まさか到着したら待っているのが不機嫌な背だとは思わなかった。そこまで子供っぽい所を見せるとは思わず、だが不機嫌になる理由を自身が作ったので致し方ないと考える。プラムマンはその不機嫌な背中の横に座った。カウンターでは、いつもの赤のレザージャケットではなくラセットのスーツの背が肩甲骨の線を浮き上がらせている。少々背を丸めているのは、そこが酒を飲むためのバーのカウンターであるからだ。小さな椅子に腰掛け、カウンターテーブルに身体を預けるようにして座っている。待ち合わせの時間はとうに過ぎていて、その為にプラムマンは軽く肩に手をやってから隣に腰掛けた。サタケが振り返る。もう何杯か酒が入ったような顔をしていた。彼はほんの少し眉間に皺を寄せたが、手元のショットグラスを手に取って氷をちりんと鳴らした。
 「どうして遅れたんだ」
 「猫がトイレに詰まって」
 「………」
 鼻歌でも歌って軽く言えばよかったが、淡々と紡いだ言葉はジョークにもならず、ただ意味不明の単語として場を滑ってどこかに消える。バーテンダーが会話に入らない絶妙な距離でこちらを窺っているのが分かった。サタケは薄くなったであろう酒を飲むと、遅れて来たプラムマンを見やる。
 「Cat in the toilet? 俺が知らないジョークかな」
 「韻は多少踏んでいるが、そんなジョークは無い」
 「じゃあなんで言ったんだ。トム」
 ますます不機嫌になるのが分かって、これは素直に謝罪するほかないと思った。だがカウンターで不機嫌になっても迷惑だろうからとテーブル席への移動を促すも、少しだけ顎に手をやって考えたふりをしてから下りた。離れる際に、ボストン・クーラーをバーテンダーに頼み席を移動すると、古く幾人もの客を見守ってきたであろうつややかな革のソファーが、妙に照明に光って見える。そこで対面したので、プラムマンはサタケに頭を下げた。
 「お待たせして申し訳ない」
 「三杯くらい、一人でやってたよ」
 まだ飲み足りないが、話をするのには酔っぱらい過ぎたようだ。多忙の合間を縫い、サタケが米国に来る用事があるから飲もうと二人が連絡を取り合ったのは一か月前だ。ブレイバーンによって救われた世界の中で、昇給した彼らが国境を超えるのは珍しい事だった。軍人は自国の為に存在する。一時的に垣根を超えたとはいえ、それぞれの国で邁進するのは当然のことだった。それぞれ齢を重ねている。プラムマンが国防省入りしたことでもう合同演習で会うことも無くなった。だから現場での貴重な思い出を共有する二人が真っ先に懐かしむのは、二佐であり上級曹長の位であった時のことだ。その思い出話に設定した時間より、プラムマンが遅れて来たのは時間にして一時間ほど。何があったのかと送っても何の返答も無いので、サタケはバーで待ちぼうけをくらっていた。彼が不機嫌さを隠さないのは酒のせいか、若い頃に出会った相手への甘えか。ただ若輩者だった自分を知っている者に胸襟を開いてしまうのはプラムマンだからかもしれない。
 「君は犬が好きだったはずだ。猫なんかいないだろう」
 「ご近所の猫かもしれない」
 「ご近所で猫がトイレに詰まったの、助けてってご婦人が? 君に?」
 「初老のご婦人だったかもしれないな」
 届いたボストン・クーラーを口に含んで、ようやく人心地が付いた。喉が渇いていたのだ。
 「まさか! 君がレスキュー隊よろしく猫の胴体をえいえいおーと…」
 「引っ張り上げても顔が出て来ないから、水浸しの中であおんあおんと猫の声が」
 「何色の猫だろう」
 「黒猫だったかな。でも尾は白い」
 「冗談はよしてくれトム。君が大真面目に猫のレスキューをしてたなんて、思っちゃいないさ」
 サタケは空になったグラスをテーブルに置いた。追加を頼むかと思ったが、ひとまずはソファーにもたれかかる。
 「何を話そうと結構考えていたのに、まさか猫のレスキューの話をするなんて」
 サタケはおかしそうに笑った。どうやら少々機嫌は直ったらしい。へそを長い事曲げるほどサタケは子供ではない。もう齢も四十は近いだろう。だがプラムマンにとってはまだ若輩者の小僧の面影が残って、それを知りながらサタケは甘えている。士官のケアの役目を担うプラムマンを独占する機会は、こういう時くらいしかないのだ。サタケはひとしきり笑った後、ぐんと体を前に倒す。行儀は悪いが頬杖をついた。
 「全部忘れてしまったよ。君のせいだからな」
 「言い訳をする気はない。ただ。申し訳ないとは思っている」
 「猫がトイレに詰まった以外で、本当の理由は?」
 「道が渋滞していた。その先で交通事故があったらしい」
 「本当に? だったら遅れる連絡をしてくれると思うよ。君ならそうしたはずだ」
 「予測が付かなかったからだ」
 「本当かなあ。この近所で事故なんて」
 俺は時間通りに来られたのにとサタケは首をひねる。ホテルからタクシーを利用したサタケの道順と当然プラムマンの通った道は違うとて、そんなニュースがあれば耳に入ってきそうなものだ。
 「それはあまり面白くない理由だから、パス。猫の方がまだ面白い」
 「面白い理由ならいいのか?」
 「そうだな。本当の理由が面白い事を願うよ」
 サタケはそこで笑う。機嫌はすっかり直っているが、どうやら本当の理由を言わなければ、次の話題に移る事は許してもらえないだろう。プラムマンは口ひげを撫でた。思案する時の癖である。
 「本当に面白くなくてもいいけど、まあ理由はきちんと伝えてもらいたい」
 「妊婦を助けた」
 「病院まで付き添ったのかい?」
 「そうだな。動けなくなったようだったから」
 「名付け親は君になるな、トム」
 「名乗らずに帰ったからその可能性は無いだろう」
 それもサタケはいまいちだと言う。
 「本当じゃない気がするんだ。君ならもう少し手際よくやれるだろうから」
 「なんだ見抜かれていたのか」
 「それで本当の理由は?」
 「そうだな、それじゃあ時間通りに俺はここに向かっていたんだが、家が火事だと近所の人間からの通報があって」
 「それなら今ごろ来られないだろう」
 「なかなか手厳しいな」
 「それはそうだろう、酒三杯分の価値は無いと」
 普段はそこまで甘えて来ないのに、甘える時はとことん甘えて来る。サタケのその顔かあるいは生まれ持った性質か、憎めなさがどうしても残る彼にせがまれてしまうと、プラムマンは次の話を創作しなければならないだろう。どれが本当でどれが嘘かなどは、酒の席ではどうでもいいのだ。待っているサタケの顔を見ながら、出会った当初のあどけなさが重なった。それを本人に伝えたなら、もう俺は四十だぞと言うだろうが、いつまで経ってもどこか憎めない相手である。プラムマンは口ひげを触った。
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