グルーシャが学園の生徒とポケモン勝負を繰り広げているらしい。
アオイがそう耳にしたのはリーグ部の部室だった。特別講師として学園に招待したのがつい昨日。今日初めて講義をするのだと聞かされていたから、感触はどうだったのかと尋ねてみようとした矢先のことだった。
バトルをしている、というのも講義の一環なのかもしれない。シングルバトルなのか、学園の様式に則ったダブルバトルなのか。最高難度を誇るナッペ山のジムリーダーは、環境の異なるこの学園でどんなバトル運びをするのか。
アオイの足は自然と学園の青い廊下を蹴っていた。長い長い廊下を駆け、エレベーターに飛び乗った。乗っているあいだもまだ地上に着かないのかともどかしくて──
そうして逸る気持ちのまま前のめりでエントランスに出てみれば、バトルコートの周りには人だかりができていた。ただ、歓声は聞こえてきてもポケモンたちの姿は見えない。技を出しているなら、それ相応の音が聞こえてくるはずなのに。
もしかして、と戸惑いに立ちすくんでいると「アオイさん?」と声が聞こえてきた。
「あ、タロさん!」
「アオイさんもグルーシャさんたちのバトルを見に来たんですか? だったら少し遅かったかもしれませんね」
「遅かった?」
「つい先ほど終わっちゃったんですよ。とても白熱した、良い模擬戦でした」
ちょうどタロが言い終えると同時に、人垣となっていた学生たちがぱらぱらとはけていく。いくらかひらけた視界の中で、バトルコートの中央あたりにグルーシャと対戦相手らしかった女子生徒の姿を見つけた。
真剣な表情を浮かべる生徒はグルーシャの言葉に合わせて何度か頷いている。バトルの講評を受けているのかもしれない。
その様子をなんとはなしに見守っていると、タロは「でも、」と続けた。
「こんなに人が集まるバトルは久しぶりだった気がしますね」
「あれ? 普段はここまでじゃないんですか?」
アオイが首を傾げると、タロも「んー、そうですね」と同じように頭を傾けた。
「スタンド席まで行かなくても立ち見で見ることができるくらい、でしょうか。バトルは終わっちゃってましたが、アオイさん全然見えなかったでしょう?」
「そうなんです。でも、私が小さいせいかなって」
「背の高さだけじゃないですよ。わたしだって場所が場所なら見えなかったと思うので。やっぱりグルーシャさんのバトルを見たいって人が多かったんでしょうねー」
「特別講師が珍しいのかな……? それにグルーシャさんジムリーダーですし」
シアノ校長が言うには特別講師を外部から招くというのは学園初の試みであるらしい。ポケモン勝負に力を入れている学園の性質上、生徒たちの注目が集まるのも納得がいく話かもしれない。
アオイとタロが頷き合っていると「それもあるかもしれねーけどよ」とまた別の声が飛んでくる。
「あ、カキツバタもいたんだ」
「おいおい、オイラってばタロの真ん前にいただろぃ」
タロの冗談にカキツバタはわざとらしくうなだれている。気安いやり取りにアオイが思わず笑っていると、カキツバタもへらりと笑みを浮かべた。
「オイラのことは置いといて、さっきの話だけどよ? みょーに女子生徒が多かったと思わねーか?」
「女子生徒……そういえば、そうだったかも?」
アオイが再び首を傾げる。タロは思い至るところがあったらしく、わずかに表情を固くして考え込むようにして指を顎に触れさせた。
「……うーん、やっぱりなんだ」
「やっぱり?」
「たぶんですけど……グルーシャさんが女の子に人気って話でしょう? カキツバタ」
「さっすがタロでぃ。ご明察!」
カキツバタが軽快な拍手を打ち鳴らすと、タロは大きな瞳を鋭くさせて睨め付けた。胸の前で両腕を交差させて「バツ」の形を作る。
「そういうの良くないと思います!」
「オイラに言われてもなぁ。まあまあ、でもほら! あれを見てみろぃ」
カキツバタが「あれ」と評した先にあったのは、バトルコートの中で話し込んでいるグルーシャたちだった。未だ話は続いているようで、女子生徒も真面目な表情を浮かべて聞き入っている。
「クールな男前が生徒相手に真剣に話を聞かせている図ってーのはなかなか刺さるものらしーぜ?」
カキツバタが次に視線を移した先にいたのは、バトルコート横に残っている女子生徒たちの集団だった。誰を待ってそこにいるのかは、話の流れからアオイも理解できた。
「バトルした当人ではなく、周りの人たちが盛り上がっちゃってるって言いたいの?」
「顔は良いし、バトルは強い。ついでに熱心に指導をしてくれるときたもんだ。女子たちが放っておくわけねえって話だねぃ」
「なるほど……。そういえば、パルデアのジム戦でも観戦してる人は女の人が多かったような気がします」
アオイはジムチャレンジの時のことを思い出す。チルットのグッズらしきものを持っていた女の人たちは、思えばグルーシャのファンだったのかもしれない。彼の切り札はチルタリスだった。
カキツバタはしたり顔で頷いた。
「女子生徒の憧れの的。理想の王子様ってところだろーねぃ」
「理想って……。うーん、でも、確かに尊敬できる方ですよね、グルーシャさんって」
「尊敬?」
タロの言葉にアオイが瞳を瞬かせると、タロは人差し指を立てて頷いた。
「カキツバタが言うように、バトルが強くてこうやって真剣に指導までしてもらえて。お優しい方なのかなって思います」
「それは……そうかも。グルーシャさんのジムに行った時、いつもいろいろと心配してくれてましたし」
「心配、というと……?」
「ナッペ山っていう雪山にジムがあるんですけど、暖かい格好をしてとか、気をつけて下山してとか。言葉はぶっきらぼうなところはあるんですけど優しいなあって」
最初こそ叱られているのかもしれないと身を竦ませていたものだが、幾分かの関わりを経たことでその真意を突き止めることができた。呆れたような気配は存分に含ませてはいたものの、無知なアオイ自身を心配しているからこそかけられた言葉であったと。
「ほー。そいつぁなおさらキョーダイもほの字だねぃ」
感心したように頷くタロの隣で、カキツバタはにんまりと口角を上げた。
「ほの字?」
「惚れた腫れたの話さ、キョーダイ」
「惚れた腫れた……? ええ……?」
「おっと、キョーダイはまだそこらへんがわからなかったか。カマトトって感じでもねぇしなあ」
「もう、カキツバタ! アオイさんをからかわない!」
へいへい、と頭を掻くカキツバタにアオイは首を傾げる。
カキツバタといると、いつもこんな具合だった。彼の話は要領を得ないことが多いというか、アオイの理解が追いつかないというか。
ただ、タロの反応を見るにどうやら真面目な話をしているわけではないらしい。あまり気にしないことにして、もう一度グルーシャたちのほうに視線を向けた。
ちょうど話が終わったタイミングだったらしく、踵を返したらしいグルーシャと目が合った。マフラーに埋もれるような顔がわずかに傾く。
「アオイ? いたんだ」
「おっと、噂をすれば。王子様のご登場だねぃ」
「王子様?」
怪訝そうに眉を寄せたグルーシャにカキツバタは「なんでもないですよー」と言ってへらりと笑みを浮かべた。ため息を吐きながら、タロは「ごめんなさい、気にしないでください」と頭を下げる。
「……なんの話をしていたの」
そうなると、疑問の矛先を向けられるのはアオイだった。中身があったような、なかったような、そういう先ほどの話を思い返しながら「うーん……グルーシャさんは優しいって話、ですかね?」と苦笑しながら答える。
「ずいぶん含みのある言い方するね」
「そりゃあ、アオイの言い方だとだいぶん端折っちまってるからなあ」
「へえ」
ぜんぶ包み隠すな、と言わんばかりの視線を受け、アオイは助けを求めるようにタロを見上げた。
「グルーシャさん、カキツバタの言葉を間に受けないでください。ええっと……王子様って言葉はともかく、そしてアオイさんが言ったことも嘘じゃなくて。グルーシャさんの人気の理由をアオイさんから教えてもらっていたんです。ほら、すごく人が集まっていたでしょう?」
「ああ……講義の延長だったから、授業を受けてたクラスの子たちが大半だよ。どこからか聞きつけてきた他の生徒も観戦してたみたいだね」
グルーシャは頷いて、隠す様子もなくマフラーの内側でひとつ欠伸を漏らした。
「ぼく疲れたし、戻るから」
納得したのか面倒臭くなったのか。言葉通り本当に疲れたのかもしれない。グルーシャは「じゃあ」と手袋に包まれた手をひらりと振って歩いて行った。
◇
ブルーベリー学園での出来事から一週間。アオイはオレンジアカデミーに戻ってきていた。しばらく受けていなかった授業や課題に取り組み、テストに備えている日々の合間で、なぜかカキツバタの言葉が耳にこびりついて離れなかった。
カキツバタが含み笑いを浮かべながら告げた「理想の王子様」「惚れた腫れた」という言葉。
どうやら彼は、アオイ自身ではなく"グルーシャとの仲"をからかっていたらしい。アオイがその事実に気づいたのは、つい先ほどのことだった。
「惚れた腫れた、ねえ。それってまー、あんまり良い意味ではないかも?」
「からかわれてた感じはありましたねえ」
「そうそう、そんな感じ。人の恋路をちゃかすような、そんな意味かもー」
「こいじ……恋路!?」
ポケモンを見てもらうついでにミモザにブルーベリー学園でのことを聞いてもらっていたところ、その言葉の真相に行き着いた。
アオイもカキツバタの性格についてはある程度把握している。悪い人ではないものの、おちゃらけずにはいられない。タロから叱られている姿もよく見かけていた。
しかし、どうやら盛大な勘違いが生じていたのかもしれない。
「ご、誤解をとかなきゃ……!」
「まーまー、そんなに焦らなくても大丈夫。たぶんそいつ、本当にからかっているだけだから。事実なんでどうでも良いのよ」
「だってグルーシャでしょ?」とミモザは顔の横の髪を人差し指で弾いた。
「雰囲気はスノーボーダーの時代の感じしか知らないけどさー。イケメンでポケモン勝負も強くて? そして優しいってアオイが言うんなら、そりゃあからかいたくもなるよねって」
「……そういうものですか?」
「そういうもんなの」
ミモザのピンク色の唇が弧を描く。こころなし、声も弾んでいるように聞こえた。
「いいじゃん、理想の王子様。アオイもいつかさ、好きな人の理想を聞かれること出てくるよ。みんな恋バナ好きだからねー」
「グルーシャを思い浮かべとけばいいんじゃない?」と、ミモザはそう言ってアオイを保健室から送り出したのだった。
それからしばらくして、ミモザの予言は的中することになった。
ネモ、ペパー、ボタンからはそういった話を振られることはないものの、他の生徒から振られる「好きな人はいないの?」という話題。いないとアオイが首を振れば「じゃあアオイちゃんの理想ってどんな人?」と続けられるまでが一連の流れだった。
興味がないといえば嘘になる。しかし、これまで考えたことのなかったその手の話に苦戦する機会も増えてきた。加えて、カキツバタの言葉はアオイの頭の片隅に居座り続けていて、忘れることもできなかった。
つまりは──ミモザの助言通り、とりあえずグルーシャを思い浮かべることにしたのだ。
「ポケモン勝負が強くて、真面目で、優しい人」。その属性に当てはまる人物は存外に多いもので、しかも学園内でも有名なネモまでもを巻き込む羽目になるとは、その当時アオイは露ほども考えいていなかった。
「まさかそんなことになるなんて……」
「そりゃーそうなるだろうね」
呆れたミモザにはもっと具体的な部分を挙げるよう助言され、「かっこよくて、クールで、寒さに弱い人」という要素を付け加えるようになった。他にもっと具体的にするにはと、実際にグルーシャに会いに行き、バトルをし、会話する時間も増やしていった。そうして「実は可愛いもの好きで、負けず嫌いで、結果を重視する人」という内面的なものも挙げられるようになった。
「あんたって、なんでここに来るようになったの? たしか……ブルーベリー学園から帰ってきてからだよね」
「えーっと……グルーシャさん観察的な……?」
「意味わからないんだけど」
そうぼやきながらもグルーシャは何度も足を運ぶアオイを拒まなかった。
「ポケモン勝負が強くて、真面目で、優しくて、かっこよくて、クールで、寒さに弱くて、実は可愛いもの好きで、負けず嫌いで、結果を重視する人」。アオイの恋人の理想像の噂が流れついた先のことである。「それってグルーシャさ」「言わぬが花なんよ」「ネモちょっと惜しい」と、ひそかに攻防戦が繰り広げられているのをアオイは知らなかった。
そしてアオイ自身も「グルーシャさんが理想だと言えば良いのでは?」と首を傾げながら、それも悪くない案だと満更でもない自分を不思議に思いつつ、今日もナッペ山に足を運ぶ。
──理想の王子様が本当の王子様になるのはそれほど遠くない未来であることを、アオイとグルーシャだけは知らなかったのだった。