「やーだーぁー!」
 子供の号泣が聞こえ、ハントレス達はうんざりとする者とおろおろとする者に分かれていた。珍しくにこがおろおろと心配している。所長が窘めるように子供の横についているが、アウターを掴んで投げ飛ばされないように踏ん張るのが精いっぱいのようだ。
 「なんだ、どうした」
 「あ、隊長」
 デルウハが食堂から本日の昼食を取り、その騒ぎに近付いた。本当は近付きたくなかったが、遠くからむつやみちの目線が刺さったので、やむなく立ち寄った次第である。いちこが振り返って説明してくれた。
 「さっきまでご機嫌だったんですけど、急に泣き出して…」
 「ああデルウハ殿。すみません、うるさくして」
 「もー泣き止んでよ」
 よみがうんざりとした顔で言う。所長はすまないと謝るが、その横で子供は火が付いたように号泣していた。子供用の椅子に固定され、手に何も持たずに泣いている。その手は何かを握っていたかのようで、指が丸まっていた。無害そうな手である。そして、単語を泣き叫ぶ。
 「ぱんー!」
 「パン?」
 「…先程までパンを食べてたんです。それを食べ終えたのですが…パンが無くなったと騒いでまして」
 食べたのに?
 「待て。聞くが、パンは食べたから無くなったんだよな? 誰かが盗った訳でもない、落とした訳でもなく」
 「そうです」
 「それなのに泣いてるのか?」
 「そうです…」
 所長は疲れ切ったような顔に微笑を浮かべていた。そうするしかないような諦観の笑みである。子供はパンを食べる行為と、自分の手元にパンが無い事が結びつかぬようで、まるで誰かに隠されたかのような被害者意識を持っているようである。デルウハは自分の為に情報を整理したのだが、かえってそれは子供の理不尽さを浮き彫りにした。
 「そうだ、じゃあお姉ちゃんのパンあげるね」
 みちが自分の食事のパンを小さく千切ると、咄嗟に子供に渡した。パンが手元にある。子供はパンをじっと見た。そして涙も鼻水も涎も垂れ流しにしている顔でしゃくりあげ、ぱんと呟く。
 「ね? パンあるでしょ?」
 みちのフォローでこの場は収まるかと思われた。だが次の瞬間、子供はパンを口に放り投げる。咀嚼し、飲み込んだ。食べるという行為をした。それは誰に強制されたわけでもなく、自分が目の前のパンにかじりついた。ただそれだけであった。そうすると当然、手元にはパンは無くなる。流石にこの一連の行動をすれば、”自分が食べたから”と”パンが無くなった”とが互いに響き合い、導き出されるはずである。子供といっても二歳程度である。日々学習し、言葉の発育とて悪くない。分かる筈だ。その期待を一身に受けた子供だが、くしゃっと顔を丸めた。
 「なくなったー! あぁあああ!」
 脱力である。この場にいた全員が気と力が抜けるのを感じた。今まさにイペリットが襲撃してきたら、果たしてこの士気で勝てるか分からぬ状況である。言葉が通じるのに、理論が通じない。それはすなわち、対話の放棄である。所長が泣き叫ぶ子供を抱き上げた。食堂では迷惑が掛かると思ったのだろう、片付けるべきトレーを片手に子供を片手に、人気のない場所に向かうようである。
 トレーの片付けくらい、手伝ってあげればよかった。そうその場にいたハントレス達は、後で気付いた。だが所長はあっという間に風のように去って行ったので咄嗟に手が出なかったのだ。
 「…マジ、子供ってあんなんなの…」
 よみがため息交じりにB定食のサンドイッチをかじる。彼女の食事を皮切りに、その場にいた全員も自分の食事を再開し始めた。あっという間にハンターの子供である九重(くのえ)の話で持ち切りだ。にこは家族に関して少々不安定なところがあるが、今日は珍しく子供について話に参加していた。気分の変化でもあったのかもしれない。あるいは、愛情でしか成り立たない子育てを目の当たりにして、少々考えが改まったのだろうか。にこはデルウハに尋ねようとして、止めた。
 「デルウハは子供育てた事……無さそう」
 「なんだ。無いがどうした」
 「いやあんたの子じゃなかったっけ?…だいたい、なんで所長が世話してんの?」
 よみが言う。確かにハントレスが最初にあの子供に出会った時、赤子は俺の子だとデルウハ自身が言った。デルウハが面倒見るのが筋だろう、と愛情不足の子供達はどことなくしらけた顔である。だがデルウハはこの状況と、個々の好感度はそこまで相互に影響し合わないと踏んでいた。良き父親像と、良き指揮官像は一致しなくても問題ない。ことさらデルウハには大義がある。
 「俺が子供抱えて、戦場行けるのか?」
 「それは、無理だけど」
 そうだ。無理である。刻一刻と状況が変化するイペリット戦において、赤子を背におぶって戦えるはずがない。砲弾も硝煙も飛び交う死を纏う戦地に、生命力あふれる子供の存在は相応しくないのだ。赤子を戦地に連れて行き、最低限の世話をするパフォーマンスはしてある。多忙な父親像と指揮官であるべきなのだ。子煩悩な父親になる必要はない。
 「所長しか空いてないんだよ。他に頼める研究員がいないと言ってた」
 「ふん。母親も面倒みないなんて薄情ね」
 「そうよ、だいたい誰が相手なのかにこ達知らない」
 またその話かとデルウハは思う。デルウハはα性である。この研究所には大半がβ性であり、ハントレスはα性だ。子供を産むのならΩ性になるが、その相手は所長だった。Ω性であることを長年コントロールして来たようだが、経年と共にヒートを起こした。その時の番となるべく性交渉した時の子供がくのえである。
 α性とΩ性については、ハントレス達も知識はあるようだがこの第三の性は非常に難解な部分がある。Ω性を巡って、α性が争う事も珍しくは無い。その争いを避けるためにデルウハが番となったのは、本能を超えた合理的な判断だけだった。Ω性について所長は内緒にしてもらいたいと言っていたし、Ω性だと分かると差別意識から立場が危うくなることもある。それがΩ性に強いられて来た社会的弱者としての立場だ。だからデルウハは相手が所長だとは言う事は無い。だから濁すだけだ。
 「どんなに健康でも出産は命懸けになる。…俺が言えるのはそこまでだ」 
 「死んじゃったの?」
 思わず聞いてしまったのか、にこは口を自分でふさいだ。さあな、とデルウハは意味ありげに呟く。演技ではあるが、嘘は言っていない。現に所長は子供を早い段階で手術で取り上げ、腹に傷を作った。開腹手術に成功しなければ、高齢者の出産になり命の危険はあったのだろう。リスクはつきまとうものだ。嘘は言っていない。だがデルウハに、これ以上聞くのは酷だと思われればそれでいいのだ。
 「俺だって面倒くらい見てる」
 「えーそうかな。だってデルウハがくのえをおぶってるの、見たことない」
 「今からやってきたら?」
 「そうだよ、たまには父親の背中ってのを体験させないとさぁ!」
 にこ、よみ、いつかが立て続けに言う。なんでそうなる? 疑問は湧くが、残念ながらイペリットの襲撃が無いためにデルウハはハントレスに押される形で所長室にやって来た。所長は泣き止ませたのか、だっこした背をぽんぽんと叩きながら驚いた顔をした。
 「わ、どうしたんです」
 「いや……」
 「デルウハが、くのえをおぶりたいんだって!」
 にこが代わりに言う。所長から見たデルウハの顔は明らかにそうは言っていなかった。面倒臭いと言う単語が頬に貼りついている。所長は苦笑いしながら、いちこに子供を預けるとおんぶ紐を出してきた。
 「おい」
 所長はデルウハの味方であるべきである。何せ共犯者なのだ。おまけに子供の共通の親で番である。それなのに何故、子供に同調する? デルウハの視線と目を合わせぬが、所長は小さく笑っているようだ。
 「たまにはおぶってあげてください。私も手が楽になります」
 「……」
 面倒くさい…。
 「ほらぁ!」
 ハントレスが見守る中、おんぶ紐がまたたく間にデルウハの体に回され、広い背中に小さな子供の体温が当たった。マジか…。
 「いいな」
 みちが羨ましそうに言う。代わって欲しいがそうもいかないのだろう。結局お気に入りのおもちゃも持たされて、デルウハは数時間ほど子供を背負って仕事をする羽目になったのだった。だが子供がいると皆生暖かい目で見ているし、大人は子供をあやしてくれたりするのでスムーズに事は運んだ。だが子供というバフが掛かった状態で、正当な交渉や指導が出来たのかは分からない。
 明日に諸々やり直そう。そうデルウハが誓っていると、隊長、隊長と子供が言う。
 「はいはい、なんだ」
 「おもちゃちょうだい」
 「どれだ」
 所長に持たされたのは五種類ほどである。そのうち一つ一つを背中に向かって見せてやり、子供が掴んだのが分かった。五種類もあるおかげで、デルウハは箱ごと持って歩かねばならなくなっている。あのデルウハが、威厳もなく子供をおぶりながら、おもちゃ箱を片手に研究所を歩き回る……。ハントレスは面白がって遠巻きに見つめているから、子供の変化に敏感であるようだし、うかつに子供の要求を放置することも出来ない。それに彼女らの視線を感じながら仕事をするのは、やりづらいことこの上なかった。
 「ちょ、あいがと」
 「どういたしまして」
 子供はデルウハに礼を言った。俺にはなんか素直なんだよな、とデルウハは思うがこれが毎日続くのはうんざりである。早く成長しねえかな。殺害のもっともらしい理由を付けられない幼子に、デルウハはため息を飲み込むのだった。所長室に戻ろう。子供をとっとと返すのだ。そう思い踵を返して戻ると、所長はにこにこと笑っている。
 「おかえりなさい。どうでした」
 「どうだった!?」
 所長室にハントレス達がなだれ込んでくる。一体どんな回答を期待されているのだろう、子供がいて嬉しかったと言うべきであろうしそれが求められているのだが、あくまでデルウハは簡素に答えた。良い父親像はそこまで作る気が無いからである。
 「ああ、くのえは大人しかったぞ」
 「何その感想!?」
 ハントレスがわいわいとデルウハを囲む。所長が子供を抱っこすると、その手はおもちゃを振り回していた。デルウハが渡したおもちゃである。
 「たまにはよろしくお願いしますね」
 ハントレスの手前、嫌な顔を出来ないのだろうか。頷いたデルウハの目線はひどくつめたく鋭かった。
カット
Latest / 88:26
カットモードOFF