青年に促され大きなエレベーターに入ると、扉が開いたときと同じように重々しい音を立てて閉じた。そしてエレベーターが動き出す。しかし――。
「これは……下に向かっているのですか?」
エレベーターには窓や隙間はなかったが、独特の浮遊感から下降していることがわかった。私は橋の上から見た異形の高層ビルの姿を思い出す。てっきりこれから向かうのはあの最上階だと思っていたのだが……。
青年は私の質問に笑顔で応じた。
「ええ、地下に向かっています。『神経塔』の上部ももちろんさまざまな施設や設備がありますが、もっとも重要な区画はこれから向かう大深度地下施設にあるんです」
「……」
理解が及ばなかった。地上部分にあれほど大きな建物を持っているというのに、さらに地下にも施設がある? 一介の新興宗教組織が構えられる設備の範疇ではない。いったいどこからそんな設備を建築するだけの資金を? いや、それ以前に……。
「……あなたたちは、地下にいったいなにを隠しているというのです?」
その質問にも、青年はまず笑顔を返した。しかしその笑顔は、今まで見たものとどこか違う。私は沿う感じた。しかし、その違いがなにかはわからない。絶対的救済という嘘を信じ込んだ者の宗教的陶酔でもなければ、現実から逃避しようとしている者の怯えでもない。人当たりの良い印象を持っていたその青年に、私は初めて違和感を覚えた。
「我らが神。我々マルクト教団は、神を守護するための教団なんです」
ガゴン、と足元から重い音が響いてエレベーターが止まった。同じく重い音とともにエレベーターの扉が開く。
開いたエレベーターの扉の向こうには、想像してもいなかった光景が広がっていた。
私たちがたどり着いたのは、地上階よりもさらに広大な空間だった。岩盤がむき出しになっているということは、地下を掘削して作ったのだろうか。
壁面、床面、天井を問わず、大小のパイプやコードが這い回っているその光景は、まるでこの場所が巨大な生物の内臓であるかのような錯覚を私にもたらした。さまざまな機材が所狭しと並べられ、白衣や防護服らしきものを着用した偽装天使たちが何人も行き交っている。そして――。
視線が、私の意思によらずそこ(・・)に吸い寄せられるのを感じた。
そこ――広大な地下空間の中心に据えられていたのは、巨大なガラスの函(はこ)だった。そのガラスの函にも何本ものコードやパイプが繋げられている。そして、その函のなかにあるものは――なんだ、あれは?
ガラスの函の中にあるものの姿ははっきりとは見えない。赤黒く、脈動しており、明滅を繰り返し、そして、これは、歌――?
「おっと、あまり直視してはいけません」
青年の手のひらに視線を遮られて初めて、私はガラスの函に入った謎の物体を凝視していたことを自覚する。体の支えを失って倒れそうになった私を、青年が手を伸ばして支えてくれた。
「あ……あれは、いったい……?」
ふらつきながらも、私はもう一度ガラスの函の中に視線を向ける。やはり、その中にあるものがなんなのかははっきりとは見えない。それに、視線を外しても頭の芯から声のようなものが聞こえてくる異様な酩酊感は収まらない。
「これを着けてください。楽になります」
青年が壁にかけてあったヘッドセットのような装置を手渡した。被ってみると、確かに酩酊感が薄らいだ気がする。青年も同じようにヘッドセットを装着すると、その声がスピーカーから聞こえてきた。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……。しかし、あれは一体……?」
青年に手を取られて、私はガラスの函に近づいていった。近くに寄ると、ガラスの函はまるで隔壁のように何重にも重なっていることが分かった。そして、そのガラスの隔壁一枚一枚ごとにロック装置が設置されている。
青年は、もっとも外側のガラスの隔壁に設置されたロック装置にカードキーを通した。電子音とともに、ガラスの隔壁が少しずつ開いていく。
「今まで人々は、無數の宗教の中でそれぞれの神を崇めてきました。しかし、神を崇めるものや神の実在を望むもの、あるいは神の名を騙るものはいても、実際に神と呼ばれる存在に接触した者はいななかった。誰もがその存在を希求しながら、誰もがその存在を証明できない存在。それが神でした。かつてはね」
ガラスの隔壁が開ききった瞬間、空気が変わったのが分かった。熱気や冷気ではない、なにかもっと……形容しがたい空気感の変化を私は感じた。
それ(・・)と私の間にあるガラスがたった1枚取り除かれただけで、それ(・・)の存在感は異常なほどに増していた。それこそまるで、あまりにも偉大で超越的な存在を前にして、己の矮小さを思い知らされるかのように。
「これが創造維持神。我々マルクト教団が崇め、なおかつ守護する、実在する神です」
今度こそ私は立っていられなくなった。膝からすとんと力が抜けただけでなく、そのまま魂まで抜け出てしまいそうだった。
創造維持神。実在する神。
そんなものが実在するはずはないという疑問は、圧倒的な実在の前に封殺されていた。
「我々の目的は、この実在する神である創造維持神を守護するとともに、研究を行うことです。何らかの意思や生態的方向性はあるのか、意思があるなら意思疎通は可能なのか、直接的・間接的介入は可能なのか。そして……」
ドクン、とガラスの隔壁の向こうで神が鳴動する。その鳴動は世界そのものの鼓動だ。そうした認識が、私の頭の中に滑り込んでくる。頭の隅の方で、これはバロックだ、耳を貸すなという声が浮かんで消えた。
「神は我々を救ってくれるのか。我々はあらゆる手段でそれを研究しています」
青年がこちらを振り向く。正気の顔だ。そのはずだ。
「そこで――優れた科学者であるあなたに、ぜひとも我々に協力してほしい。ともに神の言葉を探り、世界を救いませんか?」
青年のその言葉に自分がなんと答えたのかは、覚えていない。
けれど私はその日を境に、翼を背負うことになった。