司令部のトイレが壊れてしまった。それはそうである。基地の大半はゾルダートテラーの攻撃により壊滅したのだ。だから無事であったロッカールームも男女兼用になってしまい、女子の時間男子の時間と性差で区分するほか無かった。余った資源は殆どが無いオアフの島である。合同演習から多国籍軍の設立へ、その上で司令部のトイレと喫煙室とロッカーが失われたのは少々痛手であるがそんな文句を言っていられない。とはいえ気まずいのが現状である。司令部の誰かが下士官とトイレで一緒になったら。排泄に上下関係を持ち込んでいる場合ではないのだが、大変に気まずい。何名かの下士官や若い士官のうかがうような目線を感じるのは気のせいでは無かった。特に司令部の人間は、普段は雲の上の存在である。その排泄の瞬間や喫煙の瞬間など、見て良いのなら覗いてみたいという好奇心は抑えられるものではない。
「やばかった」
「何がだよ」
「キング司令官とさっき一緒になって…」
「マジかよ」
下世話な話題であるが、仲間内で消費するのにはちょうどいい下世話さである。サタケはTSの整備について班長に報告を受けた帰りだった。嫌でも若い兵士のひそひそ声は耳に入る。ひそひそ声とは声量が抑えられていないという心理実験があったはずだ。だから彼らの声量も殆ど聞こえてしまった。
「やばいよ。長いしデカいし…」
「お前じゃあ逆立ちしても届かないな」
「うるせえよ。でもマジでヤバイ。確かもう60歳だって」
「何をしているお前達」
サタケが水を差すと、兵士たちは即座に姿勢を正して敬礼する。よく整えられた軍隊である。だがこの場合、急ごしらえの多国籍軍の兵士は、殆どサタケの背後に控えているだろう、プラムマン上級曹長の影におびえている。若く実戦経験のない指揮官に戸惑う気持ちは分かるし、多少なりとも指揮官として認めていないのは肌で分かる。だからサタケの階級に敬礼し、心の中では別の顔をしているのを見逃した。そこが甘いとプラムマンに言われるかもしれないが、サタケはとりあえずこの下世話な会話を散らせればよかったのだ。兵士たちは散り散りに去っていく。やれやれ、とサタケは息を吐いた。自分も下士官と一緒になった時は、こうして話題の種にされているのだろう。あるいは既に。それを取り締まる事も出来ないし、そんな事で規則を発足するのも虚しさがある。とりあえず興味が早く尽きるのを願い、日夜の業務に励むだけだ。後でプラムマンに愚痴るぐらいは許されるだろう。サタケはとんとんと肩をタブレットで叩いた。
「カワダ副司令」
「はい」
司令部ではこのトイレ問題において、少々別の懸念が渦巻いていた。その渦中がカワダである。憐みのような目を向けて来る同胞たちに、カワダは首を傾げるだけだ。
「これを」
「痛み止めですか? 有難いが間に合っておりまして」
「いやしかし、必要じゃないか? 必要ならこれも」
ドーナツ型のクッションである。痔を疑われているのかとまずピンとは来た。だがそんな話をした事も無く、そのような病でもない。カワダはそれなりに健康であると自負している。酒もやらないし煙草も少々嗜んだが若いうちに止めた。チェスを好み、頭脳を回転させる楽しみはこの海自でもいかんなく発揮されている。だが、それなのに病を心配されるとはどのような事だろうか。カワダはますます首を傾げる。ううん、と唸るまでにだ。バロウ少将に相談すると、人の厚意は受け取るようにと言われるが、クッションも痛み止めも不要である。困ったなあとキングに相談してみると、彼は目を少しだけ細める。何か思案する時の癖である。カワダは心当たりがあるのかと顔を窺うが、キングは苦笑いを浮かべた。
「いや。君が気付いた方がいいだろう」
「へ? でも、私には心当たりが」
「私からは言えない。ただ、気遣いだとは伝えておこう。皆心配してくれているのだよ」
はあ、とカワダは納得していないようだったがその顔を穏やかに眺めながら、キングはカワダの手を取った。少々枯れが見える肌であるが、まだ指先には桜色の爪が乗っている。キングは屈むと自然にその爪に口付ける。あっけに取られるカワダの頬に赤みがさすと、手はするりとカワダの元に戻って、重力に逆らわずに垂れている。何をしてるんです、と非難の声を出すもののそれ以上は照れが上回ったのか、カワダは何も言わなかった。二人きりだからいいものを、とカワダ垂れていた手を自分に引き寄せる。自分では無い物かのように大切に腕に抱えて、まるで子供の恋愛の用じゃないかと思うが指先に宿った鼓動が早く、なかなか落ち着かなかった。
さてある日のサタケである。トイレで司令官と一緒になった。まあ個々のトイレ自体は離れているし、それなりに距離感はあったが視界に入ったものは致し方ない。何の気なしに視界に入ったので、一度は脳が処理を流したがその視覚情報がふいに記憶と結びついた時、目が勝手に二度見してしまった。キングの噂が、なぜかこんな二人きりの時に頭に蘇ったのである。そのため勝手に動いた視線が、性器に釘付けになった。
太い。確かにめっちゃ太い。それに人種の差だろうか? 漆黒に見える。あと視認できるほど長い。待ってくれ。待ってくれ見るつもりはなかった。サタケの理性が秒で性器から目を離すが、もしかしたらキングは視線には気付いたかもしれない。放尿の解放感に浸るほど、人間はそこまで愚かでもない。キングは慣れているのかまったく気にしていない様子だが、サタケが一人で罪悪感と好奇心を抱えて、キングが出て行った後に洗った手で頭を抱えた。しまった。大変に。
いや忘れよう。サタケがすたすたと何事もなく司令部に戻って来ると、キングは既にそこに控えていた。傍らにはハイデマリー・バロウとイサオ・カワダがいる。いつもの光景である。だが急にカワダの顔を見た途端、嫌な想像力が急に掻き立てられた。何故かというとカワダはキングと恋仲であると一部の者が知っているからだ。この緊急の戦時下で何をうつつを抜かすと言われるかもしれないが、この有事下だからこそである。本来なら結ばれないであろう仲が、心を寄せ合って耐え抜く為である。以前から知り合いで会ったのかもしれない仲が深まるのに時間はかからない。サタケも似たような理由で恋仲の者が一人いるからこそ、その気持ちは分かる。カワダはどちらかといえばサタケと同じ立ち位置だ。少々小柄な身がきっと長躯に愛されている。だからか、思い出してしまった。最悪な想像力が、カワダの体に挿入されるあの巨大な…という映像を生み出した時、よろよろとサタケは壁に向かう。幸いにも周囲は誰もいない。だから思い切り、壁に頭を叩きつけた。映像を消すためだ。
がごん!
「サタケ二佐ァーーーー!」
かなりの音が出たようで、プラムマン上級曹長が走って来た。それはそうである。傍目には突然何も無い壁に向かって行き、いきなり頭を叩きつけた奇行である。心配しないわけがない。疲れなのか、精神的疲労かと司令部がざわざわとし始めて、プラムマンに抱えられたサタケは事の重大さを知る。だが幸いにも脳内の映像は消えた…であれば良かったが、消えなかった。悪目立ちをしただけである。サタケは流石に俯いて、そのまま退出を促すプラムマンの指示に従った。プラムマンの顔がキング司令官に向いている。キングは頷いたようだ。
「三時間ほど休息を。それでも足りぬ場合は報告を」
「イエッサー!」
すぐにニーナ中尉のところに運び込まれ、打撲だと診断された。目立つ外傷もないし脳への影響もない。それはそうだ。自分から突っ込んだのだから加減が出来ている。ニーナはカウンセリングを勧めてきたが、サタケは一人になりたいと断った。軍医の手を借りるほどでもないからである。どこの誰がカウンセリングで上司の性交渉を思い出したことで頭を打ちました、と言える? 流石にそこまでは出来ないのでプラムマンの手を借りて部屋に戻ると、サタケは彼を中に引き入れた。プラムマンは前述の通り恋仲だ。大抵のことの我儘は言える関係性である。
「トム…」
「どうしたんだ」
心配なのかいつもはカミソリのように鋭い眼差しが心から優しい色でサタケを見つめる。ああその色が好きだなあと思う反面、サタケは願いを口にする。
「君のものを見せてくれないか」
「何を」
「これ」
サタケの指がプラムマンのまたぐらを指す。プラムマンの目が怪訝の色に染まった。
「頭を打っておかしくなったのか?」
「違うんだ、話せば長い。ただ、話せば長いんだけど、なんというか…」
「全部話してもらわないと分からん。このままだと、色気も無いのに誘ってサボろうとしている悪ガキにしか見えん」
「違うんだよぉ…」
しょぼしょぼとサタケがしおらしくなり、プラムマンに弁解を始める。そもそもは若い兵士が話すからぁ、いいだろうよ司令部の性器がデカかろうと小さかろうと! ただ問題は性行為してるかもしれない二人がいるから、自分の身と同じように想像してしまっただけで、誰も悪くはない、誰も悪くはないんだけどぉ!
「概要は分かったんだが、何故私のを見るんだ」
「君の見たら忘れそうかなって…」
「結局サボりたいだけに見えるぞ、リュウジ」
「トム~」
しょぼしょぼとサタケが甘えて来るのを抱き締めながら、仕方ないなとプラムマンは苦笑いする。彼の記憶では、キングとカワダの間に性交渉は無いはずだ。一度自分達も似たような関係性だとキングに告白した時に、キングから聞いたので間違いはない。この戦いが終わるまでは、きっと体は交わらないだろうと真面目な司令官はそう言っていた。だから想像しなければいいのだが、甘えて来る恋人の姿が可愛いので少々意地悪で言わなくても良いだろう。よしよしとサタケの頭を撫でて、プラムマンはもう一度苦笑いした。