「お前、まだそれ着てんの。」
 見覚えのあるそのTシャツを見て、思わず口に出す。呆れでもからかいでもなく、ただ思ったことがするりと音になっただけの感想だった。
 声をかけた男ーーー影山は、ストレッチの動きを止めないままチラリとこちらを振り返る。日向が話しかけるたび条件反射で僅かに眉を寄せる癖は、相変わらずらしい。不機嫌そうに見えるが、これが俺に対する影山の通常運転だ。きっと今だって、今日の夕飯のメニューについて考えているにでも違いない。
 毎日のように顔を突き合わせていたあの頃よりもずっと逞しくなったし、纏う雰囲気も幾分か落ち着いたと思う。とはいえこうして見覚えのあるTシャツを着ていると、あの頃の面影が思い出されて懐かしい。
 主に日向の一方的な連絡で終わることが多いものの、互いの近況がわかる程度には変わらず連絡は取りあっている。たまに試合会場で会えば会話もする。しかしこうしてともに練習をしてネットを跨がずにバレーをするのは、もう何年振りになるだろうか。
 睡眠の質を落としてはいけないのに、昨日の夜は、期待に疼く鼓動を抑えて眠りにつくのが大変だったのだ。いい歳をした大人が、まるで遠足前の小学生のように寝付けなくなるくらい、今日というが待ち遠しかった。
 今日から3日間、全国……世界に点在する日本国籍のバレーボール選手を集めて行われるこのオリンピック強化合宿を、日向はずっと心待ちにしていた。
 声をかけた、というより聞こえる独り言を呟いた日向に、なんだよ、と言葉よりも雄弁に訴える視線を向けられる。
 前に会った時よりも少し幼く感じるのは、短く切りそろえられた前髪のせいだろうか。
「セッター魂Tシャツ!すっげー懐かしいなって!影山って意外と物持ちいいよな〜。」
 高校の頃は、文字通り毎日のようにこのTシャツを目にしていた気がする。毎日の練習時間、試合の後の着替え、合宿所のパジャマとして。いつだったか、どうしてそんなに同じものを何着も持っているのか聞いたことがある。一番セッターぽいから。それ以上も以下もないというように、影山はしれっと答えていた。感性をバレーボールに全振りしすぎている。なんて残念なやつだとその時は思ったが、プロになった今でもこうして愛用しているとは知らなかった。相当にこだわりが強いのか、ある意味では全くないのか。
「……。」
 何も言わない影山の顔を見上げれば、眉を顰めて口を尖らせている。おおかた、何か悪態をつこうとして失敗したのだろう。日向に悪意のないーーどちらかといえば好意的な興味と感想をぶつけられて、わかりやすく狼狽えているのが面白い。昔ならとっくに「うるせえあっちいけ日向ボゲェ!」と追い払われていた気がする。互いにバレー馬鹿は健在、何も変わっていないなと思っていたが、バレー以外でも少しは成長してできているのかもしれない。
 毎日を共に過ごした高校3年間、あの頃に築いた人間関係や経験の一つ一つ、恥ずかしくて思い出したくないようなことも全部、日向の心の中でキラキラと輝いている。その隣にはたいてい影山がいて、日向にとってはこのTシャツもあの青春の一部だ。
 たかがTシャツ一枚で思いがけず宝箱にしまったその煌めきのひとかけらを見つけた気分になって、無意識に手を伸ばす。
 ああ、でもやっぱり「触んな、ボケ」と手を掴んで静止するその声も仕草も、出会った頃より随分と穏やかになった気がする。
「…別に何着てたっていいだろ。」
 
 日向としては純粋に好意を込めての言葉を伝えたつもりだが、返ってきた若干不機嫌そうな声におや、と思う。ここで機嫌を損ねて、今日日向に上がるはずの、貴重なトスを減らされてしまっては困るのだ。
 何せ俺は、最高のトスをもらいたくてこの場所にいる。
「“お前“が“それ“を着てるからいいんだって!」
 悪気はないですよ、と純粋100%の笑顔にグッドサインまでつけていえば、こんどは変な生き物を見るような目で見下された。非常に解せない。
「…キメェな。」
「なんでだよ?!変な意味じゃなくて、ただ俺は、昔みたいで懐かしくて……」
 いいかけた言葉を、日向は少し後悔した。懐かしさに隠れた過去への憧憬が、その声に乗ってしまったことを自覚したからだ。
 昔から、影山は常に日向の半歩先を行く。そんなことは些末なことだ。日向が追い付いて、追い抜いて、あるいはそれを繰り返していけばいいだけのこと。
 高校の頃は、自然と常に隣で競い合っていた。
 今でこそ、影山のライバルのつもりでいたあの頃の、技術も経験もない自分の厚顔無恥さに呆れはする。けれどあの頃の方がはるかに、互いが互いを強く意識している確信があった。切磋琢磨。よくいえばそんな言葉に当てはまるだろうか。互いよりも前に進まんとがむしゃらだったあの頃が、時折眩しく思えるのだ。
 
 影山との戦いは今でも継続中だ。大事な試合の結果は報告するし、シーズン中のサービスエースの数や、出場試合数なんかも競い合っている。
 それでもやはりプロになってからは互いに遠い場所で戦っているから、距離が離れれば当然、相手の歩幅も見えなくなる。
 今はいったいどんな歩幅で歩き、何を目指すのか。
 
 過去に戻りたいとか、そういうことじゃない。
 けれど時々、本当に時々、不安になる。
 俺とお前は果たして、今でも同じ景色を見ているだろうか。
 違うチームのユニフォームを着て、別の仲間と勝利を喜びあう影山が「勝ちたい」と思う相手に、まだ日向は含まれるだろうか。
  
 上手くなるほど強いチームでプレーができる。強いチームでプレーをするほど、自分よりも上手い選手がそこら中にあふれている。影山に劣らぬ能力を持つセッターもいるだろう。日向よりも優れた運動能力を持つ選手もいるだろう。
 日向にだって、倒したい相手は山ほどいる。レジェンド級のベテラン選手も、自分より遥かにスタミナのある若手選手も等しく『ライバル』だ。
 けれど、それとはまた違う。ほかならぬ”お前”を倒すのは、いつだって俺でありたい。
 お前の目の前に、あるいは背後にはいつだって俺がいる。
 それを、お前に証明し続けたい。お前の中にもそういう気持ちがあると信じたい。
「…お前、」
 じ。と日向の心の奥を見透かすような目を向けて、影山が口を開く。日向の言葉に何を思ったのか、その後に続く言葉はいつまでも空気を震わせない。永遠に感じられた沈黙に耐えきれなくなったのは日向だった。
「俺はずっと、お前のトスを打ちたかった!」
 どんなトスも、俺にとってはありがたいトス。何千、何万のトスをあげてもらっても、上がって当たり前のトスはないことを、日向は知っているから。相手がいなければ満足に練習すらできない孤独と悔しさを、とうの昔に知ったから。
 それでもこの両手から上げられるトスは、日向にとってきっといつまでも特別だ。
 
「だから今日も、俺にトス、くれ。絶対くれ!」
 初めて“オレ“を飛ばせてくれたトス。いろんな強さが、いろんな闘い方があると知った今だからこそ、俺と、お前だけにしかできないことがあるのだと、そう思いたい。色褪せない思い出の中だけではなく、これからもずっと、あの頃のように。
「…それは、お前次第だ。」
 挑発するような表情に言葉。カチンとくる。それでこそ影山という感じもするが、昔の誼の情緒も何もない。ああ、やっぱり倒したい。味方だとしても関係ない。数ある選択肢の中で、実力で俺を選ばせて見せる。
「見てろよ!誰よりも俺に上げることになるからな!」
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時系列メモ
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2016 ブラジル
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影山オリンピック
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2018 日向帰国
07:05
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2018/11 Vリーグ
07:31
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2019 影山ローマ
07:37
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2020 日向ブラジル
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2021 オリンピック
08:42
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2021/8 日向影山(24)
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