所長は、それは若者が描く夢のようなものであれば、自分の地位だろうかと思った。高尚な精神をこの若者が育んでいるのなら、その先に齎される世の平和か、名誉か。研究所を出た事がない子供は、下界に憧れているのか。考えうる想像は、あながち外れていないだろうと現所長は竜野の顔を見ながら経験則で思う。
 「それは、外の世界かな」
 「それもありますけど」
 ならば彼が願うのは、世の平和であってくれればいいな。竜野を子どもの頃から見てきた大人の都合の良い意見であった。現所長はそれ以上、余白を踏み荒らすような言葉を口にしなかった。だから竜野が、自分から口にした。
 「貴方の見てる景色です」
 若者らしい、野望の方だった。現所長は失望はしなかった、想像していたからだ。
 「そうか。思ったよりは雑務も多く、夢見るような場所じゃないよ」
 現所長は謙遜ではなく、心からそう思っているようで苦笑いを浮かべる。だが竜野の夢を穢すつもりもなく、ただ本音を口にしただけだ。竜野が気分を害すよりも、真実を伝えたつもりだった。だが若い彼は気分を害したのかほんの少し眉をひそめて、僕なら上手くやれますからと言ってのけた。
 これまでの会話は、竜野がイペリットの研究について新発見をした時の会話である。その手柄を褒めたたえた現所長に、竜野は得意げを押さえ込んで大人として振る舞った、だが子どもの頃から知っている現所長に、ほんの少し気が緩んだのだ。若気の至りだなぁと現所長は流したし、竜野を特別扱いすることはなかった。それからの関係性は、現所長と職員としての関係を超えないでいる。
 竜野は研究に没頭したし、婚約者もいた。人生は順風満帆であった。現所長がう立つの上がらない風貌で、圧倒的な強者でないことにほんの少しの不満はあるけれど、それも子どもの頃から知っていて、誰の名前も覚えていて、頭を撫でてくれた現所長が万能で、偉い人なのに優しいなんて凄いことだという憧れが増幅していただけだと片付ける。
 その彼が連れて来た得体の知れない軍人、デルウハが研究所の在り方に波紋を広げた。所長の信頼を一身に受け、ハントレスを率いて多大なる戦績を上げた。現所長の立場は磐石となり、さぞ気分の良いことだろう。それなのに、現所長の顔色は沈むばかりだ。その僅かな変化に気付いても、竜野はあえて声をかける気にはなれなかった。
 その腰に手が回っているのを、目撃する偶然がなければ。
 「あれ…?」
 現所長に関する事で、言葉が咄嗟に出ることになるとは思わなかった。父親役としても遠い場所の人、生まれた時からいる偉い人が、悲痛な面持ちでデルウハに抱き寄せられている。研究所の安全の為にそこまでやるのか、地位のためにそこまでやるのだろうか。真っ先に浮かんだのはうっすらとした軽蔑だったが、彼らの様子を見るに、現所長は祈るように目を閉じていて、その様が急に神聖なもののような、覗いてはならぬもののように思えて、別の出口からその場を去る。
 すぐに立ち去った竜野に、二人がその後何をしたのかは分からない。だが彼に残ったのは、ほんの少しの喪失感。よく分からない喪失感が、胸の底でぐるぐる巡っているのだった。ほんの少しだけあった敬意が、子どもの頃に抱いていた羨望のようなものが、何故かあの軍人の手に吸い込まれてしまったような気がしたのだ。現所長を頭の中で思い描いてみる。その輪郭に纏わせていたなにか良いものの記憶が、今はするりと手からこぼれ落ちていくような……。
 勝手に変わったのは成長を伴った自分なのに、現所長だけは昔から変わってくれるなと勝手に理想を押し込めていた事に、気付く。今さら現所長の新たな一面など、知りたくない自分に気付く。まだ子どもの自分がいることに、気付く。苦い唾が口の中に溢れてくる。
 明確になにかを喪ったわけではない。このコロニーにおいて、新たな人間関係が生まれているだけなのだ。竜野はそう言い聞かせると、自分の研究室に戻っていくのだった。       
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12月5日分書くよ
初公開日: 2024年12月05日
最終更新日: 2024年12月05日
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