「ターボババアって知ってるか?」
 「それ、私達の小学校とかで流行ったんじゃ…」
 「まあ正確には昭和、平成の怪異かな。高速で走るばあさんから逃れられないって小学生の考えそうなことだろ?」
 「それを私に調査しろと?」
 故人たる厚真との会話はこう切り出された。私も小学生の頃はそういったうわさ話を耳にしたことがある。無いとは言わない。不登校でもない限り、怖い話と言うのは教室で浮いている人間の耳にも入って来るものだ。それこそ不幸の手紙よろしく、自分が味わった恐怖を誰かに伝えて引きずり込まないと気が済まない。怪談が広まるとはそういうことだ。恐怖を伝播させないと、自分の恐怖が増幅していくのが分かるからだ。
 筆者である私は、余談だが小学校の頃は目立つ存在だった。彼女は活発で成績もよく、運動も出来て公平な子供だった。支援学級のお世話を頼まれても嫌な顔をしない子供だった。きらきらとした子供だったが、彼女の光は次第に中学校、高校の社会関係の中で揉まれていき輝きを失った。あるいは、磨きすぎたせいで没個性的な子供であったと言えるかもしれない。輝くアルミニウムの玉だって、誤った力で全面を磨き続ければ無数の傷が付き、どこにでもある鈍い金属のかたまりになる。そうして子供の自尊心という輝きを失い、成長と共に凡人として振舞うようになる。彼女は若年性認知症を患い、己の幼いころの記憶が忘れていっているが、小学生の自分がきらきらとした傲慢に充ちていることは覚えている。きっとかつての同級生は、今の彼女から想像もつかないことだろう。話を戻そう。
 「ターボババアはいないよ。まあでも面白いだろ? オーソドックスな都市伝説に会ってみようってのは」
 「そういう企画って事か」
 「そうだよ」
 故・厚真はそう言って電話口の向こうでにやにやとした笑いをしていたに違いない。だが私には違和感があった。都市伝説は幽霊とは違う存在なのではないかと、オカルトに詳しくない私でもなんとなく分かるからだ。
 「会えなかったらどうする? 私は今、うすぼんやりと見える程度なんだ。黒いもやのようなもんが、ぼやーっとね。でも声も聞こえたことないし、顔も見えたことない」
 「それって、いつも逃げてるんだろ?」
 故・厚真は鋭い指摘をしてくる。確かにそうである。圧倒的な死の気配を纏った黒いかたまりが、道端で座り込んでぶつぶつ言っていたら? あるいは顔を認識できないのに顔らしき場所を壁に押し付けて、踊り場で狂ったように踊っているのを見たら? それらを直視しないのは、凡人の逃げ方である。私は凡人なのだ。
 「だーめだ。それじゃだめなんだ。読者ってのは、その一歩先に進んでもらわないと」
 「死ぬかもしれないのに」
 「何もしなくたって、死ぬんだろ?」
 ずけずけとした同級生の物言いに、私は反論が出来ずにいた。その通りである。どうせ病が進行したら私は死ぬのだ。この病を宣告されてから数か月、治癒の見込みがないとされ、家族に絶縁されたところで私は家族がかき集めてくれたお守りを燃えるゴミで捨てた。罰当たりだと思われてもよかった。家族を失ったと同時に職場からは休職を強制的に宣告され、そのまま退職に追い込まれた。病に罪はないと口で言いながら、この病気だけはとことん差別されるのだ。認知症は脳の病気だと、今日もテレビの片隅で熱血漢の医者が必死に弁解している。知性を失った人間は人間で、獣ではないと。だがその正義感を面白がるマスメディアは、真摯に取り上げようとはしない。だって認知症を叩いた方が、視聴率がいいらしいから。代わりに癌は悲劇的だ、あまりにも残酷だと描かれて医療ドラマのクライマックスには使われている。いっそ癌になりたかったと願うまでに。この葛藤を、苦しみを、何も分かっていないのにこの同級生は死ぬなどと軽々しく言う。だがそれに反論する力もない。
 「分かった。原稿は持って帰ってもらわないといけないからな、生きてくれ。それよりターボババアだ。有名なトンネルがあるんだが、車の免許って持ってるか?」
 高校生は子供と大人の狭間である。この男が私の免許の有無を知らなくても無理はない。
 「持ってる。でも、万が一事故ったら保険が」
 「あーそうか。てんかんもそうだもんなあ。罰せられる。まあでもいいじゃねえか。ターボババアに深夜二時あたりに会いに行ってくれ。県境のトンネルで地元民は近付かねえ」
 この同級生はどこまでも呑気である。罰せられるのは私なのだ。だが金が欲しい事情が私にはあった。せめてあと五千円は手元に置いておきたい事情がある。だからその条件を呑んだ。遠い遠い県の向こう、まずは目的地まで怪我も事故も起こさずに向かわねばならない。それだけで憂鬱な気分と、久しぶりに家とスーパー、近所の往復から解放されるのだと思うと浮き立つ私もいた。レンタカーの手配も全て同級生の会社がやってくれると言う。それじゃ事故に遭った時に迷惑が掛かると私から言ったが、その時はお前が窃盗したことにするからと高らかに笑ったので、この男には期待をしないことにした。
 深夜二時の県境のトンネル。いかにも何かが出そうな場所である。車通りが無い。こんな寂しい所に現れるターボババアとは、どんな存在なのだろう。山姥の伝承が現代的にアレンジされたのか、姥捨て山だとか、古くから人間は山や森に老齢の女性を組み合わせるのが好きのようだ。山姥は、姥捨てにあった老婆が生き延びた姿ではないかという伝承を聞いたことがある。同級生程ではないが、時間に暇が出来た人間に与えられる無料の娯楽の一つは、怪談だった。身の毛もよだつ話を体が求める事が、人生では一回はあるのだろう。怪談動画などが目を引き、都市伝説に一時的に詳しくなったことがある。それでも、同級生に比べれば聞きかじり程度なのだろうが。私はトンネルの入り口手前に車を寄せて止めた。木々がいっそう近付いて、暗闇の中でも黒い手を伸ばしてくる気がする。時間はまだ1時43分。少々早めに設定したのがよかったらしい。高速道路や一般道で、警察に夜検閲が無くてよかった。免許証だけでなく、手帳を見られては車から降ろされる懸念があるからだ。この国は今どこまでも私の病には厳しい。こんな時間まで起きていることは普段ない。金の心配と常識に囚われて、一時的な不眠に陥ったことがある時だけだ。今は緩やかに、穏やかに、死んでいるものと同じような扱いを受けることに減る自尊心も少ない。一か月前は自殺を図ろうとして、勇気が無くて終わった。自尊心を減らせば、意外と人間は生きていける。私は胸ポケットから煙草を取り出した。酒を浴びようと試みた日もあるが、体質的に出来なかったので煙草にしている。火を点け、車の窓を開けてふかす。レンタカーであるが、どうせ死ぬのだからとやけっぱちになっている。そして迷惑な客扱いを受けることを承知の上で、私はいつもそうした。誰かが苦い顔をするであろう。窓の隙間からふうと煙を吐き出すのが、せめてもの良心が煙を天井に吐き出さずに済んだ。でもレンタカー会社の従業員は、いい顔はしまい。
 そう思っていると、こんこんと車の外の窓を叩かれる。私はハッとして辺りを見回した。カーオーディオもナビも何も付けていなかったが、暗闇の向こうを見つめていると何故だか思考も向こうに吸い込まれていくようで、時が経つのがあっという間だったようだ。高僧は修行で、土中の甕に入って一週間暮らすというものがあるらしい。その修行の過酷さが、なんだか分かる気がした。暗闇の中、自分の呼吸音と葉擦れの音が無ければそこは時という概念が失われるのだろう。そんな状況で身動きが取れない中で一週間!
 「もしもし」
 そんな事を考えていたら、人の声が聞こえて思わず私は横を見やった。運転席のガラスではない。助手席の方から音が聞こえる。見回りの警察官だろうかという考えは、すぐに消えた。運転席が車道の側だからだ。何か用があれば、車道の方から声を掛けるのが自然である。だったら木々の向こうの暗闇に近い方から車の窓を叩くのは、明りにつられた蛾であろうか。そうであって欲しいが、そうであれば人語の説明が付かない。私はさび付いて壊れたおもちゃのように首を左に回した。そこに、何かがいる。その窓には何もいなかった。私が安堵の息を吐いた瞬間、トランクの方に何かがのしかかる音が響き渡る! 昔見た映画のジュラシックパークで、ティラノサウルスが車の屋根を外して中にいる子供に襲い掛かろうとしたが、その音が思い起こされた。車の装甲が簡単にひしゃげる巨大な音だ。私はエンジンを掛けた。そして急発進させるのなら確認しなくてもいいのに、流れるように吸い付くように私の首は後部座席を見やっていた。そこに、ガラスの向こうに白い着物を着たような何かが、びょんと飛び跳ねている残像だけが見える。アクセル急発進。トンネルにぶつかりそうになりながらも妙に冴えた頭でハンドルを切り、トンネルの中を急いで通り抜ける。薄暗い照明のせいで、車内は暗い。灯りを点けるのはためらわれて、それ以上私の首は凝り固まったかのように動かなかった。怖かったのだ。あの残像の物が、人間の動体視力が、何故かそれを老婆だと脳内で反芻して補完する。それは思い込みで見間違いだと思いたいのに、ターボババアだと思ってしまった。バックミラーを見やる。ターボババアなら、走って追ってくるはずだ。何も無いと安心したその時、ばん、と後部座席の左から手のひらで叩くような音がする。続いて右。また左。まるでおちょくるように、恐怖感を高めるように左右を跳ねて、ばんばんと叩いてはからかわれているようだ。だが恐怖の絶頂の中ではそのからかいも怖さを引き出しており、このまま逃げ切れなかった場合、この超常的な存在に殺されるのではないかという新たな恐怖も呼び込んだ。このままでは人間の世界に戻れないと思った時、山道を必死に駆け抜けてコンビニの灯りが麓に見えた時に全身の力が抜けた。コンビニエンスストアは、本当に危ない場所には作られないのだと思った。私はこの時に安堵したのもあるが、レンタカーが凹んでやいないかという懸念が浮かんで、駐車場でこわごわと地面に足を着けると車の後ろに回った。だがそこには凹んでいる形跡も何もなく、後部座席の窓に叩いたような人の手形も浮かんでこなかった。ただおちょくるような、まるで無邪気な子供が遊んでいるだけかのような感覚を、私は記事にしたためた。同級生はがっかりするかと思ったが、意外にもその視点は新しいと電話口で笑っていた。
 「いいじゃん。都市伝説レベルなら、遊んでもらえるんだな? 幽霊はどうだよ」
 「幽霊は遊ばないよ。子供じゃない限り」
 「ほうほう。なるほど。都市伝説クラスはやっぱり格上っつーことか」
 格上という単語に私は違和感を覚えた。確かにターボババアが存在して、私をからかうようにしていたというのなら、私はそれはそれで非常に怖かったのだ。いつ握り潰せるとも分からない手のひらの上で、泣きわめいて逃げ惑うかのような感覚だ。小学生の時に覚えがある。絶対的に足が速くて私たちを捕まえられる鬼がいる中で行われた鬼ごっこのような。絶望と諦めの中で逃げまどう感覚が。どうにもうすら寒い。
 「次は口裂け女だな!」
 「やめてくれ」
 「冗談だ。口裂け女の目撃例は少ないからな。ターボババアも、まあ本当に出るとは思わなかったけど」
 じゃあ何故行かせたという言葉を私は飲み込んだ。この記事が多少の金になるのなら、私は構わない。レンタカー会社の人間に鍵を返した時、受付では嫌な顔をされなかったから気分を害することは無かった。きっと今ごろ、消臭に奮闘して私に嫌悪を抱いているかもしれないのだが、それは私の知らない所の話だ。ターボババアだってそうだ。最初は小さな場所での口頭の伝承だったのに、全国区になってしまった。それなのに忘れ去られて、今は覚えている者は少ないかもしれない。それなのにのこのこと現れた私を歓迎したのだろうか。実際に触れ合って見た私には思うところがある。二度は無い。きっともう一度私があの場所を尋ねたら、あの怪異に殺されるだろう。何故か頭にその考えがこびりついて離れなかった。遊ばれているということは、気まぐれで命を奪うもしれないということだ。
 「次に私が行ったら、死ぬかもしれない」
 私がそう吐露すると、同級生はいいだろとすぐに返してきた。
 「どうせお前すぐ死ぬんだし」
 そうかもしれないが、まだ残っている生への執着とやらが私を少々不愉快にしてくれた。
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