もうその家の……ううん、女の子が知っている世界のどこにも、その子の居場所はありませんでした。自分が閉じこもっている部屋も、頭からかぶっている布団の中も、女の子の居場所じゃありませんでした。
神さまはもういちど、「こっちへ来ないかい」って言いました。女の子にはまだ神様の言う「こっち」がどこのことかはわかりませんでしたけど、この世界よりはましだろうなって、女の子は思いました。
女の子は神さまに聞きました。今までさらってきた女の子たちも、「そっち」に行ったの?って。神さまは悲しそうな顔でうなづきました。
「でも、だめだったんだ」恐ろしい妖怪で、自分のことを「わるい神さま」だというその神さまは、まるでお気に入りのおもちゃをなくした子どもみたいな顔をしてました。「今までさらってきたどの子も、だめだった。わたしが探してる子じゃなかった」神さまはそう言いました。
「でも……」神さまのはずなのにすがるような視線で女の子を見上げて、その神さまは言いました。「お前かもしれない。わたしがずっと探してたのは、お前かもしれない」って。
この世界のどこにも居場所がなくなって、意識もまともじゃなくなりかけてた女の子の耳に、その言葉ははっきり聞こえました。
女の子はふらふらと布団の中から、すっかりやせ細った手を伸ばしました。今、自分は死にかけていて、目の前にいる神さまはただの幻覚だっていう考えがぼんやりした頭の隅をかすめましたけど、もうそんなことはどうでもよくなってました。
「そっちに連れて行って」女の子はかすれてろくに聞こえない声で、それでもそう言いました。ここ以外の世界があるなら、ここ以外の世界に行けるなら、どこでもいい。そしてもういっそ、自分でなくなってしまってもいい。毎日心無い言葉にさらされて、家庭は崩壊して、学校ではいじめにあって誰も助けてはくれない。そんな自分でいたくない。
目の前の神さまは……うれしそうに笑いました。「やっぱりお前だった。ふさわしいのはお前だった」。神様はそう言ってけろけろと笑いました。
神さまは女の子が伸ばした手を取りました。なんだかもう、100万年くらいぶりに触れた気がする、他人の手でした。その手に導かれて、女の子は――「あっち」に行ってしまったんです。
警察の捜索はしばらく続きましたが、そのうち捜査は打ち切られました。そして、その女の子を最後に、その村でずっと起こっていた失踪事件はぴたりとなくなりました。母親は失踪してましたし、警察が踏み込んだときには酒浸りだった父親は死んでました。女の子の家は取り壊されて、そしてその村ではだんだん失踪事件のことも、最後にいなくなった女の子のこともだんだん忘れられていきました。
「――そして村ではそれを最後に失踪事件が起こることはなく、村には平和が戻ったのでした! ハッピーエンド!」
そう言って大げさに両手を広げて見せる早苗に、霊夢と魔理沙はしらけ顔。
霊夢、魔理沙、そして早苗の三人はいつものように博麗神社で昼間から飲み会を行っていたのでが、飲んでいるうちになぜか怪談をする流れになっていたのだった。
「いやお前、なんで怪談してたのに最後がハッピーエンドなんだよ」
「それに結局、その妖怪だか神さまだかって何者だったの?」
「おふたりともわかってませんねえ……」
霊夢と魔理沙の文句を涼しい顔で聞き流しつつ、早苗は得意顔で続ける。
「少なくとも、女の子はいちばんつらい世界から脱出することができたので彼女的にはハッピーなんですよ。それに、こういうお話の妖怪とか神さまとかは最後まで正体不明なのがいいんですって」
「そんなもんかね……」
「そうなんですって!」
魔理沙と早苗がそう言い合っていると、境内の方から声が聞こえた。
「おーい、早苗ー。ごはんだよー!」
「お、早苗、保護者が迎えに来たぜ」
そう言ってからかう魔理沙にあっかんべーをして、早苗は迎えに来た諏訪子といっしょに帰っていった。
陽が落ちる中、仲よさげに手を繋いで帰っていく早苗と諏訪子を羨ましそうに眺めている魔理沙に、霊夢は酒を注いだお猪口を押し付ける。
それをちびちびやりながら、魔理沙は霊夢に話しかけた。
「なあ霊夢、さっきの話」
「早苗のヨタ話がどうしたってのよ」
「あれ、ハッピーエンドなのか?」
「私に聞くんじゃないわよ。まあ、異変が起きなくなったってんならその点はハッピーなんじゃないの?」
「そうじゃなくてさ……」
魔理沙はお猪口を飲み干して続ける。
「早苗は、『女の子はいちばんつらい世界から脱出することができたからハッピーエンド』って言ってたけどさ、それってほんとにハッピーなのかな。いくらひどい目にあってたからって、自分がもといた世界を捨てるって、本当に幸福なことだったのか? それにその女の子は、結局元の世界じゃその子は忘れられちゃったんだろ?」
「さあね……」
霊夢はため息混じりに、そっけない口調で答えた。
「ハッピーかどうかなんてわかんないわよ。本人たちじゃなきゃ」
「……でね、霊夢さんったらほんとおかしくて!」
守矢神社への帰り道。早苗は諏訪子に博麗神社での出来事を楽しそうに話していた。隣で聞いている諏訪子も、楽しそうに頷きながら話を聞いている。
「早苗は、こっちの世界に来てほんとに楽しそうだね」
「はい! 友達もできたし、妖怪退治も面白いし……それに」
ちょっと照れたふうに笑って、早苗は続けた。
「なんてったって、諏訪子さまや神奈子さまといっしょにいられるんですから!」
「そうかい、そうだね……」
ちょっと照れたふうにそう返す諏訪子に、早苗はじゃれつくようにして抱きついた。背格好は諏訪子のほうが小さいが、早苗の表情は子どものように幼い。
「ほんと、こっちの世界に来てよかったなあ! あっちの世界は……」
そこまで口にした早苗の顔が、時間が止まったかのようにこわばった。その口から、「え……?」という声が漏れた。
「え……? え……? 『あっちの世界』って、なんのこと……? 私、なにを言って……?」
さっきまで無邪気に笑っていた早苗の顔色は青ざめている。歯をカチカチと震わせながら、早苗は隣りにいる諏訪子に恐怖に揺れる視線を向けた。
「[[rb:あなた > ・・・]]、[[rb:だれ > ・・]]?」
瞬間、地中から石でできた巨大なふたつの手が早苗を挟み込むように現れた。ばしん!という音とともに両手が合掌される。一拍遅れて、地面にじわりと血だまりが広がっていく。
「あーあ……」
ひとり残された諏訪子は嘆息した。その足元に血が幾筋も