月も見えないような重苦しい夜。少年は一人、自室のベッドに腰掛けていた。狭い部屋の中にはベッドと簡素な机、そして数冊の本が置かれている。
少年は俯いたまま、まるで何かを堪えるようにじっと己の膝頭を見つめている。
少年は教会で育てられている孤児だった。優しい神父様と親切な村の人々に支えられ、貧しいながらも日々勉学と労働に励んでいる。
ギィ……と扉が軋み、少年は弾かれたように顔を上げた。恐れを孕んだ瞳は、やがて訝しげに顰められる。
「君…… 誰? 神父様は?」
扉を開けたのは、少年より少し歳上と思われる青年だった。右目の下には不思議な形の黒子があり、それがやけに印象的だ。それに加えて、季節は冬だというのに、まるでハロウィンの魔女のような黒いマントを羽織っている。
「神父様はこないよ。僕が殺したから」
「え……?」
事もなげに青年が言い放った言葉に、少年は戸惑った。
「そう……なんだ」
不思議なことに、その時少年の心に浮かんだのは悲しみではなく安堵だった。
神父様との思い出はたくさんある。一緒に畑の野菜を収穫したり、文字の読み書きを教えてもらったり、それなのに……
「ホッとした?」
心の内を青年にズバリ言い当てられ、少年はどきりとした。
「もうこれで、新月の夜に神父様を待つ必要もないでしょ?」
「君、どうして『儀式』のことを……」
『儀式』は神父様と少年だけの秘密のはずだった。決して、誰にも言ってはいけないと固く口止めをされていたのに。もしかして神父様が青年に話してしまったのだろうか。
青年はうえ、と吐きそうな顔をしている。
「あのエロ神父、君にそんなこと言って君を押し倒してたの? 最悪だね、やっぱりベルゼブル様に捧げるに相応しい生贄だった」
「そんなことって何? 神父様はなんで死んじゃったの? 神父様はどうなったの?」
「地獄に堕ちたのさ」
「そんなはずないよ!」
訳の分からないことを言う青年が、少年はいよいよ恐ろしくなってきた。
「僕が神父様を天国に連れて行くんだって、僕は尊い行いをしているから僕も必ず天国に行けるって、そう言われたから嫌でも気持ち悪くても頑張ってきたのに、神父様は嘘つきだったの? 僕は今まで神父様と何をしていたの? 僕も地獄に堕ちるの?」
少年の頬を涙が流れていた。今まで信じていた世界は呆気なく崩されてしまった。救いがあると信じて耐えてきた苦痛が、今まさに少年の精神を壊そうとしていた。
無垢なまま穢され続けた哀れな魂に、青年はそっと近づいた。
「君は地獄に堕ちないよ」
両腕でその華奢な身体を抱きしめる。
「君は罪を犯してなんかいない。何が罪かを決めるのは神じゃない。君は自分の選択権を神に委ねてはいけない。何が罪かを決めるのは君自身だ」
少年は泣きすぎて引き攣りそうになる呼吸を必死に抑えながら、青年の顔を見つめた。
「かみさまは……」
「神はいる。だけど神は何もしてくれない。君は君を傷つけた奴らを裁く権利がある。でもそのためには強くならなくちゃいけない。自分の声を聞いて。自分の頭で考えて。自分の力で、立ち上がって」
涙はいつの間にか止まっていた。
「もう、自分の足で、立てるね」
「君は……」
青年はゆっくりと後ずさった。
「僕は暴食の魔女、ヴィルギリウス」
「もし君が世界の在り方に絶望したら」
「もし君が全てを捨てても許されたい恋があるなら」
どこかで、誰かが悲鳴を上げた。遠くから、サイレンの音が聞こえる。
「いつでも僕等のサバトに招待するよ」