予告。2025年10月24日。クーヌスが予知した未来である。この日に、日本には予想だにしない巨大地震がやってくる。その期日が間近に迫ると、高性能AI搭載車両の会合は、より親密で精密な物になった。だが肝心のクーヌスは、スミスと共に竜巻に巻き込まれた影響下で廃車は免れたほどに損傷している。そのため、現役のストームチェイサーとしての活動を制限しているほどだ。相棒であるアラカイとヒロは、クーヌスを手放そうとはしなかった。少しずつだがクーヌスを連れ、小規模な竜巻の撮影から始めている。それに彼女がいるのはアメリカであり、日本ではない。だから申し訳なさそうに、クーヌスが出来る労力は惜しまずに提供した。
「以上である」
高性能AIは、我々が知るデスドライヴズではない。姿形はそのままだが、彼らは地球生まれであり車両に変態することも出来る特殊な存在だ。その性格は我々が知るような癖のあるものだが、根本的には人類の味方である。
「私は協力しようもない、だが見せられる。諸君らの健闘を祈っている」
「ありがとう、クーヌス。今日も活動はあるのか」
「ああ。もう仕事は再開している」
万感の思いを込めたブレイバーンの言葉に、クーヌスはあくまで冷静だ。だがその冷静さには、何も出来ない事への歯がゆさが滲んでいる。
「今日も出掛けることになるだろう」
「異常気象ですからねえ。お気をつけて」
「ありがとう、クピリダス」
クーヌスはクピリダスに礼を言う。誰も彼女を責める事などしないのだ。デスドライヴズ、ブレイバーン、それぞれが人間の生活に深く根差しているが、人間の生活に干渉するほどの力はない。24日に大地震がやって来る、だから備えよと彼らが言ったところで、その意見は一蹴されるだろう。挑みたる24日への日付が変わる頃、日本は何事もなく朝を迎えたのだった。
「戦争や原爆が落ちた日も、このように穏やかな日だったんでしょうね」
クピリダスは爆発を好むが、それは膨大なエネルギーである炎への飽くなき渇望であり、それを用いての殺戮をこいのぞむものではない。そうだな、とスペルビアも同意した。
「一瞬であっただろうな。すべてが失われるのは」
「それほど地震のエネルギーはすさまじい…無慈悲であろう。その上に暮らさざる得ない人々を思うと、うら悲しいものよ」
「しょうがないじゃないの。いつ来るか分からない物に怯えるなんて、美しく無いわ。気高く、それでも煌びやかに生きるべきよ」
ペシミズムとヴァニタスが言う。
「僕はホノカさんさえ無事ならどうでもいい。他はどうでも」
イーラが呟く。セグニティスがそんな無体なと茶々を入れるが、イーラは無視した。
「私の機体で圧し潰すのだな」
ぽつりとポーパルチープムが呟く。クーヌスの予見では、適応者ではないが彼を担当してくれるカレンやその社員たちを、地震によって圧し潰すと出たのだ。あまりにも残酷な未来である。だからポーパルチープムは、この手の問題では無言を貫くのだが、今日ばかりは無言とばかりにはいかないのだ。
「うむ。だがそれも防ぎようがあろう」
「なるべく目立たずに、な」
「その通りだ。我々が目立つ行動をすれば、クーヌスの予見はまた変わってしまう」
「ほどほどにな」
クーヌスの言葉を最後に、10月23日から24日未明にかけての彼らの最終調整は終了した。
ルルの学校は、設立記念で休みだった。生徒達はめいめいが好きに行動しており、大半はせっかくだからと出掛けているか家にいて勉学に励むかだ。そのためルルもだらけていた。彼女の朝は、いつもより遅く起きて始まったが、受験シーズンで詰め込みをしているしとスミスとイサミは甘く見ることにした。イサミは花屋は休みで、スミスは午後から空港に向かう予定がある。父母に顔を見せに、アメリカにいったん里帰りするのだ。いびつだった親子の時間が少しずつ取り戻されている気がして、スミスはなるべく何回か顔を出したいと考えていた。父親がいなくても、もうスミスは母親が怖くない為である。ルルとイサミをいずれ連れて行きたいという夢も出来た。すべてはあの竜巻に吹っ飛ばされたおかげだったが、一歩間違えれば死と隣り合わせだ。総合的に結果的には幸運をもたらしたが、もうあんなことはごめんだ。スミスだけでなく、イサミもそう考えている。
「ルル。見送りに行くか」
「行かない」
スマホゲームをやりながら言う娘に、スミスはやれやれと肩を落としたのでイサミが肩を叩いて慰める。もう今生の別れだと泣き叫ぶような年齢ではないのだ。五歳の頃はよく情緒不安定になったのに、今はイサミもスミスも煙たがる年である。俺は行くから、とイサミに言われた事だけがスミスの救いだった。
ミユは昨日から新潟の実家に帰っていたので、花屋にはサタケが一人いるだけだ。繁忙期は終わったし、たまにはイサミとミユに休みを取ってやりたかったので一人でなんとか回している。ヒビキはというと、実は臨月だ。先日の収穫祭に顔を出した際に、混雑してない時間帯にやってきたのは身重のからだで押し合いへし合いが不安だったからである。ヒビキは大丈夫だから朝から並ぶと言ったが、ミユが怖いからやめてくれと言ったのだ。そしてイサミに収穫祭の事を教えたのはヒビキである。彼女の配偶者の仕事の関係で、農業機械に縁があるから自然と訪れるようになったのが八年ほど前のことで、常連だった。よく野菜も肉も消費するイサミ達の助けになればと教えたのだ。
結果、彼らがまさか鳥の丸焼きを三羽も買うとは思わず、後日に早朝ランニングでわざわざカロリーを消費したイサミが出勤した時に大笑いをした。そんな快活な彼女である。サタケにとっては戦力になる店員であるが、妊娠出産はなるべく安全にしてもらいたい。すると暇な店内に、午後になった頃にヒビキがひょっこり顔を出した。その手には差し入れの焼き菓子を携えて。
「てんちょー! あれ、ミユとイサミは?」
「休みだよ」
「え、店長一人ですか? イサミも気が利かないなー一人で回させるなんて」
「たまには休めと、私が言ったんだ。まあ一人は気楽でいい」
そう言うサタケに差し出された焼き菓子は、全てで四つだった。ヒビキが産休に入って二か月になるから、シフトを把握していなくても仕方がない。サタケも気に病むだろうからと教えていなかった。だから経験則でやって来たのだが、当てが外れたらしい。大きなマドレーヌを見るサタケに、にっとヒビキはいたずらっ子のように笑いかけた。
「店長とわたしで、二個ずつ山分けしません?」
「おいおい。アオとカトウの分じゃないのか?」
「いいじゃないですか、たまには。えへへ、なんかこうしてると私が入社したとき思い出すなー。あの時は、もっと先輩がいたけど」
マドレーヌを頬張り、サタケが淹れてくれたコーヒーを店の奥で乾杯しあう。客に見られるが、たまにはいいだろうとサタケも気を抜いていた。
「先輩、店出したんですってね」
「ああ。先代の時からずっと務めてくれた人だからな。地元に帰って店を出したって、はがきが来たよ。元気でやってるといいんだが」
「元気っぽいですよ? まーでもすっかりチャットもしなくなっちゃった。でもインスタは更新してました」
「そうか。まあ元気ならいいんだ。もう二人も、お子さんの都合と介護で辞めざるを得なかったし、あの時は新米店長の俺と新入社員のヒビキだけで、途方に暮れたよ」
サタケは辛い思い出を振り返り、眉を下げる。サタケの癖なのだ。
「どっちも新米でしたもんね、で、その後でイサミが来て。あいつよく休むから、なんだかんだ大変でしたけど」
「苦労を掛けたな。アオを放っておけなくて、無理矢理連れてきたんだ。アオとリオウが、知り合いでよかった」
「リオウじゃないです、もうスズキです~」
「ああ、ごめん。まだそっちの姓に慣れなくてな」
「まあでもなんだかんだ楽しかったですよ。たまに暇な時に、先輩がご厚意で戻ってくださったりとかして。アルバイトなのに、社員の私より売り上げ良くて、落ち込みましたよ」
「そうだな。俺も出る幕が無かったくらいだ。それが今は、カトウもいるし。なんとか経営もうまく回ってる」
「回ってくれなきゃ困りますって~。そういえば、聞いたことなかったんですけど。先代の店長ってどんな方なんですか? 店長の叔父さん…でしたっけ」
サタケが少しだけ表情を変えた。寂しげなようで、どこかそこには甘い思い出を噛み締めているような顔だ。
「写真だけ見たけど、なんか店長に雰囲気似てましたよね~」
「似せたんだよ。俺の、憧れの人だったから」
サタケはそう言い切ってマドレーヌを口にする。これから話すのかと思っていたのにとヒビキは不思議そうだが、自分もマドレーヌを口に運んだ。
産業廃棄物の粉砕をアピールするのに、やり手の社長はよくイベントを開催した。ペシミズムが何か言ってもお構いなしである。結構な頻度で働かされてるとは同級生の口から聞いていたので、ミユはペシミズムへの励まし半分、年上の伯母に会う目的半分で帰省していた。老人施設の目と鼻の先でイベントは行われていたので、先にペシミズムに声を掛けてから、家族と合流すると古い建物を改築したグループホームに向かう。入口は少し薄暗いが、奥の部屋に向かうとにこにことひまわりのように笑う伯母がいた。
「よく帰って来たねえ」
「伯母さん、ご無沙汰してます」
「あらミユちゃんは可愛くなったわねえ」
この伯母は年が離れているからか、あまり結婚をせっつくこともなく、単純にミユを良く出来た子だとほめてくれる。だから会いに来たくなるのだった。どうやら若い時に上京を夢見たが諦めた過去があるらしく、ミユの親戚筋は大体が新潟にいるせいか、県を出たミユを異端の目で見ることなく応援してくれた一人だ。足腰が悪く車いすだが、屈んだミユの頭をよしよしと撫でる。それが今までの習わしだった。
「於保多さんのとこの店長さんには、今にもお世話になってるの?」
「今も変わらないよ。でも、サタケ店長なのになんで於保多さんって言うの?」
「多分どっかで婿に入ったのか苗字が違うんだろうけど、あの家は大きいし名家でね。…ここだけの話、うちの小うるさいジジババがミユちゃんの上京をオッケーしたのは、その於保多さんのとこに嫁ぐとか考えてたらしいの」
「は? ないよ、店長独身だけど、全然ない」
「田舎はそういうところ、陰湿でしょ? だからまあ安心したわ。店長さんもいい人そうで」
伯母は心から安心しているようだ。ミユが東京の暮らしを楽しんでいるのを伝えると、本当に嬉しそうだった。
「良かったわあ」
そう言う伯母を外に連れだして、これからお茶する予定だった。積もる話はあるがぐっとこらえ、ミユは伯母さんの車いすを押して部屋を出る。ミユの父が車いす対応のレンタカーで表で待っていた。力仕事に駆り出された弟が仏頂面で立っている。母は職員の人と何か言葉を交わしていたが、すぐに気付いて伯母の車いすを押してくれた。
「さ、行きましょうか」
そう言って彼らは建物を出る。
セグニティスが目を覚ました時、荷台には積み荷が何も入っていなかった。新人ちゃんと呼んでいる運転手が、何やら所長に頭を下げている。その片手には指輪が入っているような箱を手にしていた。うん?とセグニティスは遠目からセンサーとスキャンをして、それが指輪だと確信する。箱の装丁から見て、結婚指輪か婚約指輪だろう。プライベートな持ち物であるせいか、所長は苦い顔をしていた。
「今日旅立つんです、それで…空港に見送りに! あの! 昼休憩はなしでいいので! せめてこれだけでも渡しに…」
「なんや新人ちゃん、一世一代のプロポーズとやらなんか」
「…ッ、セグニティスは黙っててくれ。これは俺の問題だから」
どうやら新人の婚約者は海外留学を夢見て就職し、金を貯めたので念願の留学をするらしい。だがそれには遠距離になってしまう期間が出来るので、その前にプロポーズをという話のようだ。
「お願いします…休憩なしで事故らないようにしますので」
「いやでも、なんかあったら問題が出るのはうちなんだよ」
「この時間帯鹿ないんです…! あと二時間で出発してしまうので」
「それはそうでも、プライベートな事をさあ」
そう言う所長に、セグニティスは同調する。
「ええやないかプロポーズくらい。知らんけど。でも今日は量も安定しとるし、今の所手が足りてまんがな~。そんならワイの自動運転で連れてってもええんやで?」
「セグニティスはサボりたいだけだろうが」
流石所長である。セグニティスの癖をよく存じ上げていた。ぎくーっとセグニティスはおどけてみせるが、新人はその間も頭を下げ続けている。
「なあええやん。行かせたろうや、ワイが安全運転で連れてってやりますがな」
「…仕方ない。必ず戻るように」
所長が折れたのに、新人は体を曲げたまま思わず顔だけを上げる。
「ありがとうございます!」
「うん。いいから急ぎなさい。空港まで最短で一時間半かかるだろう」
「よっしゃ、ワイ案内したるさかいにな~」
そう言うセグニティスに特に何も言う事なく、新人はトラックに乗り込むと大きく息を吐いた。そしてしげしげとメーターの辺りを見つめる。
「……ありがとな」
「礼ならいらんがな~だってワイ働かんでええんやろ?」
「…お前に言う礼がもったいなかったな」
そう憎まれ口を言いながらも新人は笑っていた。そしてハンドルを握り込み、アクセルを慎重に踏み込む。さあ、一世一代の晴れ舞台へと参ろうじゃないか。車にはさまざまな人間模様や人生がそこに乗るものである。慎重だが急くように走る先では、パトカーであるイーラと警官のホノカが検閲を行っていた。近隣で強盗が発生し、犯人が逃げ出したらしく、車を止めて一台一台中をチェックしていく。大勢の仲間が別の道路でも検閲を行っていて、足止めをくらった不機嫌そうな運転手が暴言を、女かよと意味もない言葉をホノカに吐こうとした時だ。いつの間にか、ぎょろっとしたイーラの目が睨みつけていた。運転手はぎょっとして、罵詈雑言を忘れてそろそろと車を走らせて逃げていく。ホノカが不思議な顔をして振り返ると、イーラはいつの間にか二足歩行の体になっている。全てを察したホノカは、両手を腰に当てて呆れ顔だ。
「イーラさん。もう、戻ってください」
「はい」
素直な返事と共にイーラはパトカーへと変態した。やれやれとホノカはため息を吐く。だがイーラに背を向けた後、すぐに嬉しそうに人知れず微笑むのだった。
ポーパルチープムは、イベント会場に向かう為に会社の外の道路に出ていた。そこは少々くぼんだ土地であり、大雨などで浸水しやすい場所である。だが平常時には特段気にならない土地だ。多少くぼんでいようが、ビル群は建っているし耐震に問題はない。ポーパルチープム担当のカレンが、他の社員と談笑しながら連れ立って出てきた。ポーパルチープムは大型のキッチンカーである。カレンはその運転が出来ないため。、キッチン部分に乗り込んで他の社員が運転するのだ。だが気心の知れた社員同士で、まだ出発までにはがある。車祈り込む前に談笑するのが、彼らの習わしである。実はそのタイミングで地震が来るのだが、ポーパルチープムは早めにカレンらに声を掛ける。
「そろそろ乗らないか?」
「ああ、そうね。そうしましょうか」
特段気を悪くするでもなく、カレンたちはポーパルチープムに乗り込む。完全に人間が中に入り込んだ状態である。ポーパルチープムは彼らを抱えながら、静かに本震がやって来るのを待った。
ルルは家にいたが、昼食を食べてから出掛けたイサミ達をよそに呑気に昼寝をしていた。いつもは転寝はしないのだが、今日だけは何故か眠くなったのだ。時刻は13時。たまにはいいよね、と思いながら眠りに就いたのだが、そこで見たのは巨大地震の夢だった。主な登場人物はスミスとイサミで、彼らが15時に空港で別れを惜しんでいる最中に横揺れ、続いて縦揺れで観葉植物が大きく飛び跳ねる。それだけにとどまらず、誰も立っていられずに地に伏せて、その揺れが収まったとなるや人々は空港から逃げ出そうとした。イサミとスミスも同様である。倒れるかもしれない空港のビルを出て、駐車場へ。なんとか平地に辿り着いて安心したその時、イサミが振り返った。そしてはっとした顔をする。ルルの夢はそこで視点が切り替わった。その空港の玄関は増設あれたのか、元からある空港の建物と少し毛色が変わっており、縦に長い額縁のようなデザインで建物から出っ張っている。その玄関からわずかな異音がしたかと思うと、突然、銀色の巨大な額のような建物が、空港から外れてイサミ達のところへ。そして逃げる間もなく地面と建物に挟まれて、ばたん!
「…はっ!?」
ルルは飛び起きた。どうやら夢のようである。だがあまりにも現実味のある夢だ。巨大地震? 急いでスマホで検索してみるが、前兆も予兆も国の発表も何もない。ならばどうしてこのような鮮明な物を見たのだろう。かつてルルは、イサミがバス停で死を迎える夢を見たことがある。その時スペルビアだけが信じてくれ、適応者は五感が優れている場合があると教えられた。ならば実績から考えるのに、これは予知夢だろうか? ルルは飛び起きると身支度を整える。もし本当に巨大地震が来るのなら、助けなければならない。慌てて出掛けようとして、ベッドの上にあるスマホを見やった。そこには友達のチャットと、クラスチャットがグループ分けされている。ふと、ルルはそこに書き込んでみた。
「地震来るかも。15じごろ」
急いだのでひらがなだ」
「気を付けて」
これだけだと怪文書だが、ルルには説明する余裕がない。とにかく一年の時のクラスグループと二年のグループもあるので同様に送った。そのうちに、好奇心に溢れた同級生の通知を無視し、急いでルルは出掛ける。だが、家の鍵をかけてからどうしようと思った。タクシーを呼ぶのは良いが、未成年は来てくれるのだろうか。電車で行けば二時間以上かかるので間に合わない。どうしよう、どうしようと思いながらもとにかく足は外を出た。まだ地震が来ていないのに、足がもつれる。こういう時に頼りになるのはルルの祖父母だが、今から連絡して間に合うかどうか…。そう考えてそわそわとしたエレベーターから一階のエントランスを駆け抜けると、マンションの前に一台のスポーツカーが停まっているのが分かった。見覚えのある車である。
「オジサマ!?」
「うむ来たかルルよ」
スペルビアは待ち構えていたかのように言う。ルルは急いで支離滅裂な言葉を口走った。
「あのね、あの、すぺるびあ。地震、地震来るかもしれないの…イサミ、イサミとスミス空港に行ってて」
「承知しておる。さあ乗れ、我と共に空港に向かうぞ」
「え、でも…」
「我は自動運転が許可されておる。高速道路でも可能だ、今からなら間に合う」
間に合う、その一言だけでルルはスペルビアに飛びついた。運転席に座り、ハンドルを握る。初めての経験にごくんと唾を飲み込むと、前を見据えた。
「行こう。オジサマ」
「うむ!」
スポーツカーはぶううんと音を立て、軽快に走り出した。
出動要請があったのは解体工事中のビルだった。放火であろうと思われたが、まずは消火である。本来ならその放火だけで終わればよかったのだが、消火作業中に突然その放火犯は俺だと唾を飛ばしながら自供した男が現れた。、油をしみこませた手製の松明らしいものを持ち、踊るように群衆を抜けてやってきたのだ。約千蓮真であってもこれには驚いた。おかげで野次馬は散り、むしろマスコミが意気揚々とヘリを飛ばし始めた時である。燃やさせろ!と放火犯は手にしていた空のタンクを、アキラたち消防士に放り投げた。それに当たった者はいなかったが、目前の炎に背後には奇人、さながら混乱するかと思われたが存外冷静に消防士たちは距離を取ると、アキラが犯人に向かってタックルする。重心を下にされてあえなく倒れる犯人に向かって、消火!と叫びながら仲間が松明を踏んで蹴散らしてくれた。公務執行妨害になるだろうが、まず警察に引き合わせなくてはならない。何名かが取り囲んで取り押さえると、アキラはすりむきそうな足でなんとか立ち上がった。
「大丈夫か、ミシマ。あまり無茶するな、肝が冷えたぞ」
「へへ。まあでもいいじゃないですか、結果オーライだから」
ーーその時であった。犯人が持っていたスマホからJアラートがけたたましく鳴ったと思うが早いか、巨大地震が襲ったのである。直下型であった。まず大地がぐらぐらと横揺れした。
「地震だ!」
そう誰かが叫んだ直後、どん!と突き上げられて大地に足を着けている生き物は皆色を失う。そのほんの数分前、ルルからの謎のメッセージで盛り上がるのをよそに、フイタは家で勉強に励んでいた。通知がうるさいので見たが、どうやらルルが発端らしい。だがあの子は嘘をつかないし、こんなイタズラをする子ではない。フイタはそのメッセージに信ぴょう性があるのではないかと思った。だから勉強を中断し、ラジオを流したままで二階の自室から一階に降りる。地震が来るのかと思えない程穏やかな空気が流れる、いつものリビングだった。そこに母親が、夕食の仕込みの為にキッチンに立っている。穏やかな日常である。このあと一緒にテレビを見て、録画を消そうとフイタは考えるほどに。
「おかーさん」
「なあに」
「あのさ、防災バッグってうちはどこにあるの?」
「どうしてそんな事聞くの? うちは玄関にあるわよ、だって会社に来た防災アドバイザーさんがそう言ってたから」
「そっか」
その時だった。横揺れに、突き上げるような縦揺れ。フイタ家のキッチンはある程度防災対策はしていたが、想定外の揺れにガスを止めると、咄嗟に母親はフイタを引き寄せる。
「こっち! こっち来なさい!」
そう言ってリビングのシャンデリアが左右に揺れて天井に当たり、がしゃんがしゃんと音を立てる中でフイタを抱きかかえながら、ダイニングテーブルの下に押し込んだ。
「おかあさん!」
そう呼ぶ怖がるようなフイタの声に、周囲を見渡していた母親もテーブルの下に潜りこむ。中で互いに身を寄せ合った。まるで荒れ狂う海の上かのような状態で、このテーブルではあまりにも心もとない。だが何かが揺れによって潰れ、飛び、舞う音がするので出るわけにはいかなかった。ここで人間に残されたのは、祈りである。娘の手をぎゅっと握り、肩を抱き、この子だけは守るとばかりに覆い被さるのだった。
津波てんでんことは言うが、地震の場合もほぼ同じである。外にいる者は揺れている大地に向かって伏せ、頭を鞄などで守る。屋内では揺れによって飛ぶものから身を守らなければならない。咄嗟にサタケはヒビキを裏口に連れて行こうとした。花屋には鉢が固定されていないので危険だからだ。だが歩いていくのが少々遅いヒビキに、駆け出せと言うのは無理がある。バックヤードであれば物が少ない。ロッカーが無い所にヒビキを座らせると、サタケは上に覆い被さった。
「店長! 危ないですよ!」
「いいから! いいから動くな。ちゃんと子供を守るんだ」
サタケを危機にさらすのは忍びないが、臨月の赤子はいつ外に出てもおかしくはない。その分危険が多いこの状態で、真っ先に守られるべきは妊婦のヒビキである。何かが落ちて来ない事を願いながら、ヒビキもお腹を抱えて必死に祈った。どうか、どうか皆無事でありますように!
ほんの数十分前の安寧が流れる時間に、セグニティスは空港に辿り着いた。どうやら婚約者のフライトには間に合ったようである。新人は急いで降りて、まさかの箱を忘れて出て行った。
「ちょい。お約束みたいなボケせんといてや」
「え? あっ!」
「真面目にやってや~」
「う、うるさいな!」
新人は慌ててキーをオンにすると、助手席に乗せていた指輪の箱(何故かシートベルトをしてその隙間に挟んでいた)を取り、慌てて駆けていく。今度は鍵を忘れているが、もう呼び止めるのは野暮というものだ。せいぜい気張りや、と呟いて自分で自分にロックを掛けるのだった。一方のオフィス街にあるフォース社のビルである。ハル・キングはカワダとハイデマリーを連れて一階にいた。アポイントメントがあるのである。商談まではいかないが、話を聞いてもらえるだけで上々だ。タブレットを片手に車の手配を終えたカワダと、資料を手にしたハイデマリーとエントランスで合流して外に出る。あと一分もしないうちにタクシーがやってくる筈だった。
「ねえハル」
そこで、キングに話しかけた者がいた。キングは顔を上げる。長身の彼が見上げなければならない相手は、この会社において一人、いや一個体しかない。投光車のヴァニタスである。ショーケースにいる彼女は、きわめて穏やかに話しかけてきた。
「どうかしたか、ヴァニタス」
「どこ行くのよ。いっつもアタクシの後を追ってるくせに、今日は置いていくのね」
「アポイントメントだ、仕方あるまい。私もいつも君と一緒にいるわけにもいかないのでな」
「ふん、つれない男ねぇ」
ヴァニタスはそこまで言ってハイデマリーを見やる。彼女は関連会社から引き抜かれて、ヴァニタスの適合者となるべくキングの元にやって来た。栄転か左遷かは本人の感性次第だが、ヴァニタスはあいにく彼女を気に入っていない。そのため適合者の話は破談となっている。
「あんたも行くのね」
「当たり前だ。私はここの社員だからな」
「ふーん、そう」
「何が言いたい?」
まあまあと宥めるようにカワダが間に入る。橋渡し役としていつも心理的摩耗を減らそうと気を配っている男だ。カワダに目配せして礼を言うと、キングは会社の表に、タクシーが一台到着したのを見た。
「話は以上か? では我々は行かねばならない」
「ちょっと。待って」
ヴァニタスは慌てるでもないがいつもの口調でもない。キングは訝った。その途端、地震が訪れる。
「きゃあああああ!」
叫び声は誰の物かもう分からない。ただ恐怖に歯を鳴らし、必死に生きる為に揺れる地面にしがみついて収まってくれと祈る。その祈りは通じたのか、次第に揺れは収まった。三分も無かったであろう、だが誰も彼もの人生において、もっとも長い時間として脳に刻まれた。次に人々がすることは避難場所に向かう事である。オフィス街であれば割れたガラスが降り注いだり、ビルの倒壊の危険が。家屋ならば火事、倒壊の危険が。海が近ければ津波、川が近ければ川津波。あらゆる方面で危険はあるが、ひとまず家屋や家具の下敷きにならなくて済んだ人間は、安全を求めて逃げるのだ。隣近所を気にしている暇は無い。余震があるかもしれぬのである。薄情なようだが、ひとまずは逃げきれなく地震から逃げるのだ。フイタ親子はテーブルから這い出ると、真っ先に玄関に向かった。幸い少々も歪むことなくドアは開く。だが安堵してはいられないので、ハザードマップにある小学校を目掛けて自然と早足になる。避難訓練をもっとちゃんとやれば良かったと思う程に、フイタの目に映る大人はパニックを起こして一目散だ。ルルちゃん、大丈夫かな。そんな時に地震を予知した友達のことが浮かぶ。そのルルであるが、スペルビアの運転により14時57分に空港に到着した。あと三分、と急いで中に駆け出して国際線ターミナルに向かう。スミスとイサミは、まるでスポットライトが当たっているかのようにすぐに見つかった。
「イサミ、スミス!」
「ルル!? どうしたんだ」
「WOW、まさかサプライズで来てくれたって言うのかい? プリンセス」
「違う、そんなんじゃない…!」
「そんなんじゃって…」
スミスが肩を落とすのを、イサミが慰める。そんな事をしている場合ではないので、ルルは周囲を見渡した。大勢の人間がいる。ここで地震が来るなんて、どれだけの人間に影響が出るだろう。だからつい大声で、必死に叫んだ。
「もうすぐ地震が来るの! 15時ぴったりに…だからイサミ、スミス。もう逃げよ?」
「ルル?」
「ルル、何を言って」
「本当なの!」
そう叫んだ時だった。
ぐらっ。と来た。
ルルは咄嗟にスミスとイサミの手を引き、二人を地面にしゃがませる。そして彼女は屈んだ二人に覆い被さった。それが出来る精いっぱいだ。ぐらぐらぐら、ごごごごごご! どん!
「うわあ!」
「きゃあ!」
叫び声はすぐに恐怖に飲み込まれて消えた。皆息を呑み、必死にこの場で耐えている。イサミとスミスはルルを守ろうとしたが、そこは押さえる力が強いのか、あるいはルルの思い故かびくともしなかった。そのうちに、地震が終わるとイサミは這い出るようにルルの下から出る。そこですぐにスミスとルルの手を取り、周辺状況を確認した。空港は頑丈に作られているはずだ。だが飛行機を覗ける巨大な窓ガラスは無事でも、横の壁に亀裂が入っている。このままではいけない、イサミはそう判断して二人の手を引いて他の客と同様に玄関へと向かう。あの夢で見た、人々に倒れ込む玄関へと。
「イサミ! イサミ待って!」
玄関を避けようとするルルの叫びは届かず、また他の客の波に呑まれてしまって結局殻らは玄関から外へ出た。するとその瞬間に余震がやって来る。ルルの見た夢には余震はなかった。だが、結末はもう変わらない気がした。もう一度人々は恐れ戦き、うずくまり、無事と安寧を祈る。そうして余震がやんだら、今度はイサミ達を目掛けて玄関が崩れ去るのだ。ルルが嫌な事を想像したその通りになった。異音、そしてあっという間に玄関を作る銀色の金属の塊にみえるものが、ルル達目掛けて倒れこんでくる。
「あぁ」
感嘆の声は、諦めだ。ルルは咄嗟にめをつぶる。だが、その後は夢とは違った。目の前が暗闇になったのに、一向に何もやって来ないのでルルはこわごわと目を開けたのだ。目の前には、倒れ込む玄関を支える青色の巨人がいた。スペルビアである。二足歩行の形態になって、建物を支えている。
「お、オジサマ!」
「スペルビア!? なんでここに…いや、それよりも」
「セグニティス! 貴様そこで眠っているのだろう、起きぬか!」
スペルビアが怒鳴りながら見やった先には、空港の駐車場にある大型トラックがあった。イサミには身に覚えがある。アルバイト先にいるセグニティスだ。すると彼はあくびをしながら二足歩行の形態になる。その様子をイサミは唖然と見ながら、まるでトランスフォーマーだ!と目を輝かせるスミスの手は、つねっておいた。
「しゃーないな。まあ新人ちゃん死ぬかもしれんしな」
そう言って巨大な手が倒れ込む玄関を支える。余震は収まったが、空港には人が残っている。客室乗務員や空港職員は当然誘導はしたのだろうが、中から人が溢れてくるのは止められない。その間だけでも、玄関が倒れるのは阻止しなければならない。駐車場に逃げ込んだ人々が、安全確認が出来るまでは。
「津波だ!」
すると誰かが叫んだ。ここは空港だが海が近い。確かに津波が来る可能性もある。だが来るのなら滑走路であって、空港の建物までは来るかどうかは…いや、何が起きてもおかしくない状態である。自然災害は感情を揺さぶり、常識を超える。だから駐車場に逃げた人々が高さを求めて空港に逆戻りしようとして、衝突し、混乱が起きた。
「あかん、あかんて! 近付いたらあかんて!」
セグニティスの声も、空港職員の声も何も届かない。そうこうしていうちに、再度の地震が来てもおかしくないのだ。ううむ、とスペルビアが唸る。冷静なのか呆然としている人々は、何故かぼんやりと駐車場に立ち、スペルビアとセグニティスの背中を見つめていた。まるで神の到来を熱心に眺める古代の傍観者であるかのように。
ポーパルチープムの中で、カレンは地震を感じた。アメリカ出身の彼女だが、日本に暮らして初めての巨大地震である。関東地方並びに北陸にまで連なる地震であった。カレンは震える。同僚は日本人だが、同じように巨大地震の経験は無いようで青ざめている。何をすればいい、どうすればいい、パニックが知識を頭の中から飛び出して、困ったようにするしかない。
「怖い、神様助けて。天変地異だわ…」
「落ち着けカレン。ここにいれば安心だ」
「でも、でも地面が揺れてる…」
「地震とはこのような物だ。大丈夫、収まる」
「そうだ、地震は収まるんだ。落ち着こう」
だがポーパルチープムは車である。地震の揺れに素直に振動が伝わる。ポーパルチープムは一か八かで、二足歩行に変態した。巨大な尾が体よりも長く、その身は丸みを帯びて小さな手足が付いている。キッチンカーの中にいた人々は、小さな(といっても人間からすれば巨大な手だ)に抱えられて、丸みのある腹に乗せるように抱え上げられたのだった。
「これでどうだ。落ち着くか」
カレンは驚いて声が出ないようだ。だが地震の揺れはポーパルチープムの体を通じて振動があるだけで、先程よりは幾分か和らいでいる。だが次の瞬間、カレンは声を上げた。この地は少々くぼんでいる。雨が降れば溜まるし、少々車もスピードが出る地区である。ここに巨大地震が来た時、ブレーキを掛けたはずのトラックのタイヤがごろごろと回り、地震のせいで前へ前へとやって来た。縦揺れに勢いがつき、運転手が車の暴走を止められずに叫んでいるのが聞こえるが早いか、トラックがぶつかって来た。
「うぐ、」
「きゃ!」
トラックに激突しないように、ポーパルチープムが咄嗟に身をよじったのでカレン達は無事だが、車が横っ腹に当たった。まさかの二台三台と、車がポーパルチープム目掛けて追突してくる。呻きが聞こえた。まるで車が吸い寄せられるようだ。ちょうど窪みのところにいたのだろう、その振動が伝わって、カレンは前に揺れる。だが一瞬の事なのだ。心配なのは、ポーパルチープムである。カレンが見上げると、ポーパルチープムは目を光らせてやった。
フルリスト・サタケは住宅街の中にある。避難先は近隣の中学校だ。体育館に避難し、ヒビキは一息をついていた。本来なら校庭に集まるのだが、熱さが少々残る季節である。中に入れてもらえて、校舎にも入ることが出来た。設立記念日で助かった。皆めいめい、勝手に涼しい床にへたり込んだり、教室の椅子を借りて一息ついていた。ヒビキも妊婦だからと気を使ってもらい、何かあったらすぐに逃げ出せるように入口近くに待機させてもらった。サタケの肩を借り、ようやく座り込むと大きな息を吐く。
「大変な一日だったな」
「はい、でも店長がいてくれてよかった。一人じゃ不安だったので」
そう言ってヒビキは配偶者のチャットを確認する為、スマホを見やる。校庭には車一つ無かった。皆徒歩で逃げ出したのだ。津波の恐れは無い場所である、ここでは地震や火事を恐れるべきだ。幸いにも消防車の気配はないし、今の所人混みの声以外は、街は静寂に包まれている。
「旦那、大丈夫みたいです。ちょっと今日は出張してるもんですから」
「予定日が近いのにか?」
「来ない気がしたんですよー。といっても千葉の方だし近いし。でも、今日は帰れないかも」
「そうだな。交通網は麻痺しているだろう」
そう答えながらスマホをちらちらと見やるサタケに、ヒビキはおかしそうに笑った。
「店長、好きな人いるでしょ」
「え」
「分かりますよー。たまにお肌ツヤっツヤの時あるから。連絡した方がいいですよ」
ヒビキはにやにやと笑っている。大人をからかうんじゃないと15歳離れた部下に告げ、サタケも一応メールを送った。いつもは英文に翻訳するのだが、今日はついうっかりして日本語で送ってしまった。時差もあるし、深夜二時に起きてはいないだろう。そう考えて送ったのだが、意外にも日本語のメールが帰って来た。米国のプラムマンからである。
「安心したよ」
うわ翻訳忘れたな、と今更自分の失敗を悔いるが、それでも同じ土俵で言葉を使ってくれたのが嬉しくて、つい柄にもなく口元が緩む。だがサタケは忘れていたのだ、おしゃべり好きの部下が近くにいる事を。
「ねえなんて言ってました、なんて言ってました!?」
「言わない」
「えー」
そんなやり取りを経て、そうだミユにも教えてあげようとヒビキはミユにチャットを送る。いつも彼女の返信は早い方だが、今は無かった。
「ぺシちゃん?」
余震が来る前の本震の時である。ミユ、ミユと呼ぶ声に不思議がってミユは車椅子ごと近付いていく。姉ちゃん行くよ、と不機嫌な弟の声に分かったよと不貞腐れたような声を出して振り返ったタイミングで、ペシミズムが二足歩行(正確には彼は足は無いが)になると、その細い腕でミユやその家族をかっさらうように動かした。あっという間にレンタカーも引き寄せられる。巨人がきまぐれに暴力を奮ったのだ、と思った瞬間、地面が揺れた。その後はずっとペシミズムの丸く膨らんだ胴体の中にいた。そこは空洞で、人が何人も入れる。まるでテントが上から覆うようにして、彼らは守られていた。
「ぺシちゃん…こわいよ」
ミユが呟く。ペシミズムの胴体から見える景色は、いつものと違っていた。ブロック塀がまるで軽いものかのように舞い、ごろんごろんと足元に落ちる。これに巻き込まれたらと思うと、ミユ達はぞっとした。幸い外に出ているのはミユ達家族以外はほとんどおらずイベントの運営としていたミユの同級生と、これまたたまたまいたイケイケの社長が、金のネックレスと高級時計をはめた腕で震えながら頭を守っている。ミユのつぶやきに、同級生が近付いて来てくれた。
「カトウ、大丈夫か」
「うん…なんとか」
本震えが収まれば、あとはなんとかなる。そう考えていた矢先に余震がやって来る。ぐらりと揺れた地面に伏せていると、ペシミズムの体に何かが当たった音がした。それもかなり大きなものである。え、と思い目を凝らすと、目の前のグループホームが揺れて、その隣の古い雑居ビルが倒れかけていた。
「ぬあああ!」
ペシミズムが腕を精いっぱい伸ばし、その倒れていくビルと、グループホームとの間に差し込んで支えた。その間にグループホームの人間も、ビルの中の人間も逃げられれば良かったが余震は長い。だがミユ達の防御を薄くすれば、彼女らに危険が及ぶ。支えながら飛び交う家の破片を受けながら、呻きながらペシミズムは必死に支えるのだった。幸いにもビルは10度前後の角度で泊まっている。だが人間の立っていられる角度ではない。急いで逃げおおせてくれなければいいのだが、それには余震が収まるのが先だった。
さて、米国は深夜である。だが竜巻捕縛計画を立て、少し離れた州で取材を受けていたアラカイとヒロは、こんな時間に家路を急いでいた。クーヌスの自動運転であるし、酒は一滴も入れていない。だけど妙な高揚感で眠れ無さそうで、アラカイは目を輝かせて取材内容を興奮して喋っている。
「若きストームチェイサー、期待の星!だってよ」
「ああ。これで俺達の名前が売れれば、少しは動画の値段を上げる事も出来るな」
「お前は現実的だなあ、ヒロ。俺達は、もう少し夢を見なくちゃな」
「おいおい、夢ってあれだろ? どデカい竜巻の映像を撮って」
「どデカく儲ける!」
「俺と一緒じゃないか、言ってること」
ははは、とアラカイとヒロは笑い合った。旧知の仲である。この程度の意思疎通はお手の物だ。その家路に、何故か暗雲が立ち込めてきたのはカンザス州に入ってからだった。
「ん?」
「…」
クーヌスも黙っている。どうやら暗雲はかなりの勢いで空を覆い尽くし、アラカイ達の行く手に広がっていた。
「おい、ヒロ。見てくれ」
「ああレーダーでも見てる。多分これは、竜巻だ」
「おいおいふざけるな、大型の竜巻か? これは撮れって神の思し召しだ。行こうぜ相棒」
「おい、無茶はよせよリョウマ。もしかしたら、危険かもしれん」
「いいじゃないか、夜の竜巻だってオツなもんさ」
そう言いながらアラカイはすっかり乗り気のようで口笛を吹きながら、竜巻があるであろう暗闇に突っ込んでいく。ヒロはあきれ顔になるも、こうなると親友は止めようがないのは分かって、レーダーを確認した。大粒のヒョウが屋根を叩く。
「クーヌス、この規模の竜巻は」
そうアラカイが意気揚々と尋ねた時だ、目の前のライトに小規模の竜巻が写った。そこに突っ込んでいく形になり、アラカイは更に口笛を吹く。
「ヒュウ! 最高の条件だなすごい映像になるぞ」
そう言いながら前に進んだ時だ。家屋が巻き込まれたのか、巨大な板が突然目の前に現れた。それを避けようとハンドルを切ると、更に二枚目、三枚目が飛んで来たと思うが早いか、車に何かが衝突し、吹っ飛ばした。竜巻の勢いか、車はそのまま横転し回転し、転がっていく。うわあああ!
……ヒロが目を覚ますと、自分が車の中にいると気付いた。まるでミキサーにでも掛けられたかのようにごろごろと回転した車内で、脳が無事な事に安堵する。だがすぐに、親友が気に掛かった。
「う、う…リョウマ? リョウマ?」
親友の名を呼ぶ。彼がいる車の中は悲惨なものだった。せっかく新調して積んだレーダーや探査機は軒並みひっくり返り、じじっと悲し気な音を立てている。新しくしたばっかなのに、とヒロは運よく割れた窓から這いずり出ると、運転席にいたはずのアラカイが数メートル先で倒れているのが見えた。
「りょ、リョウマ…?」
嫌な予感がしたが、全身を激しく打ち付けて思うように動かない。アラカイの叫び声だけが先ほど聞こえて、それが耳から離れなかった。だから嫌な予感を必死に打ち消すために近付こうとするが、竜巻の音がした。生の竜巻の音だ。上昇気流の激しく物を巻き上げる音である。まずい、とヒロは咄嗟に思った。身を守るための場所も、物もない。万事休すかと諦めかけた時、何か巨大な何かがヒロの目の前に現れる。指だ。材質は機械だが、人間のように細い指である。思わずヒロが顔を上げると、そこには二足歩行になったクーヌスがいた。彼女はヒロを優しく包み込むと、アラカイの元に歩き出す。そしてアラカイを掬い上げてヒロに対面させた。どうやら生きており、息がある。ああ神様!とヒロは安堵した。だが、まるでヒロをあざ笑うかのように生の竜巻の音が近付いている。ヒロが暗闇の中で目を凝らす。これではまるで、竜巻の狩りだ。暗がりの中で竜巻を視認するのは困難で、まるでどこから飛んで来るか分からない矢や槍を警戒しているかのような緊張感を与えて来る。すると、ヒロとアラカイを抱えたまま、クーヌスは腹の辺りに手をやるとその場にうずくまった。まるで我が子を腹の近くにやって、自分の身を盾にして守るかのようである。クーヌス、とヒロが叫ぶがクーヌスは動くなとだけ呟くと黙ってしまった。竜巻が通過する音がする。巻き上げられた何かがばたばたとはためく音も。この暗闇を忘れることが出来ないだろう、とヒロは思った。
ヴァニタスが翼を広げたのは、本震がやって来た時だった。ガラス窓に亀裂が一斉に走り、本来ならキング達に降り注ぐ予定だったが、ヴァニタスが庇った。そのためにガラスは彼女の背中に降り注ぎ、けたたましい音が鳴る。キング達は咄嗟に身を庇ってうずくまったが、無事であることを確認してヴァニタスは息を吐いた。
「早く奥に逃げなさい」
ここは新しいビルである。かえってオフィス街に逃げ込むより、耐震性能の強いここに留まる方が安全だ。ただ問題は、ガラスが降り注ぐという想定外の出来事なのだが。ヴァニタスから距離を取り、ビルの中心にほど近いエレベーターホールに向かう三人を見送り、ヴァニタスは次の余震に備える。まだホールには社員が残っており、その破片から守るためにヴァニタスはわざとガラスが落ちる一階のエントランスにいた。まるで日差しがスポットライトのように差し込み、きらきら舞うガラスは花ふぶきのよう。そこに金色の美しい機械の体に、ガラスが光りながら砕けながら当たっていく。まるで一つの演劇の一シーンを見ているかのようだ。その間に、ホールや玄関にいた社員はほうほうの体でエレベーターホールに走って来る。余震が収まると皆震えた。ヴァニタスからは相変わらず、目まぐるしい風鈴の音のようなガラスの砕ける音がする。だが人間に手だしは出来なかった。どうしよもなかったのだ。
強盗が検閲に引っかかり、車を捨てて歩道に逃げ込んだのをホノカとイーラが追った。車道から犯人に向けてアナウンスするも、当然停まる筈もなく、通行人がいなくなるタイミングで歩道に突っ込むしかなかい。街路樹もなくガードレールもない道だったので、さあ今かと歩道に先回りして車体で止める。ホノカがナイフを振り回す犯人を背負い投げし、確保したタイミングで地震が来たのだ。
「ホノカさん」
イーラの声にはっとしてホノカは周囲に伏せるように指示する。その為近くにいた通行人は皆自然と従った。犯人までもが従わざるを得ないほど、その揺れは激しかったのだ。他の警察官も伏せている。この地震が収まるまでは警察官とてどうしようもない。収まるが早いか、ホノカは近くの通行人であった老婆の手を引いて避難させようとしたその瞬間に、余震が来た。その時、ホノカ達の間には巨大なビルが構えている。その前に設置されているオブジェが、槍を持った勇猛果敢な男が馬を引く像が、急激に揺れた。質量がある銅像のようである、本物の槍ではないが、その固さはやわらかな人間の体を簡単に突くだろう。イーラは予知夢で見た光景を避けようと、咄嗟に倒れ込むオブジェとホノカの間に割り込んだ。二足歩行の形態になったので、イーラの脇に、オブジェが突き刺さる。ホノカが顔色を変えた。だが余震のせいか、向かいのビルから壁材とガラスが飛んで来て、直撃はしない物のホノカは動けない。イーラはそれすらを守るかのように、ホノカに覆い被さった。何かが落ちて来て、ぱりんぱりんと音を立てる。それは皆、砕ける音だ。イーラを見上げる余裕がなく、ホノカはぎゅっと老婆を守るようにしていた。同僚の何人かがイーラの下に避難していたが追い出すことなく、幸いなことに直接的な被害はほとんど出ないまま、イーラの背が全てを受け止めていた。ばりん!みしみし、ばきん!と音を立てて何かが落ちて来る。それは屋上にあったのか、オブジェのあるビルの窓から落ちて来たのか、何かがイーラの頭にぶち当たり、砕けた。ホノカが息を呑む。だがそれでも彼は動かない。
クピリダスは消防車だ。だが二足歩行になり、その廃ビルと地面の間に咄嗟に体を入り込ませた。相棒のアキラに何やってるんだと言われた瞬間に、本震がやってくる。解体途中の建物はぐらぐらと揺れ、その倒壊が招かれれば解体業者の手を煩わせなくていいのだろう。だが中にはアキラ達消防士と、放火犯がいる。不本意ながら、それでも人命だ。クピリダスは潜り込むとアキラたちを覆うように庇った。腕を丸い形にし、その中に入れたのだ。そこに自分が覆い被されば、完全なシェルターの完成である。余震の時に、それは使われた。アキラが真っ暗になった中で叫ぶ。
「おい、クピリダス! おい! お前、お前が生き埋めになっちまう。やめろ!」
ああこんな時に私の心配ですか、しょうがないなあ。守って差し上げたくなっちゃうんですよねえこういうの。
そう軽口を叩く間もなく、崩れ始めたビルのコンクリが塊となってクピリダスの背をごんごんと打ち付ける。呻く。まだだ。余震が終わって30分後にもう一度最後の余震が来る。それが終わるまでは気が抜けないのだ。ビルを支えるペシミズムも、ガラスを庇うヴァニタスも、オブジェに刺されたイーラも、玄関を支えて守るスペルビアとセグ二ティスも、皆それを待ち構えて、適合者を無条件に庇っている。それもすべて、悪夢を見たからだ。そしてブレイバーンである。彼はサタケ達が徒歩だと難しいと言うので、中学まで送って校門の近くにいた。だが余震が襲い、体育館が妙な音を立て始めたのに気付き、いち早く飛んでくる。
「いけない!」
突然のロボットに、体育館の中は騒然とした。だがその騒ぎには目もくれず、ブレイバーンは体育館の一番奥の天井に飛び上がる。我々が想像するブレイバーンは9メートルだが、この世界のブレイバーンは車両に変形する為か4メートルの大きさだ。天井に届くはずもなく、青い光を噴き出して飛び上がるのに近くの保育園から避難してきた子供ははしゃいだ。だが、すぐに嫌な予感が体育館に走る。
みしみしみし…ぎち。ぎちぎちぎち……。先程から虫が鳴くかのように異音が、体育館を包んでいたからである。その音の発信源はブレイバーンが向かった角である。そこに、突然青空が見えた。体育館の屋根がずれたのだ。
パニックである。だが余震は続いていて動けない。慌てて外に逃げ出そうとする人々に、ブレイバーンは叫んだ。
「いけない! 外はダメだ!…地割れが来る!」
「地割れ…!?」
サタケが校庭を見やる。大きな亀裂が走っていた。地割れが起きている。人々の足は止まった。
「くっ」
ブレイバーンはずれた体育館の屋根を掴むと、火花を立ててなんとか壁とくっつけようともがいていた。だが自然のエネルギーは強大である。次第にずれていく屋根に、もうだめだと誰かがうずくまった。
「諦めるな! 私はまだ、諦めていない。だから落ち着いて、私を信じてくれ!」
突然現れたハンサムなロボットに、有事とはいえ信じざるを得ない状況だ。保育園児の誰かが、頑張れと言った。その無邪気な声にブレイバーンはうんと頷く。そして必死に屋根を掴み、これ以上ずれて天井が落ちぬように努めるのだった。だが状況は絶望的であった。これ以上の大きさの余震が来るのである。それを、ブレイバーンは知っている。そうして崩れた体育館に、大勢の人間が犠牲になった。サタケも、身重のヒビキもだ。ブレイバーンの目には高性能センサーが付いている。DEAD。誰も彼も映しても、そのセンサーにはDEAD、DEAD、DEADと続いていた。DEAD、DEAD、DEAD、DEAD…あああうるさいうるさい、このままではいけないのは分かっている。このままでは回避が出来ない。それでも、バーンブレードが無ければシュババババーンもこのブレイバーンは使えない。あるのは機械の体と高性能なセンサーやレーダー、予知に予測に無数に湧くロボットアームだけだ。だから武骨にも屋根を掴み、必死に戻そうと試みるだけなのだ。
あまりにも長い余震が収まった。ふん!とブレイバーンが屋根を戻した時、歓声が沸いたもののまだ喜んではいられない。最大の余震についてどう伝えるべきか、サタケを呼び寄せるとブレイバーンは彼にだけ余震が来ることを伝える。サタケは悩んだようだが、すぐに集団に向き直ると聞いてくださいと声を張り上げた。
「でたらめだ」
高齢者からはそう言われ、ペテン師のような目を向けられたサタケはたじろぐ。当然ブレイバーンもだ。だが想像していたと言わんばかりに、少々残念そうではあるがブレイバーンは続けた。
「本当の事だ。私を信じてくれ」
「だいたい、なんなんだそのロボットは? あんたのなのか?!」
「いえ、所有はしてますが…製造者ではありません」
「じゃあなんなんだ。この訳の分からないロボットの言う事を信じろと!?」
「そうよ。だいたい、よく分からないもの」
先ほど助けてもらえた恩はどこへやら、だんだんと猜疑の目が向けられるのにうむとブレイバーンは唸る。すまない、とサタケが謝って来た。だがサタケのせいではないし、それも大丈夫だと伝えるがヒビキの怒号が響き渡る。
「なんなのよ! さっき助けてくれたのはブレイバーンでしょ! それを胡散臭いって、なんのつもりなの?!」
第三者の真っ当な意見に、先程ヤジを飛ばしていた者は口を噤んだ。恐怖を何かにぶつけたかったのだ。混乱も先行きの不安も、全てを誰かにぶつけて発散するのに、ブレイバーンは適当過ぎるほどの相手だった。その本心が透けて見えたからヒビキは激昂し、一方の当人からは反論も出ない。ただ唇を噛むだけだ。
「ブレイバーン、私は信じるよ。ブレイバーンの言う事は。じゃあまた余震が来るんだね?」
「ああ。およそ20分後に。君達は、もっと戸惑うことになるだろう。これ以上にない巨大地震だ」
ざわざわと体育館が不安の渦に襲われる。だが、だからといって何が出来るのだろう。地割れを起こした地面に近付くのもためらわれ、これ以上大きな余震となると何をすればいいのだろう。避難場所はこの体育館か校庭か校舎だ。だがそこでブレイバーンは、信じてくれとあてどもない事を言い始めた。
「私を信じてくれ。君達を必ず守ると約束する。だから、私を。この私を信じてくれ」
ブレイバーンの要望はそれだけであった。ペシミズムのか細い手が支えるビルは、四階建てでグループホームは二階建てである。ここでペシミズムが支えなければただ互いに潰れ合うだけだ。最大の余震が来るまでに、そのビルの倒壊だけは防がなければならない。ミユの目の前で、悲惨な光景を見せるわけにはいかないのだ。ペシミズムがなんとか5度ほど押し戻すと、中にいたであろう少ない人数の人が、ふらふらとしながら階段を下りて出てきた。そしてグループホームからも入居者とヘルパーが出て来る。あっという間に彼らはペシミズムの下に逃げ込んだ。全員が入れたわけではないが、優先的に年寄りを入れろと騒ぐ声に、伯母は嘆かわしいとばかりに呟く。
「子供と女性が優先だろうに…なんでこういう時に高齢者が優先なんて言えるかねぇ…」
「でも、だからって伯母さんを外に出したくないからね」
「ありがとねミユちゃん。でもね、もう安定したのなら出ても」
「ならん」
ペシミズムが口を挟む。ビルの倒壊をまだ防いでいるので、そこまでしないでいいんだとミユが言うが、それでもペシミズムは退かなかった。
「ならぬ。出てはならん、このままここで待機するのだ、それが安全だ」
「で、でも」
ミユは困惑する。ペシミズムがそこまで強い口調で何かを言ったことが無かったからだ。同級生もミユと顔を見合わせた。同じ考えだったようである。だが逆らう程の気力もなく、弟が出ようとするのをミユは押さえて、もう暫し安全な場所にいる事にした。
DEAD。
「オジサマ、もういいから」
ルルがそう言う頭上には、スペルビアとセグニティスにしか見えない文字が浮かんでいる。イサミにもスミスにも、大勢の人々の頭上にもそれは浮かんでいた。DEAD。彼らの約束された未来は、まだ死に向かっている。だからスペルビアもセグニティスも、倒れ込む玄関から手を離せなかった。一方の人々はというと、中に入って津波をやり過ごそうとする人間と、外に出たい人間が正面衝突を起こして収拾がつかない。イサミはハザードマップを確認していた。津波の予測はここまではやって来ないようで、大きな息を吐く。
「津波は来ません! 皆さん、こちらに逃げた方がいい!」
その言葉に、ぴたりと群衆が停まる。すると追い打ちをかけるように、空港職員も声を再び張り上げた。もう叫び続けており、がらがらの声だ。
「その通りです、津波は来ません。ですので、皆さまは建物の外にお逃げください!」
そうか、そうなのかとざわざわと集団が口々に何かを言っている。広い駐車場に逃げた方が正しいのだろうとイサミは思ったし、先程からパニックに巻き込まれる人々がなんだか可哀相に思えた。こういう時に自衛官であった頃の発声方法が生きるんだな、とイサミは密かに誇らしげに思う。ぞろぞろと駐車場に人々がやって来たのを見て、安堵した時だ。余震その二がやってきた。先程よりも大きい。
「ぬお!」
「くっ…アカンでこれ!」
玄関を支える手が強くなる。玄関はぐらぐらぶらぶらとして、もうスペルビアとセグニティスの支えなしでは立つことが出来ない。だがまだ避難が完了しておらず、ここで手を離せば大勢の人間が犠牲になるのは目に見えていた。二人はぐっと支える手に力を込める。縦揺れの激しい地震だ、気を抜いたら倒れてしまうだろう。
「ここは耐え時、堪えよセグニティス…!」
「分かっとりまんがな。でもワイ、そういうの専門外なんやぁ…!」
そう言いながらも必死に支える二人である。その一方のブレイバーンは、ざわつく体育館の中で余震を迎えてしまい、パニックからか叫び声が響く中で冷静に天井を見上げた。先程直したはずの体育館の屋根が、まるで軽いかのように突き上げられ、どんと音を立てて大きくずれる。そのままずれてひけば、大勢の人間の上に落ちてくることは確実だ。ブレイバーンは飛び上がった。そして左肩に体育館の屋根を抱え、その体勢のまま飛び続けたのである。青白い光がブレイバーンの体を浮き上がらせる。必死な表情が、人々に、先程信じてくれと言ったブレイバーンの言葉を思い出させる。
だが残念ながら、ブレイバーンに勝機は無いのだ。何の策も講じられずにこの時を迎えた。というのも、規格外の地震のエネルギーを計りかねたのだ。予知夢では余震その一の段階ですべては壊れていたし、余震その二についての情報はおそらくクーヌスすらうまく得られていない。だからぶっつけ本番、体力勝負である。機械の体にどこまで体力という概念があるのかだが、エネルギーが尽きるまで、武骨に屋根を抱え続けて飛び続ける他ない。
「うおおおお!」
ハンサムな顔が痛みと強大なエネルギーに抗う為に歪み、命運はブレイバーンに託されたのだと知って皆静まり返っていた。だが、保育園児が一人、叫ぶ。
「がんばえ。がんばえー!」
「そうだ。頑張れ」
「頑張ってくれ!」
先程の舌の音が乾かぬうちに、都合のいいことを口にした者もいたが、皆思いは同じだった。死にたくない。ここで死にたくなどない!
「うあああ…!」
「もういい、もういいからクピリダス!」
ライトを持ったアキラの叫びがこだまする。クピリダスの背中に廃材が当たるどころではなく、クピリダスの上に廃材の山が成されている状況だ。真っ暗になったら誰だってそう考えるだろう。それに消火活動は一階で行っていたので、三階建てのビルが地震で壊れれば、どうなるかの想像は付く。
「もういい…お前が潰れちまうぞ!」
「優しいですねえアキラさんは。ほんとそういうところですよ、向いてないの」
「む、向いてないとはなんだ! あたしは消防士は天職だと思ってる!」
「今はそれどころじゃないですよ、アキラさん…」
クピリダスの声はまるで穏やかで、まるで死期を悟った者のようである。だからアキラはその異変に気付いていた。クピリダスにしてはあまりに元気がない。
「おい。しっかりしろ、お前私の結婚式に勝手に来たの、許してないからな! な!?」
アキラは必死に言葉を紡ぐ。
「あれはいいじゃないですか…」
「おい、クピリダス? おい。おい!?」
「俺は死にたいのに」
その時ぽつりとつぶやいたのは、放火犯だった。その声に、クピリダスは唐突に声を荒げる。
「何言ってやがんだクソダボが! てめえのせいでこうなったんだろうが!」
「ひ」
「てめえは絶対に生かして罪を償わせるから覚悟しとけよ、分かったか! 分かったなら返事しやがれ!」
「は、はい!」
「お前、元気だな…」
先程のしおらしさはどうしたのだろうとアキラは少々だけ呆れた。だが余震はまだ続いている。
「もういい、もういいからブレイバーン…!」
「オジサマ、もういい」
「ヴァニタス、いいから逃げよう」
「ぺシちゃん、もういいから…!」
「ポーパルチープム、大丈夫なの!?」
「イーラさん、もう大丈夫。大丈夫だから」
「クーヌス、もういい。大丈夫だから」
「ダメだ」
諦めるような人間の声を一刀両断するように、クーヌスは言う。アラカイは意識を取り戻していないが、竜巻が何度もクーヌスの体の上を通過し、その飛来物に巻き込まれたりするたびに呻くのを聞いて、人間はすっかり守られることに意気消沈してしまった。だがロボット達は呟く。
「ダメだ。ダメなのだルルよ」
「せや。あかんで」
「ダメよ。アタクシは逃げないわ」
「ペシミズムは悲しい。命を捨てようと決意するミユ達の健気さが、美しく、物悲しい」
「この程度、体に傷もつかんわ…!」
「ホノカさんだけは守るって決めたんだ、僕は。だから守る…最後まで…」
「私は、ブレイバーン!」
突然の名乗りに皆ぽかんとする。だがそれがすぐに鼓舞だと分かった。どうにもならない事象への鼓舞である。
「勇気爆発ブレイ、バーンだ! 私は! ブレイ、バーン!」
負けてたまるか、自然災害などに。あの時の悪夢が一気に蘇る。失われた命は二度と戻らない。アキラの葬式のシェリーの憔悴しきった顔、サタケの葬儀で泣き崩れた男性。ルルの祖父母の落ち込みよう。それらすべての記憶が、あり得ない筈の記憶が彼らを駆り立てる。その時、ふとブレイバーンはある言葉を呟いていた。
「ハカセ…」
蘇るのは、ブレイバーンの幼い頃の記憶である。まだこの世に生まれて間もない頃に、ハカセと呼ぶ女性の手によって、スマートフォン型のデバイスに入れて連れ歩いてくれたのだ。その目的は、世界の美しさを見せる事だった。満点のハワイの星空、日本の花火に米国の花火。あらゆる場所に連れて行ってくれ、そこで感想を求められたものだ。たとえば花火などの。
「ねえ、みんなはどんな感想を持つ?」
穏やかで子供に話しかけるような声だ。デバイスの中に入った彼らは、それぞれ好きなように喋り始めた。
「確かに綺麗だけどさ。なんだかあっという間に終わるのが虚しいね。なんだかその儚さにむかむかしてきたよ」
「アタクシは美しいものは好きよ。華やかに散り、華やかに終わる。あら、理想的じゃない?」
「物悲しい。この儚き生命を思わせる美しさ、うら悲しくあはれな…」
「炎色反応でのこの美しさ。人間は爆発にそこまで興味があるんですねえ、私でしたらもう少し美しく爆発します!」
「この美しさの元で人間は愛し合うのか。その感情をはかり知るのに、必要な美しさだ。感謝する」
「寝転がって見れるのがええなあ。怠惰で見られるのが最高やわ」
「私は食べられる花火の方がいいなあ」
「うふふ、そうね」
ハカセが笑う。そして穏やかにデバイスに話しかけた。
「ブレイバーンはどうかしら?」
「うん。美しい。人間の叡智と美意識の結晶だと思う」
「ありがとう。みんなに見てもらえて嬉しいわ」
ハカセはそう言いながら、子供に見せるかのようにスマホを高く高く持ち上げる。花火が再び打ちあがった。
「ほおら、見て!」
極限状態に陥ると、記憶媒体は過去の美しい記憶、あるいは楽しい記憶を呼び起こすのだろう。ブレイバーンの記憶は飛んだのは、現在の、肩に数百人の人間の命と体育館の屋根の重みが同時に乗っている今の状況から少しでも逃げようとする登園の心の作用であろう。だがブレイバーンは過去に囚われてはいけない。スペルビアも、クピリダスも、クーヌスもヴァニタスもペシミズムも、イーラもセグニティスもポーパルチープムもだ。液晶画面越しであったが、ハカセの嬉しそうな笑顔が、記憶の中で現在の適合者や友人の顔と重なる。その顔を失いたくない。あのような悪夢に苛まされるのはごめんだ。
「うああああああ!」
余震が激しい中、逃げることも出来ずに体育館の屋根を、倒れかける玄関を、どんどんと雪崩れ込む車両を真正面から受け止める。廃ビルの崩壊から、ビルの倒壊から、降り注ぐガラスから、崩れるビルから、竜巻から守る。余震さえ収まれば、この揺れさえ収まればいいのだ。
「うおおおおお!」
ブレイバーンは咆哮する。肩や飛び上がる為のエネルギーは枯渇し、もはや気力で動いているような状態だ。活動限界の忠告を無視し、人間を守っている。この瞬間は一生続くように思われた。だが、地震のエネルギーは無限ではない。有限である。なおも激しい揺れは、次第に収まっていった。だが気は抜けない。ブレイバーンは体育館の屋根を支えながら、息を切らした。荒い息が、ただ一人、彼の物だけ響き渡る。そして最後のひと踏ん張りが必要だった。屋根の端は今、ブレイバーンの肩に乗ってる。このままブレイバーンが墜落すれば、屋根はずれながら校庭へと滑り落ちるだろうか。だがそんなうまくいくはずもない。ブレイバーンはもう一度最後の気力を振り絞ると、屋根を元の場所に置いた。それには支える以外にもかなりの労力が必要だが、もう限界を突破しているブレイバーンには造作も無い事だ。がしゃあんんん。あまり聞いたことのない金属音が響くと、人々はびくと体を震わせる。そして、ぐらりと揺れたブレイバーンは体育館の舞台の上に倒れ込むのだった。
余震は終わった。そう考えた人々は急いで駐車場に四方八方に散らばっていく。上空から見れば、蜘蛛の子を散らすように綺麗に散った。皆少しでも安全を求め、平らな土地にやって来た。空港職員はアルバイトも含まれているだろうが、客よりも後ろを走って逃げていくところが彼の矜持が、ロールプレイのように刷り込まれた立ち位置が、職務を全うさせた。皆駐車場に逃げ込んだ。空港の中は静まり返り、先頭集団は空港の前の道路で座り込んでいる。皆車を捨てるか悩んで誰も発進していなかった。その静寂ののち、皆が十分距離を取ったとセンサーで確認したのだろう。ガガピー、とスペルビアが何かを発した。イサミに抱きかかえられているルルは、その声が何を示すか分かってしった。辞世の句である。
「オジサマ!?」
ぐら、とスペルビアが背中から倒れた。セグニティスもほぼ同時に倒れる。新人も婚約者を守るように抱えていたが、その手を離し、思わず群衆をかき分けて前に走った。危ない、危ないと誰かが言うが、それもルルにも新人にも届かない。そして走っているうちに、二機は地面にばたんと倒れると、ずっと支えてきた玄関が音を立て、蒲団がかぶさるように落ちてきた。金属やガラスが衝突するけたたましい音が、まるで狂騒曲のように鳴り響く。がしゃんぎゃらぎゃらぎゃらぱりんどどどどがしゃがしゃがしゃああああん!
「オジサマぁああ!」
土煙の代わりに鏡のような破片が空中に舞い上がり、きらきらと光る。まるでそこだけが舞台効果じみていて、目を奪われた。二機のロボットが自己犠牲により倒れ、本来人間を圧し潰すはずの倒壊した玄関をその身に受けた。うるさいまでの倒壊の音が、突然し、んとなった。皆重力に引かれて地面か、あるいはロボットに降り注いだからだ。その静寂に人間も皆息を呑んでいた。ただルルと新人だけが、群衆をかき分けて駆け出している。
「セグニティス!」
新人の婚約者も、真新しい指輪を付けたまま後を追った。群衆をかき分けるのは難しいが、イサミとスミスも後に続く。そうしてルルがスペルビアの元に辿り着くと、細かな金属の破片が地面を覆っていた。だがそれでもかまわず、ルルは屈んでスペルビアの顔を覗き込むようにする。ロボットには表情が無いのだが、ライトがいつもなら点いているのに目のランプが消灯している。
「オジサマ、オジサマ!」
「おお…ルルか…」
「オジサマ、ルル、大丈夫だった。イサミとスミスも無事」
「そうか…良かった……」
スペルビアの活動限界の忠告は当然出ている。だがそれを超えても玄関を支え続けたのは、ひとえに悪夢を回避するためだ。だが金属の布団はあまりにも重く、新人が必死に持ち上げようとするがびくともしない。全体重をかけて、必死に、たった一人の力で動かそうとするが微弱な力であった。セグニティスが口を開く。
「怪我するで。やめときや…」
「嫌だ…お前は、お前は頑張ったのに、なんで…」
「無理やって…人の力じゃ無理や…」
「う、うう」
手の平に、分厚い金属が食い込む。それをたった十本の指で支え、持ち上げようとするかよわい力は、奇跡を起こさなかった。相変わらず一ミリも動かない。半分泣きながらルルも必死に金属の板を持ち上げようとした。ううん、うん、と人間は腹の底から唸るも、動けぬロボットの助けにならない。もういい、とスペルビアは言う。セグニティスもだ。イサミとスミス、婚約者はこの適合者との会話に割り込もうとしなかった。出来なかったのだ。
「せや、結婚できそうなんか?」
「は…? ああ、渡したよ。戻ってきたら、結婚する」
「そうかぁ。まあワイにはよー分からんけど…よかったなあ……」
セグニティスは穏やかに言う。だがその言葉にはいつもの怠惰さは含まれてないない。どちらかといえば、死期を前にした力ない穏やかさだ。祖父が死ぬ時はこんな声だったと新人は思った。だからぞっとする。泣いている場合ではない。命を懸けて守ってくれたロボットが死期を迎えている。待ってくれ、待ってくれよ。だって何にも、何にも返せていない。出来れば今すぐにでもスーパーマンのような力を得て、この金属の塊をどけてやりたいのだが、ここにいる避難した人間が全員集まったとて、この塊は動かないだろう。それほど絶望的な重さである。重機、重機を早く。消防車か? 市役所? どこに通報すれば、どこに言えば彼らを助け合られる? 焦る気持ちが込み上げる涙を増幅させ、ぼたぼたと零れながら憔悴したように周囲を見渡す。ルルも同様だ。誰か、誰かこの状況を一発逆転で助けてくれるヒ-ローはいないのか?!
「イサミ…イサミぃい…!」
ルルにとってヒーローはいつもイサミだった。愛する父親はスミスで、父親ごと助けてくれるのはいつもイサミとブレイバーンだった。泣きながら助けを求めると、イサミはハッとしたようにルルの元に掛ける。泣き崩れるルルを抱え上げ、宥めることしか出来なかった。
カレン達が下ろされた時、六台ほどの車両が左右から衝突し、ポーパルチープムが磁石であるように吸い寄せられていた。中にいた車の運転手が青ざめて、衝突した箇所を気にしてばらばらと降りてきた。ポーパルチープムは車両を押しのけるわけにもいかず、カレン達をただ守りながらから体に食い込む物にひた耐えていたようである。カレンはポーパルチープムを気遣い、慌てて運転手達に声を掛ける。
「お願いします、下がってください…下がって!」
急いで運転席に戻り、車が少しずつバックしながらポーパルチープムとの距離を空けていく。あっという間に出来たスペースに、巨体がふらっとしたかと思うと道路にずしんと倒れ込んだのだった。
「ポーパルチープム!」
お知らせ:三万文字限度なので、そのうち➁に移行します
・避難先の体育館が余震で潰れる(ブレイバーン)
・空港で見送りに来ていたところが、空港の入り口が崩れる(スペルビア、セグ二ティス)
・オブジェとビルが倒れる(イーラ)
・ブロック塀が飛んでくる(ペシミズム)
・ビルのガラス一面が割れる(ヴァニタス)
・建物すべてが崩れる(クピリダス)
・車に挟まれて動けなくなる(ポーパルチープム)
・竜巻に巻き込まれるクーヌス
はーとありがとうございます!
はーとありがとうございます!
わーいありがとうございます!