日本偵察機の撃墜を受けて、キングはカワダの自室を訪れた。清潔感があり物が少ない自室は、理路整然とした彼の脳内を表すようである。しんとした静寂の中で、カワダのぶつぶつとした言葉が聞こえてきた。明りもつけず、ただぶつぶつと呟いている。
「…皇居周辺の火事は確認できない。陸自の功績だろうか。だが交戦中の影もないことから、空軍も海自の空母や護衛艦は…」
「イサオ。いるか」
既に扉を開けているから分かり切っていることだろうが、あえて存在感を示すようにキングは張りのある声で呼びかける。返事の代わりに指を噛むようなくぐもった声がした。うう、と詰まるような声である。欧米人の方が暗がりの中で目が慣れやすく視認しやすい。カワダの姿をとらえると、キングは近付いていった。流石に目の前で呼びかけると、カワダも気が付いたのか顔を上げた。
「イサオ」
「…ハルですか」
「電気を付けるぞ」
断ってカワダに背を向けて電飾のスイッチを探す。大抵の場所は決まっているので慣れた様子で押そうとするが、キングの目を離した間にカワダの呻きがまた聞こえる。偵察機で確認した東京は、火の海だった。先程のカワダは日本語を呟いていたが、おそらく侵攻の具合と無事な場所から割り出した同志の、自衛隊の壊滅具合を算出していたのだろう。それが出来る立場である。そういった戦略は得意な男だ。ただ、実際に侵攻を受け、その被害を算出した時にその恐ろしさには気付く。何人の、何百の、何千の民間人が犠牲になったのだろう。何隻沈められたのだろう。何人の自衛官が身を挺したのだろう。それでも守れていないから、首都は火の海なのだ。その恐ろしさが身に染みるのには時間が掛かり、個人差がある。気丈に振舞っていたカワダにもダメージが無いことなどあり得ないのだ。キングは電灯を点けるのをやめ、カワダに向き直った。親指を噛んでいる。その手を離させるつもりはないが、穏やかにキングは話しかけた。
「そんな癖があったのだな」
「悪癖です。幼い頃に、さんざん止められて、自分でも矯正したのに」
指を噛むのは強いストレスを感じる時に直結している事が多い。キングの子供も似た癖があったのを思い出した。この極限状態で、祖国を攻撃されていることが分かって、そのストレス発散に爪を噛むなと言える傲慢さはキングにはない。
「落ち着けるか、血が出ることもあるからな」
「この状態で?」
カワダの言葉には棘があるが、その棘は傷付けられた者の防衛本能だ。その棘を強制的に摘むのか、力で押さえつけるのかはその人間の判断にゆだねられる。熟考したのち、キングはカワダを引き寄せた。抱きしめたのである。
「は、る」
「出来る事は限られるが。少しでも落ち着いてくれれば」
自分に押し付けるようにぎゅうと抱き寄せ、筋肉に包まれた体のあたたかさにカワダは目を白黒させた。だがすぐに安堵感が体を昇り、意識がないのに瞳から涙がぽろぽろと落ちて来る。祖国の事、家族の事、親戚の事、仲間の事。様々な人間の行方がガラガラと崩れて、これから探す事を考えると災害時のような。それでもこれは天災ではなく恨むべき相手がいる。どうしようもない相手がいる。ブレイバーンでしか対抗が出来そうにない相手がいる。だからぽろぽろぽろぽろ、涙が零れ落ちていった。
「う、うう」
「大丈夫、大丈夫だ。これから共に向かおう。助けに」
「う…」
涙など部下には見せられないだろう。きっと何名かは涙をのみ込んだはずだ。だから抑えていたのに、キングはやわらかく包み込んでくるので弱みをどこまでも見せてしまう。しばらく泣き腫らした後、あたたかい体にすっぽりと包まれる心地良さを感じ、つい長く滞在してしまった。カワダは涙が止まると慌ててキングから離れた。
「すみません、みっともない所を」
「構わんさ、私が勝手に押し入ったんだ。忘れないでくれ、イサオ」
「はい?」
「君達が祖国を思うと同時に、日本を想う異国の者もいるということを」
「…はい。ありがとうございます。ハルの国も、ハイデマリーの国も皆の国も必ず」
そこで眼光鋭く答えることが出来るのは、カワダの軍人としての矜持だろう。頷いたキングが少しだけ微笑み、部屋を出て行った。ほんの少しの滞在時間であった。
ハル・キングは針の筵だった。ブレイバーンを秘匿したのだが、全世界に唐突として現れた救世主に、事情を知らぬ人々は混乱した。デスドライヴズの仲間で、司法取引をしたのではないかという都市伝説じみたものが大衆に流れて、官庁は連日の大騒ぎである。どうしようもない怒りは、何故か救世主の傍にいたキング達に向けられて、予測は全くしていなかった訳ではないが、想像以上に世界はうねる。この混乱の責任問題が問われるのなら、間違いなくキング相手が最適だろう。はあとため息を吐いたキングが座り込んだ自室に、いつの間にか来客だとカワダがやって来た。その姿を見て、彼はひどく驚く。日本からどうやって来たのかと問いたいことはあったが、カワダは穏やかな顔で尋ねてきている。それが死神が姿を変えた物だと言われれば疑えるものの、本物のカワダのようだった。
「お久しぶりです」
「イサオ。…イサオか、どうして」
「貴方が大変だと人づてに聞きましてね。矢も楯もたまらず」
「そうか。それは…すまない」
「以前、貴方に抱き締めてもらったことがありましたでしょう」
「ああ、日本上陸の際に…」
「あの時のお返しに参りました」
そう言って椅子に座り込むキングに、立ったまま身を寄せてカワダは言う。
「貴方の包容力には負けるでしょうが、この体で少しでも落ち着くことが出来ればと」
「イサオ」
「貴方程の肉は付いておりませんが、」
そう言って正装で迫って来るカワダを拒むほど、同情を返すのを拒むほどに元気ではない。抱き締められるとカワダの体に沈んでいく気がする。肉が落ちた自称していたが、程よいやわらかさが残った体であった。ただ抱きしめるだけである。それでも、静かな時がその場に流れていた。