ルルが未来で見て来た物は数多くある。料理もそうだ、平和な世界もそうだ。兵器として消耗品として利用されているだけでは見ることのなかった世界を吸収し、ルルは知識を蓄えた。だが未来の世界でルルが得られなかったのは、愛情である。欲しかった人間からの愛情である。スミスとイサミを失った世界である。知識を蓄えたとて、それを得意げに語るべく相手はいなかった。本来なら親がその役目だろう。本当ならスミスとイサミの役目である。共に生きたスペルビアはおじさまである。物事を思慮深く知り、気高い精神を教えてもらったが、得た知識を披露し、その造詣を深める相手はミユであったりサタケであったりしたが、二人に会いたいという願いだけはずっと募った。その願いを叶えるべくの行動は語るに至るまい。勝ち取った違う未来の世界で、ルルは規則正しい目覚まし時計の音で覚醒すると、カーテンを開けた。うんと伸び、彼女はベッドから飛び降りる。目覚めである。毎日欠かさず夢に向かって動いていた習慣は、未来の肉体を失ってもルルに根付いているのだ。さて、彼女は周囲を見渡す。ここは海の上、豪華客船の中である。イサミが普段使っている部屋だ。だからルルの着替えは無いはずだが、昨日自分の部屋から持って来ていた。過去の自分をほめつつ、着替え終えるとルルは向かいの部屋に突撃した。
 「すみす、いさみ、おきる!」
 ルルの声とカーテンが開く音と眩しさ。窓が開けられたのが分かった。眩い光である。海の表面をきらめく光が乱反射している。港に辿り着いた豪華客船は穏やかに波が届かない湾内で静かに佇んでいた。この豪華客船に規律は存在しない。人の目覚める時間はそれぞれである。美しい装飾に囲まれ人間の欲望を集めた客船内の空気に当てられたのか、スミスは熟睡してしまったことを知る。軍人である時はそうではなかった。だがルルは子供である。朝も起きられて夜もすんなりと眠る。だがイサミも熟睡しているのは珍しいと、スミスは顔を起こした。ダブルベッドなので、隣のベッドにはイサミが眠っていることだろう。いつもならルルが眠っている場所である。昨夜は酒を飲んで語り合って、眠気に任せてそれぞれ眠ってしまったのだ。その怠惰な生活を強制的に終わらせたのがルルである。ルルは飛び跳ねるように、まずイサミのいるベッドに飛び込んできた。
 「おーきーる!」
 端に乗っただけなのに、ぼんと勢い良く跳ねるベッドにイサミは分かった分かったと目を開く。起床は素早く最小限の動きで無駄なく。覚醒する頭でルルを見やると、今度は彼女はスミスのベッドに飛び込んでいた。
 「おきるーーー!」
 「わか、分かった分かったから!」
 「きょうは、どうぶつえんいく! やくそくした!」
 そうだ。何故ルルがここまで飛び跳ねて起こしたかと言うと、寄港した場所に有名な動物園があるからだ。ルルにとっては初めての動物園である。彼女だけを外に放り込む訳にはいかないし、保護者として着いて行くのは当然だ。未来のルルは動物園に行かなかったのか、彼女はわくわくと胸を高鳴らせて飛び跳ねている。
 「どうぶつえん、どうぶつえん!」
 「そうだな、動物園だな」
 イサミが着替え終わり、ルルをなだめるように言う。コーヒーを淹れに行った。スミスはまだ眠そうであるが、着替える手は止めないまま尋ねる。
 「ルル、何見たい?」
 「わかんない、ルルはじめて」
 「そうか、動物園は初めてだな」
 そもそも軍の中で動いていた監視対象の少女である。知識もなく知恵も無く、言語能力と情緒の発達はスミスの教育と周囲の理解あってこそだ。だが経験と言うものは少ない。一般的な子供が触れるだろう動物よりも、ヘリや戦闘機に触れる事が先だった。だからルルが動物園に行きたいと言うのなら、イサミはもちろん連れて行ってやろうと思ったのだが、ここまではしゃぐとは思わなかった。
 「中に食べる場所があればいいんだがな」
 「多分それは大丈夫さ。大きいから」
 「どーぶつ、なにがいるかな?」
 「そうだな、何がいるかな?」
 下調べはしないでおいた。楽しみにしているが、事前情報を入れると損なわれるという判断だ。だから朝食を済ませ、日焼け止めを塗って帽子やサングラスを手にした後、手荷物をしっかりと持って船の外に出る。豪華客船はその中だけで生態系が確立されるような、小さな国である。その国を出て、久しぶりに外の世界に触れるようでイサミは少し緊張した。スミスはリラックスしているようだが、ルルの手を強く握っているので少々の緊張が見て取れて小さく笑う。動物園まではバスと電車を乗り継いで、辿り着いた。入口に着いた途端、ルルは目を輝かせてスミスの手を振りほどいてしまう。
 「どーぶつえん!」
 「あ、こらルル!」
 走り出す彼女を追って、二人は小走りになった。入口からすぐ現れたのはゴリラたちの森を再現していた。地面に座りながら、来訪者を眺めているシルバーバックと目が合う。彼の周りには小さなゴリラたちが遊んでいて、平和な世界が広がっているようだ。良く見ると奥行きがあるし、森に紛れる事が出来るのでゴリラ達ものびのびと暮らしているようだった。スミスとイサミは次のスペースに向かう。向かいの檻にはキリンの親子がいた。長い足で、ゆったりと歩いているかと思えば、子供のキリンが突然長い足で駆け出す。ばたばたとした動きを、親のキリンが優しく見つめているようだった。スミスとイサミはその慈愛に満ちた瞳を見て笑う。そうしていると、ルルが奥から呼んできた。
 「すみす、いさみ! はやくー!」
 「はいはい。転ばないようにな、プリンセス」
 「今行くから。周りの人にぶつかるなよ」
 キリンとゴリラに囲まれたスペースを抜けると、熱帯の森を再現しているのか色鮮やかな鳥がぴいぴい言いながら飛び回っている。美しい鳴き声の合唱は少々の不協和音だが、都会の喧騒とまったく違うエキゾチックな自然を感じられる、まるでジャングル探検隊にでもなった気分だ。その鳥達のトンネルを抜けると、草木の様子が少し変わっている。
 「ぱんだ! ぱーんだ!」
 ルルが走る。人山が出来ている先には、竹山が見えた。そこにパンダがいるのだろう。
 「パンダか。日本にもたくさんいるよな」
 「沢山ってわけじゃないが、見たことはある。まあ一度だけだけど」
 「じゃあ見てみよう。俺もテレビとかでしか見たことないんだ」
 人の山は次第に離れていき、後ろから待っているとスミスとイサミの前が開けた。そこに笹を持ったパンダが悠々と食事をしている。この愛らしい姿を見に来たのだろう。ころころとしたフォルムに、黒と白の柄。人類普遍の人気者である。
 「可愛いな」
 「あれ、ルルは?」
 先に見ていたはずのルルがいない。スミスが周囲を見渡ると、水色の髪が揺れながら奥へと走って行くのが見えた。
 「おいおい、勝手に行くなって」
 「次は何がいるんだ?」
 動物園の入り口でもらったパンフレットを広げ、イサミは前のルルと地図を見比べながら目で追う。次はライオンや虎がいる猛獣の檻が近いようだ。ライオンは草原のような短い草のある平原をイメージした場所に佇んでいた。檻と言うよりも、居住スペースを眺められるような造りになっていて柵から身を乗り出してもライオンは遠い場所にいる。ルルが興味深いというように、雌ライオンと雄ライオンが並んでいるのを眺めていた。スミス達がそこに追いつく。
 「みて、らいおん」
 「ああ、いるな。百獣の王だ。威厳たっぷりだな!」
 「きんぐ?」
 「ああ、キングだよ」
 「じゃああれはる! きんぐしれーかん」
 「なるほど、キング司令官はライオンか。確かに似てるかもな」
 「そうか? 俺はヒョウとか虎だと思ったな」
 「ひょう?」
 「そう、レオパード。タイガーも捨てがたいな」
 「確かネコ科では虎が一番強いらしいぞ。ライオンと体格が違う」
 「たいばー、いる?」
 「タイガーいるな。見に行こう」
 猛獣の檻はすぐそばの室内の施設の中にあった。そこには虎とチーターがいる。虎は退屈しているのかねそべっていたが、チーターはたまたま檻の中をうろうろと動いていた。
 「ちーた! あれはいでまりー」
 「バロウ少将か。確かにちょっと小顔で似てるかも」
 「ここは結構いろんな動物がいるな」
 「つぎいくー!」
 
 レッサーパンダが寛いでいる。
 「あきら!」
 ヘビクイワシが悠々と歩いている。
 「しぇりー!」
 「お、コアラがいる」
 「とーます!」
 「上級曹長がコアラ?! なんでまた」
 「だってほら、ひげ」
 「あの大きいのは鼻だよルル。遠いから勘違いしたんだな」
 思わずイサミが噴き出したのを見て、スミスも笑う。これは内緒だなとルルにも口止めしておいた。コアラは確かに通路から遠く離れているので、大きな髭を宿した生き物に見えなくもない。
 「あれサタチョ」
 そう言って指さしたのを見たら、ラーテルである。
 「…ルル、本当は動物詳しいのか?」
 「しらない」
 スミスが疑いの目線を向けるが、ルルは本当に知らないのかきょとんとした顔をしていた。イサミが補足する。
 「ラーテルは最強の動物って言われてる、毒にも強いしライオンに噛まれても平気だし」
 「サタチョ」
 「うん、まあそうか…そうだな」
 イサミ達は妙に納得せざるを得なかった。
 「ぼぶ」
 マレーグマである。
 「にーな中尉」
 白鳥だ。
 「じぇしか」
 白鳥とフラミンゴと同じスペースにいる黒鳥を指差した。
 「みゆ」
 メガネザルである。なんでミユなんだとスミスが尋ねた。覚えている限りではミユが分厚い眼鏡をしているような記憶はない。だが未来から来たルルは、ミユが小さなゴーグルを掛けていることを知っていた。その記憶で指差したようである。だが全てを語らず、似てるとだけルルは言った。
 「ひびき!」
 テンである。
 「ほのか」
 フクロウだ。メンフクロウが穏やかな顔でぱちぱちと瞬きをした。
 「かれん」
 ヨーロッパノスリである。それから室内施設に移動した時、ホッキョクグマがガラス越しであるが目の前に飛び込んできた。ざぱんと波が立つ。
 「いさお!」
 「カワダ海将補か。え、なんで?」
 シロクマである。隣のコーナーにはアシカが日光に当たっており、ヒロだとルルが言い出した。
 「まあ確かにヒロはサーフィン好きだし、海好きだけど」
 気持ちよさそうに日光浴しているアシカのとろけたような顔が、スミスにはあまり同僚に結びつかないようだ。イサミはどことなく似てるかも、と思った。ルルの感性が少し分かったような気がする。そしてふと、今までルルが指差した仲間の顔を思い出して、ぽつりと呟く。
 「みんな元気だろうか」
 イサミは豪華客船に半ば無理矢理押し込まれたが、ATFの面々はそれぞれの国に帰ってそれぞれの業務を果たしているか、あるいは辞めた者も多いと聞く。もう一度会えるかどうかは神のみぞ知るかもしれぬ、だが短くて太く濃い縁だ。全員が集合することはきっとこれからも無いかもしれない。それでも顔は鮮明に思い出せるし、声も、いや声も少しずつ忘れていくのだろう。人間は聴覚から記憶を失っていくと聞いた。きっといつか、忙殺されている間に誰かの声も忘れてしまう。少しだけ過去にこころを飛ばしているイサミの肩を、スミスがぽんぽんと叩いた。いつもの穏やかで快活な笑みである。緑色の瞳が笑っている。
 「きっと元気だろう。それにみんなとは死に別れたんじゃない、会えるさ。きっと、どこかで」
 「そうだな」
 死に別れた苦労を人一倍知るであろうルルは、そんな会話が頭上で繰り広げられたのでスミスの腕にしがみついた。その一方で、イサミの手もぎゅっと握る。
 「すみす、るるお肉食べたい」
 「そうだな、そろそろ食事にしよう。船に戻るか、それとも近場で済ますかい?」
 「ここにもレストランがあったな、そこで食べるのもいい。動物が見られるらしいぞ」
 「じゃあ、れすとらんがいい!」
 ルルはもう一度スミスの腕を、イサミの手を握る。そうだ。彼らは生きている。ブレイバーンやデスドライヴスのような空駆ける技術は無いとしても、それでも、船や飛行機など会いに行く手段はいくらでも手立てはある。ルルは一度は手放さなければならなかった二人の手をしっかと掴み、それじゃあと歩き始めた。少なくともこの豪華客船の旅の中では、お互いを思い合った三人の余暇となるだろう。動物園の売店でポストカードを買い、つたない文字だがルルは日付を記録する。イサミと、スミスと。そう書いた後、旅立つ前にニーナ中尉からもらった日記帳に挟んで、満足そうにルルは日記帳をしまうのだった。
 「なんだ? 日記?」
 「もー見ないで!」
 思春期の娘のようなリアクションに、スミスはごめんと詫びを入れるのだった。
 
カット
Latest / 166:14
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
今日の分書くよ
初公開日: 2024年06月11日
最終更新日: 2024年06月11日
ブックマーク
スキ!
コメント