研究所には来客用の客室が備え付けられていて、その場所は所長しか知らないのだった。秘密の場所であった。研究所内部の詳細は省くが、来客用とあるだけあり防音性に優れ、壁と床は白に覆われている。用意されているベッドはまっしろで、サークル型。マットレスは沈む込むほどにやわらかく、横たわった途端に全身を包み込む。ベッドを覆うシーツは絹で光沢があり、肌に触れると勝手にさらさらと滑る。天井は所長室と同じく三メートルを超えるほどあり、円形の部屋は客人を包み込む巨大なうつわのようであり、圧迫感を与えない。壁にデルウハは触れてみたが、壁もふかふかとして手が中に沈み込んだ。
 「なんでこんなやわらかさを追求してるんだ?」
 「来賓に衝撃の一つも与えてはならないと、先代が作り上げたものです…もともとここは、公共施設ではなく私設ですので、来賓はVIPの方々が非常に多かったと聞いております…」
 「へえ」
 デルウハは興味が無いのか、沈み込む壁がずぶずぶと戻っていく様を確認した。踏んでいる床も同じくである。歩き辛くはないほど良い硬さだが、デルウハの体重分沈んでいる。転んでも問題はなさそうである。おまけにシャワー室まで完備されている。研究所内でもっとも金がかかっている場所に、二人はいた。
 「あの、使いますよね?」
 「使うが」
 「そうですよね…」
 所長はしおらしく尋ねるが、デルウハの即答に肩を落とす。二人は恋仲という訳ではない。肉体関係を持っているが、恋人ではない。ただデルウハの契約に付き合っている共犯者である。デルウハの性欲解消に付き合うと言うのが契約である。そこで適切な場所は無いかという問いに、所長が出してきた答えがそれだった。どっかりとベッドに腰掛けたデルウハが手で招き入れるのを見て、所長もため息をついてベッドに向かった。
 
 デルウハが目を覚ました時、体は最低限の物しか纏っていなかった。そこにおかしさはない。昨夜脱いだからである。だがいつもであれば、自室のベッドで眠っているはずが、ふかふかと柔らかいベッドの上であることがデルウハの血の気を引かせた。
 今何時だ?
 慌てて時計を確認しようにもこの部屋に時計は無いようである。恐らくVIPには御付きの者がいるであろうし、時間になれば誰かが起こしに来るのだろう。高位の人間達の面倒な習性により、デルウハは寝坊したのかと考えた。周囲を見渡していると、所長がベッドに沈みながらすやすやと寝入っている。思わず側頭部を叩いていた。
 「いた、いたい…」
 か弱い声を上げながら所長は起き上がる。だが青筋を立てているデルウハを見て、青ざめた。状況理解がどうやら早くて助かるが、寝坊した上二人同時に人前に出るのはいかがなものか。そもそもこの契約は、共犯関係自体は公表していない上に公表する気すらない。だからいつもは性交が終われば人目を避けて自室に戻るのが常だが、今日は贅を尽くしたベッドに眠気を与えられてしまったのか。ぱくぱくと口を動かした所長が、腕時計を探し始める。
 「ああ…ああ。寝坊…ですね…」
 「今何時だ」
 「八時です…」
 デルウハはハントレスの訓練に顔を出す時間帯で、所長は研究所にいる時間帯である。血の気が引いた。それどころではないが、血の気が引くとはこのことだ。デルウハはとにかくシャワーを浴びに走った。所長は慌ててデルウハに救いを求めるように手を伸ばしたが、その手はどうしようもなく伸びたままだった。
 着替えて何事もなかったかのように出るのは無理があった。だが幸いにもVIP部屋については所員も場所を知らない。隠し部屋になっており、密かに隠れながら研究所に向かうことは可能である。隠し部屋から出て、デルウハと所長が所内をうかがったところ、ちょっとした騒ぎになっていた。本来来るはずの人間が現れない、しかも最高責任者とイペリット討伐最高顧問である。その二人が雁首揃って朝から姿を見せないのだ。ハントレスも、研究所員もあわただしく探し回っていた。人々の困惑と焦りの渦中を、呑気に堂々と歩いていくべきか二人は顔を見合わせる。
 「デルウハ殿…あの…どうしましょう…」
 どうしましょうではない。ここで所長を突き出して、そのまま自分は別方向に向かいたいところだが、所員がうろうろしているため、デルウハが反対方向に回ることは出来ない。ハントレスも騒ぎ出している。そのうち見つかるのは時間の問題だ。どうしようではない。どうにかするにも、言い訳が極めて有用な物が必要である。二人同時に寝坊しても、問題が無いと思われる言い訳が必要だ。デルウハが思考を巡らせている横で、所長はおろおろとしながら前に出ようとした。デルウハはその手を咄嗟に掴む。情などではない。余計なことをするなという警告で、手首を強く掴んだのだ。だが手を掴んだ瞬間に、むつが指を差し、よみといつかが大声を上げて近付いてきた。デルウハは咄嗟に手を離した。手を掴んでいるところは彼女らの視界には入らなかったらしい。
 「あーいたいた!」
 「何やってんのよ! あ、所長もいるじゃん」
 所長の存在もつまびらやかになったところで、デルウハは思考を巡らせる。この研究所に来てからの初めての醜態、あるいは失態と呼べるべき愚行である。固いベッドに慣れていたはずだが、贅を尽くしたベッドは眠気をかく誘うものか。人類の研究成果に感心している場合ではない。デルウハは極めて平然としながら答えた。
 「悪いな。イペリット対策を朝まで話し合っていた」
 「え? 今ごろ?」
 いつかの疑問は真っ当である。
 「今ごろ話す事ある?」
 「俺の知ってるイペリット情報と、ここらのイペリットの目撃情報を洗い出してた。それで朝になったんで、軽く仮眠を取っててな」
 「へえ、なんだ。逃げ出したのかと思った」
 「俺が逃げ出してどうする。そしたら飯が食えんだろ」
 「それもそうか」
 よみが納得する。所長の不在も、デルウハの不在もハントレスには一大事である。所員にも同様だ。仮眠を取ったというのは嘘だが、それで睡眠不足なのだと前段階でアピールしておけば、不必要な詮索は避けられるだろう。所長は疲れた顔をしているし、いちこやにこ達も駆け寄って来た。よみが言う。
 「サボってたって」
 「なんでそうなるんだ…」
 「だって、所長と会議なんざいつもの事だけどさ。朝まで話す? どうせ寝坊したんじゃない」
 ストレートに寝坊したと言った方が良かったか? それなら信用問題に関わるものの、ハントレスの反応を見るに呆れている者が多いようで、その方が人間味があって良かったか。デルウハはその感触を探りながら、実は寝坊したという形に変更しようとした。所長と同じ場所にいるのは、ハントレス達は気にしていないようである。取り越し苦労だったかとハントレス達に呆れられながらも、デルウハが数歩踏み出した時だ。ふらり、と所長がその場に崩れ落ちた。
 「所長!?」
 ハントレスの声でデルウハも振り返る。柱の陰で青い顔をしてうずくまる所長に、デルウハはまずいと思った。
  何やってんだ! せっかく俺の寝坊でうやむやになってるのに、一緒にいた問題が……。
  …いや。所長が体調悪いの、俺のせいだな?
 デルウハの脳裏に、昨夜無理をさせた記憶がよぎる。だがデルウハはそれ以上は気にしなかった。今の問題を片付ける事が最重要だからだ。つまりここで所長が倒れて介抱したら、寝坊も一緒にいた問題もうやむやになる!
 「大丈夫か?! 寝不足だもんな」
 寝不足ではない。おそらく今ごろ下腹部のダメージが来ているのだろう、青い顔をしている。一晩眠っただけでは回復しないほどだから、だいぶ無理をさせた中で歩かせたのが悪かったのだろう。デルウハは介抱する顔ではない恐ろしい顔で、所長を覗き込む。ひ、と思わず息を呑まなかったのは、だいぶデルウハに慣れたからだろう。共犯者の恐ろしい顔は警告だ。
 「あ…申し訳ありません、デルウハ殿」
 「医務室に行くか? 昨夜のデータ、纏めてもらえると助かるが」
 「もちろんです。それは本日中に終わらせますので」
 いいぞ、話を合わせて来た。ハントレスも所長の様子を心配そうに窺っている。これは好感度を上げるのには申し分ないイベントである。
 「所長、大丈夫? いつもより顔青いけど」
 「いちこ、ありがとう。大丈夫、少し休めば治るよ」
 「本当に夜通し話し込んでたんだ…たまには二人もこどもっぽ~いことするのね?」
 くすくすとにこが笑う。だがそれで済むのなら安いものだ。一緒に柱から所内を窺っていたとか、デルウハが所長の手を握っていたとか、そういう不都合はきれいさっぱり忘れてくれ。あとの問題は体調不良の一大事で流れていくのだ。デルウハは納得して頷きそうになる。
 
 「でも、なんで手握ってたの?」
 むつがそう言い出すまでは、だった。面倒さの殺意がデルウハに湧き上がる。ここで目撃したハントレス達を殺せば、駆けよっては来ない所員に目撃はされるだろうが、いや見られるのはまずい!
 「ああ、それはさっきもふらついてたんだよ。心配してくれたんだろう? むつ」
 所長が青ざめながら笑顔をむつに見せる。彼女はふるふると首を振ったのを見て、デルウハはこれでなんとかと思った。
 「でも仮眠したんなら、自室でしょ。なんで一緒だったの?」
 所長室も探したのに、どこにもいなかったのよといちこが言う。やばい、デルウハが殺害してしまうかもしれないと所長は思ったが、デルウハはこともなげに答えた。
 「誰にも知られねー秘密の場所があるんだよ。お前らには教えない」
 「えー何それ!?」
 真実は嘘の中に混じると効果的である。あまりにもストレートな真実に所長は驚くが、かえってハントレス達は自然に受け入れたようだ。むしろ興味がそちらに移ったので、今二人が一緒である事を覚えている者は少ない。そのうちに興味が完全にそちらに移っていくのだろう。
 「さ、所長行くぞ」
 「ああ、はい…」
 デルウハにつけられたダメージなのにデルウハに腕を引かれてだが、医務室に向かうことにした。よかった、殺人が起きなくてと所長は胸を撫で下ろす。だがあのVIP室はもう使わないだろうなと考えた。
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9月25日分書くよ
初公開日: 2024年09月25日
最終更新日: 2024年10月01日
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