家族の日ですと幼稚園ではそう伝えていた。手紙を書き、花の折り紙を折って親に手渡すという催しに、ルルは何の疑問も持たずに折り紙に悪戦苦闘しながらチューリップを作った。力作である。白い紙のチューリップを虹色に塗ったところで、先生に褒められて嬉しかった記憶がある。だが家族の日は、五月に一度あると六月にもあったので、ルルはある日の帰宅時に首を傾げてスミスとイサミに尋ねる。今日はたまたま二人が出迎えてくれて、三人で帰っていた。
「ねえすみしゅ」
「どうしたんだい」
スミスの手を握り、イサミの手を握り、ルルは交互に二人の顔を見比べると思っていたことを呟く。
「なんでかぞくのひって、にかいあるの?」
「二回?」
「このまえはあかいおはな、こんどはしろいおはなおった」
ああ、とイサミはピンときたらしく頷いた。イサミとスミスそれぞれに折り紙の花を手渡された時、日本の風習に関係していると気付いたからだ。だから事も無げに答える。
「五月は母の日で、六月は父の日なんだ」
「はは? ちち?」
「おかあさんの日と、おとうさんの日だ」
「おとう…?」
ルルはピンと来ていないようである。そこでイサミは、スミスを見やった。ルルには家族の在り方を説明しているのかと思っての言葉だったが、違うらしいと気付いて顔を曇らせる。ルルの家族は、スミスが養育者であり保護者である。父親といって差し支えないだろう。だがその父親はルルとは血が繋がっていない。血の繋がっている祖父母はいるが、実の親は三年前の震災で亡くなっている。その現場に立ち会ったイサミは、父母が炭になっているのを見た。まだその記憶は新しく、ルルに伝えられる物ではないのだが、スミスと血が繋がっていないことは説明済みだと思ったのだ。スミスは大丈夫さと言いたげに小さく笑う。
「まあ、ルルにとっては俺達がお父さんかな」
「ちち?」
「そう、父親だ」
だがルルの世界にとって、物心がついた頃から在る家族はスミスだった。父親ではない。スミスと呼んでいる。イサミは最近一緒に暮らすようになった前からの知り合いで、スミスと仲が良い人間だという認識である。この家族の在り方は、五歳であるルルの全てでありその在り方に疑問を抱かずに済んだが、社会的通念が、あるいは大多数の常識というものが、おのずと日本社会がルルに身体をこすりつけて来る年齢だ。父親が二人というのは少数派だ。ましてやイサミは父親を名乗っていない。だからルルは、二つある家族の日に疑問を抱き、母親という概念と父親という概念に触れざるを得なかった。もうそういう年齢なのだとスミスは感慨にふけるが、それでも子供の疑問には答えねばならない。
「いさみは?」
「イサミは、イサミはパパのパートナーさ」
「ぱーとな、ぱぱじゃない?」
「うーんそうだな。パパでは…」
口ごもりながら、スミスの目線はイサミを見やる。イサミが傷付かない方法を模索しているようであるが、イサミは特に気にしていないようだ。
「じゃーいさみは、いさみのひがある?」
「そうだな。8月31日がイサミの日だ」
「それ俺の誕生日だろ…」
そう言いながら父親と母親の概念について説明しようとして、はたとイサミは口ごもる。難しい概念だ。下手をするとルルを傷つけることになるだろう。ひとまずはその点はスミスに任せて、イサミは繋がれたルルの手を小さく握る。話に夢中になるとすっぽ抜けてどこかに走って行くのがルルである。このお転婆な子供が、無邪気に母親の概念を理解するのはいつになるのだろう。その時は自分が見たものを話す時になる。イサミは少しだけその日が来るまで身構えることにした。その時、スミスはきっと大丈夫だと傍にいてくれることだろう。
「父の日なんかあげるの?」
「えー二人もいるもん、うち」
あれから九年の時が経った。訳も分からず作った折り紙の花が飾られるのを見ると、捨ててくれと思う思春期のルルである。ミオワに尋ねられて、ルルはスマホを見ながらそうけだるげに答える。スマホから目を離して振り返ると、かえって尋ねてみた。
「ミオちん何あげるの?」
「うちは兄弟多くて、だからチビ達は肩たたき券作ってる。私は、まあおかず多めに作ってるよ」
「あーミオちん料理出来るもんね。いいなー。フーちゃんは?」
「私はお菓子焼いて渡してる。バレンタインと被っちゃうから、クッキーにしてるよ」
「みんな色々やってるんだぁ」
悩んでいるようにルルは呟く。母親と父親という社会的通念を学んだのは小学生の時だ。特殊な家庭の在り方に少々だけ心がこじれたが、ルルがこじれたところでスミスはスミスで、イサミはイサミだったからすぐに元に戻った。ルルは認めなくても、この二人は自分を保護し、養育する親である事に違いはないからだ。母の日は、なんとなくスルーしていた。どちらに渡せばいいか分からないからだ。だが父の日は違う。二人分、何かを用意せねばなるまい。だからルルは悩んでいた。昨年は洋菓子店に行ってクッキーを買った。同じ物でいいかもと思ったが、二人への感謝を伝えようと今年は珍しく思ったのだ。だが予算も限られているし、行動範囲も限られている中学生でどうしようか。デパートだの百貨店にわざわざ足を運ぶのもいいが、なんだか心が動かない。
「去年はどうしたの?」
「んークッキーあげた。今年はどうしようかなって」
「ハンカチとかタオルとか、意外と実用品もいいよ。ネクタイとかあげるみたい」
「あー」
それも手だ。スミスは仕事でネクタイを使うので、きっと喜んでくれるだろう。だが思春期特有の気恥ずかしさで、そこまで意気込みたくない葛藤がある。スミスの喜び様も想像がつく。なんだか、その想像の向こうを超えていきたい気分なのだ。だからといって、意気込みたくない。うううとルルは頭を抱える。友達は気を遣って提案をしてくれるので、それをスマホにメモしてたくさん礼を言った。だがいまいちピンとこず、放課後にルルが足を運んだのはフルリスト・サタケだった。
「父の日のプレゼント?」
客足が無いので、店舗でヒビキと談笑していてもサタケ店長は何も言わない。イサミは今日休みなので、この会話が聞かれることは無いのだ。ヒビキははあーと間の抜けたような声を出した。
「なーんか、ルルちゃんいつの間にか大きくなっちゃったねえ。感慨深いな」
「えーそういうのいいよー」
「いやいや、この前母の日のケーキ買う~って駄々こねてたと思えないからさ」
ヒビキはそう言って笑う。これは彼女の思い出話の中で鉄板なのだ。五歳のルルの話に戻ろう。五月にスーパーにやって来たスミス、ルル、イサミは買い物をしていた。母の日の装飾がされた赤いラッピングの食品が並ぶ中で、カートを押すイサミに、先に走って行ったルルが手招きした。
「いさみ、これかって」
「ケーキか? だめだ」
「えーこのけーきがいい。おはなきれいだから、かって」
「母の日のケーキだからうちとは無縁だ。戻しなさい」
「えーなんでー」
母親の説明を最低限だけ済ませていた時期だったので、ルルは母親とは女の人であると認識している。だから自分を指差した。
「るる、おんなだもん。ははのひかう!」
「買わない! ルルはまだ母親じゃないだろ」
「もーいさみのけち!」
そう言い放つとルルは売り場にケーキを戻すと、ふんとそっぽを向いて走り出した。スミスがルル、と声を掛けるも機嫌を損ねた娘はどこかへ行ってしまう。広くないスーパーである。見失ってもすぐに見つけ出せると思い、イサミはほっとけと呟いた。二人から離れたルルは、顔なじみを見つけて駆け寄った。
「ひびき!」
「ルルじゃん。どうしたの一人で」
「すみすといさみ、いる」
「そっかーお買い物か」
ヒビキはそう言って屈むとルルの頭を撫でる。彼女の傍らにはカートを引く男性がおり、目が合うとルルに優しく笑いかけた。つい首を傾げるルルに、ああとヒビキは説明する。
「こっちは彼氏なんだ」
「かれし」
「恋人ってこと」
「ひびき、おかあさんになる?」
その時点でヒビキはえっと戸惑い、顔を赤くして恋人を見比べてルルに向き直った。
「ま、まだかな~」
「ひびき、おかあさん?」
「今は違うかな~」
少々濁しながら否定をしないような言葉選びをしていたと、14歳のルルなら分かるだろう。だが五歳のルルはその機微が分からず、イサミがケーキを買ってくれないとふてくされていた。
「そっかーケーキ買いたかったのか」
「おはなついてて、きれいだったの」
「そうだよなー。でもあたしが買うのはなー」
そう言ってヒビキが否定もせず肯定もせずにいると、機嫌を直したのかルルはじゃあねと手を振って走り出した。あ、気を付けてねとヒビキの声が背中に聞こえるが、ルルは構わず走り出す。スーパーは棚がたくさんあるのを、幼いルルは知っていた。その棚を覗くと、それぞれ違う物が売っていて、大人はみんな棚の前で立ち止まる。だからルルは、一個一個棚を覗いていき、スミスとイサミを探し始める。程なくして二人は見つかった。カートに駆け寄ると、おそらく味噌を買うところだったイサミがルルを見やる。
「ルル。どこ行ってた」
「ひびきいた!」
「ヒビキが?」
スミスが少し驚いたように呟く。だがイサミは大体の生活圏を把握しているのか驚かなかった。ルルはカートに足を掛けると中を覗き込む。そこに、先程イサミが買わないと言ったケーキが入っているのを確認して目を輝かせた。
「今回だけだぞ」
もうケーキの味は覚えていないが、イサミがそう言ったのだけは覚えている。そしてルルがヒビキにスーパーで話しかけたのを、ヒビキはよく覚えているようだ。
「ほんとーに小さくてちょこまか動いてたのに、うちのを見たら、急にルル大人しくなったよね!」
懐かしむようにヒビキは言う。
「だって知らん人だもん。今も恋人なの?」
「まあねー」
へへと屈託なくヒビキは笑う。そこは惚気の始まりになりそうなので、ルルは話題を変えた。
「父の日、何がいいと思う?」
「花でも買っていったらどうだ。ここで」
サタケ店長が、レジ奥で生花の束を抱えながら言ったのが聞こえた。
「それってー、サタチョの店の売り上げになるからでしょ?」
「バレたか」
小さく笑った顔を見て、まじめに考えてよとルルは頬を膨らませる。
「サタチョ何あげた?」
「俺は、就職したら酒を買ったかな」
「ルル買えないじゃん」
「確かにな。昔は大らかだったんだ」
「じゃあさ、肩たたき券とかは?」
「あの二人の肩大きいんだもん、ルルのが先に疲れちゃう」
それもそうかとヒビキは想像したらしく笑っていた。それならば物を贈るのがいいだろう。折り紙の花を思い出す。今見ると不格好だが、二人はまるで大層な物であるように額に入れて今も飾っている。だからといって、この年で折り紙の花はあまりにも子供っぽいではないか。ルルは悩みあぐねて、じゃあ花にすると決めたようだ。
「サタチョ、おすすめは?」
「予算は」
「なるべく安くて、ゴージャスで、目立つやつ!」
なるほどと無理難題にサタケは笑った。花束にするのは少々厳しそうだ。そうだなと顎に手をやって考えると、サタケは黄色の薔薇と白い薔薇を一本ずつ出してきた。ルルは怪訝そうな顔をする。
「え、白い花って死んだ人に贈るんじゃないの?」
「それはたぶん、白いカーネーションだね。白い薔薇は違うから大丈夫」
「花言葉は、心からの尊敬だ。イサミなら分かるはずだよ」
「あーなるほど! 情報を逆手に取るんだ」
「まあプレゼントだからな」
サタケが用意したその二本じゃ寂しいと言うので、ルルは奮発して千円分だけ小さな小さな花束を作ってもらう。二つ作るかと問われるが、横着して二人に一つでいいとルルは断った。飾るのはどうせリビングか玄関だ。結局イサミが手入れをすることになるだろう。だけど早めに散ったら、きっとルルは文句を言う。そういう年頃だが、花束を受け取った時に顔がむじゃきに綻んだ。
「ありがと!」
「どういたしまして」
これが花屋の醍醐味だろう。花を通じて人間が心根を伝える瞬間に立ち会うことになるのだ。気を付けてね、とヒビキが言ったのを聞いてルルは振り返る。もう子供と大人を行き来する年齢なので、その声を無視せずにルルは手を振ったのだった。