朝起きると目の前に男の顔がある生活は、慣れてきたと思ったら終わりを迎える。たった一週間、されど一週間。スモーカーが突きつけられた有給消化命令をおとなしく承諾するとは思ってもいなくて、だからこそふってわいた一週間のバカンスはローに多くの衝撃を与えた。まずは、起きたとき真横にスモーカーの顔があって、それが眉間に皺の寄ったものじゃなく、心からリラックスしていそうな穏やかなものであることだとか。窓から差し込む日の光に照らされた寝顔は泣く海賊も黙る海軍中将のものとは思えない。
ローが先に起きたのは、一週間ともに寝起きしたにも関わらず今日が初めてだった。なにせ爆睡型なので一度寝ると寝汚い。窓から吹き込んでくる朝の風が頭のてっぺんを撫でる。スモーカーの下ろされた前髪もそよそよと揺れている。揺れる前髪とは対照的に、本人はぴくりとも動かず寝ている。行儀よく布団に収まった体は、腕だけが薄手のブランケットからはみ出ていた。グローブに包まれていない素手は武人らしい努力が見える。特に指や手のひらなんて、十手を武器とするものだからマメができては潰され、を繰りかえしたのだろう。ローはその手が嫌いではなかった。誰かを守ってきた手はとても大きく見える。
嫌いではないその手には、およそ武人らしくないものがあった。あればグローブを付けるとき邪魔だろう。十手を握る指に違和感を与えるだろう。誰かに質問攻めを受けるだろう。そういうものが、ひとつ、おとなしくスモーカーの左手薬指に光っている。そしてそれは、ローの指にも光っている。このバカンスの間だけだと、二人で買った安物の指輪。一生薬指に輝くには少々荷が重い。そっとスモーカーの指から外す。サイズ展開だけは豊富だったから、節くれだった関節にひっかかることなく外れた。
ベッドサイドのテーブルに置くと、ローはスモーカーの指をじっと見つめた。
「やっちまった」
力の入っていない指は、力強い造形ではあるが、スモーカー自身の肌の色と同じで白い。ましてや常はグローブを付けていたとなると、特に日に当たらない。とても海の男とは思えない色である。だが、わずかなりともこの数日で日に当たっていた結果が表れていた。端的に言えば、指輪があった場所だけがきれいに日焼けしてない。輪っかの形が白く、それこそ指輪のように残っている。
スモーカーがさすがに目を覚ました。いや、そもそも起きていたのかもしれない。軍人が自分の体を触られて目を覚まさないなど、あってはならないことだからだ。でも、ローの好きにさせていたのだろう。そういう男だった。少なくとも、このバカンスの間は。
「白猟屋、おはよう」
「おはよう」
スモーカーは同じ床で寝るようになった当初から今まで、あまりおはようを言わない男だった。いつの間にかいうようになっていたのは、朝をともに迎えるのを重ねたからだろうか。
スモーカーはローとは違って寝起きから発言も明瞭としていた。仰向けに寝ていたのをごろりと横向きに直してローを見上げている。ベッドが音を立てた。昨晩もベッドは悲鳴を上げていた。スモーカーはローのむき出しの肩をじっと見つめている。
「おれは寝起きから誘われているのか?」
「馬鹿言え。指だ。見ろよ、日焼けしてんだ、指輪のあとが」
「それで熱心におれの指を握っているのか」
「白猟屋は白いからちょっと焼けるだけで目立つんだな」
ローは元が褐色の肌だからか、指輪を外してもそこまで目立たない。そもそも指は日焼けよりも目立つものが独占している。しかしスモーカーのなにもない無骨な指には、指輪の日焼け跡がずいぶんと未練がましく居座っていた。誰もが一目でわかる。
ローは唸った。別に独占欲とか、執着とか、そういう意味で指輪をおくりあったわけではないし、お互いにバカンスの間だけのごっこあそびのようなものだ。こんなことになるとは思っていなかった。さわやかな朝に似つかわしくない目つきのローにスモーカーはため息を吐いた。
「おれは普段グローブをつけているから大丈夫だろう。なにを慌てているんだ、ロー」
「グローブをずっと外さないわけにはいかねェだろ。こんな跡他人に見られたら何を詮索されるかわからねェぞ」
「そのときは言う」
スモーカーはすっかりこの話題に飽きたのか、ローに左手を好きにさせ、右手に葉巻をおさめて朝の一服を始めた。葉巻の煙が窓から逃げていく。固唾をのんでスモーカーの横顔を見つめた。髭だらけのスモーカーは気持ちよく煙を吐いた。
「恋人の置き土産だと言う」
「ハ?」
「隠すからバレる。訊かれたら、そう言う」
堂々たる態度のスモーカーは本当に言う。ローは確信した。だって今も心なしか胸を張っているように見える。上裸の胸筋が朝日に輝いているようにすら。
「スモーカー、そりゃあ、振られた奴の負け惜しみみたいだぞ……」
潔さに思わず笑いがこぼれた。真面目に心配したのが馬鹿に思えた。そうだ、別にスモーカーが質問攻めにあったって、ローは気にしなくていいのだ。
力が抜けてスモーカーの腹筋に頭を落とす。そのまま体を丸めてくつくつと笑っていれば、スモーカーは「おい、おれァ腹が減ったんだが」とローの頭をかきまぜた。もうしばらくこうしていたいと思った。二人で朝食を買いに行くのもいいが、窓から見える青空に男の指をかざして、たったいまできたスモーカー中将の謎に笑っていたい。謎の秘密を知っているのはこの世でたった二人だけである。
(終)
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