三。手を。 後編 10581
 「どういうつもりだ貴様ァ!」
 スペルビアの激昂を受け、飛燕雷牙の切っ先を突き付けられたカワダは身じろぎもしなかった。激昂を誘うような事実を口にして、スペルビアに告げると言う覚悟をしたのだ。切り刻まれても致し方なしと腹を決めたことだろう。だがスペルビアはその切っ先でそれ以上カワダを突き刺す事も、斬る事もせずに、その場で座り込んだ。人間は脆い。その武器で突き刺せば簡単に串刺しであろうに、高慢を司るスペルビアは必要以上に対等や義を重んじたのだ。カワダは命拾いしたらしい。
 「ええい…!」
 だが、苛立たしい声である。それもやむなしである。カワダは項垂れた。
 「申し訳ない。私の力不足だ。痛恨の極みだと思っている」
 「何故傍にいなかった。貴公が傍にいれば、結末は変わったやもしれぬ」
 結末という単語に、カワダは小さく眉を震わせた。だから言葉を選ぶようにゆっくりと時間を掛け、適切で怒りを誘発しない言葉を探す。
 「…世は君を除いて平和になったんだよスペルビア。我々は解体された。ルルの処遇は、ATFにも置けなかったんだ」
 ブレイバーン、そしてパイロットのイサミ・アオの尽力により、オアフ島に巣食ったイーラ、セグニティス、ポーパルチープムは倒された。だがブレイバーンは壊滅状態に陥り、イサミは死亡。救世主の死亡によりあっけなく世の平和はもたらされた。スペルビアの処遇も、ルルも処遇も、考えなければならない課題として残された。スペルビアに敵意が無い事を証明するのに時間はかなり要したが、それでも軍管轄ということでカワダが責任と共に引き取った。そしてルルもである。彼女は行き場が無く、誰が引き取るのか、未知の文明の弾丸がごとき宇宙人の少女の処遇は幾分か厳しい物が下されるところであった。何せブレイバーンが消失した世界である。スペルビアが反旗を翻せば、その弾丸あるいは電池がごとき少女であるルルが、人類の敵になったのであれば? 猜疑心がルルを安寧から遠ざけた。行き場のない彼女に手を差し伸べたのは、カワダだった。
 カワダは特異な体質であった。何度も何度もこの世界を繰り返している自覚のある者である。実に地球にデスドライヴズが襲来してから、一万飛んで五八一回目のタイムループである。何度も何度も死に、何度も何度も味方の死を経験し、失敗を糧に立ち上がった。そのたびに襲来する課題に、尽力をあざ笑うかのように現れる敵対勢力。今回はまだうまくいっている方である。だが、イサミ・アオとブレイバーンの生は、このタイムループをクリアするための”必須条件”であるとカワダも、あるいはプラムマンとサタケも分かっている。だからこのループは失敗で、いずれ巻き戻る。だからという訳ではないが、壊れかかった心を、何度も繰り返すのに無邪気にしているルルに、(他の人間は繰り返しの記憶がない)少々救われたからかもしれなかった。
 「家は妻だけで、子供はもう独立した。広い家だから、きっとルルも過ごしやすいはずだ」
 そうルルに話しかけると、四面楚歌であった彼女は頷いた。泣きながら頷いた。このループは失敗した、だからといって自暴自棄になるのには速いのだ。もしかしたら何か繰り返しのヒントが掴めるかもしれない。そんな下心があったにも関わらず、ルルは人肌恋しかったのか、あるいは味方の到来に感激したのかカワダに抱き着いた。ああ、米国の子だなあと考えてしまう。気を許した相手しか懐かない筈なのに、そこまで状況は厳しいものなのだろう。カワダもルルが四面楚歌になる状況は初めて出会うのだ。だからルルを抱きしめ、もう大丈夫だと語ってやる。ルルは泣きじゃくっていた。イサミとスミスの名を呼んで。
 「君の家はここになる」
 そうカワダが指差したのは、旧軍が飛行機を隠すために使っていた巨大なトンネルのような掩体壕。田舎にあるカワダの家の近くにごろごろと眠っているものだ。ほとんどの人間はそれが自然と敷地にある家に暮らし、ガレージとしたり栽培をしたりと有効活用している。とびきり大きな掩体壕が、今は空き家の家にあったから、カワダが交渉の末借りることになった。そこを、スペルビアの家とする。
 「空母に置いておきたいが、その許可は下りなかった」
 「ふん、我に猜疑心を持つ者どもだからな」
 ブレイバーンと違い、スペルビアは実際にATFと対峙し、犠牲者や兵器の損失を引き起こした。だから完全に信じ切ることは出来ないと言うのが通常の見解だ。今回のループは長いなと思いながら、カワダはなるべく快適な場所を探し回り、スペルビアに提供した。そしてルルも、その家に置いた。妻は驚いたがすぐに事情を飲み込み、受け入れてくれた。娘が出来たと妻はスカートやワンピースを買ってきて、最初は素直に着ていたルルだが、だんだんズボンがいいと我儘を言うようになった。あらあら、と妻が謝る。ルルは着せ替え人形ではなく、甘えるようになった。日本語には苦戦していたが、吸収力は高かった。カワダはルルとスペルビアの監視の名目で、二か月ほどの自宅待機を命じられていたのだ。だから、二か月はルルとスペルビアの傍にいてやれた。ルルを田舎の自然に触れさせ、スペルビアは静かな環境を気に入っていたらしい。すべてはうまく回っていた。だが監視対象から突然外れたと判断され、カワダは現場への復帰を余儀なくされた。既に世は平和だが、世論では防衛への関心が高まっているらしい。招集されたカワダを見送るルルは、不安そうで沈んだ顔をしていた。その手には、艦上で撮ったあの写真がある。もう集まる事のない面々が笑顔で写っているものだ。中央には殉職したスミスとイサミが、屈託なく笑っている。この写真を撮ったのはカワダだったので、そこにはいない。だがすぐに戻るよと言い残し、二か月の巡航に出るのだった。
 「倒れたの」
 妻からの一報が来たのは、港に着いた時だった。親の死に目には会えない職業である。だがルルが倒れたと言うのは、カワダにとって衝撃が大きかった。どうやらカワダがいなくなった時から食欲を徐々になくし、固形物がダメになり、流動食に切り替えたもののそれもダメになる。しまいには水すらも摂取できなくなり、風呂も入らずに横になる事ばかりだったという。医者に見せても健康体であるとしか言われず、精神病を疑っても診察ではイサミとスミスしか口にしない。ただ肌身離さずに手にしているのは、あの写真だけ。妻がどんなに手を尽くしても、無理に食べさせたり飲ませると暴れて手が付けられなくなることもあった。テーブルがひっくり返った時の痛々しい傷が、床に残っていた。部屋にひきこもったルルが倒れたのは、カワダが帰港した当日であったという。
 病院に駆けつけて病室に入ったと同時に、ルルの命は失われた。がらりと開けた音とぴーーーーという警告音。医者が駆ける、看護師が駆ける、だが原因が分からない。それでも蘇生は行われたものの、手を尽くしたものの、医学的に説明が付かないと言われた。まるで魂が抜け落ちたかのようであるという。飢餓状態ではないのかと尋ねるが、飢餓ではないらしい。肌はみずみずしく、眼球や内臓に損傷がある訳では無い。ただ、ただ死んだ。ただ亡くなった。生きられたはずなのに、亡くなってしまった。その一報をスペルビアに届けた時、殺される覚悟は決まっていた。
 「貴公には貸しがある。だが、ルルの損失は! 我にとって推して参る為のルルは…!」
 「本当にすまない」
 ルルの埋葬をどう済ませようかと考える。そこで初めて、なんだか心にぽっかりと穴が空いていることをカワダは知る。スペルビアの怒りはその穴に吸い込まれて、反発や反抗なども矜持も、全てが穴の中にすっぽりと嵌ったようだ。痛みを感じない。だがスペルビアは怪訝な顔をした。
 「…どうして泣いている」
 「なんでだろうな…どうやら、私は悲しいらしい」
 このタイムループの中で、泣いたことなど最初ぐらいであったのに。これまで泣いたりしていなかったのに。どうして今、ルルが亡くなってこんなに悲しさを超えた空虚さに襲われているのだろう。彼女が死んだことが、なんだか無性に悲しい。この抜け出せない輪の中で、気が付かぬ間に頼りにしていたということなのかもしれない。カワダは涙を拭った。
 「…心配ないよスペルビア」
 「何がだ。貴公の心配などしておらん」
 「そうではない。…もうすぐ、ルルにも会えるさ」
 ああ、戻る。全身が総毛立ち、まるで意識が闇に吸い込まれていくかのような感覚がある。ブラックホールがそれだと言われたら、そうだろう。だがその身は砕けることなくまたこの地球に舞い戻って来るのだ。こののち、ルルが未来戦士となりこのループを救う事をまだ知らぬカワダである。次はルルを必ず守ってみせようと心に誓う。彼は目を開いた向こうに、早く合同演習のハワイのホテルの部屋が現れないかと思い煩うのだった。さようなら、また次で会いましょう。
 
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