かつん、かつん。ヒールが石畳の階段を叩いていく。ドグラ邸にやってきたカミラへの案内の末、屋敷の女主人であるカタリナが使っている部屋の一つへと足を踏み入れたゴブリンたちは、さすがに引かれただろうかと背後にいるカミラに視線を向けた。
「こちらが、奥様のお気に入りの部屋です」
部屋、そう、確かに部屋ではある。しかし、そこには格子と鎖、それから拘束具の類が多く存在している。端的に言えば、地下牢と呼ぶしかないその室内に、カミラは僅かに目を見張った。
「あらあら、まぁまぁ……」
小さくこぼす彼女に、ゴブリンたちは苦笑交じりに言葉を紡ぐ。
「本来であればもう使われることのない牢だったのですが、奥様が酷く気に入られまして……ドグラ様のご機嫌を損ねた時もですが、たまにご自身から望んでいらっしゃって、そのまま拘束を施され過ごすこともあるのです」
「……やはり、お嬢様はお変わりないようですねぇ」
くすくす。自分の記憶の中の主人と現在の主人がなにも変わっていないらしいことに、カミラはどこか嬉しそうに肩を揺らす。自分から望んでゴブリン領へ向かったことは知っていたが、それでも自分が見ていない間になにか変わっていることがあるかもしれない。もしも、全く違う性質になっていたなら。そんなふうに知らず危惧していたことが杞憂だったと知れて、ほんの少しの安堵を覚えたのだ。
そんなふうに考える新入りの内心に気付いているのか、ゴブリンたちも柔らかな笑みをたたえる。過去に人族領で言われていた「亜人族は野蛮な種族である」という風評にそぐわぬ、柔らかな微笑み。それに気付いて、カミラも僅かに目を細める。その表情は酷く慈愛に満ちていて、ぱっと見には妖艶さを強く知らしめるその表情が優しいものへと変わったことに気付いたゴブリンたちも、以前にカタリナから聞いた評価に相違ないことをよく理解したようだ。どちらもが互いへの信用を築いていっていることは明白で、だからこそだろうか、カミラは頬に手を当てわざとらしくも妖しい表情で、ゆるりと口角を持ち上げた。
「お嬢様――いえ、奥様が奴隷服を望んで纏われているのでしたら、私もそれに倣った方がよろしいのかしら?」
そう紡いだカミラがゴブリンたちに流し目を送れば、それを受けた彼らは顔を真っ赤にして慌てて首を横に振る。
「いえ! そんなことはなさらないで良いです! むしろやめてください!!」
「あらまぁ……そんなに拒否されるなんて、少しばかり残念ですわね。もしかして、私の身体では満足いただけませんの?」
「違います!」
即答したのは、一人のゴブリン。咄嗟のそれに気付いて顔を真っ赤にしたその彼に、他の同族たちは「おい!」だの「馬鹿!」だのと言い募る。そんな新たな同僚たちに、カミラはなおもくすくすと肩を揺らした。
そんなふうにして始まった新たなメイドを置いての生活。ドグラ邸にいるゴブリンたちはみな気の良いもので、カミラはそれを喜ぶようにしながら生活し、カミラの勤勉さもゴブリンたちには受け入れるに相応しいものと判断するに自然なものだった。
それから、ある日のこと。
「……あら? なにかしら、これは……」
地下室の清掃を任されていたカミラは、ふと見つけたなにかに小首を傾げた。ほんの少しの布地に、細い紐、それから僅かに施された装飾。ぱちくりと目を瞬かせた彼女は、それを手に取り検分するように目線の高さへ持ち上げ、じっと見つめる。
(――もしかして)
理解すると同時に浮かんだのは、ちょっとした好奇心。口の端を持ち上げ、カミラは唇を湿らせるようにし、ちろりと出した舌先を動かした。それから腰後ろに手を回し、エプロンの紐を解き――
「ふふ、どんな反応をされるのかしら」
小さな声が笑い、そのままぺたぺたと素足で石畳の上を歩き出す。階段を上がり、扉をくぐり、そして。
「あ、かみ、ら、じょ――うわぁぁああ!?」
響いたのは、悲鳴。断末魔もかくやといった調子のそれに、屋敷中のゴブリンが慌てた様子で声の発信源を探して集まって来る。そうして集った使用人たちは揃って驚きをあらわにし、カミラの格好に目を白黒させた。
「か、カミラ嬢……!? その格好は、いったい……っ!!」
ゴブリンの一人が慄き、問い掛ける。それに応えるカミラはと言えば、愉快そうな笑みを顔にたたえ、そしてその場でくるりと一回転し、ゆるりと目を細めた。
「似合いませんか? 我ながら見事な着こなしだと思うのですけれど」
揶揄いも含んだ声色で語るカミラ。その豊満な身体が纏うのはあまりにも卑猥な、衣装と呼ぶにもお粗末な布切れだった。
胸のてっぺんと、下肢の本当に僅かな要所だけしか隠せないほどの布。ただでさえ少ない生地は、締まっていながらも出るところの出た、女性が憧れるタイプのプロポーションを誇るカミラの身体には、あまりにも小さすぎるそれだった。しかも、あまりにも放置されていたせいか、ボロとも言えそうなくらいに擦り切れている合間からも肌の色が見え、男を惑わすには十分なものだと言えよう。
そんなものを前触れもなく見せつけられて、ほとんどが雄であるゴブリンたちが慌てたのは仕方のないことだと思うのが当然だというもの。度肝を抜かれるとはまさにこのことかと言わんばかりの驚きように、カミラは艶やかに目を細める。
「実は、先ほど仰せつかった地下牢の清掃をしていたところ、これを見つけましたの。主人である奥様が囚人服を纏うと言うのなら、それに仕える私がまともな服を着る訳にはいきませんわ」
それでは、清掃の続きがありますので、皆さんもしっかりお勤め果たしてくださいませ。
にっこりと、これでもかと綺麗に笑って、カミラは集まったゴブリンたちに背を向ける。そうすれば、背中側には衣装を留めるための紐しかないことが判り、彼らの困惑はさらに膨れ上がった。
「なんなんだ、カミラ嬢の格好は!」
「あんなもの裸みたいなものだろう!」
「いくら奥様に倣おうとしているとは言え――」
「屋敷内の風紀が乱れ――」
言い合うゴブリンたちにくすくすと笑いながら、カミラは鼻歌交じりにあちらこちらへ足を向け、そして擦れ違う他の使用人であるゴブリンたちの驚愕を受ける。
「カミラ嬢!? その格好、いったいどうされたのですか!?」
「奥様を見習っただけのことですわ」
「いや、だからっていくらなんでもその格好は……っ!!」
「あら、私の身体は見るに堪えないと?」
「そういうわけではありませんが!!」
「あら、嬉しい」
艶めかしく笑うその表情に、使用人たちの中でも特に年配のゴブリンが卒倒する。よほど驚いたのだろうことは明白で、そんな彼にカミラは楽しそうに肩を揺らし、そこでふと。
――ちりんちりん。
聞こえてきたのはベルの音。それに気付いたカミラは、厨房に寄ってからドグラの執務室へと向かう。こんこんこんこん。ノックは四回。それで気付いたらしい室内から、「どうぞ」と入室を促す声がした。
「失礼いたします」
しずしずと頭を下げたカミラ。瞬間、ばさばさっ! と音がした。顔を上げたカミラは、室内にいた二人の表情が全く別のものになっていることに気付いた。
片や、それまで書類を手にしていたのだろうポーズのまま、ぽかんと大きく口を開けて硬直するドグラ。
片や、きらきらとした表情を浮かべながら胸元で手を合わせるカタリナ。
そして、カミラはそんな二人の表情に満足げに笑った。
「お茶菓子をお持ちいたしました」
「ありがとう、カミラ。それよりも……その格好はどういたしましたの!? 生地は古いようですけれど、デザインは貴女のために誂えられたのでは、と思うほどにとても美しいですわ!!」