その演劇は女性の悲鳴から始まった。
「お願い、私のお腹の中にはあの人との子供がいるの…!」
「はあ? そのあの人に僕は復讐したいんだよ。何を寝ぼけた事言ってるんだか…」
「きゃああ! この子に罪はないの、お願い!」
「罪が無い? ああ、もういいや。よく分かんないけどさ、死んでよ」
「ぎゃあああ!」
女性の悲鳴に終わり、暗転。再びライトが点いた時には、身重の女が倒れて男は、イーラはいない。カット、と監督の声が掛かった。
「いいんじゃないか、粉殻(こぬが。イーラの人間としての苗字)いい感じだ。その調子で頼むよ」
「はい」
「殺される演技も良かった、さすがうちの看板女優」
「えへ、でも粉殻くんの演技が怖くて、素が出ちゃいましたよ」
そう言いながら舌を出すのは、先ほど殺された役の俳優だ。身重の演技が面倒そうにクッションをどさどさとその場に置く。そしてそこら辺にいる下っ端に片付けるように命じた。少々横暴なところがあるが、まあ憎めない性格である。デスドライヴズが一人、イーラは地球で生を終え、そのせいか地球人に生まれ変わることで新たな生を受けた。人間の生活に慣れて来ているなかで、彼が選んだのは激しい怒りを面に出してもいい演劇の世界だった。ある劇団に所属し、下っ端であるが一目置かれる存在となっている。だがもっぱら怒りや憎悪の演技ばかりで、悪役だのヒールだの呼ばれてもいた。
そう言えば、イーラは似たようなセリフをルルとイサミにも告げたことがあった。あの時は悪い事をした…とは思わない。あの時は死ねない体で死を何よりも渇望していたのだ。イサミとルルが羨ましいとも思わなかった。ただ死にたくないと口に出すイサミに、めっぽう腹を立てた。だが今の体なら、死にたくないと言うのは分かる気がする。死というものは身近なようで、人間社会で暮らしていると次第に縁遠いものだった。一番近しいのは性交渉くらいか。稽古を終えて家に帰り、イーラは同居人のセグニティスに抱きすくめられてそのままだ。布団のシーツを掴んだまま、全裸のイーラは胸を上下させている。セグニティスはというと、下着だけさっさと履いて狭い部屋のどこかに向かった。イーラはその先を知っている。タオルを取りに行ったのだ。だからゴム使えって言ったよね。そう文句を言いたいが、けだるさが勝って今は仕方がなかった。セグニティスが手慣れた様子でタオルを持ってくる。明日稽古が休みでよかったと、イーラは心底思った。立ち稽古をするのには体調不良では様にならないだろう。せっかく役が回ってくるようになったのだ。イーラはヒールの一端を担うことになり、立ち稽古も増えた。劇団に新たな風が吹いたと、同期の中年男性はにこにこしていたし(彼は端役ばかりと裏仕事ばかりだったけれど)何かの期待が流れていた。同時に、嫉妬の余韻のようなものが漂っているけれど、イーラは嫉妬の炎など大して気にも留めない。どうせなら、憎み身を焦がすような炎、憤怒。その炎が目の前に現れた時、人間に生まれ変わった自分はきっと救われる。そう信じているのだが、今の所なまぬるい生活を送っている。
「ほい」
セグニティスがバスタオルをイーラの腰に巻き付ける。
「ゴムしろって言ったよねぇ…」
「気持ちいい言うてたやん」
「……はあ」
もう何を言っても無駄だとイーラは何も言わなかった。すると、セグニティスが急に馬乗りになって来る。イーラは下から怪訝そうな顔だ。
「なに?」
「あんな、ワイはイーラはんに会う前に結構死のうと思ってん。なんかぁ、だるいやん。ワイが目覚める前に、だるくてしゃーない高校生まで生きて来たんよ。でもな、食事もめんどいし排泄もめんどい…ただ楽に死ねる方法とか探してたんよ」
セグニティスは身長は二メートルを超えている。イーラの首にその大きな手が掛かった。きゅっと首を絞めるように手に力が入る。
「首吊りとか楽そうやん。でもな、けっこー苦しいらしいわ。そらそうやな、結局窒息やもん。でもこうして首絞めるとな、なんか気絶したまま逝ける方法あるんやって」
ぎりぎりと指の力が込められる。息苦しさがまず来るので、イーラはどこが気持ちがいいんだと手で手を掴むと退かそうとした。
「ぜんっぜん良くないんだけど」
「だってイーラはんがワイにやらんと…あとそこまで研究してないねん」
「火にでも巻かれれば?」
「やけどとか一番苦しそうやん。やけどで死ぬのは嫌やわ~煙吸って倒れりゃいいけど下手に生き残ればえらいこっちゃで」
「ふうん。色々考えてるんだ。じゃあ水だね、溺死」
「やから水も苦しいやん、窒息と変わらんて…結局この体は、酸素ないとあかんのが不便やな。あとなんでさっきからエレメント縛りやねん」
「ぐ、」
セグニティスの言葉に、イーラは笑ってしまった。普段は怒りに支配されているが、喜怒哀楽の三つの感情も持ち合わせている。セグニティスは笑うイーラに対してはなんだか饒舌に喋り出した。
「火の元素とか水の元素とか思い出したわ…なんで全部原始的なん。毒とかあるやん」
「じゃあ土は? 埋められる奴…」
「だからなんで火・水・土やねん。あと窒息はきつい言うてるやん。次は風か? 風もあんのかいな」
「…かまいたち…」
「死なんやろそれ」
「あっははは!」
イーラは腹を抱える。妙なところで笑いのツボに入ってしまったらしい。普段スローテンポのセグニティスが、テンポのいい言い方で次々に話したのも面白かったようだ。タオルを巻いたばかりだが、笑いにひくつく体が少し身をよじったので脱げそうになる。シーツに体内に注がれた体液がこぼれそうだが、普段気にするのにイーラはそれも気にならない程に笑っていた。
「はーっ、はー…最高だね面白かった、今のは…くくく…」
「何がおもろいんか分からんけど、まあええわい」
「じゃあさ、木で死ぬのもありだね?」
「んな事言うたら、中国的なのは金で死ぬで」
「あはははは!」
イーラはもう一度笑い転げた。尻に敷かれたタオルはかろうじて大丈夫だったが、セグニティスはいいからと断ってイーラを抱え上げた。イーラとて身長が低すぎる方ではない。だが170cmで筋骨隆々である。その体格を、怠惰のセグニティスは恵まれた体格だけで持ち上げた。何の努力もしてなくても筋肉が付きやすい体のようである。セグニティスと自認するまでは、彼は体格の良さから勝手に格闘技すら習わされていた。今はしていない。若い時の頑張りの残り香で生きている。イーラは頼りがいのある体にしがみつきながら、でもしがみつかなくても抱き上げるその頼もしさに、胸が小さく跳ねるのは黙っていた。今日も抱え上げられ、風呂場に連れて行かれるのだ。横抱きである。
よいしょーと年寄りくさい言い方をしながら、セグ二ティスは言った。
「結局な、楽な死に方が少ないねん。前みたいに切られたら終わりだったら良かったんやが、苦しいのも痛いんも勘弁や」
「贅沢だね。じゃあさっきの首くらいじゃないか」
「それか毒もなあ。身体が結局分解しようと必死になるやろ。先に睡眠薬でも飲まんと…手間やん」
「そこまで考えて、どういう結論なのさ。早く言いなよ」
「老衰や」
名案だろうと言いたげなセグニティスに風呂場の椅子に座らされ、タオルを取ってもらったイーラは怪訝な顔をした。セグニティスは続ける。
「結局眠れるように苦しまずに逝くってのはな、老衰なんや。ぜーんぶ機能停止して、死ぬ。それが一番やで」
「じゃあ、長生きするって事?」
「せや。お前百までわしゃ九十…なんやったけ」
肝心なところが抜けているらしい。
「まーええわ。だからな、わい九十まで、あんた百までってことや」
「僕が十年くらい一人なんだけど」
「なら、その時はこっち来たらええがな~」
「あのねえ、そんな旅行するみたいに行くかよ…さっきまで死ぬのが大変だって言ってたじゃないか」
「でもワイ、イーラには長生きしてほしいで?」
セグニティスは決まったとばかりに表情を作り、ウインクまでした。だがイーラはその感激に耽る事も無く、セグニティスの耳を掴んでぎゅううと引っ張る。
「だったら、ゴムしろよ」
「あだだだだだ!」
そう言いながらもイーラは少々呆れたような、それでいて笑っているような顔をした。
「じゃあシャワー浴びせてよね」
「へえーい」
ここから先の作業は、全てセグニティスの奉仕になる。タオルを片付け、イーラの全身を流し、後始末まできっちりとさせるのだ。さあ好きにしろと脱力して身を任せるイーラに、こういう所がええんよなぁとセグニティスは密かに笑うのだった。
はーとありがとうございます!
死がエレメント(火、水、土)ばかりの話になる→イーラが笑う
タオルを下半身に巻いてセグがイラをだっこする