イサミにとっては、豪華客船の日々が夢のようでは無かった。育った家庭は何度も豪華客船に乗るような環境では無かったが、それでも夢見心地なのはあの日のこと。ブレイバーンと勇気融合合身をした時の事である。その体験が色濃く身に残り、スミスといやブレイバーンと身を一つにしたあの経験が今も肌の奥からこころへと流れ込み離れていなかった。あまりにも非日常な体験が、イサミの身を変えてしまったのだ。恋や愛だとかを越えた体験に、これ以上に何を通わせたら合身以上の体験になるのだろう。きっとこの経験を乗り越えられないまま、自分は残り滓をすすりながら生きていくのだ。愛する人を見つける? 心を通わせて子供が生まれる? 家を買う? どれもささやかでしかない美しいだろう経験だ。まだ結婚や子育てから縁が遠いかも分からないイサミの、24歳の経験則で精いっぱい考えた時、想像力の中ではどれもちっぽけな思い出になるだろうと考えていた。スミスと結ばれた、いや心から繋がったあの経験を超えられる相手はきっと会えない。
それもブレイバーンが、スミスが二度と会えないと思ったからこそ余計に鮮明に残ったのだ。ルイス・スミスが生きて戻って来たのを、イサミは正直受け入れられないまま、世界の英雄として祀り上げられてしまった。だから出家が一度はよぎったのだ。傍にいたといっても、スミスと過ごした日々を短い。だがそれでも頭の中はスミスの事でいっぱいになった。これが恋なのかもしれないと気付いたのは、日本上陸作戦が展開された辺りだ。この男を独占するルルが、正直に言えば羨ましかった。その青い瞳が向けられるのは、赤い瞳の少女であったので。
「イサミ、スミスのことすきじゃないの?」
その少女は、いつの間にか流ちょうな英語を話すようになった。イサミはルルにそう問われ、小さな微笑を浮かべる。
「どうかな」
「そんなことない。ルル、イサミとスミスのことずっと見てた。だって、イサミはスミスのために戦って、それで」
「分かってる」
イサミは断定的な言葉をルルに使った。それ以上に何も言うなと意思表示をしているようだ。だがその意思を汲み取っても、ルルは嫌だとばかりに首を振った。
「イサミ、スミスといっしょにいる!」
「それは出来ないよ。だって、スミスはスミスで好きなようにしたいはずだ。ルルも同じだろう?」
「でも、イサミとスミスきっと同じ。同じ思い!」
クルーしか聞いていないであろう会話だからか、ルルは声を張り上げる。イサミは人差し指を口に押し当てた。
「し。…大丈夫だ、ルル。ルルが心配してくれてるのは分かってる。だから、もう大丈夫」
「何が大丈夫?…イサミ、イサミってば。イサミ!」
ルルが引き留めようとするので、イサミは背を向けたままスタスタと歩き出してしまった。身長差があるルルは小走りにならないと追いつけない距離と速度である。少々意地が悪いが、ルル相手にはそうするしかなかった。意外な事に、ルルは追い掛けて来なかった。
イサミは誰もいない事を確認し、客船の甲板の隅でうずくまる。ああ。思ったよりも俺はスミスが好きだったんだ。ルイス・スミスが、米軍海兵隊所属のアイツが。でも今ルイス・スミスはいない。正確には、世界を救うヒーロー・ブレイバーンとなって彼はこの世に帰って来たのだ。ブレイバーンに心を寄せたのは共に利害が一致しているからだと思っていたが、何のことは無い、彼はまぎれもないスミス自身だったからだ。スミスに心を寄せた分、その反動は大きくイサミにのしかかった。彼が愛したスミスは、今はブレイバーンと同じスーパーヒーローの一人となってしまった。ただの自衛官風情には、手が届かない場所に行ってしまったような気がする。スミスはもういない。美しい青い瞳のスミスはもう。イサミの瞳からぽろぽろと涙が零れてきた。
「う…」
スミスが好きだ。愛している。だがブレイバーンと一体化したあの気持ちが捨てきれない。それもスミスだと自身に言い聞かせても、スミスはブレイバーンじゃないのだ。マリーンとスーパーロボットは違う。体のつくりも声も、その考え方も。ただの同一人物として考えても、似ても似つかない部分も沢山ある。その全てを、今の緑の瞳のスミスを受け止めたいのだが、青い瞳への渇望が浅ましい事にあふれてくるのだ。どうにもあふれてくる。苦しいほどにあふれてくる。イサミを励まし、”俺はヒーローを守る”と言ったスミスはもういない。その事実に胸を焦がし、同一人物だと受け止めようとしても失恋のように痛みがあふれてくる。
「うぅ、」
この涙が流し終わったら、きっと青の瞳のスミスの事を忘れられる。いいじゃないか、彼は戻って来たんだぞイサミ・アオ。二度と会う事のない死別を経験したはずなのに、それを乗り越えた奇跡が起きたんだ。でも、でもあの時のスミスは失われたんだろう? お前は勇気融合合身の心地良さに心を奪われたんだろう? 自責する言葉が次々に浮かび、あふれてやまないのは涙だけだ。
「イサミ、どうし…どうしたんだよ!?」
スミスの声がして、イサミはしゃくりあげながら思わず顔を上げた。よりにもよって本人に見られてしまったのだ。緑の瞳のルイス・スミスに。イサミはひゅっと息を小さく呑み込んだ。
「す、すみす」
「どうしたんだ? 何かPTSDとか…医者の所に行こうか? それともホームシックか? 俺に何か出来る事」
「すみす」
呼び掛けると、彼はとびきりのハンサムで優しい顔をしてイサミを見下ろす。緑の瞳だ。でも、イサミを守ると誓ったあのルイス・スミスである。ブレイバーンであったことが混乱を招いているが、そこにいるのは紛れもないルイス・スミスだ。イサミはその瞳を見上げながら、スミスに抱えられながら、そのぬくもりに安堵した。ロボットの機体ではない。だが今となっては、あの質感も求めてしまう。ああブレイバーン。オペレーション・ボーンファイアでは言えなかったな、俺も大好きだったよ。お前のこと。
イサミはまばたきを長くして、涙を乾かそうとした。スミスはまだ心配そうにイサミの顔を覗き込んでいる。その腕に抱えられながら、イサミは人間のぬくもりに安堵していた。と同時に冷たい機体を思う心もあって、なんだかぐちゃぐちゃだ。だがスミスは黙ってイサミの事を気に掛けて、落ち着くのを待っている。
「スミス」
「ん?」
「お前が好きだよ」
スミスの顔が真っ赤に変わるのを見て、ブレイバーンの色を思い出して、青の瞳のスミスもこんな風にかっこつけずに赤面したのかなと考えた。様々な心がさまざまなスミスを求める…だがそれはイサミが人間だからだ。あらゆる部分のあらゆる面を見てから、それを見てしまっても、イサミはスミスを愛すると心に決めたのだった。戸惑うスミスが言う。
「い、いさみ…あの俺」
「俺は。お前が好きだ」
二度目である。スミスはもう茹でだこだが、三回も咳払いして意を決したようだ。
「お、おう。俺も…イサミが好きだよ」
「もっと言ってくれ」
「い、イサミが好きです」
「そっか」
イサミは笑った。涙は引いたようだ。まだ全てを享受するのには時間が掛かる。だがここにいたのは、本当にちっぽけで人間のルイス・スミスだったんだ。そしてブレイバーンなんだ。その二面性三面性も、きっと俺は愛してみせようじゃないか。イサミは笑った。そしてスミスにキスをせがむように顔を引き寄せて、近付ける。キスが成功したのか見ていたのは、夕日のみぞ知る。
まるで太陽を追い掛ける花のように、これからも貴方だけを見つめている。