閑話休題⑦
 「本日はどこに向かわれるんですか?」
 所の問いに、デルウハはセレクトショップが並ぶ並木道を指差した。名前を知っているがハイブランドで縁のない世界である。だがデルウハが指差したのは、間違いなく一つのセレクトショップだ。食事ができるような場所ではない。そういえばデルウハの着ているものも似たような、ブランド品であったのを思い出す。
 デルウハは服に興味がある訳では無いが、その場の状況と特定の人間には使いようがあると思っている。服道楽の人間の懐に飛び込み、一からノウハウを教えてもらったのが10代の頃で、20代では既にあるレベルの着こなしが出来るようになっていた。それだけで師匠はもう用済みであったが、既製品に身を包めないデルウハにとっては調整をしてくれるブランドはありがたいのだ。もちろん安い既製品を試す事もあるし、下着までハイブランドにするほどではない。彼から見ると所は痩せ型で、大抵のショップの物は既製品が着られるはずである。それなのに、少々みすぼらしいというのか。安い既製品で済ませ過ぎではないか? デルウハが見て来た景色を所に見せる必要はないが、それでも一着でも誂えてやろうかと思ったのだ。
 デルウハに誘導され、所はおずおずと店に入る。日本の店舗であるからデルウハも顔馴染みは無いが、着ているものが同ブランドと分かったのだろう、店員はにこやかであった。その為にコートや靴に至るまで同じブランドの物を揃えたのだ。前世の軍人の際にはそこまで気を遣った事も無かった、あるいは気を遣える状況下では無かったが、面白い世界ではある。同族意識と、イメージを保つ戦略、そこに並ぶのは衣服だけなのにあらゆる思惑が渦巻くような世界である。所が目移りしている間に、デルウハが少々不慣れだが英語で話しかけると、店員はすぐに対応してくれた。 
 「あ、私が通訳します」
 慌てて所が間に入ろうとするも、もう二人は英語で会話をしている。なのですごすごと引き下がった。
 「何してる。試着するぞ」
 「え…でも、この服は私の懐では買えません」
 「俺が買ってやるんだ」
 「ええ!? そんなの、申し訳ないですよ。服には困ってませんし…!」
 「大声上げるな。たかが一着や二着で破産するもんじゃない」
 デルウハに窘められ、穏やかな音楽が流れるショップに相応しくないと所は慌てて口を塞いだ。その隙にというべきか、デルウハは見繕う為にすたすたと店を歩き始め、これがいいあれがいいと店員に預け始める。
 所といえば、場違いなところに来てしまったとおろおろと目を泳がすばかりだ。このままここに居てもいいものか、気まずささえある。デルウハにくっついていたいが、デルウハと店員が話しているところに子供のようにひっつくわけにもいかず、ただじっとその場で立ち尽くして待っていた。
 「着てみろ」
 デルウハの声にはっとすると、店員が試着室まで恭しく案内してくれた。そこで渡された服に着替えることになる。
 カーキのピーコートに空きを煮詰めたかのような濃い色のニットのタートルネック。下も濃い色のパンツ。
 Vネックのニットにワイシャツ、パーカー。
 着せ替え人形の気分であるが、次から次へと衣服を着せ替えては、デルウハに見せる事になった。ブランド物であるせいか手触りがいい。着心地が良い服に包まれると、安心感となんともいえないぬくもりがぽっと体を包むのだった。あったかいな。デルウハに包まれている時のようだと思った時、自分の頬が少しだけ燃えた。
 「出来たか」
 「着ました」
 そう言うと、試着室から出る。まるでモデルの気分になってきた頃、もうこれで最後だなとデルウハが口にする。ちょっと残念だなと思うが、いつまでも遊んでいる訳にはいかないだろう。そうして最後にデルウハが手渡したのを、着る前にうん?と首を傾げる。それは緑色のジャンパーである。首周りに白いファーがある。それを着てみるとやはりそこにいたのは、かつての前世の姿と同じだった。
 「……デルウハ殿」
 「なんだ」
 「私の事好きですねぇ…」
 「なんだよ」
 「だって、これ」
 「いいだろうが」
 前世でよく着たなあ、と暢気に所は思う。
 「ですが、これは嫌です。お気に入りだったんですよ」
 「じゃあ着てもいいだろ」
 「それを手ごと切断されたんです。だから、これを着ると思い出すんですよ」
 「…言うようになったな、所長」
 「おかげさまで。デルウハ殿には鍛えられましたから」
 所長はそう言うと笑う。怯えているかつての所長では無いようである。
 「どうしてもダメか」
 「…お断りしたいところですが、お金を出すのはデルウハ殿ですから」
 「よく分かってるな、物分かりが良い」
 デルウハと所は、エスペラント語で話している。店員はその様子をにこにこと笑いながら、その会話を理解していないようだ。そのジャケットもデルウハが店員に渡し、幾つか見繕っているらしい。あれもこれもと選び終えると、最終的には三着になった。紙袋を二つ抱え、所は息を吐く。
 「こんなにたくさん」
 「別に一着増えたところで懐は痛まん」
 「いえ、ありがとうございます…御礼は出来ませんが」
 「あんたはそれでいい。今はな」
 デルウハの言う事には少々含みがあったが、このジャンパーも着るかどうかは分からない。だが悲しき記憶だけで着なくなることも問題であろう。あの記憶は乗り越えるべきものであろう。少なくとも、手を切った張本人が横にいる限りは。
 「たまには着てくれ」
 「もちろん、愛用させていただます」
 前世と似たような服も、いずれ着てみよう。所は紙袋を抱えてそう思うのだった。
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