私は世界を愛している。
その美しい秩序と、無秩序に見える美しい混沌(カオス)を、とても。
科学を志すきっかけになったのは、12歳の誕生日に父が買ってくれた顕微鏡だった。
私の家は裕福だった。それは経済的・金銭的な意味でもそうだったし、文化資本という意味でもそうだった。父の書斎にはさまざま本があり、幼い私は読めもしない分厚い本を広げて遊んでいた。父の蔵書を少しずつ読めるようになるにつれて、私は自分が直接見たことのない奇妙な動物や行ったことがない遠い国について知ることの喜びを覚えた。部屋から一歩も出なくても、私の世界は無限に広がっていった。
そんな私に父が買ってくれた顕微鏡は、その後の私の人生を決定づける大きな要因となった。子どもに与えるにはいささか本格的な、ずしりと重い顕微鏡の感触を、今でも覚えている。
父に教わりながら、おそるおそる顕微鏡を覗き込んだ。スポイトで吸った池の水を、慎重にプレパラートの上に垂らして、ピンセットでつまんだカバーガラスを置く。自分がなにかすごいことをしているようで、胸が躍った。
横から覗き込みながらステージの高さを調節して対物レンズとプレパラートの距離を少しずつ離していき、父に促されて対物レンズの向こうの世界を見たときの衝撃は忘れられない。
初めて世界の本当の姿を知った。私はそう思った。
たった一滴の池の水の中に、こんな世界が広がっていたなんて。
自分の知っている世界の姿は、本当の世界の姿のほんの一部でしかないという衝撃を受け止めきれず、私は涙ぐんですらいた。そのときの父の慌てようを思い出しただけで、今でも笑ってしまう。
私が「科学の力」の存在を実感したのは、このときが初めてだった。
世界は、科学でできている。
そのことを知ってからの私は、父が心配するのにも構わず家の外に行きたがった。私の生まれた家は広いお屋敷で、幼い私にとってはそれでも十分に「世界」としての広さを持っていた。
けれど私は、顕微鏡の一件から外の世界が知りたいという欲求に取り憑かれていた。公園に行けば土を掘り起こし、川に行っては草むらに首を突っ込み、手当たり次第に顕微鏡で調べる。そんな生活の中で、私は世界を見る方法を身につけていった。
そんな私が科学の道を志すことに反対するものはだれもいなかった。父も母も家の人たちも、私を祝福してくれた。私もみんなに応えるために、そして何より自分の志す道を歩むために努力を重ねた。
その努力は実り、私は国内でも有数の研究設備を持つある組織に入団する資格を得た。