「はじめまして、こんにちわ。あるいはこんばんわ? 少しこちらは寒いです」
動画配信者みたいな始まり方だと思った。どのタイミングで動画が見られるか分からないから、挨拶は全方位に向けて元気よく行うか、あるいは特定の決まり文句だけを繰り返すのかでそれぞれの配信者の意向が分かれる。バランスを取るタイプか、己の売りを前面に出す押しの強さを持つパワー型かだ。動画配信の黎明期から現在も活動している一部の人間は、その割合はどちらも拮抗しているような気がする。バランサーだからと言って過激な作品を配信しないという訳でもない。パワー型だといって、哀しみを表に出すような繊細な作品を取り扱わないわけではない。ただあくまで、一視聴者としてまんべんなく見渡した訳では無いが、特定のファン層がいて、それに支えられて華やかな生活を晒け出す人間の姿をたまに見て、ああ生きているのだと勝手にこちらが思うだけだ。その口上は大抵どーも、などの初対面ではない気さくさと最低限の礼節を込めた言葉に絞られる。もちろん、特色を出そうと個人のキーワードを繰り返したりすることもあるが、挨拶にパワーを使わないのは一定のファンがいるからだろうか。固定の層というものがある、伸びようとして過激な事を繰り返せば急上昇と呼ばれるランキングに食い込むことはあるだろうが、現実がコンプライアンスに厳しい世の中だ。必然的に悪ふざけは社会的な淘汰をされる。それでも繰り返されるのは、戦争の原因を探るよりも明らかか。承認欲求だけでは成り上がる事が厳しいのは、この動画配信の界隈が既に市場規模が確定しているからであって、
「この動画を見ればいいの?」
「ああ。呪いの動画っつーか、まあヤバいもんらしい」
故・厚真の依頼を受けて私は動画を再生することにした。程なくしてメールに添付された動画は、にこやかな顔のコーカサス系の白人女性だ。言葉の通り寒いのかマフラーを巻いて、それでもパソコンのカメラか、三脚に付けたカメラか、ともかくとしてカメラによって綺麗に映し出されている。画角もよし、ブレも無し。申し分ない動画の撮り方だ。近付きすぎず、自然な被写体として彼女は画面の向こうに写っている。彼女がこちらに手を振った。手袋をしていることが分かった。毛糸で編み込まれた手袋は、指先だけがオレンジで全体はサーモンピンクである。あたたかそうだ。こちらはこれから暑くなる時期を迎えていて、かといって夜が更ければ寒くて、なんだか困る気温だが動画の向こうは一律で寒いらしい。彼女の吐く息が少しだけ白いことに気が付いた。相変わらずにこにことして、彼女の親族や恋人であれば貰って嬉しいビデオレターであろう。この動画のどこが不味いのだろうかと私は注視する。早送りはしないつもりだ。だが表示を見ると16:59とあるのでほぼ17分彼女を見ていることになる。私はなんだか見ているだけで寒くなって、自分もココアでも入れようかと台所に一瞬だけ走った。狭いアパートである。程なくしてアイスココアは、水か牛乳を溶かすだけで出来上がった。動画の方はと目をやるが、動きは無い。
「こちらはすごく、すごーく寒いです。そちら、は、どうですか」
単語が妙な切れ方をするので、彼女は日本語が達者ではないのだろう。なんとか使い慣れていない口をなんとか動かして喋っているような印象だ。そういえばこの肌なのに彼女は日本語で喋っている。嬉しそうに親し気に、彼女は続ける。
「わたし、はさむい。でもあたたかいです」
厚着しているからだろうと私は思ったが、彼女は屈託なく続けた。まさか彼女も愛しい相手へのビデオレターがこのような触れ込み付きで出回っているとは思わないだろう。あるいは役者なのかもしれない。私はふと動画のシークバーに目をやった。
「わたし、あたたかい。でも、そと、さむい」
細切れの日本語が続いている。
「さむ、い、か、ら。わ、た、し、」
なんだか急にもっと覚束なくなっていて、私は驚いて画面を見やった。途端に彼女がぐんと画面に顔を近付けて来る。
「し、ん、じゃ、た」
縁起でもない言葉に私はアイスココアを流し込みながら眉間に皺をよせた。愛らしいビデオレターかと思ったら、恐怖演出のある動画であるということか。その演出を楽しむ余裕が私には無いが、本物の幽霊と会っている私には少々物足りない画面の向こうの怪異である。私はくだらないなと瞬きをした。ほんの一瞬で、彼女の顔は画面いっぱいに広がった。
「み、た。み、み、み、み、み、み、み、た」
ようやくそこで恐怖演出であるのに、何故彼女は近付くのだろうと思い当たった時、先程アイスココアを作るために画面から目を離した瞬間のことを思い出した。そこから急に細切れの日本語になったのだ。もしかしたら、もしかしたら彼女は、私を画面の向こうから見ていて? そして私が目を離した瞬間を狙っている? その悪い予感に目に力がこもった。だが生理的な現象は止められない。意識していなくても、まばたきをしてしまった。してしまったと思った。思わず私は画面を注視する。だが、そこに彼女の姿はいなかった。ぞっとする。もしかして、ホラー映画であれば非現実的であると分かっていても何かが起きる前兆だ。恐怖の前には安堵があれば、恐怖は増す。もしかして、彼女は画面から出て来て私の、まさに背後に回っていたりしたら? 絶頂にまで高まった私の緊張感に途端! スマホが鳴った。宛名は厚真である。思わず出ると、動画面白かったろ?と告げられる。
「なんの話」
「あれな、人間心理に詳しいチームが、ホラー物を見る時の瞬きの多い瞬間を計測して作った実験映像なんだと。だまされたろ? シークバー動かして見ろよ。後半はネタ晴らしで演者が出て来るから」
私は半信半疑だったが、シークバーをずらすと確かにそこにはカメラを構えた若者や、監督らしき青年が談笑しながら画面の中央で得意げな顔をしていた。私は拍子抜けする。
「驚いたろ」
きっと厚真は私をからかうためだったに違いない。これの日本語版を用意したのだとすれば、素直に感服する。
「俺は老婆だったぜ。お前は?」
だが厚真の一言で私は背筋に冷水を流し込まれた気持ちになった。
「これな。そこまでは良かったんだが、…だんだん流通するにつれてちょっと変わって来てな。そのうち多国語に対応し、見る人間によって画面に映ってる人も変わるんだってよ。これを俺に紹介したライターもな、まあゲーム雑誌の会社でライターやってたんだが。途中の原稿放りっぱなしで消えちまったらしくてなあ」
私は思わず上を向いた。後ろを振り返った。部屋の隅をすみずみまで確認した。だが彼女はいなかった。その代わり、厚真の声を聞いているのと反対の耳にうふふと笑う鈴を転がすような声がする。
「なんだ、死んじゃうのね。じゃあいらないわ」
ぞっとした悪寒と同時に、助かったのかと私は胸を撫で下ろした。そうだ。彼女の顔を私は知っている。大学生時代に好きで何回もレンタルした洋画の中にいる地味で目立たないヒロインの同級生役で出てきた女優に、顔がそっくりだ。あれは私の記憶から抜き出したとでも言うのだろうか。ともかくとして、私は厚真に文句を言いたくなったが、アイスココアの唾液がつかえて舌がうまく回らずにへたり込むのだった。ゲーム雑誌のライターの行方は分かっていない。