マルクト教団。
 白い法衣をまとい作り物の翼を背負った、天使を装う人々。私もそうした人々を見たことはあった。
 街を歩けば、集団ではないにせよ人混みの中にちらほらと紛れ込んでいる白い翼。過激な団体のようにシュプレヒコールを上げるわけでもなければ、胡散臭いビラを配っているわけでもない。だからこそというべきか、その人々にはよくある新興宗教団体のような偽物の匂いを感じなかった。
 私が大学を卒業し大手製薬会社であるケテル製薬で働き始めた頃には、すでに「バロック」という言葉が社会に浸透していた。
 15歳の女子中学生がひとつ上の幼馴染の少年を学校の屋上から突き落とした「放課後屋上殺人」に代表される奇妙な殺人事件が全国で散発的に報道され、「バロック・マーダー」と名付けられた。まるでそれまで社会に潜んでいた歪みが、名前を与えられたことで活性化したかのように社会に広がっていく。
 形のない漠然とした不安感が浸透した社会を救うかのように、マルクト教団……正確には、その教団の噂は現れ始めた。というのは、マルクト教団は驚くほど表立った行動や主張を行っていなかったからだ。
 しかし、そのことが逆説的に噂という形でマルクト教団という集団の神秘性を高めていった。社会に蔓延する不安にがっちりと噛み合った歯車のように、マルクト教団の噂は広がっていた。
 曰く、街中で見かける白い翼を背負った人々は本物の天使を崇めている。
 曰く、あの翼を授けられた者はすべての罪と穢れを払われ天国に行ける。
 曰く、白い翼の人々は資格のある人間を選んで翼を授けている。
 どれもがネットロアを漁るまでもなくどこかで聞いたような話だったが、それらの噂は鼻で笑って済ませることができないくらい社会に浸透していた。
 中高生の中には来世で救われると信じて手製の翼を背負うことが流行し、その翼で天に向かおうとして学校の屋上から集団で跳ぶ少年少女が現れ始めた。翼をモチーフとしたロゴマークやアクセサリーが軒並みネット上で叩かれたかと思えば、天使の実在を主張するコメンテーターが現れる。私は詳しくは知らなかったが、メディアで話題になっている人気アイドルには予知能力があり、その力は天使から授けられたという話がまことしやかに流布されることすらあった。
 私は当然、そうした話は知ってはいても信じる気にはならなかった。私は科学の途だ。宗教が社会不安を受け止めるための受け皿であることは認めるにせよ、神や天使が実在し、それらが社会にはびこる病や飢餓や戦争を直接取り除き、社会を正常な姿に修正してくれるなどとは思っていなかった。
 あの一通の招待状を受け取るまでは。
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夏コミ原稿を書いていきます。
初公開日: 2024年07月16日
最終更新日: 2024年07月16日
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