それはデルウハが研究所にやってきた翌日の会話だった。何気ない会話である。
 「私は家族だと思っていますよ。勝手で、個人的な見解ですがね」
 「200名の家族か。それは管理が大変だな」
 「ははは…到底管理など出来ていません。それに、私の立場を狙う者もおります…ただ、これは内密にしていただけますか? デルウハ殿。このことに不快に思う人間もきっといるでしょうから……私の個人的な見解ということで」
 「それでも愛するって言うのか? ここのコロニーを」
 「ええ。それが私の役目だと思っていますから」
 所長はそれだけ言うと、困ったように眉を下げたが微笑んだ。所長がいかにこのコロニーを愛したとて、全員から愛が返ることはない、だが降り注ぎ続けなければならない。言葉にするなら無償の愛であろうか。このコロニーを、研究所をいかに存続させ繁栄させるかの根底に、ひとかけらの愛が無ければ所長は今日まで運営に心を割けなかっただろう。その愛は基本的に誰にも見えず、感じられず、気付かれることなど無いのだろう。所長の生涯が終えられたとて、職員全員がそれを知ることは無い、人の上に立つ者の憐憫である。
 デルウハは目を見開いた。憐憫を感知したわけではない。彼は耳にしたばかりの所長の事情ではなく、己の事情で目を見開いたのだった。
 「ああ、分かった」
 「分かっていただけて何よりです。それで、昨夜は詳細に出来なかったご説明なのですが」
 観葉植物に水を鼻歌と共に与えるかのように、父母が何の用もなく子供を抱き締めるかのように、無償の愛をこの男は持っている。その事実が目の前で収穫となり、デルウハは口の端を歪めた。所長の説明は続いている。
 「…となります。デルウハ殿、何かご質問などありますでしょうか?」
 「いいや?」
 「それは良かったです。では、ご案内を」
 所長がそう伝えた時だ。デルウハの手が、背を向けて立ち上がった所長の腰を掴んだ。くるりと回転させ、自分に向ける。二人は近い距離で向き合う形になった。
 「へ?」
 「俺もあんたの家族の一員になるのか」
 「え、あ、はい。…デルウハ殿がお嫌でなければ」
 こういった愛着めいたもの、合理性からは外れるのではと所長は考えていた。だからデルウハは意外にも、その言葉に僅かに笑みを浮かべている。所長はそれを嘲笑かと最初は思ったが、それにしてはどことなく言葉が弾んでいるような…。
 「そうか」
 「あ、あの」
 随分と距離が近い。だがパーソナルスペースは人それぞれであるし、デルウハを押し退けるほど切迫した距離ではない。ただ見つめ合うだけの時間が数秒過ぎて、その翠の瞳がかがやいて見えるのはきっと気の所為だと思った。
 「デルウハ殿…その、説明を差し上げたいのですがよろしいでしょうか?」
 「そうだな。聞こう」
 素直ではある。デルウハの手が離れたので、所長はもう一度彼に背を向けて歩き出そうとした。その時、デルウハの言葉が首にかかる。
 「じゃああんたは”父親”になるんだな」
 「あ、家長という意味でですか…? どう、でしょうね。私は生憎子供を育てた経験が無いので…ハントレスの子らを見守っていましたが、父親ではなかったと思います」
 「でも家族の長なら父親だろ」
 「ああ、確かに。その通りですね」
 デルウハが妙にこだわることへの取っ掛りはあった。だが一般的な会話と言われればその範疇である。デルウハは”父親”に特別なこだわりでもあるのだろうかと考えるが、こだわりを持つのは人それぞれだし文句を言うような事でもない。”父親”という単語に違和感はあるものの、このコロニー全体を家族であると思っているのは本当で、そうでなければ所長は務まらない。いやでも興味を持たなければ、運営を回すことなど出来ないのだ。研究だけに没頭していたい気持ちはあるが、この役職で人間関係の摩擦や衝突を宥めるのもひとつの役目であると割り切ってきた。それはくたびれた”父親”像と少し共通項はあるだろう。
 「デルウハ殿、何か生活での困り事があればいつでも申し付けください。出来うる限りは援助致しますので」
 頼もしい言葉を口にし、振り返った所長が見たデルウハの目は、真っ直ぐでそれでいてどこか狂気的だった。ハントレスを躊躇いもなく処分した目とはまた違う色をしている。なんだろう、寒気がするが気の所為だろうと所長はその変化をあえて見過ごすことにしたのだった。
 「所長」
 何かにつけてハントレスの事や研究のこと、イペリットの研究結果についてありとあらゆることは共有した。そうしなければコミュニティに入れないし、またデルウハには全て頭に入れてもらう必要があったからだ。お陰でデルウハの名は職員に知れ渡り、職員達も見知らぬ軍人を自然と受け入れる事が出来た。その摩耗を避けるためにも、所長が率先してデルウハの横について紹介して回ったのも効果的だったのだろう。警戒心の強い研究者たちは好奇心も強い。デルウハに興味を持っていたし、その壁を取り除いたら、デルウハが暮らす上での障壁はほとんど無くなった。
 とはいえ200名全員に挨拶して回った訳では無いが、デルウハのコミュニケーション能力の高さも相俟って、研究所は先の見えない沈痛な状況下からイペリット対策を万全と出来るのではと希望に満ちている。
 所長、所長と何かにつけて用がある度にデルウハに呼び出されていたが、行動を共にするメリットが大きいので所長も自然と横にいた。その時間が長かったのが良くなかったのかもしれない。所長室にデルウハと二人で入った途端、二人きりになった途端に所長はデルウハに抱き締められていた。
 「へ?」
 身長も体格もかなりの差がある。所長が唖然としている間に、擦り寄るデルウハはのしかかってくる。その重さに咄嗟に腰が落ちそうになり、足の裏に力を入れた。
 どういう状況?
 疑問は残るが、所長はともかく潰れないようにするのがやっとである。デルウハの行動は、人間に負担が掛かっていると微塵も考えていない大型犬を思わせた。しかし相手は想像力のある人間である。デルウハである。所長は困惑しつつも巨体を抱きかかえるほかなかった。すると、デルウハが嬉しそうに言う。
 「さすが”父親”だな」
 「え? あ…あの…重…」
 重いと口に出していいものか悩む理性よりも、体が正直に口走っていた。重いのである。膝が今にも震えそうだ。
 「あんたなら出来るな」
 「ふ、ぇ? な、何をです…?」
 「こちらの話だ」
 その中身が気になるところだが、今はひたすらにデルウハが重い。そう考えているのが伝わったのか、ふっとデルウハが軽くなった。離れたのだ。所長は安堵し、大きな大きな息を吐く。その行動が失礼にあたるなどは考えず、とにかく重さから解放されて気が抜けたのだ。デルウハはというと、先程のしかかって来たとは思えぬほど普通の距離感に立ち、所長が息を整えるのを待っている。
 「所長」
 「は、はい…」
 「さっきのイペリット対策のセンサーの話なんだが」
 急に戻るなぁ、と所長は思う。いつものデルウハである。たまにこうしたスイッチが入る時があった。決まって、所長と二人になった時だった。
 次のスイッチもその次のスイッチも、きまって二人きりになった時だった。その都度、所長は礼節をもって真摯に答えて来たつもりだ。その結果、デルウハは思いもよらぬ行動をする。
 「あの…!」
 所長はデルウハに強く言う事は無かった。人付き合いであるから、たまに強く言わなければならない事もあるのだが、デルウハは落ち度も無ければ人の神経の逆撫でもしてこない。優秀で情緒の安定している部下であった。日の下では確かにそうだったのに、彼は何故か今、夜の闇の中で所長を寝台に押し倒している。
 「デルウハ殿、これはなんでしょうか…」
 「あんたなら受け入れてくれると思ってな」
 「あの、手を解いて…」
 所長の両手はデルウハによって縛り上げられ、自由がきかない。所長は自力で解こうと手を揺らすが、あまりにもデルウハの手際が良く、また縛り目はきつかった。
 「最初は暴れるだろ。こうしないと、傷がつく」
 そう言って頬を撫でてくるデルウハの手つきは無害そのものだ。お気に入りのぬいぐるみを撫でるような手つきだ。ぞわ、とその無害さに鳥肌が立つ。傍目には軟禁であるのに、どこまでも無邪気なデルウハは悪いことであると思っていないのだ。所長は生唾を飲むと、穏やかに震える声を抑えながら話しかける。
 「デルウハ殿。逃げませんから解いていただけますか」
 「それはダメだ」
 「どうして…」
 所長の髪を、優しい優しい手つきでデルウハは撫でる。
 「あんたの為だからだ」
 デルウハはあくまで穏やかにそう言った。
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12月2日分書くよ
初公開日: 2024年12月02日
最終更新日: 2024年12月03日
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