(※この日記は8日朝に書かれていますがキにしてはいけない)
毎週木曜は滑り込みの日。まあ結論から言うとインド映画を1日に2本も見るとなかなか感想をまとめきれないというか単純に体力がついていかないのでこまめに見ようと思います。とか言ってたらなんか「マジンガーVSグレートマジンガー」やるとか言ってるんですけどほんとすげーよなこの映画館。
というわけで今日見てきた1本目はこれ!
現在塚口で絶賛開催中のタラパティ祭りにて未見のタラパティ作品が山ほど見られるのでスクリーンがヒゲの美丈夫で埋め尽くされててえらいことになってます。
わたくし人形使いはまだまだタラパティ素人なので知らない・見てない作品がたくさんあるので未見の作品をどんどん見ていこうということで見てきました。
タイトルの「タライヴァー」とは「指導者」のこと。本作はムンバイにおける裏社会の実力者・ラーマドゥライの息子であるヴィシュワが人々の指導者となるまでを描いた作品です。
父ラーマドゥライの信頼できる友人であるラトナムに預けられたヴィシュワは、父のことを知らないまま成長し、そして25年後。
ダンサーとして活躍していたヴィシュワは、恋人ミーナと結婚するために、ミーナの父も連れて3人で父に会いに行きます。そこで初めて父が裏社会のドンであったことを知るヴィシュワ。父との関係はどうなるのか? 自分の生まれを知ったヴィシュワはどうするのか?
本作は「タラパティ」ことヴィジャイ氏がまだ「若大将」と呼ばれていた2013年の作品です。わたくし人形使いが初めてヴィジャイ氏を知ったのは「サルカール」「マスター」だったので、本作のヴィジャイ氏はかなり若い印象でした。それもあってか、本作は前半部分のまだ自分の運命を知らない青年であるヴィシュワと後半部分の指導者として完成していくヴィシュワの過渡期の物語として楽しめました。
インド映画と言えばダンスですが、前述の通りヴィシュワはダンサーなので前半部分ではダンスチーム「タミル・ボーイズ」のリーダーであるヴィシュワの華麗なダンスが楽しめます。インド映画では毎回毎回「人間って鍛えればこんな動きができるんだな……」と関心しきりのキレッキレのダンスを見せつけられるわけですが、今回のヴィジャイ氏のダンスもまあカッコイイこと。
冒頭部分のダンスも華麗でしたが、実に良かったのが中盤でのダンス。恋人ミーナが事故で足をけがしてしまい大会に出場できなくなってしまいます。しかし、ミーナの病室を訪れたヴィシュワは「練習だ」といってミーナをトレーニングジムに連れ出します。
そこでヴィシュワは、ミーナの怪我した片足を自分の足の甲に乗せて、サポートしつつペアダンスを踊るんですね。本作は別にダンス映画というわけではないのでこのシークエンスがストーリーに直接関わってくるわけではありません。しかしこのシーンでヴィシュワの、ひいてはヴィジャイ氏の心根が言葉を通さず言葉以上に分かるわけです。このシーン、ヴィシュワの助けを借りて怪我をしているとは思えないほど自由な動きを見せるミーナの姿も美しいんですが、わたくし人形使いはミーナの包帯を巻いた片足がヴィシュワの足の上に乗せられるシーンに宗教画の如き神秘性を感じました。ダンスが主軸でもない作品にこれだけの名シーンを入れるとかあまりにも贅沢。これは前にも書きましたが、インド映画は尺が長いのでほんとうにいろんな要素をぎっしり入れられるんですよね。
そして次のシーンがまた名シーン。というか厳密に言うとここから次のシーンへのつなぎが素晴らしい。
怪我をしたミーナを支えてのダンスの練習シーンの終わりに、重力を忘れたかのように宙を舞っていたふたりの足がふたたびフロアの床に着く――と同時に、ふたりが出場したダンス大会で「タミル・ボーイズ」がダンスを終えるシーンにつながる。普通なら肝心のシーンのはずのダンス大会本番のダンスをあえてカットするこの省略の美よ。
いやーここのつなぎ本当に素晴らしい。ふたりきりの練習シーンの感動が薄れないうちに即、ダンス大会でのダンス終了、そして当然の優勝につながるのでみているこちらの感情が外に逸れないんですよね。インド映画には作劇的にも学ぶところが非常に多いです。それにこのシーンのダンス本番のばっさりカット、「このふたりなら優勝して当然だから見るまでもないよな?」と言わんばかりで実に力強い。
……で、ここまで見てて本作は別にダンス映画ではないことをすっかり忘れてました。だってもここまでのダンスシーンの完成度が高すぎる。しかもまだこの時点で折り返し地点のインターバルにも到達してないんだよな。
そうそうそういやこの話はヴィシュワが父親に会いに行く話だったと思い出して見てたんですが、インターバル前の衝撃展開で空いた口が塞がらなくなってしまいました。
ついに会えた父が裏社会の人物だったと知って驚愕するヴィシュワ。一般人であるミーナやその父もそのことを知って驚きます。そして混乱の中、さらなる混乱が。
かねてよりヴィシュワの父・ラーマドゥライを狙っていた敵対組織が、ここぞとばかりにふたりを襲撃! 応戦するふたりですが追い詰められ、絶体絶命のピンチに。
そこを間一髪助けたのが――なんと今まで一般人だと思っていたミーナとその父! ふたりはなんと潜入捜査官で、ヴィシュワを釣り餌に組織が行動を起こす瞬間を狙っていたのです! ……というところでインターバル!
まあインド映画もそれなりに見てきたので、インターバル直前に衝撃のどんでん返しが来るのはもうお約束なんですよね。だからって驚かないかと言うとそんなことはありません。来るのがわかってるかどうかと受け止められるかどうかは別問題なので。
いやー前半であれだけ盛り上げといてこのどんでん返しからのさらなる盛り上がり。前述のとおりインド映画は尺が長いのでほんとうに色んな要素と展開を持ち込んで、なおかつそれでしっかり盛り上げてくれるのがすごいところ。わんこそばの勢いで満漢全席が来る感じでしょうか。
このように本作は前半と後半で大きくその色を変える作品なんですが、その主役を演じるヴィジャイ氏の姿もまた前半と後半で大きく異なります。前半ではダンサーとしての魅力を見せつけてきたヴィジャイ氏は、後半では社会を正すべく「タライヴァー」としての道を歩む姿を見せてくれます。
ヴィジャイ氏は実際にさまざまな政治活動を行っており、ついには俳優業を引退して政界進出することを発表しています。前述のとおり本作は過去の作品ではあるものの、この時点からヴィジャイ氏は自身の主演作で非常に強い政治的メッセージを訴えていることがわかります。後半部分はほとんど「映画のキャラクターとしてのヴィシュワ」ではなく「政治家を目指す人物としてのヴィジャイ」だったように思います。
そしてこの後半部分の展開がまた緊迫感があって飽きないんだよな。「政治的メッセージ」とか聞くといわゆるエンターテイメントとは真逆の方向性に思えますが、本作の後半部分はインド社会における警察組織の腐敗や裏社会の問題といった政治的な問題をテーマとしつつも、「エンターテイメントとしての映画」および「映画スターとしてのヴィジャイ」の魅力を保持しているのがすごいところ。
特にラストの外連味のあるアクションは実に直球のエンターテイメントしてて好き。反撃に転じる際に敵のボスとまったく同じ場所でまったくポーズで敵を待ち受けるシーンは演出の凄みに満ちてて好き。
そしてヴィシュワは見事敵組織のボスを倒し、父の仇を討ってハッピーエンド!……とはならないんですよね。
組織をひとつ壊滅させたところで社会全体を改善するにはとても足りないし、「父の仇を討つ」というパーソナルな目標を達成してそれでおわりということにはできない。だからこそ本作のラストシーンは、「やはり正義は貫かれなかった」からの「指導者としての道を歩み始める」なんですよね。
「これは始まりに過ぎない」エンドは基本的に歯切れが悪くて嫌いなんですが、本作のこのエンドは実際に始まりに過ぎないので説得力があるというか、インド社会が抱える問題の深さ、ひいてはその問題を解決しようとしているヴィジャイ氏の思慮の深さを見せつけられた気がします。簡単にハッピーエンドにはできないよな確かに。
次、2本目は続けてヴィジャイ氏の主演作!
カッティ(刃物)の異名を取る詐欺師・カディルには、建物の構造を設計図(ブループリント)のように想像・透視できる特殊能力がありました。コルカタの刑務所に投獄されていた彼はその能力を買われて脱獄犯の脱走ルートを追跡していましたが、その機に乗じて自身も脱走。
チェンナイに逃げたカディルはそのままバンコクへの高跳びを企てますが、空港で出会った女性・アンキタに一目惚れして突然脱走を中止してしまいます。そのままチェンナイにとどまったカディルはある夜、銃撃事件を目撃。襲撃されたトラックに乗っていた男・ジーヴァが偶然にも自分と瓜二つだったため、カディルは入れ替わりを企てます。見事ジーヴァと入れ替わったカディルは警察の追跡の手を逃れますが、今度は多国籍企業の手下に狙われます。
カディルが入れ替わったジーヴァは、地方の農民が直面していた水資源不足の問題を巡って企業と対立していた活動家だったのです。ジーヴァと入れ替わったことで農村が抱える問題を知ることになったカディルは、ジーヴァの活動を引き継ぐ形で企業との対決を決意します。
わたくし人形使いは例によって例のごとくポスターやトレーラー以外・以上の情報は遮断して本作を見たんですが、タイトルにある「刃物」は分かるとして「水道管」はどういう意味なんだ?と思って見てたんですがまさかそんな直球というかそのものを意味してるとは思いませんでした。
本作もやはり「タライヴァー」と同じように前半と後半で大きくその色を変える作品なんですが、その落差があまりにも激しい。
冒頭から序盤はかなりコメディタッチな展開で、ヴィジャイ氏のカッコイイだけではないコミカルさが楽しめます。特にアンキタに一目惚れしたあとのダンスシーンでの金属探知機に吸い込まれていくヴィジャイ氏とベルトコンベアから流れてくるヴィジャイ氏は絵面がかなりシュールで笑えました。あと金属探知機の映像で心臓がドキドキしてるのかわいい。
そして序盤で出番が終わりかと思ってたら最後まで、文字通り最後まで付き合ってくれるカディルの友人であるラヴィとのやりとりが終始コミカルで笑わせてくれました。
しかし、カディルが自分が入れ替わったジーヴァがどういう活動をしているかを知ってからの展開は前半との落差で、寒気がするほどのシリアスさというか切迫感がありました。
こうした入れ替わりものでは、入れ替わったもの同士がどのタイミングで出くわすか、入れ替わりが露見するのかが気になるところですが、本作では二人の入れ替わりが露見するのも入れ替わったふたりが直接出会うのも終盤。そしてジーヴァは終盤までカディルの代わりに刑務所に捕まっているのでカディルは入れ替わってから作品のほとんどラストまでをジーヴァとして過ごすわけです。
この構造が面白くて、当初ジーヴァを利用するだけして高跳びしようとしていたカディルは、入れ替わりのせいでジーヴァが行ってきた活動を否応なく追体験することになるんですね。これはそのまま「カディル=インド社会の農村が抱える問題を知らない我々観客が、ジーヴァの行ってきた活動を通してその問題を見せつけられる」という構図になっています。
カディルはジーヴァが出席するはずだった授賞式に賞金目当てで出席するんですが、そこではジーヴァのこれまでの活動、そしてインドの農村が抱える水資源不足という問題が発表されます。そこで初めてカディル=我々は自分の生活の外側でなにが起こっているのかを知ることになります。
インドの農村部では農業を行うための水源が、企業のコーラ工場のために浪費されており、村人たちは作物を育てるために遠く離れた井戸や川から水を運んでくるしかありません。それでも手に入るおはわずかなもので、さらに工場建設のために土地は買い叩かれ農業そのものができなくなることも珍しくはありません。そして最大の問題は、都市部に住んでいる富裕層どころか一般人もその問題に無関心なこと。ジーヴァはこれまでたくさんのメディアにこの問題を取り上げてくれるよう頼み込んできましたが、どこも門前払い。その理由というのが「話題にならないから」。要はニュースとしての価値がないからという理由からです。これは以前見た「バジュランギおじさんと、小さな迷子」でもまったく同じと言っていいシーンがありました。農村部の人々はこの無関心に殺され続けている。
そして誰も自分たちの窮状に注目してくれない、知ろうともしてくれない人々の耳目を集めるために村の老人が行ったのは集団自殺でした。
これをフィクションとして見ることはできませんでした。なぜなら死体が転がってからでないと表面化しない社会問題はそれこそこの日本という国でもあふれているから。さらに言うなら、自分の痛みや苦しみを無視されてないもののように扱われた結果、その苦しみを他人に理解させるための手段として自殺あるいは他殺を選ぶしかなかった人々は確実にいます。そして同時に、そうした自殺や他殺という命が失われる事件も、我々はモニターの向こうの出来事として消費している。いっとき心を痛めたとしても数分後には忘れているなんてことはザラでしょう。それこそ、そうしたニュースこそ我々にとってはフィクションなんです。
自分自身が誰かに、あるいはこの社会に自分の痛みや苦しみを理解してほしいと願って自殺もしくは他殺を行ったとしても、それで自分の痛みや苦しみが理解されることはないということはわかっているんです。なぜなら自分がそうだから。遠く離れた土地で知らない老人たちが数人自殺したところで、あるいは極東の島国の街の中で自分一人死んでみせたところで、あるいは誰かを数人殺してみせたところで、この世界が変わることはないということはわかりきっているんです。今、自分が自殺や他殺をしていない理由は「そんな事をしたところで誰も自分の痛みや苦しみをわかってくれない、世界が変わることなんてないことがわかりきっているから」という人は確実にいます。自分はそうです。
しかしカディルは違った。今まで身分を偽るだけだったカディルは、この授賞式で涙を流し、己の無知を恥じ、そしてジーヴァの活動を引き継ぐことを決意します。
不謹慎かもしれませんが、このシーンで集団自殺した老人たちが羨ましくて仕方なかった。自分自身の命を使った訴えを受け止めてくれる誰かがいたというのが羨ましくて仕方なかった。インド社会が抱える問題を大きなテーマとした映画は、しばしば希望の希求そのものです。そしてそういった作品はしばしば空疎な理想論に着地して終わりということがあるもの。
しかし本作は、ヴィジャイ氏は違います。フィクションの世界での救済だけに留まらずに実際の社会問題の解決のために動いている。というかむしろ彼にとってはフィクションの世界での救済は現実の社会問題の解決手段なんですよね。「救世主」なんて言葉を軽々に使うのはためらわれますが、人々の悲しみを受け止めてくれるというだけで彼はヒーローだと思います。
そして本作にはもうひとりヒーローがいます。カディルの友人であるラヴィ。
前述のとおり、彼は序盤でいなくなると思ってたら文字通り最後までカディルに付き合ってくれる友人でした。
そもそも終盤でカディルの正体が露見するまで彼がジーヴァと入れ替わっていることを知っているのはラヴィだけなんですよね。まあその終盤での正体が露見するきっかけとなったのも彼のやらかしなんですが……。
カディルは悪知恵が働くし腕っぷしも強いので彼ひとりですべての事態を何とかできそうなんですが、少なくとも老人ホーム襲撃のときとラストバトルはラヴィがいなかったら詰んでましたよね。そして老人ホーム襲撃のときにカディルの機転とラヴィの協力で行った「照明を落としてカディルがコインを投げ、その音がしたらラヴィが一瞬だけ照明を着けて消すのでその一瞬でカディルが敵を倒す」というシークエンスをラストバトルの絶体絶命の状況を切り抜けるために使うというのが実にニクい。
ラヴィは終始三枚目キャラとして描写されていますがそれがかえってカッコイイ。彼、「マガディーラ」のソロモンと同じポジションのキャラですよね。実においしいというか脇転び症候群(※注 どんな作品でも主人公ではなく脇役が好きになってしまう不治の病)罹患者には刺さるキャラだったと思います。
そして3本目、ガラッとノリを変えて痛快アクションエンターテイメント!
関心は持っていたものの公開当時は間に合わなくて見てなかったんですが、この度映画見逃しの民の救済の地であるサンサン劇場で上映されるということで見てきました。
経験豊富なスタントマンであるコルトは、撮影中の事故によって心身ともに傷つき撮影現場から遠ざかっていました。そのせいで映画監督を目指す恋人ジュディとも疎遠に。そんなおり、コルトはかつての撮影現場のプロデューサーであるゲイルから新作映画のスタントを依頼されます。渋るコルトでしたが、その新作映画の監督がジュディであることを知り、関係の修復を期待してしぶしぶ承諾することに。
しかしゲイルは、それにかこつけてもうひとつの仕事をコルトに押し付けます。それは、コルトがスタントを演じていた俳優であるトムの失踪事件の謎を追うことでした。コルトは業界に復帰できるのか? そしてジュディとの関係は修復できるのか!
本作はこのように「映画撮影の映画」という側面を持っており、「映画の中と外」という境界がある作品です。主人公であるコルトのスタントマンという立場は、その映画の中と外のちょうど中間に立っているポジションという気がしました。
スクリーンに映るのはあくまで俳優でありスタントマンはその危険極まりない仕事内容にかかわらず表には顔が出ず現場での地位も低い。そして一度事故が起これば再起も難しいというリスキーな職業です。しかし、コルトは自分が巻き込まれた事件をスタントの経験を活かして切り抜けていく。これもまたひとつの「虚構の力を持って現実を制する」という構造であると言えるでしょう。
それがもっともエンターテイメントとして結実しているのがラストバトル。失踪してたと思われてたトムは実は酒の勢いで殺人を犯しており姿をくらませていたのでした。そこでトムとゲイルはコルトに全ての罪を着せて事件を隠蔽しようとしていたのです。
しかしそのことをコルトとジュディに気づかれ証拠となる映像も奪われてしまったトムとゲイルはヘリで逃げようとするんですが、撮影スタッフによる現場の機器を駆使した反撃を受けて捕まってしまいます。
ここ、「映画の撮影現場という虚構を作り出す場(フィールド)」に「不都合を隠蔽しようとする悪人=現実」を引きずり込んで倒すという構図ですよ。この構図最高。
そもそも本作には、アクションエンターテイメントの邪魔にならない程度ではあるものの映画業界の抱える問題にも触れている点がいくつかありました。それは撮影現場における女性の立場の弱さであったりスタントマンの境遇の悪さであったり。そして今回の事件のような不都合なアクシデントの隠蔽も実際に起きていることでしょう。そういった点では本作もまた「タライヴァー」や「カッティ」と同じとも言えます。本作の事件の真相が世界の命運がかかった一大事件とかではなく「俳優の不祥事の隠蔽」だったというのも、やはり「現実を虚構の力で打ち倒す/打ち倒したい」という意図が込められてたんじゃないかと思います。
本作はそういった業界の抱える問題を折り込みつつも痛快アクションエンターテイメントとして楽しめるようにまとまっていたので、素直に楽しめる作品でした。エンドロールはメイキングだ!
……いやーだいぶ時間をかけて3本分の感想を書いてたらこんな時間ですよ。これから密度の濃い作品を複数本見たときの感想は分けて書いたほうがいいかもしれない。