気が付いたら胸から甘い香りが口にまで立ち上った。無害な香水の瓶を一気飲みしたかのようである。その噯気にスミスは何故か吐き気よりも自身の変化を受け入れ、口を覆うように両手で覆いを作った。そこに夢中で吐いた息をうっとりと嗅ぐ。花の香りである。いやな青臭さなど微塵もない美しい色とりどりの花弁が頭の中に浮かぶ。胸、腹、喉、口、鼻、そして頭まで花で埋め尽くされたかのようである。スミスは生涯で花と言えば、墓前に供えた白百合のきつい甘い香りしか知らなかったのに、この変化はどうだろう。甘い花の瑞々しい香りが心地良い。本来なら恐ろしい変化であるはずなのに、この花の香りに陶然となっている向こうに、スミスは一人の人間を思い浮かべていた。イサミである。彼から花のにおいがしたことは一度だってない。どちらかといえば武骨な、男のにおいくらいしか分からない。それなのに花のにおいの向こうに、イサミがいる。スミスの脳が描き出す想像力では、イサミが花の香りに包まれていながら笑ってくれている。勝手な幻影を描いたものだと自身を否定したくとも、この花の香りに包まれていると幻覚を見るのだろうか。
スミスとイサミの公開ボクシングの顛末は、イサミの落水で終了した。イサミとのわだかまりは少々だが解かれたものの、笑顔を見せる事は無かったはずだ。いつも真顔で不愛想で、口を開けた笑みなどは見た事が無い。だがスミスの想像力の中では、口を開けて白い歯を見せて彼は目を細めて愛情に満ちた顔で笑うのだ。その顔を自然と勝手に思い描くのは何故であろう。スミスの胸に巣食う花の香りは続いている。だがふと恐ろしい想像が身を衝いた。ある心象の変化に気が付いたのだ。これが恋心と名を打たないのなら、なんであろう。急に香りから思い起こした高貴で美しい花弁が、萎れて枯れると同時に食虫植物のような姿に変わっていく。スミスの身を横断する花の香りは変わらないのに、甘い瑞々しさからなんだか虫を誘ういやらしく強いものへ印象が変わっていく。純粋な恋心を観測して満足していたのに、肉欲がよぎった瞬間、その身ともども汚らわしく感じてしまうかのような。心の純さに体が付いていかない。スミスは頭を抱えた。ルルがもうすぐ部屋に帰って来るはずだ。今日はミユとヒビキの元に彼女を置いてもらえないだろうか、その交渉をしなければならないのに体はむせ返るような花の香りを漂わせて、他人に害があるのではないかと考えると、急にスミスはこの体が怖くなった。二十四年間付き合ってきた体であるのに、このような変化は初めてだ。むせ返る花、花、花。そこに、ルルが重い扉を開けて戻って来た。
「スミス!」
いつものように無邪気に純真に、ルルはスミスに飛びついてくる。スミスもいつものようにルルを受け止めた。彼女はスミスの異変には気付かないようである。吐息がもしかしたら掛かったかもしれないのに、ルルはヒビキが、ミユがと楽しそうにこちらの異変には気付かずに話している。スミスは安堵した。だがこの香りはなんなのだろう、自分でしか感じないのであればニーナ中尉の診察を受けても無駄であろうか。どこまで手を煩わせていいのかも分からない。ただ浮かぶのは、花の香りに連動した見た事も無いはずのイサミの笑顔だけが脳裏に貼りついて、ルルと共に眠りにつこうとベッドに横たわるが、花の香りが口いっぱいに広がってなかなか寝付けやしなかった。
「スミスさん」
食堂で話しかけてくれるミユやヒビキは、いつも通り屈託のない顔である。その後ろにいるイサミも、笑みを見せることは無いが以前のような張り詰めた気は感じられない。少々腫れた顔はボクシングの名残である。イサミを見てスミスは苦笑いした。同じようにスミスの顔も腫れていることだろう。ボクシングの一件以来、イサミを取り囲む空気が一晩でやさしいものへと変貌したのをヒビキは感じていた、期待は過度ではなく寄り添うものなのだと分かった。それぞれ軍人としての矜持からすれば、イサミを持ち上げるのは楽をしたいからではない、世界を守る為に彼に生き残ってもらわねばならない希望だからである。希望があれば人間は強くなれるものだ。だから後に食らいついていくし、いざとなれば守ると決めた。それが生真面目なイサミとの齟齬を生んだのだろうが、それもあのボクシングでスミスが解きほぐしてくれた。スミスには感謝をしているので、積極的に話しかけるのもある。ヒビキが相席しようと手を招くのを、ルルがまず真っ先に向かう。スミスはと言えば、眉を下げて口元に笑みを作っているが逡巡し、取り繕うような顔をしていた。歩を進めてしまえばその先にはイサミがいる。昨夜花の香りを吐いた時に、イサミの幻影を見たばかりである。スミスからすれば独りよがりだが気まずいのであろう、だがその変化を知らぬ者には、スミスが心的な距離を空けていると考えるのが当然であろう。イサミは訝し気に小首を傾げるし、ヒビキは目を少し見開くが、すぐに気付かないふりをして呼び掛けた。
「どうしたの、おいでよ」
「あ、ああ。そうだな。お邪魔するよ」
スミスは屈託さを取り戻そうと、平静を心掛けて笑う。その顔を客観的に見たのならおかしい所はないだろう、あくまでスミスの主観ではだが、ヒビキ達はその前後の動きを見ているからこそ、瑣末な変化に気付いていても人間関係を円滑にするために見ないふりをした。多少の機嫌が悪い事だって人間にはあるのだ。ヒビキが気を利かせてイサミの横にスミスを誘導したが、その間にルルが割り込んだのでスミスは安堵のため息を思わずついてしまった。イサミは怪訝そうに横目でスミスを窺う。ルルはもう席について大口を開けて食事を始めているし、その世話をしなければとスミスがすぐにルルに目線を落としたので、イサミの変化には気付いていないようだ。イサミは不思議そうではあるが、ルルの世話に忙しいスミスの手を煩わせようとは思わず、自分もフォークに突き刺した肉を口に運んだ。
だが、その咀嚼と嚥下の一連の動作を、突き刺すような目線を感じてしまい、方角で言うのなら東南に顔を向ける。
「食べづらい」
「え? あ、ああすまない。いや、うまそうに食べるから、つい」
「腹減ってんなら、俺がルルを見てるから食べろよ」
「だ、大丈夫。今食べるから…」
ルルは言葉によるコミュニケーションが大分とれるようになったが、テーブルマナーなどはまだこれからである。フォークではなく素手で肉を掴むこともあるし、夢中になると散らかすように食べてしまう事もある。その為ナプキンやフォークの使い方などを見ている必要性は多少あるが、それでもルルも成長してきて、最近では落ち着いて食事が出来ているはずだ。だがスミスはルルに必要以上に構って、一向に食事を始めない。イサミはいつものスミスを知るからこそ、その喉を通らない食事に納得がいかなかった。スミスはすごすごとフォークで肉を口に運ぶ。咀嚼もそこそこに、あっという間に飲み干して、喉に詰まらせた。牛乳や水を渡して何とか飲み込んだのを見て、イサミはいよいよスミスに疑念を抱くようになる。
「お前、今日具合悪いんじゃ…」
「いや! いや別に! そこまでじゃないんだ、大丈夫!」
「だけどよ…変だぞお前」
イサミの一言に、スミスはうっと喉を詰まらせる。反論の余地が無いのである。スミスは大丈夫だよと笑って、そのまま食事を口に運んだ。今度はよく咀嚼し、イサミと目を合わさないようにしている。それならいいのだとイサミはそれ以上に心配し過ぎるのは止めた。それから暫く彼に避けられることになるとは思わなかったのだが。数日の間、挨拶をするもののイサミはすぐに目を背けられてしまう。ヒビキやミユには通常通りだ、ヒロなど米軍の仲間にも平静を保っている。だが、イサミに対してだけは異常なまでの拒否反応がある。互いにあったわだかまりや気遣いを、払拭すためのボクシングであったのに、あれからイサミとスミスの間には溝が深まるだけだ。言いたいことがあればはっきり言え。かつてイサミはそうスミスに言ったものだが、避けられているとなると聞き出すのも問いただすのも勇気が湧かずにいた。これ以上の心証を悪くして、関係が傷付くことを恐れている。イサミは、意図的にスミスとの縁を切りたい訳では無いのだ。そう考えれば慎重にならざるを得ないが、急にむかむかとしてきた。スミスがイサミの扉をこじ開けてきたボクシングであるが、その主催者であるスミスが何故かイサミに扉を閉じてしまったのだ。言いたいことがあるのならはっきり言え。もう片付けられたリングの辺りで、イサミはその日の晩スミスを呼び出すことにした。こうなれば全面的に互いに本音をぶつける他はこの気分がすっきりとするものはない。まるで果たし状のようなメモを書き連ねると、イサミはルルに言付けとメモを託した。彼女はちゃんとメモをスミスに渡してくれたようだ。暗闇でも分かる金の髪がやって来るのに、イサミは腕組みする。
「やあイサミ。何かな…?」
「言いたいことがあるならはっきり言えよ」
喧嘩腰のイサミにスミスは少々怯んだようだ。背が縮こまり、イサミの怒りを押しとどめるように手を前に出して制する。
「言いたい事なんてないよ。それは君を心配したけれど、今は伝える事なんて」
「嘘だ」
イサミは言い切る。ここ二日のスミスの行動は明らかにイサミを避けている。また、避けられない所では挙動不審である。同じ部隊のヒロの証言では、トレーニングに打ち込むが黒髪とすれ違うたびに過剰に反応しているとのこと。異常である。これでは何のためのあのボクシングを開催したのか分かった物ではない。ヒロも心配を重ねていたし、ヒビキ達も怪訝そうである。イサミが直接にこの事象を解決することを、水面下では求められていた。だからスミスを呼び出したのだ。周囲に人影はない。潮風の強い夜である。甲板に用がある者など殆どいない。そこでなら本音を話せるだろうとイサミが設定したのだが、スミスは及び腰である。
「嘘じゃない、イサミに嘘をついて何になるんだ」
「じゃあ、ここ最近のアンタの行動はなんだ。どうして俺を避ける」
「避けてるってわけじゃ…」
そう言い淀みながら、スミスとて自覚が無いと己に嘘をつくつもりはない。だがそれは噎せ返るような花の香りが未だに続いている事と、その花の向こうにイサミの穏やかな顔を思い浮かべる事。そして花に誘われたせいか、淡い恋情をイサミに抱いている事を自覚している事。これらの事象がここ二日の出来事である。年齢相応に抱くのには純粋な恋情に、戸惑っているというのがスミスの本音だ。この恋情が花と同様に美しいままで留めておきたい。だが一歩間違えれば、若い肉体は淫蕩へ転がり落ちてしまう。だからイサミになるたけ接触を図らずに、肉欲への材料を得る事を拒んだのだ。それが結果的にイサミへの忌避に見えたのだろう。違うんだという弁明は、軽々しいものだろう。だがこの恋情を当人にどう説明すればいいというのだ。スミスは言葉を選び、選びに選んでいる間に急に噎せた。唐突に胃液がせり上がったような激しく乱れる呼吸音に、イサミは心配そうに近付こうとする。だがそれを手で制した時、スミスの口から吐き出されるものがあった。
「ごほ…ッ!」
はなびらである。赤い花に先端が黒く染まっている、珍しい柄だ。どこに詰めていたのだと思えるほどに花弁は噎せるたびに、スミスの口から漏れて空中に美しくひらひらと舞っていく。明りの少ない場所で、赤い花弁が舞う、舞う、舞う。
「花吐き病…?」
イサミが思わず口をついた言葉は日本語だったが、スミスは驚いたようにイサミを見た。その時久しぶりに互いの目を覗き込むように見つめ合う。驚きに満ちたイサミの瞳に、スミスの瞳は同じように驚きに満ちていた。どうして分かったのだろうという疑問である。そこにのんびりとしたヒビキの声が背後から聞こえた。
「イサミ、何してんの…? あ、スミスも」
「ヒビキ、下がれ!」
「え」
イサミの鋭い声に、ヒビキは咄嗟に近付いていた足を止める。スミスはまだ花を吐き続けている。遠目でも分かる花びらが舞う様子を見て、ヒビキも顔色を変えた。花弁は潮風に舞って美しい。だが花吐き病は完治方法の無い病である。その花に触れると感染する。高い感染力を持つ奇病だ。
「え、え、なんで…? これって日本だけの病気じゃなかった?」
「頼む、サタケ隊長に報告とコワルスキー中尉を呼んでくれ」
「分かった、待ってて!」
ヒビキが急いで駆ける音を聞きながら、イサミはブーツ越しに花弁を踏みながら空中を舞う花びらが落ち着いたのを見て、ゆっくりとスミスに近付いた。スミスは花を吐き続けながら、今度は宙に舞わないように身をかがめ、自分の腹の辺りに花が固まるように必死である。だがイサミが近付いて来たのが分かって、余計に噎せこんだ。
「いさ、み、だめだ」
噎せこみが激しくなる。スミスの身から溢れるかのように花びらが、まるで血のようにスミスの半身に付いていた。唯一無事なのは丸めている背中ぐらいである。イサミはスミスの背中をさすってやる。トリコロールと書かれた青いTシャツである。その背に溢れんばかりの強靭な背が、今は噎せるために無防備に丸まって、必死に花を吐き出していた。背をさする。イサミが触れば触るほど、無垢な恋心は溢れるようで止まらなかった。
「アオ三尉! 離れて!」
ブローを持った防護服の医療班がライトを向けて来て、イサミは咄嗟に目を細めた。その時、頬の横をかすめたのは、スミスが吐いたばかりの花びらだった。
「触った!?」
「いえ」
「そう、でも危険だから離れて! 今すぐによ」
ニーナの的確な指示が事前に飛んだのだろう、ジョシュアがブローで触れることなく花を一箇所に集める。他の面々は落ち葉をかき集める道具を手にし、まるで落ち葉掃除でもするかのように甲板に広がる花をかき集めた。イサミはブローで出来た花の無い道を歩き、ゆっくりとスミスと距離を置く。その代わりに防護服の人間がスミスを取り囲む。イサミが遠ざかる折、目が合ったスミスが悲し気な目をしたのが遠目にも分かった。あれではまるで囚われの猛獣のごときである。イサミは同情しながらも、スミスの挙動不審がこの病のせいであったのだろうと納得するものの、一体誰が花吐き病の原因なのだろうと考える。自分か?
まさか、まさかだとイサミはその考えを咄嗟に振り払った。スミスが自分を避けたのも、自分の目の前で花を吐き出したのも…落ち着けそれは自分でしか見ていない世界の都合のいい考えだ。自分であるはずがない。そんなわけがないとイサミは言い聞かせて、スミスが防護服の人々に取り囲まれていくのを見送った。
花吐き病に治療法はない。ヒアリングを行うにも、この病の特徴を分かっていればセンシティヴな情報である。片思いするティーンに多い病だと思われているが、ニーナ中尉によると発症例は男女年齢問わずに多いという。これは集団組織において致命的な病である。感染が続けば組織として、特段軍属の者達の手を止める可能性がある。スミスの病も、個人的な思い煩いと片付けるのにはこの集団はあまりに近すぎる。ミッドウェーの空軍基地に輸送されることが速やかに決まった。空母内の感染拡大を恐れた為である。幸いにも輸送に問題はない。残った問題はルルである。だがルルが面白がって花を触っても、その後患いを持たない天真爛漫な少女は観測できる中で花を一度も吐かなかった。申し訳ないがスミスと共同生活を送る身であれば同時に隔離である。防護服越しにプラムマンからその空輸の日付を告げられ、スミスはひどく意気消沈はしなかった。分かりましたとただ答えるだけだ。そして息をするたびに噎せて花を吐き出す。花の香りはもうスミスの内臓を全て侵食していた。だから噎せるのだ。
「ヤングマリーン。治療法が見つかる可能性もある。希望を捨てるな」
「お気遣いありがとうございます、上級曹長」
そんな言葉は何の慰めになったのだろう。花吐き病は恐ろしい感染性を持つが、あくまでも個人の裁量で対処が出来る病である。隔離もその完治法である告白も、個人でなんとでもなる。この病を患ってから引きこもり、最悪命を絶ったと聞くのは皆情緒が安定しないティーンだからこそ起きる悲劇だ。20年を生きる成人がその病如きで拘束されるのは馬鹿らしいが、今はATFにとって日本奪還作戦の為に大事な時期である。ここで兵士が皆花を吐くようにさせるわけにはいかないのだ。その司令部の考えなど、スミス個人の立場でも手に取るように分かる。もし自分がキング司令の立場であれば、隔離を命じた。そう己に言い聞かせても、急激にこの花の香りですべての道が閉ざされた気がして、スミスは舌打ちした。
「…Dammit…!」
スミスの吐いた花は当然空母の中に入れるわけにもいかないから、甲板に特別に作られたコンテナの中に入れられた。花弁は袋に入れたままで、誰も近付かぬように勧告を受けているので周囲は静かだ。だがそのコンテナに夜半に近付く者がいた。サタケである。赤い花は甘い香りを強く放っていて、まるで虫が蜜の香りを誤認して引き寄せられるような足取りである。迷いもなく花に近付き、急ごしらえで扉がないコンテナからこぼれ落ちた花びらを一枚、地に落ちていたそれを手に取る。
「サタケ!」
叱責のような声にサタケは思わず背筋を正し、花を手放した。その為、花びらが一枚ひらひらと舞いながら空母から海へと落ちていく。この花に触れて影響があるのは人間だけだが、海洋生物に影響が出ないのだろうか、もし人魚が伝説に終わらずに生きているのなら、彼らはこの花に触れて大量の花を吐くのだろうか。そんな事を瞬時に考えたサタケに近付いて来た声の主は、カワダ海将補だった。
「何をしている」
彼は険しい顔をしている。指揮官としてTS部隊を率いるサタケの蛮行に、目をつぶるわけにはいかないのだろう。喫煙所に珍しく寄った帰り、足音が聞こえて胸騒ぎに従ってみたら、サタケが花びらを掴んでいた。その瞬間を見てしまったのだ。カワダからすれば感染の危険性をまさかサタケが認識していないとは思わなかった。だから咎めないわけにはいかないだろう。
「花に触れたな?」
カワダの問いに、サタケははいとだけ返す。カワダは言い逃れも言い訳もしない性根は嫌いではないが、何故触ったのだと咎める言葉を呑み込んだ。この事態において叱咤は何の意味を成さない。ただ怒りのままにサタケを怒鳴りつけて、病が改善するのであれば幾らでも怒鳴るだろう。そういった不出来な事はしたくない性質なのだ、だからキングに報告を上げる。君も隔離を覚悟しておきなさいとだけ告げて、カワダはサタケに背を向けた。行動原理については何も尋ねなかった。その計らいにサタケは深々と頭を下げる。カワダは背の向こうで直立不動で最敬礼するサタケの存在を感じながら、花びらがふと目の前を舞ったのに気が付いた。赤い花びらが先端になるにつれて黒くなっていく。あまり見たことのない花びらが、頬を掠めた。
「どうして貴方まで」
防護服を着込んだプラムマンが訝し気にする横で、サタケは花を咳込んでいた。カワダの報告が迅速であったためにサタケは部屋に隔離となり、その花びらに触れた事は不慮の事故だとカワダは言い訳してくれたようである。早急にコンテナの扉を求められ、その日中に扉と鍵が付けられた。スミスの輸送がその為、遅れることになった。サタケも併せて送る為である。指揮官の不在にヒビキ達の不安は士官たちに伝播し、各々が一層花に近付かなくなった。抑止力にはなったが、部隊としては致命的だ。そのような行動を取る必要性はない、サタケが最もそれを分かっているのだが、あの花につられたのは断じて好奇心ではなかった。花につられたのだ。蜜を求める虫のようであった。そして自分の中にある僅かな物が、形になるのか確かめたかった。それはサタケの胸に巣食うわずかなわずかな恋情のような物だった。
「うっかりしてたんだよ」
その恋情を抱く相手にサタケは嘘を吐く。すると罰かのように噎せ込み、美しい花を吐き出した。紫のグラデーションが美しい大輪の花だ。牡丹のように花が十重二重になっているのに、その色は紫である。薄い可憐な花弁を吐き出す事もあるが、サタケは今手折ったばかりのように花のまま吐き出す事もあった。その質量がサタケを苦しめると考え、噎せる彼の背をプラムマンは撫でる。防護服越しだが、心配そうなグレーの瞳と目が合う。皺が寄った目元の周囲は乾いた皮膚なのに、光を吸い込んだきらきらとしたプラムマンの瞳は、いつもサタケ以外を見つめている。そうサタケは認識している。その瞳を独占できればと罰当たりな事を望んだのは、十数年前の合同演習で対峙した時だったろう。まだ互いに若かった時だ。鋭いそのグレーの色に心どころか背まで射抜かれた気分になった。開いた穴はちりちりと広がっていた。埋めても塞いでも見ようと試みるが、ぬかるみ色の穴は彼でしか埋まらないのだと知った時、憎らしく恨めしく思った。まだ何の思いも伝えていない段階であるのに、勝手に自分の中でプラムマンを愛し憎らしと思うのにはあまりにも勝手で、若いからこそ出来た心の蛮行である。その影を引きずりながら日常を過ごし、ようやくこの年まで来たのに、この合同演習で再会すると誰が思うだろう。穴が、また開いてしまった。大切な物だと分かりながら泣きながらその思いを遠くの穴に投げ込んで、もう忘れた気になっていたはずであった。サタケは何も投げ込んでいなかった。その思いはまだ手の中にあったのだ。サタケはもう一度、虚空に手の中の物を叩きつけた。
未だにある事を認めたくなかった。だから、花吐き病に触れてしまえばその思いが消えたか分かるはずだと思ったのだ。第三者からの公平なジャッジであるとなるはずだった。結果は、花を吐くサタケの敗北である。おかげでまだプラムマンへの思いが断ち切れていないばかりか、このままではTSにも乗れず司令部にも戻れない。ミッドウェーで休養とは名ばかりの隔離を命じられるだけだ。日本奪還作戦にすら参加できない可能性がある。こんな不自由な心を抱いたままならば、いっそこの手足を再起不能にまで折ってくれないだろうか。それを頼めば、目の前のプラムマンは優しい瞳で折ってくれるのだろうという確信と、絶対にしないという安堵感がある。憎からずと思っている彼に、若い時分はどうして何も我儘らしい事を言わなかったのだろう。国境を超える事が不可能で、互いの仕事への矜持が捨てられなくて、誰かを支える事などが出会った頃は難しかった。プラムマンと一度だけ体を重ねる事を出来た夜に追いすがって、これからも生きて、その残穢をすすって哀しみの中を生きていくのだ。その覚悟が今、この年齢になって揺らいでいる。目の前に現れたのだから。
「これは、自殺率が非常に高い病らしい」
「しっかりしてください、サタケ二佐」
「殺してくれと頼めば、君はしてくれるのかな」
プラムマンは何も答えずに首を横に振った。そうか、とサタケが弱弱しい笑みを見せるも、何もそれ以上は言わずに彼は見舞いを終了させる。
「おひとりで考える時間も必要でしょう。…憎しと思うのならば、どうぞ存分に」
プラムマンにはサタケの考える事に見通しが付いているのだろう。ああなんて狡い男だろう。互いに抱いている物があるのに、その形は不思議と奇妙なまでに一致しているのに、”何か”が邪魔をして互いにほうり投げている状態なのだ。だから苦しいんじゃないか、とサタケは瞳に涙が滲むのを感じた。こんなことは久しぶりである。心の中のやわらかい部分をちくちくと刺されている気分だ。
カワダが、自身の手の甲を噛みちぎらんとばかりに押し付けているのは異常な光景だった。空腹を満たしたいのか。あるいは痒さでも極限になったのか、その奇行へのあらゆる可能性は考えられるが、キングとハイデマリーの頭に浮かんだのは一つだけだ。咳を我慢しているのである。
「イサオ!」
ハイデマリーが肩を掴んだ瞬間、カワダは彼女を押しのける。その瞬間、生理的な衝動が喉を登り、むずがゆさが一気に食道から口へ駆け抜ける! げほ、げほげほげほ! カワダが噎せ込むと可憐な小さく細かい花びらが口から溢れた。蒲公英だろうか、あるいはシロツメクサか、細かく小さな花弁が無数に構成しているものが、ばらばらとカワダの口からこぼれて、溢れた。だがその色は海のように深い青である。まるでインクを吸わせたかのような目の覚める青だ。海軍として見るであろう遮るもののない海の色である。その細かい小さな花が舞うのを、近付けもせずに周囲は取り巻いている。噎せ込み、涙が目に浮かんだカワダとまず目が合ったのはキングだった。悔しげにカワダの顔が歪む。
「こんな、馬鹿な…」
「…軍医殿に連絡を」
ぜえぜえと噎せ込みながら、カワダはその場から一歩も動けないでいた。それが逃げ場の少ない司令部で邪魔にならない一つの方法だからだ。日本への移動中で良かった。否、貴重な戦力が失われることに悔やまない者はいなかった。当人達が最も悔やんでならないところであろう。たかが心の片隅に残る恋情ごときで、高い感染力を持つ無差別的な病を発症してしまっては、組織に迷惑が掛かる上に己の戦力外通告が何よりも苦しかった。カワダは胸を必死に掴む。その手や顔は苦しみに満ちていた。
「どうして…どうして私に…」
「イサオ。落ち着け、大丈夫だ」
キングは遠巻きからそう声を掛ける。そう言う他無かった。だが、優しい言葉と裏腹にミッドウェーに隔離する他無いのだ。カワダの隔離も速やかに決定された。噛んだ手の甲には血が滲んでおり、その痛々しさに拍車をかける。誰がこの病になりたくてなったのだろう。この苦しい思いが残るくらいなら、もう心なんて無い方が良いぐらいだ!
空輸は速やかに、対象者が防護服を着込むことで移動中の感染拡大は防いだ。だがミッドウェーに専用の軍医を派遣するわけにもいかず、あくまで隔離措置だ。広くはない空軍が待機する基地の中で、まず運ばれたスミスとサタケは隔離を命じられ、接触禁止が設けられた。可能であれば感染者同士であれば良い。だがそれも軍医の許可が必要である。オンライン診療を受ける手筈ですべては整えられていた。不慮の事態に即座に対応できる処置は取られている。本来であれば健康体の二人なのだ、感染源となる花を撒き散らすほかは。だから精神的ケアが必要だろうと思われたが対処療法しか分からぬ治療に割いている人員はなく、二人はただ隔離を命じられただけになった。カワダの空輸の段取りは指揮系統に携わる為に少々手間取り、まずは二人だけだ。
スミスはミッドウェー諸島をめぐる事もあまり許されず、毎日部屋に閉じこもり、窓から外を眺めるだけになった。空軍が基地として体裁を整えていく手腕と、人間を恐れぬ野生動物の様子を眺めている。ルルは特例で毎日外に出ていたが、そんな無邪気な彼女をよそにスミスの体内から排出される花は増えていく一方だった。花が限界まで詰まった袋が、焼却処分も出来ずに倉庫に溜まっていく。それらを海にばらまいてはダメなのかと言う提案は当然のように司令部の中から出たが、海洋生物への影響が分からぬ以上誰が責任を持って撒けるのかと議論は難航した。万が一空母に貼りついた花弁をどう取り除くかという観点から、空母から持ち込まれた花弁は、毎日スミス自身がミッドウェーで燃やす事になっている。それはサタケも同様だ。毎日少しずつ焚火を起こし、そこに水気を含んだ花弁を大量に覆いかぶせる。まるで花の蒸し焼きかのような香りが漂って、それは空軍基地にも届いていた。この花の香りは人の心を狂わせるのだろうか、何名かが花の香りを追う事故が起きかけた。不思議とルルにはまったく感じないらしく、いつも焚火に飽きるとどこかへ走り回っていく。スミスの居住場所と区画は違うものの、サタケも同じように花を燃やす生業に集中していた。煙が二つ上がるのだ。ミッドウェーは全島が本来は野生動物の保護区である。炎が上がるのであれば空軍か、スミスかサタケしかない。 この日、スミスは苛立ったように焚火に花弁の塊を叩きつけた。ルルはいなかった。空母で回収されたその花弁は乾いており着火剤になったようで、炎が一気に湧き上がる。酸素を求めて身をくねらせ、天へ上る炎の様子を見ていると、スミスはヒーローになれなかった事を思い出した。
選ばれたのはイサミ・アオだった。圧倒的な操縦スキルを持ち合わせた日本の自衛官、生真面目でにこりとも笑わなくて、それでも誰よりも真っ直ぐで強い。彼でなければならなかったのは十二分に理解した上で、ほんの少しの妬ましさが顔を出す。それがスミスの心境をかき乱し、冷静な思考を削いできた。そうやってかき乱すのに、イサミの魅力はここに語るに余りある。ボクシングで拳を交えたからこそ分かった魅力は天性のもので、自分の中にたちまちに鎮座した。それがこの恋情を呼び起こしたのだ。ああクソ、イサミ。イサミだ。イサミに会いたい。
「スミス」
願いが通じたのか、スミスは顔を上げた。ヘリの音が遠くに聞こえた気がした。
「い、イサミ…?」
「ああ」
焚火に浮き上がったのはスミスが求めていたイサミ・アオだ。まさかついにこの病が幻覚を齎したのかと目をしばたたかせるものの、イサミは消えない。それどころかスミスに段々と近付いてくるのだ。
「ま、待て待て待て。君がなんでここにいるとか、それは置いとくけど」
「なんだよ。わざわざ会いに来たっていうのに」
「どうして来たんだ。俺に会うと病気が…あ、カーネル・サタケに会いに来たとか」
「違う。お前だよ、ルイス・スミス。お前に会いに来た」
スミスは餌を求める金魚のように口を開いては閉じた。イサミの言葉が信じられなかったのもある。何故かを考える前に、イサミは目前に迫っていた。だがこれ以上の距離を詰めると花弁に触れる可能性もあるし、何よりスミスの吐き気が今抑えられない所まで来ている。だがその前に咳込んだのは、イサミだった。目の前に白と黄色の花びらが散った。炎のぱちぱちという音がする。そこで野生動物と触れ合ってきたルルが、戻って来た。
「あーイサミだぁ!」
ルルも退屈していたのか、嬉しそうにそう言う。だがスミスは思わずイサミに飛びついた彼女の肩を掴むと、屈みこんで話しかけた。
「ルル、すまない。今は俺の言う事を聞いてくれ」
「がぴ?」
「ちょっとの間二人きりにさせてくれないか。ルル、ベッドに入っててくれ」
「うー。分かった、ごーとぅーべっど!」
そう言うが早いかルルは居住区に駆ける。だがすぐに彼女は振り返った。
「すぱるかいざー見ていい?」
「いいよ!」
その言葉を聞いたからか、ルルは勢いよく居住区に駆け出していく。ようやく二人きりになったところで、スミスは既に咳込まずに立っているイサミに近付くと、花弁を拾い上げた。美しい色合いだ。まるで光に向かって行くかのような、天使の輪のような色合いである。これがイサミの口から出て来たのだ。考えられる原因は一つしかなかった。
「イサミ。まさか君まで」
「ああ。感染している」
「なんてことだ。これじゃ君はブレイバーンに…いやでも、ブレイバーンのコックピットならきっと誰にも迷惑を掛けないだろうか…?」
「咳込むから迷惑だな」
「ああ…」
スミスは項垂れる。イサミにだけは迷惑を掛けたくなかったのが本音だ。ヒーローの足を引っ張るなんて、まるで自分は役立たずじゃないか。焚火の為に持って来た椅子に座りながら自責するスミスに、イサミは屈むとその顔をわざわざ覗き込んだ。
「イサミ?」
「俺は感染したが…なんでここに来たと思う?」
「ミッドウェーに隔離されたから…?」
「違う。俺はまだ、ブレイバーンにしかこの事を打ち明けていない」
「…何だって?」
「俺は、お前に会いに来た」
イサミの言葉に、スミスは唐突に湧き上がるものを感じた。唐突な喜びのようなものだ。
「サタケ二佐」
プラムマンの声に、柳の下の幽霊を見たかのようにサタケは大仰に体を震わせる。焚火をくべていただけのサタケの前に、防護服も何も着ていないプラムマンが現れたのだ。幻覚を疑ったが、足音がする。まるでそこにいるかのように気配を感じる。だからサタケは口をただ動かす事しか出来なかった。
「どうして」
「貴方に会いに」
「防護服を着たまえ、これは上官命令だ」
「私の独断で来ておりますので、生憎持ち合わせがありません」
「嘘だ」
任務がある身でミッドウェーに隔離命令が出ている人間に会いに来られるはずがない。上層部に話を通してきているはずだ、それならば防護服を持ち合わせない理由にならない。そう頭で考えるも、逃げようとしてもプラムマンは無遠慮にサタケとの距離を縮めていく。
「待て、待ってくれ。君に感染させたくない」
「ほう? ご自身はわざと触ったのにですか?」
「カワダ海将補に聞いたのか」
サタケはカワダを恨まなかった。それは事情を知る者として当然の行動であろう。むしろプラムマンに漏らしたのならば良かったと思った。その不適切な行為はプラムマンへの怒りを買うのではないかという事に冷や冷やした。案の定、プラムマンは少々目を細めながら地を這うサタケを見下ろす。
「貴方の行動は理解しがたいが、それも理解しようと努めました」
「理解は出来たかい」
「ええ。多少は」
サタケは立ち上がった。これ以上進めば野生動物の居住区である。夜の島で、松明を持たずに森に入り込む勇気は無い。だからプラムマンが距離を詰めるのに逃げられないと観念し、その場で大きな息を吐く。新兵の時のように怒鳴りつけられる事を覚悟したのだ。だがプラムマンはサタケに近付くと、片膝をついてサタケのズボンをはたいた。土や草が付いていたのだ。その世話焼きが終わると、サタケの手をプラムマンはぱっと勢いよく取る。だがすぐに恭しく、大切な物を扱うように指で支えた。
「もう逃げるのはやめましょう。貴方を愛しています」
「…遅い」
サタケの意思ではなく、涙が頬を一筋垂れる。心のどこかに諦めた思いが、昇華されて天へと登った。半身が如き感情に別れを告げるための涙である。決してプラムマンの告白に感動したからではない! そう頭の中で告げているのに、口から出る言葉は短くて涙交じりのものばかりだた。
「どうして今なんだ…」
「ええ。花が教えてくれました」
「ああ…」
そう感慨深げにつぶやくサタケを、強烈な吐き気が襲う。
「…枯れた人間にも猶予はあるのでしょうか」
カワダが自嘲して言った。ミッドウェー行きの前夜である。キングを呼び出しての会話だった。防護服はキングの意向で付けていない。
「瑞々しい花を吐くなんて思わなかった」
「君にはまだ似合うと思ったんだがな」
「諦めさせない事を言わないでください」
カワダは横目でにらむようにキングを見上げる。この二人の関係性は推してはかるべしだが、おそらく諦めた恋仲であろう。その恋情に火を付けたのが、始まりはスミスが吐き出した花だった。カワダが吐き出した美しい海の色を思い出すと、空母の向こうに広がる暗闇の海がまたたくまに日中の海に変わるかのような気持ちがした。それほどまでに美しい青だった。
「諦めさせて」
カワダはそう言った。だがキングの手はその言葉の前に、カワダの肩を掴んで引き寄せていた。抱きしめる。もがくことはしなかった。諦めたようにカワダは何の抵抗もしない。ただ何の意思とも関係なく、一筋の涙が零れ落ちるだけだ。
「…ひどい人です」
「それは承知の上だ。どのような困難も、君と共に在りたい」
「……」
涙ごときでしゃくりあげて話せない訳では無かった。ただ強烈な吐き気がカワダを襲ったのだ。
「俺はスミス、お前と戦いたい。お前が横にいて欲しい」
イサミの言葉に、スミスは頷いた。当然のように考えていた綺麗な言葉を、イサミの口から聞けたのだ。それだけで満足しなければならなかった。だがイサミは続ける。
「…だけど、気持ち悪いかもしれねぇけど」
「なんだい?」
「俺は、お前が気になってる」
「気になって…?」
「よく分からねーけど。これが好きだって言うのなら、多分そうなんだろう」
スミスの意思と関係なく、涙が一筋零れ落ちた。イサミの目からも零れ落ちる。どうして、どうしてだろう。スミスがも言わなければならない事がある。それはこの涙に混じった口が紡がなければならないものだ。
「俺が、俺が先に好きになったんだ。イサミ・アオ」
「そうかよ。じゃあお前に引っ張られたんだな。花まで撒き散らしやがって…」
イサミは涙をこぼしながらはにかんだ。スミスが花の香りの向こうで見たあの笑顔だ。そのままだ。俺の想像力も捨てたものではないと思いながら、スミスも涙をこぼし続ける。だが唐突に、二人に強烈な吐き気が襲った。
「ぐご、」
「お、え…っ!」
耐え切れずに二人は殆ど同時に何かを吐き出した。今までの咳とはまた違う、吐き気だ。身体の芯を巣食う異物を吐き出したのだ。息を切らしながら二人が地面を見やると、そこには白銀の百合が二本転がっていた。月光と焚火に照らされて、それは美しくまるで作り物のようにそこに転がっていた。唾液のせいで少々照っていることが分かると、なんだか急に美しさが失われる気がしたが、スミスとイサミは互いを見合わせる。白銀の百合は完治の証である。二人は互いに強く抱き合った。それは他の”二人”でも同じ事だった。抱擁は病への安堵と、相手への愛情に満ちている。
貴方は最後に白銀の百合を吐き出す。
五話のスミスの後、少々動きがおかしい。イサミへの片思いを自覚したスミス、ある日甲板でブレバンに手伝ってもらう? 片付けていないリングの上で、赤と黒に彩られた花を大量に吐き出した。風が花を広げたことで、イサミが触れそうになるがヒビキが庇って無事だった。それが花吐き病で、その伝染性を元にすると隔離をせざるを得ず、ミッドウェーに空輸されることになった。一方、わざとスミスの花(防護服により集められた花のごみ袋)に手を突っ込んだ者がいた。サタケである。自身の中にあるわずかな感情が、花となるのか確かめたかった。ならなければこのまま見ないふりが出来るから。だが予想に反して、サタケも花を吐くようになる。スミスと同じく空輸されることが決まった。カワダも同様である。この衰えた体に最後に吐く花を見てみたい気もした。年齢のせいかそこまでの量を吐かないが、一度司令部にいる時に吐いてしまう。腕を噛んで耐えていたのに、溢れる花は美しい。だが司令部にはいられないだろう。カワダも空輸が決まる。一方のミッドウェーでも腫物に触るように隔離されているスミスだが、ブレイバーンの力を借りてやって来たイサミに驚く。イサミは実は花を触っていたことが判明するのだ。それはBBにしか打ち明けていなかったが、その色は白と黄色でスミスの花と対極にある。イサミの中にあるスミスへの思いが、そうさせていると気付いた。
サタケである。プラムマンへの恋心を吐き出す以外に、司令部には事情は知っている者の誰への思いなのかは当然報告していない。サタケも誰にも言うつもりはない。このまま一生花を吐き続ける覚悟すら出来ている。TSに乗る事も叶わなくなってしまえば、手足を緩やかにもがれてサタケ・リュウジは死んでいくのだろう。その事実に、急に手が震え始めた。ブレイバーンと共にプラムマンが、キングがやって来る。渦中の相手である。その片思いは本人にとうに知られていた事実にうろたえつつ、イサミはスミスへの思いを吐露していく。プラムマンは膝を着いてサタケの手を、キングは座っているカワダの手を取って屈んだ自分の口元に。
白銀の花を吐くのは誰になるのか。